人に内在する良心神(神言会)

神は言葉なりき。言葉は言霊で構成され、その言霊による神の仕組みを解説する神言会(kamikotokai.com)のプログです。
神言会では人に内在する良心神(この世の閻魔)とは何かを説明しています。

霊学№36 牛虎金神とは病気治しの神では無く、心の立替・建て直しの神。心の立替・建て直しとは?

明治25年、丹波の片田舎の綾部で文盲であった一人の老婆に【神懸かり】現象が起きました。その神の名は艮(ウシトラ)金神・国常立尊とします。

元々、その綾部の藩主であった【九鬼(くかみ)氏】は、熊野本宮別当家(神道では社家)で九鬼神道の家柄であり、その九鬼神道で祭る宇宙の元津神を【宇志採羅根真】としていました。大本教の【艮】と九鬼神道の【宇志採羅】は当てる漢字は違えども同じ【ウシトラコンシン】なのです。

大本教神諭には、その「ウシトラ」には【牛虎】の漢字もあるぞよとあります。同じ「ウシトラ」と発音しても、【艮】と【牛虎】と【宇志採羅】では意味する【感じ】が違うのです。【艮】は今は退いている道の意味であり。【牛虎】は牛頭虎パンツで【鬼が云うの魂の司神(閻魔庁)】であり。【宇志採羅】は宇宙の意志は【羅(死者の維新)】を採用するで【輪廻転生】が意味が含まれて来ます。

 

その大本教神諭に、【この神は病気治しの神には非ず。心の立替建て直しの神とあります】。

 

人々が求める神とは、病気治しや現世御利益の神

 

誰も、心の立替、建て直しの神など求めてもいない

 

私の元には、そんな言葉の仕組とか【良心神】などと意味が解らないことを言っておらず、どんどん病気治しをしていれば信者などいくらでも集まる。やがて大教団が創れる。そうしたことを言って来られる方が何人もありました。確かに、おっしゃる通りなのです。病気治しをしていれば大教団が創れます。人々はそれが神だと思っているからです。そこには【真理】に基づく【教義】等必要ありません。

 

我が宗派の神を信じていれば、天国に案内するぞ

【奇跡】を現出していれば、人などいくらでも集まる

 

そうした現世御利益や病気治しを主体とした教団で説かれる教義とは【愛】とか【善の行い】という内容は説かれてはいますが、ほとんど【教訓的】な内容で神霊世界の実情はあまり説かれていません。ある意味、当たり障りのない内容の羅列と言えます。親に孝行いたせよ。近隣の住民と仲良く致せ。人とは争うなよ。ほとんどが当たり前的な内容なのです。

大本教から【人は神の子・神の宮】と出されたことは、仏教で人には【仏性が宿る】と説かれてはいますが、人と神とではどう違うのか?。そこはある意味、衝撃的な内容ではあったのです。

 

人類は死後に自分が神とも成れるを理解していない

 

日本における某仏教宗派は、人は死ねば土に還るだけで死後の世界など存在していない。人と自分達が拝する諸仏とは別物だと公然と唱えています。仏教の教えからも逸脱しているのです。

その仏教宗派の教えを信じる人は、人に死後の世界があると説いていると、天国や地獄等の霊界などは無い。【オカルト】だと攻撃されて来ます。その宗派の僧侶達は死後は地獄界にと墜ちておられます。宗派の教えとして、死後に【天国も地獄】も無い。土に還るだけなどの間違った教えをしているからです。肉体は土に還っても、魂は残る。魂(鬼と云う)の存在が何一つ理解出来ていないなのです。

 

私はある悪党から言われました。宗教は天国や地獄が在ると大嘘を人々について、悪いことをすれば地獄に墜ちると人々を脅している。人は死ねば終わりだから地獄等は無い。人は死ねば終わりだから悪いことをしなければ損をする。恐いのは神では無い。悪を取り締まる警察だ!。

その悪党は別に神の存在を否定したのではないのです。人と神とは別物で、神は人間が困って助けて下さいと頼みに来た時だけ助けていればいいのだ。神は人間が悪をすることを黙って見ていればいいのだ!。それは某仏教宗派の教えを信じる者と同じです。

こうしたことはある大学の教授も、自分のセミナーの学生達に言っていました。宗教はありもしない天国や地獄を語って人々を洗脳している。宗教の利点は悪いことをすれば人々が地獄に墜ちると思って悪行を犯さないことである。もしも人々が天国も地獄も無いと真実を知ったならば、全ての人達が悪をしなければ損だと悪に走る。宗教の役目は有りもしない地獄を語って人々が悪に走らないことを抑えている。学者の神にに対する理解など、その程度なのです。

