×700
手に書かれた数字を特殊な液体で消し、三桁の数字を書き込む。書き込む手には躊躇いがあったが、機械的に腕を横にスライドさせた。
「大台、乗っちゃったな」
吐息が漏れる。吐息には熱が篭っているはずなのに、どこか冷たく、表情は申し訳なさそうだった。
隣で心配そうな顔を浮かべるボンプ。それを軽く撫でながら、僕は剣を握り直す。ここまでやる必要があるのかは分からない。でも、これからの危険を考えると、僕はもっと強くあらなければならない。
剣を握る手が僅かに震える。いい加減、精神の限界が来ている。いややめろ。自覚するな。それ以上はだめだ。ここで正気になったら、戻ってこれない。
「まだ行ける」と錯覚しろ。まだ体は正常だと錯覚しろ。体が異常を知覚し、これ以上の摩耗を防ぐために痛覚をシャットダウンしないように。
僕は今は1人なんだ。1人で脅威たり得なければ、やっていけない。
×362
「まだ寝たいよぉ…」
目覚ましに対して恨み言を吐きながらも、一日を始めるためにも目覚ましを停止し、体を起こす。スマートフォンを確認し、今日の予定を振り返る。
「あ、今日はホロウ捜査の日か」
特務捜査班は名前の通り特殊な案件を任されることが多い。それでも普段はパトロールや街の問題などを解決しているわけだが、ホロウ内での案件を一番多く貰えるのは間違いなくウチだ。
「んぇ、朱鳶さんは定例報告会議に行くから任務には行けない…?」
たった今メッセージが届いた。というか時間のキリが良すぎる。自動送信だなこれ。さすがは朱鳶さん。仕事がうまい。
「そうなると、セスと僕と青衣か」
ちょっとしたホロウ探索くらいならこのメンバーなら十中八九負けない。というか久しぶりのホロウ任務。気合い入れていくぞ、と僕は濃い青を基調とした、黒い差し色の入ったジャケットを着た。
この服のデザイン気に入ってるんだよね。
「おはようございまーす」
軽快なノックと共に僕は特務捜査班の専用部屋に入る。ドアはこの都市らしく自動で、僕のIDカードを参照させることで出入りが可能だ。
部屋の内情はいつも通りだが、初見は驚くだろう。
朱鳶さんは別の部門の方とホワイトボードの前で激論を交わしている。
「あ、ハル君!おはようございます!…それで、ここの書類審査で音動機の予算の齟齬が発生しているはず…」
ディベート中に僕の挨拶を聞き、それに返答した上でまた論陣を展開しに行った。すごい技術だ。
「ハル先輩おはようございまーす!!出来ればこっち手伝ってくださいぃ!!」
今度話しかけてきたのはセス。いつもこうな気がするが、彼は部屋内を行ったり来たりして、書類整理を行なっている。セスは大量の紙の束を抱え、汗を流しながら仕事をおこなっている。真面目なのはいいことだが、もっと楽にやろう。
「ハル。我からも頼む。セスを助けてやってくれぬか」
僕にそんな願いを伝えていながら、白湯を飲んでゆっくりしている青衣。この騒がしい部屋内で、1人でお茶キットのようなものを広げ、独特な空気感を生み出している。相変わらずマイペースだ。
「青衣も手伝ってほしいかな。白湯を飲む時間を大切にしてるのは分かるけどさ」
そうコメントしながらセスの仕事の塊を半分ほど引き受け、返すべきところに返し始める。
「そうですよ青衣先輩!ハル先輩の爪の垢を煎じて飲ませたいくらいです!!」
「「白湯だけに煎じて飲ませる」ってこと!?やるね、セス」
「ハルを唸らせるとは、お主冗談の才能があるぞ」
勝手にセスが作り出した言葉遊びの冗談に感動する。なかなかやるな。
「偶然です!!しょうもない冗談を見つけて2人で勝手に喜ばないでください!!」
手厳しいね。しょうもないはないでしょうに。…ていうか適切な場所に紙を返すだけのこの作業無駄すぎるでしょ。重要書類以外は電子化するように上層部にお願いしてやろう。
「さっきから同じ人の机を往復してるから、一旦分別してから渡そう。その方が確実に効率いいよ」
「うわあ、なんで俺こんな簡単なこと思いつかなかったんだ!?ありがとうございます!」
ドタバタコメディ、と表現せざるを得ないのが、特務捜査班の朝である。会議が始まった後の静けさを思うとこのドタバタ具合が恐ろしくなってくる。
僕の参戦によって加速した書類仕事を終え、青衣からお茶を頂く。
