大本教の出口王仁三郎聖師は人は【霊(ヒ)止(ト)】のことであると説かれたのですが、これは仏教やキリスト教やイスラム教にはありません。何故ならば、日本語と言う言葉でしか【人は霊止】であるとの証拠たる説明が出来ないからです。
お釈迦様は人は何故に生まれて来るのか?。人は何故に死ぬのか?。誰も何とも思わないことに疑問を持たれ、王族の立場を捨ててまでして出家をされたことは有名な話です。で、菩提樹の下で悟られたことはお釈迦様の死後500年間or1000年間とされる【正法】の間は在ったのでしょうが、【像法】の時代と成って仏法と修行者は存在しても【証】が滅して、本当の悟りを得る者が居なくなるで、大乗仏教の起こりで本来のお釈迦様の悟りは埋没していたと言えます。今は仏法のみがある【末法】時代となるです。為に、いくら仏教で修業をしても【悟り】は得られないとなったなのです。
その【証】を出すのが、五六億七千万の【みろく】の仕組
キリスト教やイスラム教には【輪廻転生】の教えは存在していません。私は子供の頃、旧約聖書の神と称する声から、【人は生まれて死んで。生まれて死んでの繰り返しで在る。今生のそなたは前世のそなたと同じでは無い。肉体の姿形も違えば両親も違う。友も生まれ出る時代も環境も違う。されど、前世のそなたと今生のそなたは同じ心(魂)である。人は自分の前世を知らず。人が自分の前世を思い出さないのはこの神の「恩寵」からである。人がこの世に生まれて来るのは過去世の失敗からである。その失敗した人生を思い出して何の意味があるか。余計に過去の過ちを引きずるだけである。新しい肉体を貰って過去世の過ちを正す。そなたの今生は、過去のそなたも含んでの今生である。】と告げられたのです。
そして、次の様なことも告げられたのです。【そなたの前世は悲劇の武将であった。あまりにも人を疑うことを知らぬお人好しで、周囲の者の魂胆が解らずに周囲の者に利用されて悲劇の武将として最期を遂げた。そなたの今生の学びは人の「魂胆」を見抜くことにある】。しかし、その武将が誰であった方は告げられませんでした。
ただ、【人は自分の前世を知らず。自分の前世が神として祭られていることを知らずに、それを過去世の自分とは思わずに神として崇め参拝することもある。だが、人は自分の前世の名を利用しては成らない。今生の名を持って物事を為さなければならない。】と告げられたことで、自分の前世は今は神霊として祭られている存在であるとは気づきました。
人は自分の前世を知る必要は無い。過去世を含めての自分
過去世の罪を払うのは今生の自分で、過去世からの罪を清算
(人は過去の自分が犯した罪の代価を払おうとしても、その過去はどこにも存在していません。ただあるのは【縁起】たる【カルマ】なのです。)
仏教においては曹洞宗などは【三時】として、そうした事柄を御経で説いてはいます。今生で過去世からの罪を払いきれなかった場合は次の世で払えです。輪廻による【カルマ】の継承です。しかし、仏教でも【輪廻転生】を全面的に否定している宗派もあれば、そうした【三時】の教えとして輪廻を教えている宗派もあるなのです。 ただ、輪廻転生を全否定している宗派の信徒の中には、【輪廻転生】を説いていると、オカルトだと執拗に攻撃して来る人があります。宗教の教えを信じて地獄に案内される口です。
この世に生きている人には【多様】な思考の持ち主と、【単純的】な思考しかされない方が居ると誰でも解ります。その違いに関しては【輪廻転生】の回数の違いだとされる霊能者の方が多いと言えます。人の性格は生まれた時代の環境で形成されるからです。魂とは【玉思惟】であり。
この世に生まれ出た回数が多いと、多様な思考を持つ
しかし、それは人が【霊(ヒ)止(ト)】であることを理解していない論でもあったのです。大本教から出された霊学は、聖書の比ではなかったのです。人は【霊止】であることの理解が無いと、霊的世界の説明がつかないなのです。
霊能者江原啓之さんが【前世商売】を始められてから、スピリチュアル系では前世商売が流行するようになりましたが、必ずしもその前世は当たっているとは言えません。その人の前世は【嘘八百】を言っても証明するのは難しいからです。さらに、その人に憑依している霊をその人の前世と勘違いするがあるからです。その人に憑依している霊は霊能力が強い方には見えるのです。
人は【霊止】であり、自己の魂のみならず多数の霊が憑く
霊能者と呼ばれる方は霊の世界がよく見えるがありますが、そうした霊能者には付随している霊は半端な数で無い事が解っています。ある著名な霊能者の方は、その方の背後には自己の正守護神が人としてこの世にあった当時の部下、約3千体の霊が従っていると言っておられます。豊受姫のお代であった私の最初の師匠は、某霊場の管長がその師匠の背後には1万5千体の霊が従っていると驚かれたがあります。多数の霊を持つ霊能者ほど、霊力が強いなのです。
