燃え盛る街景色に揺らめく異形。その中を逃げる2つの幼き火影。男児が泣きべそをかきながらも狐の少女の手を引いている。声を必死に抑えて誰にも狙われないように、恐怖で止まりそうな足を必死に動かして、男児は迷わず歩み進む。
いや、迷いがないのはその通りだが、それは希望有る道筋を指してのことではない。親を失い、失意に昏れるには些か幼過ぎただけのこと。男児には何も考える余裕は無い。それでも、手の中にある自分と同じ程の歳の小さな手を離そうとは微塵も思わなかった。
妖しく光る刀を持つ少女と面識があった訳でもない。ただ単純に、泣いていた彼女に手を差し伸べたのは自然なことだった。
誰も助けに来なかった。もう大丈夫だと抱き締めてくれる大人は来なかった。
腕に生えた結晶だけが、月の代わりに光を写していた。
『エーテル活性再度上昇! 至急応援を!』
『目標が暴走している!』
『だ、誰かっ! 助け──』
誰かの悲鳴で目を覚ました。全身の筋繊維がもう無理だと警告してくるが、無視して立ち上がる。込上がってくるモノを吐き出すと、それは空と同じ赤い色をしていた。
活性化したホロウ『アルゴス』に投入されたHIA、治安局の攻撃部隊は全滅。それは我がH.A.N.Dの攻撃部隊も同じことだ。無線からは絶えず誰かの応援要請が流れている。
「お前たち……っ!」
庇ったはずの部隊を探そうとしてやめる。遍くを消滅させるエーテリアスによるエネルギー攻撃の跡が自身周囲を避けるように刻まれていた。焼け残った装備に嫌な既視感を覚える。
庇ったはずなのに……どうして俺は彼らに庇われている? 果たして、本当に俺に彼らに守られる価値があると云うのか。
「すまない……」
せめての償いとして、彼らの装備を拝借する。刀を三振り、ナイフ、袖、応急キット、使い物にならないものを交換していく。彼らの証が、再び誰かを助けることが出来るのかは俺次第だ。身体が積載オーバーだと宣うが、彼らの命の重さにしてはやけに軽く感じた。
ホロウ『アルゴス』にて暴れ回っている目標とは、異常共生体エーテリアス『レルナ』のこと。異常な規模の体躯を持ち、高層ビルほどの触手とエーテル波による攻撃によって部隊は全滅した。しかも、先の戦闘では弱点であるコアのダミーを生み出していた。勝ち目がないのは火を見るより明らかだった。
「まだ……倒れてはいけない」
『英雄』に憧れなんてなかった。強いて言えば、同じ人間として興味があっただけ。どうしてそんなに強く在れるのか聞いてみたかっただけだ。憧れなんてとっくに捨てた。だってあの日、英雄は助けてくれなかったから。
英雄願望なんて……ない。
「誰か助けて!」
ナイフを投擲し、一般人を攻撃しようとしていたエーテリアスの虚を衝く。刹那の間に距離を詰め、形見の刀で一刀の下斬り伏せる。一つ、二つ、三つ……剣閃は煌めき脅威を断つ。
「あ、ありがとうございます! もう駄目かと思いました」
「安心してください。……俺が守ります」
自身が英雄ではないことは助けない理由にはならない。ホロウ内に取り残された一般人及び壊滅した派遣部隊を比較的安定した広場に集め、忍び寄るエーテリアスを片っ端から片付ける。避難させようにも、現在進行形で拡大し続けているホロウを備えなしに彷徨うのは危険過ぎる。外から救護班が来るまで耐える他なかった。
どれ程の時が経ったのか……。数ヶ月のようにも、数秒のようにも思える。剣先は乱れ、全身のあらゆる穴から血が吹き出ている。呼吸は浅く、手の感覚も失せ始めた。
「はあ……はあ……」
「執行官様、もう……もういいんです!」
「私たちのことはいいですから。あなただけでも!」
「このままだと死んでしまいます!」
……優しい人達だ。耐えきれなくなった刀をそこらに撒き散らして、最後の一振もヒビが入っている。そんな男に逃げろと声をかけるか。