青衣の淹れるお茶は温かみに溢れている。本人のお茶に対する想いもさることながら、労うような気持ちすら伝わってくるのだ。茶葉は日替わりで、なんなら白湯を貰う日も多くあるのだが、今日は緑茶みたいだ。
「落ち着くー」
「であるな」
だが、セスは全然落ち着いていない。どころか、頭を悩ませている。僕とセスの目の前に鎮座しているのは古風な見た目のボードゲーム。将棋的な何かだが、僕はもう次の手を決めているので後は待つだけという状態だ。
ボードゲームは得意な方だ。いろんなことを考えながら戦っているから、その癖が残っているのかもしれない。
「く、これしか…」
セスは現在将棋で言う所の王手飛車取りのような状況に陥っている。分からない人のために例えるとすれば、必ず死ぬ部屋に入るか、片腕がなくなる部屋に入るかの二択でやむなし後者を選ぶような感じ。
「じゃあこうだね」
そんな選択の限られる状況では考えることが少なくてこちらとしても助かる。さらに盤面上でセスを追い詰めてみた。
「うわっ!、性格悪いですよハル先輩…」
残念だが狡猾な奴はボードゲームは強いものだ。僕が狡猾なのかは知らないけれども。
「会議を始めます」
会議室に入りながら進行役も務め始める朱鳶さん。いつも通りの会議の開始を告げるチャイムだ。
テキパキとボードゲームを片づけ、メモ帳を取り出すセス。まさか新エリー都というハイテクな場所でこんなアナログな方法を使う人がいるとは思っていなかったが、案外いるものなのかもしれない。
青衣さんはというと、データがあるので聞かなくていい。なんなら録音もできているので追加情報は保存できる。なんて便利。
僕はシンプルにパソコンにまとめてからブラウザ化、スマホからも閲覧できるようにするだけ。現代で一番慣れている手法だ。ホロウ内では電子機器が使えなくなる恐れがあるので、可能な限りホロウ任務のある日ではその場で内容を記憶するようにしている。
「まずは先日のヤヌス区ルミナスクエア近くで発生した強盗事件の…」
朱鳶さんの会議の様子を見れば一発だが、彼女はとてもストイックだ。会議で話される順番は古い案件から順番になっているし、その案件に関われていなかったメンバーへの周知を兼ねて短く概要まで話す。
その概要の分かりやすさといったら、とあるビデオテープ屋の店長さんが解説する映画の概要くらい分かりやすい。
「最後に、今日のホロウでの任務についてです。青衣先輩、ハル君、セスはよく聞くようにしてください」
来た。軽く顔を上げ、より集中して聞けるような状態になる。
「ホロウの調査員が偶然発見した、零号ホロウ内にある特殊エリアの探索が主な任務となります。事前捜査では強敵のエーテリアスが多くそのエリアに徘徊していることが分かっています。皆さんには、どのくらいエーテリアスがいるかの捜査と、そのエリアの構造把握をお願いします」
これがうちに飛んでくるのはかなり珍しいことだ。だってこれは治安官の仕事というよりはホロウ調査員の仕事だから。つまり、
「お気づきかもしれませんが、これが特捜班に回ってきたのは人為的な要素があったからです。その調査員曰く、道が整然としすぎており、奥に何かを隠したい意図が見えるとのことです。しかし最奥まで潜る必要はありません。最低でもその場所が人為的に造られていることさえ分かれば「許可なくホロウ内に建設物を建てている」ということでもっと大きな捜査が行えますから」
人間が行うホロウに関する犯罪を主に取り締まるのが特捜班だ。今回の任務においては建物が人為的に、意図的に作られているかを調べた上で敵の数と構造を把握することになる。要するに斥候だ。
「私は朝に連絡した通り定例会議で任務に同伴できません。十分気を付けて調査を行なってください」
支給されたボンプのデータには既に、最初にそのエリアを発見した調査員が作成した断片的なキャロットがある。おかげで僕らはサクサクホロウ内を進み、
「『ぼくの考えたさいきょうのダンジョン』かな?」
内部で事故っていた。
そのエリアはほとんどが室内で構成されているのだが、ゲームの階層制を取っており、敵を倒すと次の部屋に進める形式。
この形式だというのに無駄に複雑な内部構造をしていて、「足止めをしたい」という意図が感じられる。
「この建物が元々あって、そこにエーテリアスが偶然住み着いたって形じゃないのは、これで確定ですね」