スピリチュアル標榜者はそれに付随している霊が少なく、霊界では赤子的存在ですが、本当の霊能者や行者は恐ろしいがあります。霊界の斬った張ったの世界を生きておられるからです。死に神を駆使したり、呪術を使ったりされるからです。怨霊が居るような場所はスピリチュアルでは逃げるだけですが、強い霊能者や行者は怨霊にすら立ち向かうです。為に怨霊により殺される方もあるなのです。
私は最初に相談に行った出雲大社教の霊能者から、【霊能者は普通の方と違って大量の霊が従っていますが、貴方には霊能者とは比べようも無い桁違いの霊が従っておられます。こんな桁違いの霊団を従えているということは、貴方は救世主様ではないのですか?。】と尋ねられましたが、私は救世主とは違いますと答えました。
私は子供の頃に旧約聖書の神と称する声から告げられたからでなく、自分は元来武人の魂だと思っていたからです。もしも自分の運動神経が人並みであれば、貧乏人の家庭であった私は学費も食費も心配が無い防衛大学に進学して武人の道を選んだかも知れません。しかし今生では人並みに達しない鈍い運動神経の肉体を貰ったので、その道を目指すことは不可能でした。私の軍人の夢は強いのです。それがもっとも嫌いな神仏世界を解説をしているなのです。それは私は元々が剣を持った天使の一人だったからです。 天使時代は多数の神界戦争に加わっていたのです。
私の前世である悲劇の武将霊は当時に受けた恨みを忘れて正守護神と呼ばれる段階に進みました。その背後には数多くの武将霊と家来が従っています。それらの霊は病気治しや現世御利益等に従事するのではなく、霊界における神界の最終戦に備えている軍隊的な霊団と言えます。ですから私は困り事相談の人助けにはまったく向かないなのです。
私が黒龍神群団から攻撃された時、私の正守護神が白馬にまたがり多くの部下霊を引き連れて私を助けに来てくれました。だが多勢に無勢。そこに神界における剣の神で知られる御劔大神と日本武尊霊が霊軍を引き連れて参戦してくれるがありました。龍神が相手だと通常は戦えません。そうしことを書くと【嘘】呼ばわりされる方は当然にあります。いくら自己に霊能力が備わっていても、自分の目で確かめないとにわかに信じられる様な内容ではないからです。
だが、豊受姫のお代であった最初の師匠が豊受姫の命令で建てた私の家に来られた時、あれ!。この地には日本武尊さんが居られるの?。と言っておりました。私がその姿を見ましたか?。と尋ねると、そうではなく。日本武尊さんを呼ぶその母親霊の声がこの地で聞こえて来ました。だとすれば、日本武尊さんはこの地に居られます。すると、大本教が告げた世の立替に関わっておられるとなります。
私が言霊師の方を師匠としていた当時、肉体を持った人にいくら言い聞かせても簡単にはその性格が直らないで、為にその魂を叩くがありました。その魂の呼び出す前段として、その肉体に憑依している霊を剥がして行かないとその人の魂を呼び出せないがありました。霊的世界に関わる者には【サニワ(審神)】が必定なのは、その人の魂を呼び出しても、その人に懸かっている別の霊が先に出て来るからです。それをその肉体の魂と思う間違いを起こすからです。
サニワ(審神)無しに、その人の前世を見るは誤りが多い
大本教神諭に、【人には一体の守護神が付けてある】とありますが、人を守護している霊とは必ずしも一体ではありません。霊能力者には多数の霊が憑いてることは解っているのですが、そうでない人にも複数の霊は憑いています。特に心根の優しい人ほど大量の霊が憑依しています。 他人に優しく無い人にいくら憑依しても、霊たる自分を助けてくれないからです。
テレビのオーラの泉で霊能者江原啓之さんは俳優の宇梶さんを霊視しようとして、その宇梶さんに憑いている多くの霊に攻撃されて伸びて、慌てて横にいた美輪明宏さんが救出するがありました。前世と憑依を理解していないから、あんな大失態を犯したと言えます。
そうした人に憑依している霊は、俗に守護霊、指導霊、背後霊、恨み霊などと呼称されています。本人の本守護神や正守護神とは別の存在です。そうした霊の性格が、その人の【多様性】を引き起こしているなのです。個々の霊には性格があるからです。故に人は【霊止】であるなのです。多芸な持ち主には多様な霊が付随しているのです。
その人を霊視した時、通常見えているのはその人の魂ではなくて憑依霊です。その人からそうした憑依霊を剥がして行きますと、その人の魂が解るなのです。それがその人の【本質】たる魂です。
悪行ばかりしている人に憑依している霊を剥ぎ取って行くと、その人の【性格が一変】します。つまりその魂の【素(ス)】が表に出るからです。
その魂を取り囲む憑依霊達が清ければ正神界にと進み
その魂を囲む霊達が汚れていれば邪神界にと入り込む
それは【朱に交われば赤くなる】と同じ様なことで、その魂の周囲に居る汚れた霊達を浄霊して行けば、その人がそれまで持っていた思いや意識そのものがガラリと変わって、悪からは遠い人にと変わります。過去の自分はどこに行ったのか?。です。では霊は何故に人に憑依するのか?。
