「相変わらずでっけーなぁ。……ニネヴェのヤツも健在ってとこか? 知らねーけど」
スコット前哨基地から観測する零号ホロウ、コードネーム:リンボ。
街ひとつ消滅させた災害の様子を見るのも、あっちこっちに建ってる式輿の塔を数えるのにも飽きた俺は、楽しい楽しいインターノットの海に視線を落とす。
「ヴィジョンの不祥事……カンバス通り近隣住民の許可を得ず爆発工事……うへ〜ヤッバ、どうすんのコレ。……あ〜、やっぱ社長は捕まったのか、んで住民は企業相手に訴訟起こしたと、まぁ当たり前だよなぁ」
訴訟を起こした住民代表のところになんか見覚えのあるピンク髪が立ってるような気がしたが、もしそうなら実に頭の痛い話なので見なかった事にする。
「マナトマナト! そろそろシュツゲキだって、ナギねえが呼んでるよ!」
「お、マジ? 集まってないの俺だけ?」
「うん! ハルマサもボスもみんな集まってるよ!」
「そっかそっか、待たせてごめんな。そんじゃ行こうか、蒼角ちゃん」
「うん! 行こ行こ!」
ホロウ探索なんて普通億劫なもんだと思うけど、ここまでの元気を見せてくれる蒼角ちゃんが少し眩しい。
「来ましたか篠崎隊員。……その、準備はよろしいですか?」
妙に遠慮がちなのは、多分俺の気のせいじゃない筈。
「よろしいですよ。槍はピカピカ、義手もヌルヌル動くし。絶好調っす」
俺が如何に好調を訴えようと、柳副課長は不安そうな表情を変えてくれない。
「ヤヌス区で起きたホロウ災害対応の際に義手を使用したと……あれからそこまで日も経っていませんし。本来なら安静にして欲しいのですが……」
「いやいや大袈裟過ぎますよ。年中具合悪そうなマサマサに比べりゃ、俺の反動なんて一日頭痛と吐き気耐えてるだけで終わるんですから」
「今まではその一日の反動すら無かったのでしょう? このままその義手を使い続けて反動が強まり続けたら、篠崎隊員、あなたはいつか本当に……」
「あ〜、それより先は勘弁してくださいよ柳副課長。これから仕事だってのにみんな辛気臭い顔しちゃってるじゃないっすか。ほら、切り替えていきましょ? こんなんじゃマジで今日がそのいつかになっちゃいますって!」
しーん。
おいおい、マジで?
「……全く、この空気でそれが言えるヤツなんて、それこそ愛斗くらいしかいないだろうね」
「冗談にしても笑えないな。愛斗」
「よくわかんないけど、マナトがいなくなったら蒼角ヤダよ……?」
まさかの総スカン。
みんな俺みたいなやつに優しすぎるよホント。
「皆この通りですから、篠崎隊員。自分の体は大事にしてくださいね?」
「……はい。すみませんでした。義手使うのはなるべく控えます」
ようやく言ってくれたと満足そうに頷くみんな。
実際、エーテルが満ちまくってる零号ホロウで
つーか約束じゃねーし、控えるだけだし。いざって時はもうしょうがない。
俺達をホロウ内部まで運んでくれるヘリに乗る。
なんだか事件でもありそうな、嫌な遊覧飛行だった。
◇
硝煙の香る街並みと青が見えない濁った空は、まさに世紀末といった様相。
その灰色の景色を眺めながら、愛斗はどうしてこうなってしまったのかともう一度考えてみる。
「入れ替わったのは多分、ニネヴェがどうたらっつってみんなが動き始めた時くらいだよな。……たく、ちょっと目離した隙に本物は行ってて、残ったヤツらは偽物だったとかどんなホラー展開だよ……」
つまり、六課を模倣したドッペルゲンガーから命からがら逃げ出して来たのが現在の状況だった。
「雅課長のドッペルゲンガー以外なら、一体ずつでやれないことも無いけど……。なんかめんどく〜せなぁ、やっぱ義手使うかぁ……?」
〝約束じゃねーし、控えるだけだし。いざって時はもうしょうがない〟
とはいえ、今がそのいざという時に含まれるのかは些か疑問だ。
「そもそも獲物の知り合いとか恐怖を感じる相手を模倣するって性質上、獲物の俺がいなくなればまた元の電離体に戻るだろうからわざわざ殺りに行く理由もないんだよなぁ。ニネヴェを追ってればみんなともそのうち会えるだろうし、あれ零号ホロウのちょっとしたランドマークみたいなもんだから」
というわけなので、対ホロウ六課を模倣した超危険なエーテリアスを完全放置する事にした愛斗。
もちろん、H.A.N.D.の人員や協会の調査員等を襲うようなら殲滅も考えたが、こんな奥地にまで入ってくる者はそうそういない。
「……ってちょっと待った。今の見間違えじゃなきゃ」
進行方向を即座に転換する。
愛斗の視線の先には、どう見ても協会の調査員である女性と、それに付き添うスカーフを巻いた愛らしいボンプ。
そしてその二人に近づいていく、愛斗が傷をつけたばかりの、六課を模倣したエーテリアス。
「クソ、マジで最悪すぎる! なんでよりによってあの姿のままなんだよ……!」
どうも今回のドッペルゲンガーは諦めが悪いらしい。
それとも、この方法なら獲物を誘き寄せられるという判断だったのか。
「その制服は対ホロウ特別行動部の。皆さんどうかなさいました……?」
問いかける調査員に、ドッペルゲンガー達の筆頭格である星見雅の姿をとるソレは、無表情のまま刀を取って、
