人に内在する良心神(神言会)

神は言葉なりき。言葉は言霊で構成され、その言霊による神の仕組みを解説する神言会(kamikotokai.com)のプログです。
神言会では人に内在する良心神(この世の閻魔)とは何かを説明しています。

霊学№44 全盲の霊能者で知る霊界を見る目!。目を瞑(目冥)ることで見る【冥】土の世界

私の最初の師匠は豊受姫のお代たる実践霊能者で、当時の伏見稲荷大社講社に所属する稲荷行者としては霊能力は№1とも言われていました。その師匠の著本とは別に、その師匠を取材したライターの方の著本はベストセラーにもなりました。その本を読まれた方は皆さん信じられない内容に驚かれるのですが、その師匠に4年間ほど弟子として側に居た私はそうした事実を実際に見聞させて貰いました。

その師匠の幼い頃からの遊び友達は白狐霊で、子供の頃から予知能力に優れていて。その地方では神の童(わらべ)と呼ばれ、多くの人がそのお告げを聞きに来たなのです。

その師匠の祖母であった方は生まれつきの全盲でありながら、神のお告げをする存在として評判が高く。どこかに出て行く時は4人の男性が担ぐ輿に乗っていたと言います。当然に家は裕福で師匠の母親は、乳母がついてお姫様のような暮らしをしていたとも言います。

祖母は盲目でありながら神の御用をするであれば、その娘に乳母も必要だったでしょう。が、その祖母が亡くなった後は家は貧困になったと言われます。祖母からの収入の道が絶たれたからです。母親はお姫様同然で育っていたからなおさらです。その師匠は九人の子供の一番上で長女。弟や妹の面倒をみるで大変な苦労を背負ったと言われます。

 

全盲者なのに、何故に神や霊が見える?

 

こうしたことを書くと、ほとんどの人はあり得ないと言う感覚を持ちますが、霊的な世界とは私達の両眼で見ているのではありませんので全盲の方でも見えるのです。また、霊声も私達の肉体の耳を通して聞こえているのではないのです。

 

私が高校生の頃、母親が椎間板(ついかんばん)ヘルニアで手術を受けることが決まっていたのですが、事情があって手術を回避しなければならなくなりました。そうした時、兵庫県の和田山に盲目の尼さんが居られて弘法大師のお灸をされる。それにすがったらということで、母親と共にその和田山の尼寺に行きました。その全盲の尼さんがお灸を据えられた火傷の跡に、私が毎日お灸をして下さいと告げられて、母の背中にお灸をされる様子を見ていました。

その時、私が不思議に思ったのは【全盲で、どうしてお灸を据える場所が解る?。】でした。私の疑問に対して、その尼さんは【私は普通の人の様に目は見えませんが、お灸を据える場所は弘法大師様が見させて下さる。】と言われるのです。盲目者の目に相談者の背中の光景が見えるなのです。そしてその場所を弘法大師様が教えるです。

そのお灸の傷跡にお灸を据えることで、私の母親の手術をしなければならないと言われてた椎間板(ついかんばん)ヘルニアは治ったのです。私はそれで弘法大師のお灸の凄さを知ったなのです。そして全盲でも霊的世界は見えているでした。

 

私が伏見稲荷大社講社に居る時、同じ支部の講員さんで後に不動明王のお代となられた方が、ある全盲の霊能者の方の元を訪れたと言います。するとその全盲の霊能者は、まあ!。可愛いお嬢さんと一緒にと言われたそうです。エッー?。自分は一人で来ているのに?。 そこで【自分一人です】がと答えると、何を言っているのと返されて、黄色い洋服を着た七歳ぐらいの女のお子さんで、今日が誕生日だと言っておられますと言われる。そこで、今日は数年前に死んだ自分の娘の誕生日で、生きていれば七歳だったと思い出して、全盲の霊能者には霊世界がカラーで見えていると解ったと言います。

 

そこにあるのは霊を見る目は、肉体の目では無い

 

私は霊能者と呼ばれるほどの霊能力は携えていませんが、こうして神仏の世界を語ることが出来るのは霊界見聞が出来る程度の霊能力はあり、諸天諸仏も見て来たなのです。私は自分の目には霊的な世界が見えないから死後の世界たる霊的世界の存在を全面否定する方を軽蔑します。おまえは、バカその者ではないか!。その両眼で霊的な物が見えなくても、

 

人は目を瞑っていても【夢】を見るではないか?

