別に僕が朱鳶さんを怒らなくても、一緒にいた青衣さんという方もちゃんとした感性の持ち主だったようで、僕の目の端で朱鳶さんが正座させられているのが見える。
「朱鳶よ、厚意で人を助けるのは良いこと。しかし、それでお主自身が危険に遭ってしまっては本末転倒。今回こそハルがそのあたりを弁える殿方だったからよかったかもしれぬが、そうでもなければ…」
ちなみに青衣さんとは、さっき朱鳶さんがした発言を咎めるために会話をいくつか重ねたので結構仲良くなれた。尊敬語とかつけてるのも辛そうだったので、「呼び捨てでいいよ」と言って堅苦しい感じを解いてもらった。
僕の寝床はというと、一旦借金をする形で宿を取った。後から返せば問題なしだと銀行側からも言われた。僕みたいな怪しい身分の人に対する対応が用意してある時点で、こういうことも想定されるような街なんだなと思った。
そう言えば、青衣さんは機械らしい。確かに見てみると、太腿のあたりに青い線が引かれていて、接続部であることを堂々と見せびらかしている。別に機械だというのはただの要素に過ぎないのだが、もっと面白いのは、何年分の世界を見てきたのか全くわからないところだ。
(喋り方といい、身に付けてるものといい、古風なんだよな)
「ハル。ところでお主、異世界から来たと言うのに我のような、機械に対し奇怪な目を向けないのは、何か理由が…」
機械に奇怪な目で駄洒落になってる…じゃなくて、ええと、変な目を向けない理由ねえ…?
「ただの個性に過ぎないからですよ。区別は社会的に必要になりますが、僕は貴女をちゃんと一人の女性として扱います」
差というのは個性だ。この世界の人間が大体同じ存在になってしまったら、死ぬほどつまらない。違いがこの世界を面白くしてくれるのだ。機械というのも、面白い個性だなあ、くらいにしか思わない。
…というか朱鳶さんは正座のまま放られるわけ!?
「そっ、そうか。お主なかなか、ハッキリ物を言うな…」
僕に人と同等の立場で扱われたのが驚きだったのか、少し顔を紅潮させる青衣さん。いやそんな照れることじゃないでしょう、この世界の人って大体優しいのに。
「あの、私、そろそろ足が痺れて…」
青衣さんは朱鳶さんのことを完全に忘れていたみたいで、謝りながら「今日のところはこれで終いとする」と言って朱鳶さんを解放した。
そのままの流れで僕も解放される。一旦今日はこれでお開きのようだ。
「さて。やりたいこと尽くしだ」
まず向かうのは先日試験でやらせてもらったVR施設。あのVRを起動する時、受付の人が敵を選んでいたのを僕はよく覚えている。きっといくつか戦闘する敵を選べて、ゲームとしても訓練としてもレベルが高いものが提供されるのだろう。
要するに、敵のデータが集まっている、ということだ。
「予習するぞ〜」
これは、痛みのない死に戻りを、好きな相手に対し何回でもやれるのと同じこと。データとして収集されている敵との一対一なら、無限に練習できることになる。
多対一や特殊な個体との戦闘はまた話が変わるが、少なくともタイマン最強になるだけでも得られる物は多いはず。これは、やり込み得だ。
次の日。僕は一日中VR戦闘に使って沢山の敵を学習した。最初の方は全くダメ。何回やり直したんだか本当に覚えてない。
まだまだ動きとしては極められる余地はあるが、一対一なら全てのエーテリアスに対し7割以上の勝率を誇れるくらいまでは持って行けた。一部ちょっと怪しいのもあるが、それも繰り返せば慣れることだろう。
そして今日。僕の治安官としての初任務の日だ。装備にペン入れも申請しておいたので、多分ついてくる。左手に跡が残る「56」を見ながら、僕は「特務捜査班」と書かれた部屋のドアを開けた。
「おめでとうございます!!!」
拍子抜け。
