「……、じゃあ。私と一緒に地獄の底までついてきてくれる?」
ついに発されたその言葉。その笑顔。
それらを目の当たりにして、俺は用意していた言葉を――発する事が出来なかった。
ある、当たり前のことに気が付いたからだ。
彼女はとても、辛そうだった。
とても素朴で、しかし決定的な気付きであった。俺は今まで、なにを見ていたろうか。
原作によると。
あの場面を参照すれば。
そんなうろ覚えの知識ばかりを掘り返し、彼女の何をわかった気でいたのか。目の前の傷ついた少女に、向き合ってすらいないのに。
俺には何もわからなくなっていた。いや、初めから何一つわかってなどいなかったのだろう。
ただひとつ、確実なことがある。上条当麻なら、そんなことは決してしない。なるほどこれが格の違いというものか。物語の正統なる主人公と、二次創作の主人公気取りの明白なる格差。いや、そんな枠で捉えることもまた不粋で無意味か。要するに俺の人間性がいかに下劣で浅はかなのか、そこに尽きるわけだ。
俺は理解し、反省した。
反省したので、大丈夫だ。
間違いは、改めればよい。
地獄の底までついてきてくれるのか。暗にコチラにくるなという意思表示。彼女の優しさから生じた、悲しい拒絶。それにどのように答えるべきか。
原作がどうとかは今この場では考えるべきではない。考えるべきは、彼女のために、俺がどうしたいのか。
そしてそれを伝えるためにまず必要なのは、言葉ではなく行動であろう。
俺の視線は、自然と俺の手に握られたままの三徳包丁に向かっていた。先ほどインデックスに渡され、彼女を滅多刺しにし(未遂)、以て歩く教会の性能を立証した凶器。
その時、天啓来る。
まさに、これだ。
これが俺の何かを証明する。
俺は何一つ迷うことなく、握りしめた包丁を――
「……ッ!? だ、だめ!」
――俺自身の首に突き刺した。
俺の行動を察知したのか、あるいは不穏な何かを感じたのか、インデックスが止めにかかろうと手を伸ばすも間に合う訳もない。吹き出す液体が部屋を、インデックスの白い法衣を、鮮やかな赤に染め上げる。
汚したことは申し訳なく思う。しかし、まだ足りない。首に突き立てた包丁を両手で掴み上下左右に激しく揺さぶり、捻りを加える。噴出する血の勢いが増し、鼻や口からもがぼがぼと溢れ出す。
「何をやってるの!! やめて! やめるんだよ!!」
悲鳴のような声と共に、インデックスは俺に飛びかかる。力尽くでも止めようというのだろう。その行動力たるやよし。
元より首への致命的ダメージを受けていた俺が耐えられる訳もない。俺はあられもなく押し倒され、後頭部を床に強かに打ちつけた。死んでもおかしくないような大きな音がしたが、しかしインデックスは構いもしない。それどころではなかったのだろう。
「なんで、こんな、ま、魔術を……いや、でも、ど、どうすれば」
仰向けに倒れた俺に馬乗りの形で跨った彼女は、自らの手が血に染まることも厭わず俺の首に手を当て、止血を図る。突き立つ凶器を引き抜くことをしなかったのは、さらなる失血を恐れたためか。その判断の正しさについて賢しらに語れるような医療知識は俺にはない。だが、この特殊状況においてどうだったかについては、当事者として断言できることはあった。
すなわち、どちらでも問題はない。
抜こうが抜くまいが、何も変わりはしないということだ。それは無論、どちらにしても死ぬから、ということは意味しない。逆だ。
俺は、もはや俺の首を締め上げん勢いで止血を試みるインデックスの手に、極力ゆっくりとやさしく触れた。とたん、彼女の肩がびくりと跳ね上がる。
彼女の身になって考えれば、無理もないだろう。突如首に深々と包丁を突き立て、すさまじい勢いで血を噴出した後に倒れ伏した男。そんな愚かな自殺志願者を必死で救おうとしながらも、心の中ではもう無理であることわかっていたはずだ。避けられぬ死。少なくとも、この出血量ではもはや意識は残ってはいまい。だというのに、その男の手が、あたかも生きているかのように持ち上がり、彼女の小さな手に触れている。その男の目が、あたかも生きているかのようにぎょろりと動き、じっと彼女を見つめている――。
俺は、息を呑み固まったインデックスの手をやんわりと首から外し、首に突き刺した包丁を掴んで引き抜いた。果たして、傷口に対して栓となっていた凶器が取り除かれたことで、さらなる出血が――訪れる事はなかった。
どころか、首にはっきりと刻まれていたはずの傷口が、綺麗さっぱり、まるで初めからなかったかのように、消え失せていた。
「な……」
「げほっ、ん゛ん゛っ、み、見ての通り」
事態についてこれず言葉を失う少女を見上げて俺は言う。行動は見せた。次は言葉だ。
「俺は死なない。首を滅多刺しにされても。どころか、頭をまるまる吹っ飛ばされても、五千百度の炎で消し炭にされても死ななかった。試した事はないけども、生身で宇宙に放り出しても、きっと大丈夫と思う」
過去を振り返り、これからの未来を想い、告げる。
「地獄のお供にうってつけ。そうは思いませんか、インデックスさん」
それは、俺なりの決意表明であった。原作も、二次創作も、上条当麻も、トゥンクも、なにもかも放り出す。ただひたすらに、俺は俺のやりたいことをやる。すなわち、目の前の少女、インデックスの助けになるのだ。
インデックスは目を見開いて、口をぱくぱくと開閉すること餌に群がる鯉の如し。
しかし俺の言葉は、しっかりとその優秀な頭脳に届いたのだろう。やがて彼女は口と目を閉じ、息を大きく吸って、大きく吐いた。何かを咀嚼し、受け入れる準備をしているかのように俺には感じられた。