地獄の存在などは嘘パッチだと思っていると、後で泣いても遅いと言えるのです。未だ地獄に墜ちたら恐いと悪事に走らない人の方が遙かに賢いなのです。この世で悪事に走らなければ、閻魔大王とて地獄に落としようがないからです。

しかし、この世で何の悪事もしなかっただけでは、天国の門は開かないのです。では、天国にも地獄にも行かなかった魂はどうなっているのか?。そこに輪廻転生をもっとも起こすと言われている【中有(幽)界】界の存在がほとんど説かれていないのです。輪廻転生を理解していれば、【中有界】の存在は必然的に理解されていたはずなのです。

 

宗教の大嘘は我が派を信じれば天国、異教徒は地獄

 

一部の宗教も人々も、自分が神仏の存在とは思っていない

 

お釈迦様の悟りは【悪魔は実体を持たない現れであり、人には良心と呼ばれる神が内在している。】と悟られたにも関わらず、仏教からその教えはほとんど消えていました。そんなこと、いくら説いても人々は寄りつきもしません。それよりも【仏の慈悲】で【極楽に往生】の教えの方が人は簡単に寄って来るなのです。しかし、その宗教の教えを信じたら本当に天国(極楽)に行けるのか?。誰も解らないからです。

スピリチュアルで【無料ヒーリング】しますと歌えば、人が殺到しています。私もそうした宗教の手かざしヒーリングを受けましたが、本当に【波動】を出している人などごく僅かです。そうした霊波動を他人に送れる様な人は、さらにごく僅かです。ほとんどが【釣り】と言えます。波動が来ていると思い込ませるです。小麦粉でも薬だと渡せば、飲んだら治りましたと思い込む人達も出るからです。

 

地獄は無いのか?。私は霊的世界に関わって、全ての地獄界を見聞することは適いませんでしたが、それでも幾つかの地獄界を見聞して来ました。しかし、それは私個人は見聞したであり、全ての人がそうした地獄の存在を見聞出来るではありませんので、それはどうとでも言えます。嘘八百並べても解りません。

また、私が見て来た地獄界とは仏典にある様な、鬼が居て針の山を歩かせるとか、煮えたぎって釜のお湯の中に罪人を突っ込むと言うような【責め苦】の世界ではありませんでした。

 

多くの宗教で説かれる天国とは【金銀財宝】で輝いている世界ですが、私は霊界修行の過程でそうした金銀財宝で輝く【王宮】の一つに入って見ましたところ、その宮殿に居たのは【大蛇霊】でした。蛇霊に財宝は付きものです。財宝に執着したが故に蛇霊化です。

蛇霊は金銀財宝で埋め尽くされた自分の王宮に入って来て、自分の財宝を盗もうとするのかと威嚇し来ます。金銀財宝に目が眩んで、盗まれないか盗まれないかと自分に縛られています。それではどこにも【心の平安】が得られないのです。いくら金銀財宝に輝いた宮殿でも、それは天国界には非ず。地獄界なのです。

 

天国界とは心に安らぎがあり、地獄界には心に安らぎがない

 

創造神が、金銀財宝で飾られた宮殿に居ると思う人がおかしい

そこに、大本教神諭の【心の立替、建て直しの神】がある。

 

この日本では神霊を【蛇霊や狐霊や狸霊や猫霊】等と言いますが、一神教であるユダヤ教、キリスト教、イスラム教ではそうした霊の存在が語られていません。では、存在しないのか?。存在しているから多くの霊能者が【蛇霊や狐霊や狸霊や猫霊】等を言っているのです。なまじ一神教に入ってしまいますと、霊界の実態が解らなくなるのです。

 

【獄】の漢字を見ますと、【犾(獣)の真ん中に言】

 

言が【犾(獣)の姿に身変える(ミカエル)】させる

 

人の立場からすると、

神として祭って欲しければ、病気治しや御利益を出せ

 

そこに病気治しには滅法強い黒龍神の活動も広がった

 

しかし、【滅法(めっぽう)】の漢字を見るならば【法を滅ぼす】で、現世御利益とか病気治しの力が主体の神達によって、本来の【神の法(真理)】は消されてしまったなのです。

 

私は修業時代、黒蛇霊から【人が病気治しをして欲しいと頼み込んで来る。それで病気治しをして、いくばくかの金や酒の御礼を貰う。それのどこが悪い。】と言われました。それは前にも書いておりますが、病気治しをして、いくばくかの金や酒の御礼を貰うことが悪いではないのです。黒蛇霊よ!。貴方自身が自分の身が黒蛇の姿であることをどう思っているのかと、私は尋ねているなのです。