 

その夢の光景は肉体の目でなく、霊界のスクリーン

 

そんなことも気づかないで、霊的な世界の全面否定などバカその者なのです。私は自分が家の神棚の前に座っていても、自分の魂が霊界の伊勢神宮に飛んだり、盤古大神の宮殿に飛んだりして、肉体の自分と魂の自分との間では【意識】でつながっているを知りました。この世を去る時は肉体を失いますが、自分の意識(魂)はそれとは関係が無いなのです。

 

人の肉体は魂の容器で、この世は魂の一時の【宿】

 

私は「魂」は【玉思惟(玉形の思惟)】と言って来た

 

私は本来は【玉思惟】とすべき言葉に何故に【魂】の漢字が振られて来たのか?。それを考えて来た時、大本教から出された【ウシトラ(艮)金神・国常立尊】の深い仕組に気づいたと言えます。

 

鬼が解らなければ、【国常立尊】様のことは解らない

 

私は霊界修業の過程で神仏のみならず、幾多の【生き霊】に接して来ました。魂と【生き霊】は同じではありません。生き霊はこの世に生きている人と【等身大】で見えます。この世に生きている人と同じなので、その時の本人の服装をしています。人は死後に霊界に渡る時、この世で【生き霊】とされる姿であの世に渡るなのです。

 

生き霊と幽霊の違いは、肉体を持っているか失ったか

 

一般的に【想念】と呼ばれている物は肉体のような「足」がありません。顔とか上半身だけが見えているなのです。また肉体と等身大の大きさでは無いなのです。【あいつ、自分に想念を飛ばして来たな!】と言われているものなのです。その人の顔だけが大きく出て来たりします。

私が伏見稲荷山で稲荷講の講員さん達と夜の瀧行中。目を瞑って瀧場で瀧水を受けていた時、その瞑った目の中にある方の顔が大きく見えて来ました。そこで瞑っていた目を開けて周囲を見ると、後に弁財天のお代となられた方なのですが、【印】を結んでその指先を私に向けて必死になっておられます。自分の体から霊を他に転送する時の印です。

私は瀧場から出た後、その方に【貴方は私に対して何をしようとされていたのですか?。】と質問したところ、【気づかれましたか。】と言われます。すると横から最初の師匠が、【○○さんに七~八体の水子霊が懸かったのです。それで○○さんはその水子霊の憑依に苦しんでおられた。で、私がその水子霊の憑依を取ってあげようかと思っていたら、○○さんはその水子霊達を貴方に向けて転送されました。あなたにとっては水子霊の七~八体程度を受けることくらい。なんのことも無いので、好きなようにさせました。】と、その理由を説明してくれました。確かに私にとっては水子霊の七~八体程度は何の差し障りもないだったのです。

では、その水子霊達はどうなったのかがありますが、その水子霊には何の落ち度もありません。不運の一言です。私の背後には【輪廻転生】を司っている存在がありますので、直ぐに人として生まれ出る道が取られたはずなのです。

 

一部の霊能者は水子霊には何の罪も無いのだから祟らないと言われますが、必ずしもそうではありません。水子霊の中にはどうして自分を殺したのかと祟る霊もあります。人がこの世に生まれ出て来る理由には、この世は魂の浄化浄霊をして更なる高い霊界へ上がる場所であり、そのチャンスを潰したからです。霊からすると、人としてこの世に生まれ出るチャンスが常に転がっているわけではないからです。

その翌日、講員の中で大霊媒者の方と二人で食事をしていると、その大霊媒者の方は私に、【昨日はご苦労様でした。講員の皆さんは、自分には水子霊など居ないという様な顔をしていますが水子霊だらけ。あれだけの水子霊に懸かられたら、○○さんも大変だったのですよ。】と笑われます。

 

そこに人として出して貰ったことに感謝せよがある

それとも、犬や猫や牛や豚の方がよかったのですかがあるのです。

 

 

人は【肉体】と【霊体(幽体)】と【魂(玉思惟)】の三位一体で構成されています。人は肉体の死で、当然に肉体は亡くなります。しかし、霊体(幽体)と魂(玉思惟)は残ります。そこで【霊魂】となってあの世とやらに【旅立つ】なのです。


 

ある悪党は、私に【人は死ねば終わりだから悪をしないと損をする】と言いましたが、その男の魂は神代と呼ばれる時代は神霊でした。だが神代と呼ばれる時代に罪を犯し人間界に落とされても、悔い改めることが出来ずに、この世と地獄界の往復ばかりをしているでした。