そして彼女は、
「ふざけるなッ!!」
「あがごッッ」
小さな右の手のひらをギチギチに固めた拳を、俺の顔面に叩きつけたのであった。
溢れる俺の汚い呻き。飛び散る涙と鼻水と唾液。そして想定外の一撃に悶絶する俺が状況を把握する暇も与えず、第二撃、左のグーが俺のこめかみに炸裂する。容赦なき連撃はなおも続く。
「ふざけるんじゃないんだよ! そんなことのために! そんなくだらない事を言うために! 自分の体を! 命を! なんだと思って!」
「ゴッ! ガボッ! オゴゴーッ!!」
インデックス怒りの爆裂拳。その激しい感情に理解を示さぬ俺ではない。ある程度の想定もしていた。心優しい彼女が、自らを傷つけるこの行為を許容するはずもない。それも踏まえての、あえての行動であったつもりだ。
だが、しかしである。同時にこれは、まるで想定外の事態でもあった。彼女が怒る事は想定内。そしてその怒りが暴力として表出されることもまた。しかしその暴力が、まさか、拳として炸裂するというのは、まったく考えてもいなかった。
「フンッ! フンッ! フンッ!!」
シスターからバトルモンクへとジョブチェンジしたインデックスは、もはや言語による説法さえ捨てて、黙々と俺の顔面を殴り続けている。
やはりおかしい。こんなはずはない。だってそうだろう。インデックスと言えば拳、などでは断じてない。皆さんもご存知のはず。インデックス、その代名詞といえば。
そう、噛みつきだ。
俺は噛み付かれる覚悟をしていた。
むしろ期待していた。
噛みつかれたかった。
少女に噛み付かれたい願望。それは全生命体が等しく抱える宿痾であろう。
だと言うのに彼女、インデックス女史はその白い歯をちらりとも見せることなく、淡々と俺を殴り続けている。
こんなのってないよ。絶対におかしいよ。
俺は大いなる混乱の渦中にあり、ただひたすらにその暴力を甘受し続けるほかなかった。彼女の気が済むか、あるいは疲れ果てて止まるその時まで。
※
インデックスの手がようやく止まった。 肩で息をしているので、疲れ果てたのだろう。怒りが収まった様子は、その表情を窺う限り、あまりない。
「もうよろしいか」
見上げて問う俺をキッと睨みつけるも、それ以上の鉄拳は飛んでこなかった。疲れか、飽きか、諦めか。いずれにしてもその選択は正しい。俺にいかなる暴力を振るおうが、特に意味はないのだから。
散々に殴りつけられたはずの俺の顔面は、もうその痕跡すら見られないことだろう。元通り、綺麗な冴えない顔立ちを晒しているはず。
「……回復魔術? それとも、幻でも見せてるのかな?」
「わかってるでしょ。魔術なんて使えないし」
「……じゃあ、それが超能力ってやつ?」
「え、ん、まあ」
「なんでそこで口籠るのかな」
首の致命傷も、顔面の打撲も、初めからなかったかのように消え去った。それは、学園都市での能力開発の末に得た、極まりし肉体再生によるもの――などではない。
ではいかなるカラクリがそこにあると言うのか。その説明をする前にこの世界の状況を理解する必要がある。少し長くなるぞ。
この世界は概ね禁書目録シリーズに準じてできている。学園都市があり、上条当麻やインデックスが生きている。会った事はないがきっと一方通行は今日も元気に殺戮しているだろうし、海外ではオティヌスとかがなんかしているのだろう。
そんな世界だが、禁書目録シリーズと全く同じ世界と言うことではもちろんない。なにしろ、この俺がいる。
俺はこの世界に生まれ落ち、学園都市の裏側で大概酷い目に遭いながら生きてきた。そこで、数多くのろくでなしとの出会いがあった。本当にあいつらときたら、原作にはいないオリキャラの分際で、よくもまあ、あれやこれやとかましてくれた。まったく思い出したくもない毎日だが、その過酷な生活を通して、俺には特別な能力がある事が判明している。
とにかく死なない能力だ。本当に、何しても死なない。刺しても、焼いても、ミキサーで粉々にしても、電磁波で分解しても。次の瞬間には時間が巻き戻ったかのようにけろりとしている。
詳細は不明。どうやら、一般的な学園都市製能力では説明不可な振る舞いであったらしい。暗部のオリキャラ科学者どもは俺を痛めつけては首を捻り、次なる残虐実験で痛めつけてくれたものだが、結局俺の能力の正体を掴む事はできなかった。
しかし俺には、この不思議パワーに心当たりがある。
かつて俺がこの世界で生まれる以前、前世で描いていた、禁書の二次創作。その主人公、影月暁夜の能力こそが、まさにこれであった。そしてその小説での能力もまた、詳細は不明……というか、詳細を設定されていない。とにかく創作物の中で無双ハレムができればそれでよかったので、細かな設定などろくに決めていなかったのだ。
なんか知らんが死なん。以上。そんな身も蓋もなさが、実に正確に、この世界にて再現されていた。
つまりは、こうだ。厳密な世界設定が存在する原作には存在しえない、かつて俺が鼻くそほじりながら適当にあつらえた、ご都合主義のための極めていい加減なインチキ能力。
それが俺の力だ。
などという戯言を、馬鹿正直にインデックスに話すわけにはいかない。正気を疑われ、その疑念は永遠に晴れる事はあるまい。
「ま、細かい事はいいじゃないの。俺は死なない。それが一番大事」
「全然細かい事ではないと思うんだけど」
適当に誤魔化そうとする俺にインデックスは不満気な表情を見せるも、話を進める事を優先したらしく矛を収めてくれた。