僕を迎えたのは、盛大な拍手と共に僕を祝った朱鳶さんと、フリーレンみたいな顔でクラッカーを引いた青衣さんだった。
僕の予想では、もうちょっと人がいて、厳格な雰囲気が漂っていて、という感じだったのだが、少数精鋭だったのか。
「ありがとうございます、今日からよろしくお願いします」
ちょっとリズムを外されたが、こういうのも悪くないな、と空中に散るクラッカーの跡をみながら思った。
しかして朱鳶さんも、仕事モードとなれば前日までの残念感はどこへやら、信頼できる先輩へと早変わりした。
「今日の任務はホロウ内の事前調査です。荒くれ者のアジトがこの辺りにあるという情報を掴むことに成功したので、突撃前にそのあたりの様子について調査します」
大きくおいてあるテレビに画面が映る。地理はまだ完璧には覚えきれてないが、新エリー都の構造はおおよそ把握してるので、イメージはできた。
「ここはデッドエンドブッチャーという巨大なエーテリアスが居を構える共生ホロウです。そのため、作戦実施中はできるだけこのエーテリアスは避ける方向性で行きます」
インターネット…じゃなくてインターノットの掲示板でよく話題になるエーテリアスといえばこいつだ。こいつの共生ホロウが新エリー都に多く分布しているせいで建設関係のあれそれが遅れているらしい。
「質問はありますか?」
「問題ない」
「僕もなしで」
ホロウに入るのは2回目だが、景色は見慣れている。恐怖もない。
56回もやり直したし、一度エーテルにだって侵蝕されたんだ。僕ならやれるだろう。
×279
「あああ、もうっ、くそぉ…!」
視界の中心を占めるのは青衣。普段と違うのは、話しかけても返事が返ってこないこと。青衣から流れる赤い液体が目の端に映る。
銃を握る手が震える。こめかみに当てても、引き金を引けない。
「どうしろって言うんだよ……」
耳障りな、何かが蠢く音が周りに響く。
なんで、どうして、こんな事に。
×56
「暴力団とかってなんでホロウを自分の居場所にできるんですかね、安全な場所の方が少ないでしょ」
「エーテリアスしか居ませんから、私たちのような治安官に捕まるリスクは0に等しくできるんです。それに、皆でかかればエーテリアスの1、2体くらいすぐに倒せますし」
このホロウ、僕が最初に居たところとかなり違う。結構な確率で雨が降っているし、全体的にどんよりとした空気が漂っている。
今は、暴力団がいた根拠となる物を探しながら、共生ホロウを探索している。
「ふむ、この辺り、少々怪しいな」
青衣さんの勘は恐ろしい。なんの根拠もなしに予測を述べ、しかもそれに見合う根拠が跡から見つかるのだ。
「…確かに、この辺り『敢えて散らかして』、ここには誰もいませんでしたよ〜、って言うのを見せつけたいかのように、極端に散らかってますね」
僕の言葉に反応して、朱鳶さんがそのあたりのエーテル濃度やらを調査していく。
「クロですね。エーテリアスとの戦闘の跡がエーテルから見られます。青衣先輩とハル君、お手柄です」
キャラが変わると喋り方も名前の呼び方も変わった朱鳶さん。なかなか面白い生態だ。*1
「ところで、さっきからデッドエンドブッチャーの音が近くなってませんか?」
「ハルも気づいておったか。間違いなく、こちらに向かって来ておる。それも、かなり速い」
このホロウにいると、定期的に轟音が響くのだが、これはこのホロウの主人と言って良いであろう、デッドエンドブッチャー。
進行先に僕らがいるらしく、このままだと遭遇する事になる。
「治安局からのキャロットのおかげで避けるための道は把握してます。早く行きましょう」
デッドエンドブッチャーの進行ルートを避け、移動しようとしたのだが。
「…ホロウ内で変化があったみたいです。このままだと、デッドエンドブッチャーがこちらに向かって来ます!」