「────え?」
その呟きは虚狩りが斬りかかってきた事実に対してではなく、あまりに唐突な状況の変化に対してのもの。
襲いかかる刃よりも速く、自身とボンプの体は抱き抱えられ、刃の届く範囲の外に移されていた。
それを為したのは、先程のドッペルゲンガーと同じ意匠の制服を着た。右腕の半分程度をエーテル結晶で覆った男。
愛斗は両脇にそれぞれ調査員とボンプを抱え、同僚の姿をしたエーテリアスと睨み合いを続ける。
「……結局、使う羽目になっちまったが、まぁ今がいざって時だし、仕方ないよな」
単純な話、使わなければ間に合わなかった。
異常なエーテルの奔流。驚異的な出力の肉体活性に身を任せなければ、きっと。
状況を止める睨み合いに焦れたのか追撃してくるドッペルゲンガー。
愛斗はビルの壁面と宙に浮かぶ瓦礫を経由して一気にビルの屋上まで駆け上がる。
星見雅でもなければ追跡は不可能な高所で、抱き抱えていた調査員とボンプを下ろした。
「えっと、一体何が? それにあなたのその腕は……」
「あ〜、コレは別にエーテル侵食ってわけじゃないんで安心してくれ。まだ半分程度で抑えてるし。それと悪いな、いきなり無遠慮に抱えちまって、でも許してくれよ? じゃなきゃ今頃オタク死んでたぜ?」
矢継ぎ早に告げられる言葉に驚きながらも、ゆっくりと咀嚼するように状況を飲み込む調査員の女性。
「……じゃあさっきのアレは、ドッペルゲンガーですか?」
「そゆこと。なんだよ、まだ全部説明してないのに頭いいじゃん」
「ずっと黙ったままで、表情もなんか暗かったので、怪しいとは思ってましたよ」
「そっかそっか。……ってあれ、このボンプさっきから動いてないんだけど、もしかして俺が抱えた拍子にどっか壊れたちゃった?」
動かないボンプを両手に抱えて上下に振ってみたりする。
愛斗に抱えられ、改めて正面から彼の顔を見る事になったボンプはどこか慌てたような仕草でその動きを取り戻す。
(ちょっと! ちょっとちょっとちょっと! なんでこの人がここにいるの!)
慌てているのはスカーフを巻いた愛らしいボンプ……ではなく、そのボンプと感覚同期をした、いつか雑貨店で愛斗に商品を取ってもらったビデオ屋の店長の一人であるリン。
小さい雑貨店で出会った優しいお兄さんが、実は公的機関H.A.N.D.お抱えの遊撃部隊に籍を置くエリートだったという最悪のミラクルを前に、真の正体を百戦錬磨の伝説のプロキシ、パエトーンの片割れとする彼女も動揺中だった。
「なんか動いたはいいけど、全然喋んねーなコイツ。やっぱどっかしらぶっ壊れてんじゃねーの?」
「ン! ンナンナ!」
「おお喋った。……あれ? でもなんかこの声最近聞いた気がするんだけど、気のせいか?」
「ンン゛! ンナナ゛!」
「……いや、こんな擦り切れた声じゃなかったし、やっぱ気のせいか……」
そんなやり取りをしていると、ビルの下から猛スピードで接近する気配に気づく。
「あ〜、まぁそりゃあ追ってくるよな。雅課長ならさ」
自身が禁じ手を使ってようやく可能な動きを素の身体能力で再現してしまう反則に呆れながら、愛斗は己の右腕に力を込める。
右腕の半分程度を覆っていたエーテル結晶が、今度は右腕全体を覆うようにして現れる。
エーテルによる完全侵食。肉体にかかる負荷は先程までと比べるまでもなく、肉体にもたらされる恩恵は先程までと比べる事が不可能な程に跳ね上がる。
「なぁ、二人だけで逃げれるか? そこにある非常階段使ってさ。見た感じ壊れてないし使えるだろ?」
「確かにまだ使えますが……でも、あなたは?」
「時間稼ぎ」
それだけ言って、愛斗はビルの屋上から飛び降りる。
飛び降りた先にはやはり、ここまで登ろうとしていた星見雅のドッペルゲンガー。
「ほら、獲物はこっちだぜ?」
自由落下のすれ違い様に声をかける。
やはり狙いは愛斗だけなのか、ドッペルゲンガーも方向を転換して下へと落ちていく。
ビルの壁面を右腕で擦りながら速度を落として着地する。
対して星見雅のドッペルゲンガーは、何も速度を落とすことなく無傷で着地していた。
「……たく、バケモンがよ。なぁ、それはエーテリアスだから? それとも雅課長だからか?」
「…………」
答えてくれないことに寂しさを覚えつつ、二槍を両手に構える。
警戒すべきは目の前の敵だけではない、既にこの場には偽物の六課が集結している。
正面には刀を構える偽物。
右には薙刀を向ける偽物。
左には弓に矢を番える偽物。
後方には刃旗を掲げる偽物。
四方をこのように囲まれても、愛斗の表情は笑みを浮かべたまま、変わらない。
「時間稼ぎとは言ったけどさ。なんつーか、やっぱりお前ら、全員死んでくれるか? だってほら、お前らが暴れて六課の評判落ちたらやべーじゃん?」
エーテル侵食による精神高揚か、それとも窮地から張った虚勢か定かではないが。
少なくとも彼がハッキリと記憶しているのはそこまでで、そこからの出来事は残った結果で推測するしかない。
「対ホロウ六課戦闘員、篠崎愛斗。いざ参る──ってな」
あくまでも気楽に、悪夢のような戦いは幕を開けた。