今日は、韓国併合で日本がしたことをわかりやすく!というテーマで、一緒に学んでいきましょう。
1910年、日本は韓国を「併合(へいごう)」し、植民地にしました。この出来事は、日本と韓国の歴史に大きな影響を与えました。
でも、ただ「支配した」「かわいそうだった」で終わらせるのではなく、なぜそんなことが起こったのか、何が行われ、どんな影響があったのかを、しっかり理解することが大切です。
このページでは、韓国併合で日本がしたことや、それによって起きた「メリット」と「デメリット」をわかりやすく解説します。
韓国併合で日本がしたことをわかりやすく:メリットデメリット
韓国併合は、1910年から1945年までの35年間、日本と韓国の関係に大きな影響を与えました。この期間、日本はどのように韓国を支配し、その結果としてどんなメリットやデメリットがあったのでしょうか?
今回はその詳細をわかりやすく解説します。
韓国併合で日本がしたこと:外交権・内政権の奪取と統治体制の確立
韓国併合の前、日本はまず韓国の「外交をする権利(外交権)」を奪いました。
これは1905年の「第2次日韓協約(だいにじにっかんきょうやく)」という取り決めによって行われました。
これで韓国は、外国と自分で話し合うことができなくなり、事実上、日本の「保護国(ほごこく)」になったのです。そして次に、1907年の「第3次日韓協約」で「内政を行う権利(内政権)」も奪われてしまいました。
このとき、韓国の皇帝は退位させられ、国の中のことも日本が決めるようになりました。
日本はまず「韓国統監府(かんこくとうかんふ)」を作り、後には「朝鮮総督府(ちょうせんそうとくふ)」という支配の拠点をソウル(当時は京城)に置いて、本格的に植民地支配を始めました。
韓国併合のメリットとは?インフラ整備・識字率向上な
日本は韓国を支配する中で、鉄道や道路、水道、ダムなどを作りました。こうしたものを「インフラ」と呼びます。これにより、韓国では交通が便利になり、生活の基盤が整いました。例えば、水豊ダム(すいほうダム)は世界でも有数の発電量を誇っていたんですよ。
また、教育の面でも変化がありました。日本は学校を作り、読み書きの授業を行いました。当時の韓国では読み書きができる人は少なかったのですが、日本語とともに「ハングル文字」を教える教科書も作られました。
これによって、識字率(文字が読める人の割合)が上がったとも言われています。
このように、日本の支配には「経済の発展」や「教育の普及」といった面でのメリットがあったという見方もあります。
韓国併合のデメリットとは?創氏改名・強制連行・文化弾圧
しかし一方で、韓国併合にはたくさんのデメリットもありました。
たとえば「創氏改名(そうしかいめい)」という制度では、韓国の人々に日本風の名前を使うように強制されました。また、「日本語を話しなさい」と言われ、韓国語を使うことを制限されるなど、韓国の文化や言葉が抑えられてしまったのです。
戦争が激しくなると、「徴兵制(ちょうへいせい)」という制度で韓国の人たちが戦争に行かされたり、「強制連行(きょうせいれんこう)」といって、働くために日本に連れて来られることもありました。
このようなことが韓国の人々に大きな苦しみを与え、今もその記憶が残っています。
韓国併合は合法か不法か?当時の国際法と現在の視点
韓国併合が行われた1910年ごろの国際社会では、「文明国(ぶんめいこく)」が「非文明国(ひぶんめいこく)」を支配するのは特に問題ではないとされていました。日本は「文明国」と見なされ、韓国は「非文明国」とされていたため、当時の国際法では併合は「合法(ごうほう)」とされました。
でも、今の考え方では「無理やり支配すること」は許されませんよね。韓国の人々は当時から「義兵運動(ぎへいうんどう)」という反対運動をしていたし、皇帝も条約に反対していたとされています。
だから今の視点では、「武力や脅しでむりやり結ばされた条約だった」として「不法だ」と考える人が多いのです。
韓国併合の影響は今も続く?