本来進みたかったルートが潰れていて、僕らが通った道もまた、変化してしまったらしい。これに対応するには、ある程度のデータを集めた上でキャロットを更新しなければならない。
「走りますか…」
ブッチャーの進行速度を考慮すると、走ってもギリギリ避けられるか、くらいだろう。
「人間万事塞翁が馬、これもまた良い方向に向かうことを願おう」
「デッドエンドブッチャー、結構近づいてきてますよ!さっき一瞬姿が見えました!」
僕の報告に反応し、朱鳶さんが走る速度を上げる。
「ありました!!あの裂け目に入れば、一時的にアレから逃げられるはずです!」
視界の先には、ホロウの裂け目。
「まずい、もう完全にこちらを捉えておる。接敵は止む無しか」
空中から飛んできて、僕らの後ろに着地するブッチャー。そのまま手に持った槍のようなものを構える。
「入ります!もし失敗して消息不明になったら、生存確率が高い人が救援を呼んでください!」
朱鳶さんが大きく足を踏み出して、最初に裂け目に突入する。完全に入り切った。
次は青衣さんだ。僕が最後。
青衣さんが一瞬僕の方を振り返り。
「ッ!!!」
驚いた顔をして急停止。僕を真横に突き飛ばそうとする。
「ッッッッ!」
青衣さんの首元に槍が迫る。…自分は間に合っても、僕が間に合わないと判断して、自分を犠牲にしようとしたのか。
「いや、違います青衣さん。あなたが死んじゃあ意味がない。僕ら二人で、生き残るんですよ」
咄嗟に青衣さんの手を掴み、槍のより内側に引く。切断は死亡確定だが、槍の柄で吹っ飛ばされるだけなら、生存の可能性がある。
体に大きな衝撃が伝わった。
「はぁ、そうきたか」
空中を吹っ飛ばされながら、痛みに耐えつつ着地地点を見ると、朱鳶さんが入ったのとはまた別の、ホロウの裂け目だった。
「…我の覚悟を無碍にしおって。我は機械なのだぞ。パーツだって取り替えが効く。首を切断されようとも我はまた動けるようになる…」
青衣さんが僕の手を握りながら空中で話しかけてくる。両者ともに意識があるとは運がいい。
「僕はテセウスの船は『別物』派です」
テセウスの船。思考実験の一種で、問いはシンプル。
「テセウスという船がありました。その船の材料を全て変え、中に乗っている乗船員も全て変わった時、それは元のテセウスの船と同じ物でしょうか?」
これは思考実験なので、正解はない。しかして、僕としては、全て変わってしまったら、それは別物なわけで。
青衣さんもそれと同じ。僕が今出会っている青衣さんが、記憶も失ってパーツも取り替えてしまったら、それは僕の知る青衣さんではない。
「っ……機械たらしめ」
そういえばビリーにもそんなことを言われたような気がするなあ、なんて笑いながら。
僕たちはホロウの裂け目に突っ込んだ。
機械のような何かが、ギャリギャリと音を立てながら、空中を飛ぶ音がする。
「あれ、なんなんですか。青衣さん…」
地盤も崩れ、空中に浮遊している道路だったもの。
「治安局のデータにはない…ここは零号ホロウ。だが、おそらくあれは、このホロウの主人だ」
体をより蝕む、エーテルの侵蝕。
「肉を切らせて骨を断つ、というが…これは少々、理不尽な取引になってしまうな」
白い体のパーツに、ピンクの差し色。空中に浮く、花のようなそれの周りには、それに集うように沢山の小型エーテリアスがついて回っていく。
「お手柄になるな、ハル。近年探索が行われてきた零号ホロウの主人。それの第一発見者が我らになった」
後にそのエーテリアスは、『ニネヴェ』と名付けられる事になる。
「とりあえず、ここから逃げる方法を探さないとですね。二人でアレは、荷が重い」
瓦礫の山の側で、僕らは話し合う。とりあえずの安全地点がここだが、移動し続けるあの花のようなエーテリアス…絶対にヤバいので仮に花カスとしようか。花カスにいつか見つかるのは時間の問題だ。
