【競輪】S級S班・平原康多が電撃引退 ケガ癒えず「“平原康多”という選手に戻れないなと思った」

[ 2025年5月23日 17:18 ]

昨年の日本選手権競輪を制し、俳優の武田玲奈(右)に祝福される平原。この1年後にバンクを去るとは誰が想像しただろうか
Photo By スポニチ

 “関東の総大将”が突如、バンクを去った。平原康多(42=埼玉・87期)が23日、日本競輪選手会埼玉支部に選手手帳を返納し、引退した。

 最高位のS級S班のまま引退するのは異例。決断した理由について平原は「日本選手権の初日特選を終えた後に、左脚に力が全然入らなくて。ここまでいろいろやってきたのに治せず、これは“平原康多”という選手に戻れないなと思った。競輪はラインだと思っているし、ラインにもお客さんにも迷惑を掛けてしまう。自分のわがままでは続けられない」と明かした。

 父・康広さん(28期)を追い、02年にデビュー。1メートル85という恵まれた体格から生み出されるパワーを武器に、すぐに頭角を現した。

 06年に富山でG2ふるさとダービーを制覇。そこからはビッグレースの決勝常連となり、09年の高松宮記念杯(大津びわこ)で初タイトルを獲得した。

 その後は武田豊樹と“関東ゴールデンコンビ”を結成し、G1を9度制覇。グランプリ出場は神山雄一郎氏(引退)の16回に次ぐ14回。S班には14~23年の10年連続を含む歴代トップの15年在籍した。またオールスターのファン投票では3度1位に輝き、ファンからも愛された。

 しかし、近年は落車渦に見舞われた。23年の武雄で肩甲骨を骨折し、復帰した高松宮記念杯でも落車し、股関節を痛めた。これが引退にもつながった。「あそこで休んでいれば良かったのかもしれないが、焦ったというか追い込んで練習してしまったのが…。自分が別人になってしまうようなケガだった。若い時なら戻ったけど年単位で戻らなかった」と悔しそうに話した。

 競輪選手生活23年。思い出のレースを聞かれると「いろんなレースがあるけど、昨年の日本選手権かな。最後の2年間は人と戦うというより、ケガとの戦いだった。その中で関東の仲間と日本選手権を勝てたのは幸せだった。競輪ってやっぱりラインだな、やってきて良かったと思えた」としみじみ。

 絶好調でも届かなかったダービーのタイトルを関東の後輩・吉田拓矢の先行から奪取。競輪の素晴らしさを再確認した。

 今後については「何の予定もなく未定です」と話す。選手としてだけではなく、人として愛された男。人望の厚い総大将が42歳という若さで、履き慣れた赤いレーサーパンツを脱いだ。

 ◇平原 康多(ひらはら・こうた)1982年(昭57)6月11日生まれ、埼玉県狭山市出身の42歳。県立川越工高卒。02年8月プロデビュー。通算成績は1614戦511勝。通算取得賞金は17億1407万2900円。主な優勝は第60、61回高松宮記念杯(09、10年)、第51、56、58回小倉競輪祭(09、14、16年)、第28、32回全日本選抜(13、17年)、第30回寛仁親王牌(21年)、第78回日本選手権(24年)。父は康広(28期=引退)、弟は啓多(97期)。1メートル85、95キロ。血液型A。

続きを表示

「2025 オークス」特集記事

「平安S」特集記事

ギャンブルの2025年5月23日のニュース