人の肉体は霊魂の浄化器官で、肉体を失えば魂は浄化出来ない
肉体の無い霊達は、人に憑依して自分の汚れを取る必要がある
私は霊的世界に修行に入るまで、自分が【霊媒体質者】であることを知りませんでした。伏見稲荷大社講に所属している当時はそうした指摘を受けなかったのですが、2番目の師匠の元で、希に見る霊を自己の肉体に入れて浄化浄霊して行く【霊界の歩く霊のバキュームカー】であると知らされたのです。
私は稲荷講の時代には複数の水子霊程度を転送されても知らずに浄霊をしていたのですが、言霊の世界に入って、あまりの苦しさに最初の龍神浄霊には失敗しましたが、稲荷神等の神霊を浄霊するは肉体的負担は軽かったのです。私が住む場所は有能な霊能者からは霊界の汚れた霊の吹溜り場所と指摘されます。非常に汚れている土地だと言います。その吹溜りに集まる汚れた霊達を貴方は自己の肉体で浄化浄霊をされているです。
私は豊受姫から【この神業は世に出ておられる神々には出来ない。肉体をもったそなたでないと勤まらない】と告げられたのですが、肉体を持たない存在ではその土地を浄化出来ないだったのです。
私が豊受姫から命じられた土地は、霊能者が手を出せないと言われる大ラップ(騒霊)現象に襲われて、約3年間に渡る長丁場でそれらの霊を浄化しました。特に最初の40日間は眠れないほどで、何時殺されてしまうかを体験して来たのです。
霊を自己の肉体に入れての浄霊には【自分が眠る】と【下痢】があります。私は稲荷講の時代にはそんなに下痢を起こさなかったのですが、言霊の世界に入ってからは汚れた霊の浄霊で下痢を幾度も起こしていました。下痢は体力を消耗させます。
非常に力が強い霊能者の元に行くと、相談者がトイレに駆け込み下痢で大量の便を出すがあります。その量は信じられないほどの量が出ます。自分が食べた食料の量の比ではありません。どこからそれほどの量が出て来るのか理解に苦しむ量なのです。
便は人の更生。魂は【更生の為に甦る】と漢字は教える
人は【霊止】であることは、優秀な霊媒者と関わっていると理由が解ります。私が稲荷講に居る時、その時の師匠の側に非常に優秀な霊媒者の方が居られました。この霊媒者に龍神が懸かった時、その霊媒者の方は口先で箸の先ほどの穴を空けて、籠一杯に盛られた生卵を全部飲み。本人が龍神の憑依から抜けられた後、お腹がすいたと大量のご飯を食べたなのです。それを見ていた一同は、舌で箸先ほどの穴を空けたうえに大量の生卵を飲んで、自分は腹が空いたの言葉にびっくりしたなのです。あの大量の生卵の中味はどこに消えたのだ?。
私は伏見稲荷山でこの霊媒者の方にどなたか解りませんが神霊が入ったのを見て、その神霊に酒を勧めて会話をしていました。飲もう飲もうで陽気に飲んでいたのです。その神霊が鎮座する家の講員さんに、最初の師匠の肉体に入神して、その口を借りてその講員さんに直接語ることを、当時の私は知らなかったのです。その神霊はその順番待ちで、その霊媒者の方に入っておられたなのです。
その神霊に順番だぞの声が来て、最初の師匠の肉体に入った時、その師匠が酒に酔った状態になって、私とその霊媒者に向かって、誰だ!。御神霊に酒を飲ましたのかと怒って来たがあります。その師匠は酒を受け付けない下戸の体質で、酒で吐いてしまわれたなのです。
その時、私はそうしたことを何も知らなかったので、私が神霊に酒を飲ましてしまいました。申し訳ありませんと謝っておきました。そもそもの原因は、その霊媒者の方に神霊が入ったのを見た私が、その神霊に酒を飲みましょうかと勧めたからです。しかし、それ以後も霊媒者に神霊が入神すると即座に解るので、酒を飲みますかの癖は今も直っておりません。神霊と一緒に酒を酌み交わしていると結構楽しいのです。講員のあいつはこうだ、ああだと暴露されるからです。
人は【霊止】であるが故に、肉体に自己の魂以外の霊が宿る
人(霊止)は、肉体に宿る魂とそれらの霊の思いや意志で動く
その人が霊媒体質でも、自分では汚れた霊の浄霊が出来ずに、その苦しさのあまり他の霊媒体質者にそうした霊を転送して、自分では自分は多くの霊を浄霊した等と言っておられる方もあります。
多くの人達が霊的世界を汚しに汚しまくっているにも関わらず、スピリチュアルで【神は愛だから何をしても赦されるのです。】と言いまくっている人を、何も知らない人はその人を聖者だと思っておられたりしますが、最後の審判ではそうしたスピリチュアルの人達の魂は【煉獄の火】の中に放り込まれる可能性が大なのです。
どれほど世間の一部の人からは聖者だと思われている方でも、聖人の振りはこの世だけであり、【愛】という言葉で世間を誤魔化した罪は甚大となるのです。
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