セスが覚悟したようなため息を吐く。僕らの目の前でふわふわと浮いているのは、時たまホロウ内で存在が確認される、珍しいタイプのエーテリアス。
一般名はトラキアン。
電気を纏った槍を振るうことで攻撃をするのだが、その攻撃速度は相当なものだ。
しかも、それが3体いる。
まだこの建物に入って2つほどしか部屋を開けていないにも関わらずコレでは相当大変なことになる。
「偶然たまたま、このような強敵が一堂に会すことなどありえん。この記録があれば『この場所が人為的に作られていることを証明する』という最低限の任務は完了であるな」
「問題は「何の為に」ここまで厳重なセキュリティを作っているのかって話だよね」
「それの確認の為には、こいつらを倒さなきゃ無理、ってわけですね。しょうがないです」
軽く手と足を回し、屈伸などをして体を伸ばすと、
「3分ほど戦って決着がつかなかった場合、どんな理由があれど逃走する。よいな?」
青衣が僕を見ながらそう言う。何で僕の方を向いてるのかな。そんな簡単に死ぬ訳…ありそうだな、この敵の強さを考えると。
「了解」
命大事に、を意識しながら僕らの戦闘は始まった。
トラキアンの動きは極めて複雑で、見てから動くのでは遅いと言うことは一撃食らった時点で理解できる。
一撃くらいだったら耐えられるようになった僕の体も成長したものだが、読んで避けないといけないことが分かった時点でかなりジリ貧だった。
3人で協力し1体を倒したあたりで青衣に自動搭載されているタイマーが正確に3分を刻み、僕らに作戦の終了を合図する。
「3分が経過した。逃げるぞ」
逃げるのも随分上手くなったもので、僕らは爆速でホロウから撤退。僕の数字のカウントが増えることはなく、極めて平和な安全策を実行できた。
「任務自体はあっけなかったな」
ホロウから出て僕はつい呟く。しかしセスはそれに対し驚愕の声を漏らす。
「えぇ!?あれはかなりヒヤッとしましたよ!」
「すまぬ、こやつ治安官になってからというものホロウでの任務は危ないものばかりでな。少々常識というものが欠けておるのだ…」
青衣が何故か謝罪する。おかしい。僕がおかしいのかこれ。なんかそうっぽいな。
どうやら治安官というものは僕の仕事内容よりずっと平和な職業らしい。確かに街での仕事自体は猫探しやら人助けやらボンプ探しやらで平和だが。
「そういえばハル先輩ってヘッドハンティングで治安官になったんですよね?おいくつなんですか?」
僕が前世で死んだのが16くらいで、1年治安官をやったから、今は…
「17?かな」
「えっ!?」
「ほう」
またしても目を見開くセスと、これまた耳を貸すように興味を持って僕の話を聞こうとする青衣。何、こわいこわい。僕なんか変なこと言ったか。
「俺より若いじゃ無いですか、っていうか学校は!?」
うわ。完全に忘れてた。学校とかいう存在。死に戻りやらエーテリアスやらやっている内にそんな事を考えている暇は無くなっていた。確かにこの世界でも僕くらいの年齢の子はみんな学校に通っていた。
「行ってないね。大分特殊な経歴でさ」
「行きたいとは思わぬのか?」
「行ってもいいけど行く必要は無いと思ってる。居場所はもうある」
冷静に考えると僕の経歴を顧みず雇った朱鳶さんがすごいのかもしれない。いつか何で急に雇おうと思ったのか聞いてみよう。
「お試しでもいいですから、一回行くべきですって。青春を少しでも味わうべきです!」
「我もそうすべきだと思うぞ。勉学に励むことで見える道もある」
「まあ、じゃあ、考えとくよ」
一旦二つ返事で了解しておく。この世界の進学構造とか全然知らないわそういえば。せめて有名大学の名前くらいは知っておきたいかもしれない。
僕らの達成した任務のデータを元に別件としてホロウ調査員の皆様が調査を開始してくれた。数週間ほど経って、やはりあの施設は「守る」為にある、ということが判明した。
「名刀『黒霧』ねぇ…あそこまでして守りたいのか、それを」
その守る対象は、まさかの武器。あの建物が建っていた場所の敷地が、元は名家だったようで、その家といえばやはりこの刀、という事らしい。それだけの力がその刀にはあったという事なのだろう。
そんな報告書に目を通していると、朱鳶さんに肩を叩かれる。
「ハル君。任務の話がしたいんですが、今大丈夫ですか?」
「学校に潜入捜査をしに行って欲しいです」
タイムリーだね。