「…朱鳶であれば間違いなく、我らの不在に気づいて援軍を申請してくれる。それに、我には自動で現在地を発信する機能がついておるから、零号ホロウにいることはすぐに分かる」
また持久戦になるのか、飽きてるんだよなあ。
「でも問題は…」
問題は、さっきから僕らの体を強く蝕むソレ。
「…零号ホロウ特有の、侵蝕が進むと分かりやすく症状が出てくる特性」
零号ホロウについては治安官としての一般教養として一度教えてもらったが、ホロウを進んだりするにつれて侵蝕症状が現れるという法則が、ここにはある。
「うむ。これに耐えながら、零号ホロウの主人から逃げるのは至難の業であろう」
「でも。やるしかないですよねぇ…いったんは様子見ですか」
「そうなるのう」
花カスの動きを見ながら、僕らは雑談を交わした。そりゃあ、娯楽が死ぬし、花カスもずっとその辺りをフワフワしてるものだから、やることがないのだ。
「…ところでハル。ずっと気になっておったのだが、左手の甲に書かれた『56』というのは何故?」
やっっばい。勲章として付けてるんだけど、やっぱり勘がいい人には気づかれる。*2
「…諸事情で。数字が増えることもあるんですよ」
「……それともう一良いかの。お主、異世界から来たと初めに言っておったが…」
初めて会った時に、これは言った。隠すことでもないし、朱鳶さんには知られている情報だからだ。
「それにしては少々、エーテリアスとの戦闘に慣れすぎではないか?」
ぞわり。
「…VRのやつで沢山練習したんですよ、ぜひ褒めてください」
怖すぎるこの人。さっきの疑問とその質問、直結してるよ!!
「お主の試験を受ける様子も朱鳶に見せてもらったが…初めてのVR体験としては出来過ぎじゃな。戦闘センスに長けておる」
笑いながら僕を褒める青衣さん。褒められてる気がしない。…後から知ったのだが、あのVRセットには録音機能がついていない。
今思うと、ついてたら弓カスの攻撃を予測してる時もあったし、青衣さんなら核心に迫ってもおかしくなかった。危うく僕の居場所がなくなるところだった。
(…僕が繰り返してるって知ったら、やっぱり皆怖がるよなあ…)
繰り返していることを言うリスクは、やはり立場が危うくなることだ。
目の前にいる人間とする会話が、その人にとって何回目の会話かわからないというのは、どこか得体の知れない悍ましさがあるのではないだろうか。
自分についての秘密も、前の週の自分が言ってたら、繰り返している人は知っていることになる。
言った覚えのない秘密を知られていて、どこまで知っているか分からない。
(僕なら、会話をしたくないと思う)
誰にだって秘密はある。それを一方的に知られることの恐怖と言ったら、ひどい。
「ハル」
「動きがあったようじゃぞ」
花カスの様子を見てみれば、大きく旋回して、こちらの方に向かってきているではないか。
「ただでさえ、ここは道がないのに、こっちに来るのか…」
「…嵐が過ぎ去るのを待つとしようかの」
音が大きくなりながら、こちらへ近づいていることがわかる。僕らは体を縮めて、出来るだけ瓦礫と同化しようとした。
視界の端に花カスの姿が映る。僕らの上を通っていくようだ。
「……」
息を殺すとはまさにこのこと、なんて思いながら、上を通る巨大な何かを見届ける。
周りを飛んでいる小さなエーテリアスたち。
そのうちの一匹が、僕らを見た。
ギャリギャリギャリ。
ニネヴェ。後にそう呼ばれる、零号ホロウの主人は、ゆっくりとこちらを向いた。
「…青衣さん、こういうのなんて言うんでしたっけ」
「袋のネズミ、かのう」
花カスの巨体の横から飛んできた謎のエネルギー弾を最後に、僕の視界は途切れた。
×57