 

人の魂は地獄界に墜ちたから消滅するではない

 

大本教神諭に、【人には神とも成れる魂が授けてあるにも関わらず】とありますが、人は死んだから神様に成れるでもありません。私達の魂の中に【神とも成れる核】があるなのです。それが大本教から宣伝されて来た【人は神の子・神の宮】の要素です。

ただ、それは四次元スピリチュアルで解る話ではないのです。その神とも成れる段階の最低が【五次元】と成って来るのです。霊的なものが見える。霊と会話が出来る。それだけの段階だと四次元界でも出来るのです。

 

大本教以後、新日本神道系の宗教からは【神人合一】が説かれます。大本教霊界物語では少し解りづらいがありまして、世界人類が平和でありますようにで知られる【五井昌久】師の著本の方がより解りやすいがあります。自分が【神人合一】を為した時、神霊世界の自分の姿が解って来ます。それを【正守護神】とも呼ぶのです。スピリチュアルのハイヤーセルフとかソウルメイト等の話ではないのです。スピリチュアル等と喜んでいたら、死後の行く先は地獄界かも知れないのです。

霊的な事柄が見える。霊的な声が聞こえるは肉体ではなくて、自己の霊体(幽体)や魂(玉思惟)の目や耳によるのです。

 

 

私は子供の頃は旧約聖書の神と称する声を聞いていましたが、私が神霊世界に飛び込む切っ掛けは、自分の目は開いているにも関わらず、私の周囲が徐々に暗闇となり、何の光も見えない。真っ暗闇の中に置かれたのです。そんな中で、地獄の底から地響きして来るような恐ろしい声にある事を言われて、それで神霊世界に修業に入ったのです。

 

私は地獄か!。響く【声】に畏れおののいた

 

私はその時、【声】がどれほど恐ろしいものか味わったのです。私は自分の前に妖怪が現れたとしても、あれほどの恐ろしさは感じないでしょう。 私は自分が体験した目は開いているにも関わらず暗闇の中に落とされる。そうした体験をされた霊能力者が居られるかと調べたところ、数名の方が私と同様の体験をされていました。別に私一人だけが体験した事柄ではないのです。それは体験すれば誰でも震え上がります。

 

で、私は全て人の目を【暗闇】に出来るを知ります

 

もし一瞬にして、自分が暗闇の中に置かれたら、人はどう思うのでしょうか?。大本教神諭に、膝はガクガク、四つん這いで歩くことになるとあります。その事柄なのか別の事柄かは解りませんが、自分の目の前の光景を真っ暗闇にされたら、最初から全盲の様な方以外、まず人は立っては歩けません。感覚的に無理です。周囲の物からの危険を避ける為に四つん這いです。あまりの恐怖に膝はガクガクでしょう。

また、ヨハネの黙示録にある太陽も星も輝かないは、肉体の目にャッターの様な作用が仕組まれているとすれば、私が体験した目は開いているにも関わらず太陽も星も見えないとなります。

下手にスピリチュアルに走って【神は愛だから、何をしても赦して下さる】と創造神を甘く見ていてはいけないのです。創造神とは神社に鎮座されている御神霊とは違い。恐ろしい存在と言えるのです。

 

私は全人類が目で見ている光景が何も見えない真っ暗闇の状態にされるならば、全人類の【改心】はあり得ると見ます。しかし、それで【改心】に到っても今のシステムであれば、またもや元の木阿弥になります。それだけでは真の改心には到らないでしょう。今の世のシステムを根本的に変えない限り、全人類が平和で暮らせる世等は永遠に難しいと言えるのです。

大本教神諭に、【世に出ている神々の心の持ち方が悪かった。】とありますが、まず今日まで神と呼ばれていた霊から悔い改めるでないと無理と思われるなのです。

 

私は霊界修業の過程で【霊界の太陽】を見た

 

霊界の太陽は目を瞑ることで見る事が出来る

 

それはスピリチュアルで【光のシャワー】写真を撮った等の話ではないのです。肉体の両目を開けたままでは、【霊界の太陽】を見るなど不可能なのです。

 

霊界の太陽を見た時、神界の入り口に立ったとされる

 

人の目を暗闇にして霊界の太陽を見るか!。見ないか

 

大本教の出口王仁三郎聖師は、本当の天照皇大御神とは【霊界の太陽】として現れると述べておられますが、それは人の様な姿をした霊のことではありません。まさに天国界に輝いている太陽そのもののことなのです。

 

 

 

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