実は、韓国併合の影響は今でも続いています。
たとえば、「徴用工問題」や「慰安婦問題」、「竹島(たけしま)問題」など、今も日本と韓国の間で争いがあるのは、過去の歴史に関する考え方の違いがあるからです。
日本は「昔のことは条約で解決済み」と考える一方で、韓国は「謝っていないし、反省もしていない」と感じている人が多いのです。
歴史の教え方も違っていて、日本では「史料(しりょう)にもとづいた実証主義(じっしょうしゅぎ)」が中心ですが、韓国では「民族の感情」を重視した教え方がされています。
このような違いが、今でも感情のもつれを生んでいるのです。
韓国併合で日本がしたことをわかりやすく!背景・経緯・内容
前半では、韓国併合で日本がしたこととそのメリット・デメリットについてお話しましたね。ここでは、「そもそもどうして韓国併合が起きたのか?」という背景や流れを、順番にわかりやすく整理していきます。
韓国併合の背景とは?日清・日露戦争と列強の思惑
韓国併合の前には、日本・中国・ロシアといった大国の間で、韓国をめぐる争いがありました。
まず、日本は朝鮮半島を自国の「勢力圏」にしたいと考えていました。理由は、地理的に近く、防衛上も重要だったからです。そのために、まず中国(清)と戦って勝ったのが「日清戦争(にっしんせんそう)」です。下関条約で韓国の独立を認めさせ、中国の影響力を排除しました。
その後、ロシアとの対立が深まり「日露戦争(にちろせんそう)」になります。これにも勝利した日本は、アメリカやイギリスからも韓国支配を認められるようになりました。
こうして、列強(れっきょう:強い国々)の承認を得た日本は、韓国を自分の支配下におこうと本格的に動き出したのです。
韓国併合までの流れを時系列で解説
韓国併合までには、いくつかのステップがありました。時系列で見るとわかりやすいです。
- 1876年:日本が「日朝修好条規(にっちょうしゅうこうじょうき)」という不平等条約を結び、韓国と国交を開きます。
- 1905年:第2次日韓協約で、韓国の外交権を奪い「保護国」にしました。
- 1907年:第3次日韓協約で内政権を奪い、皇帝を退位させました。
- 1909年:伊藤博文が韓国人の安重根(あんじゅうこん)に暗殺される事件が発生。
- 1910年:韓国併合条約を結び、日本が正式に韓国を植民地にします。
途中、韓国では「義兵運動(ぎへいうんどう)」という反対運動が広まりましたが、日本はこれを武力でおさえ込みました。
韓国併合条約の内容:主権の完全移譲と条文
1910年の「韓国併合条約(かんこくへいごうじょうやく)」では、韓国のすべての主権を日本にゆずるという内容が書かれていました。
とくに重要なのが、この2つの条文です。
- 第1条:韓国皇帝は、韓国のすべての統治権を日本にゆずる。
- 第2条:日本皇帝はその統治権を受け入れて、韓国を日本に「併合」する。
つまり、「韓国は独立国ではなくなり、日本の一部になる」ということが、はっきりと書かれていたのです。
これにより、韓国は完全に日本の植民地となり、政治・経済・教育などすべてが日本のコントロール下に置かれました。
統治体制の違い:韓国統監府と朝鮮総督府の役割
日本は、韓国を支配するために「統監府(とうかんふ)」と「朝鮮総督府(そうとくふ)」という2つの組織を使いました。
- 韓国統監府(1905年設置)は、日本が韓国の外交を管理するための機関でした。初代統監は伊藤博文です。保護国の状態のときに使われていました。
- 朝鮮総督府(1910年設置)は、韓国が正式に日本の植民地になったあとに作られた支配機関です。総督は現役の軍人がつとめ、政治・警察・教育・経済すべてを管理しました。
このように、統監府は外交中心、総督府は統治全般を担うという違いがあります。植民地支配が強まるにつれて、体制もどんどん厳しくなっていきました。
韓国併合をめぐる歴史教育の違い
日本と韓国では、「韓国併合」の教え方が大きくちがいます。日本では「史料(しりょう)に基づいて冷静に分析する」ことを重視しています。これを「実証史学(じっしょうしがく)」と言います。
一方、韓国では「自分たちの民族の立場や感情」を大切にする「民族史観(みんぞくしかん)」が強い影響を持っています。そのため、同じ歴史の出来事でも、「日本が支援した」と見るか「日本が侵略した」と見るかで、教科書の内容が変わってくるのです。
このような違いが、今でも日韓の歴史問題をこじらせている理由の一つなのです。
総括:韓国併合で日本がしたことをわかりやすく解説まとめ
最後に、本記事のまとめを残しておきます。
- 1910年、日本は韓国を併合し、植民地化した(〜1945年までの35年間)
- 韓国併合で日本がしたこと:
- 1905年:第2次日韓協約で外交権を奪い、韓国を保護国化
- 1907年:第3次日韓協約で内政権を奪い、皇帝を退位させた
- 1910年:韓国併合条約により主権を完全に奪い、朝鮮総督府を設置
- メリット(日本側の主張):
- 鉄道や水道、ダムなどインフラ整備
- 識字率の向上、学校の設立、日本語・ハングル教育の実施
- デメリット(韓国側の主張):
- 創氏改名や日本語の強制による文化弾圧
- 徴兵制・強制連行による人権侵害
- 朝鮮の伝統や独立の否定
- 合法か不法か:
- 当時の国際法では合法とされたが、現在の価値観では不法とされることが多い
- 今に続く影響:
- 徴用工・慰安婦・竹島などの歴史認識の違いが、現在の日韓対立の原因に
- 韓国併合の背景:
- 日清・日露戦争で中国・ロシアの影響を排除
- 欧米列強の承認を得て、日本が韓国支配を本格化
- 統治体制の変化:
- 統監府(外交中心)→ 朝鮮総督府(統治全般)
- 日韓の歴史教育の違い:
- 日本:史料に基づく実証主義
- 韓国:民族感情を重視する民族史観