有象無象のエーテリアスを斬りながらもつい口角が上がる。
「だからこそ、命を賭す意味がある!」
その時、星を仰ぎ見た。
青白く光芒引く明星。その星が一際輝いたと感じた瞬間、『レルナ』のコアが容易く斬り刻まれた。多数のダミーの中から本物を見抜いたんじゃない。文字通り全てを斬って、星の
それに釣られるようにエーテルで包んだ刀で残りのエーテリアスを一掃する。この天命が尽きたことを示すかのように刀はボロボロと砕け散り、脅威が去ったことに安堵して疲弊に身を任せた。しかし、倒れようとした身体は硬いコンクリート床に叩きつけられることはなかった。
「……
ボヤけた視界に揺らめく艶良い黒色が鼻先をくすぐった。小さい……だがとても力強い体躯の誰かが優しく背中を撫でてくれている。その優しさに、溺れるように意識を手放した。
「よくやったな」
改めて実感した。英雄には成れないと。
数日後、閉じ込められた病室には不気味なくらいに何も無かった。拒絶ともとれる排他的景観に辟易する。せっかく命からがら目覚めて最初に見るのがこれとは、生きることにも死ぬことにも恵まれていないらしい。
扉を叩く音が三度響いた。すると真白の扉の向こうから琴音が如き美声が聞こえる。十中八九あの人だ。
「私だ。入るぞ」
こちらの返事も待たずにその人は入室して来た。青緑色の羽織に袖を通した赤い瞳を持つ狐のシリオン。先の件で『虚狩り』の名を貰い、名実共に都市の守護者となった
「具合はどうだ?」
「……もう少しすれば退院です。此処へは何の御用で? 星見殿」
少々眩し過ぎる輝きに嫉妬して素っ気なく返してしまう。包帯に囚われた弱い自分には、彼女の存在は少々毒が過ぎる。
「む……私たちは旧知の仲、敬語は不要だろう?」
「ははぁ、かの高名な虚狩り様相手となると相応の態度ってものがありましょう」
「やめろ。お前にそのような態度をとられても嬉しくない。いつも通りにしてくれ」
軽い冗談とはいえ、明らかに機嫌を損ねてしまった。自然と握られた右手に力が入る。
「わかった、わかったから腕を掴まないでくれ。痛い」
「っ! すまない! 無意識だった」
「大丈夫。……本題に入っても?」
咄嗟に掴んでいた腕を離した彼女は、今度は申し訳なさそうにその大きな耳を垂れさせた。罪悪感が心臓を掴み幻痛を与えてくる。このままでは埒が明かないと話を促すと、雅はおもむろに1枚の紙を取り出す。
「それは?」
「お前の異動に関するものだ」
渡された紙には『対ホロウ事務特別行動部第六課』への異動命令書とあった。聞き覚えのない部署だ。異動となる者の欄に自分の名前と、課長の欄に雅の名前が書いてある。
『虚狩り』となった彼女が昇進することは至極自然なことだ。しかし、自身に関しては疑問が残る。自分はあのホロウ『アルゴス』の攻撃任務も十全に果たせたとはとてもじゃないが言えない。率いた部隊を全滅させた挙げ句、『レルナ』の討伐もダミーを増やさせただけという失態ぶり。処罰を受けることも覚悟していた。それがこの異動書1枚とはな。
こちらの様子を察したのか、雅はいつもより真剣な眼差しで俺の目を見た。
「この都市には多くの病弊が蔓延っている。異常共生体エーテリアスと刃を交え、ダミーをあれ程生ませるまで追い詰めた武勇。たった1人で、200人にも及ぶ市民や隊員を守り抜いたお前の力が必要だ、
「……」
『英雄』。今の彼女にはその言葉が良く似合う。彼女は自身を刃に例えた。ならば、自分は鞘となろう。塵屑にその斬れ味を鈍らせないよう保護する為。何より、旧い恩人の頼みとあらば喜んで応えよう。
「我、薄乃 命はこの都市の……貴女を守る鞘でありましょう」
それに、彼女が傍にいれば色々と