私はいくら人助けと言えども、黒蛇霊の身で貴方は嬉しいのですか。それよりも自らの姿を【悔い改めて天国界に入った】方がいいのではないですかと言向けをして来たなのです。そんなこと可能なのかと聞かれたら、悔い改めたならば可能ですと答えています。

ですから、蛇霊が悔い改めると現実界の蛇が棒の様に【直立】して、悔い改めた悔悟の涙を流して、天人世界に帰って行く。私はそうした光景に出会って来たのです。その時に御礼の涙を流されたりしますが、私に対する御礼などどうでもいい。もう二度と蛇の姿等にはならないで下さいと言うのです。しかし、そうした事柄を知る方がほとんどいないなのです。

 

蛇の漢字は真ん中の無視(虫)、它(舵)が蛇行する

 

綾部の意味は【言葉の文(あや)】。古代名は【漢部】

 

大本教神諭は、綾部でしか【九つ花】は咲かないと予言しましたが、【漢部(綾部)】という地名から漢字による言葉の文(あや)が読み取れるなのです。

私は自分が【綾部】に住んで居なかったならば、この言葉の仕組は紐解けなかったと言います。

 

聖書は最初に【言葉は神と共に在った】と記しますが、言葉を構成する一音一音の【言霊】に関しては、キリスト教もイスラム教は何も解っていないがあります。それで【言葉は神】と言っても解りようがないのです。

では、仏教はどうかとなります。チベットで瓶(壺)に【八十一体の仏】が飾られた物が見つかったのですが意味が解らないとなっています。その【八十一体の仏」を平面図式化すると、下記の構図の意味を持つのです。

 

 

 

 

 

大本教神諭が予告した【九つ花】とは【宇宙曼荼羅】

 

真ん中の【41】の【言霊神(神仏)】に意味がある

 

ただ、これらの構図が【言霊神】であることの理解がされていなかった。私は【言霊】とは何かと知った時、私がこれまで持っていた神観など吹っ飛んでしまいました。聖書にいくら【最初に言葉は神と共にあった】と記載されていても、それを理解出来る者など一人も居ないでしょう。お釈迦様であれイエスであれ、言霊と呼ばれる存在までは理解されていなかった。

この日本において大本教と呼ばれる宗教が起きて、その教義の中で初めて【言霊神】と呼ばれる存在が明らかになったなのです。誰が考えても【ス】の神など、その意味が解っていなかったのです。日本において幾多の宗教が【ス(主)の神】としていますが、その意味すら理解せずに、たた【スの神】として唱えているなのです。だがそれは【ス】の神では無く、【ラ】の神だったのです。

 

 

私は子供の頃、自然の息吹を感じて、そこに造物神を感じました。

何故に人は自然を見て、創造神の息吹を感じないのか?

 

種を播けば芽を出し、葉を茂らせて果が実る

 

それを当たり前としか取れない人は、永遠に創造神など解らない。解るのは自分に現世御利益をくれるのが神だ!。そこから一歩も抜けられないなのです。

 

自分に現世御利益をくれる存在。その存在に病気治しや安心立命を願う。どうしてそうした存在を神と呼ぶのか!。私に解りかねました。

私には大本教神諭に記載される。【この神は病気治しの神では無い。心の立替、建て直しの神】の方が遙かに神として解るのです。

 

私は【心の立替】で、本当の神の存在に気づいた

 

しかし、いくら【心の立替、建て直し】たる【良心神】を説いても、人はさほど集まらない。学ぼうともされません。自分は神に生かされている。一人一人が神の子だ!。そうした意識に立たないのです。逆に霊が見える。霊と会話が出来るとなると、自分は神から選ばれた特別な者だと錯覚する人が多いなのです。そうした霊の正体を見るだけの能力が無く、出て来た霊の【サニワ(審神)】を何一つ試みず。頭からその霊の言葉を信じ込んでしまうなのです。

私が神霊界修行に入った当初、ヒンズー教の奥義書とされるヴェーダ典に記載される。【人の中に眠るコブラ蛇(眼鏡蛇)が目覚めて走り上がる時、その人は真理に目覚める。】を体験し、何が【真理】かを追い求めて来ました。

その体験は日本の霊能者で体験した方は居ないのかも知れませんが、ヴェーダ典に奥義書として残されているほどなので、古代のヒンズー教の聖者達は体験した事柄なのかも知れません。ただ、誰か【真理】に到達出来たかどうかでしょう。

 

真理ばかりを求めても、一銭の金にもならず人も寄らず

 

私は【真理】を求めている中で、お釈迦様は正しく悟られた。イエスは悟れなかったと感じ、お釈迦様とイエスの教えの差に【真理】があると探求したのです。表面的にはイエスの教えは【愛】であり、仏教の仏の教えは【慈悲】で違いが無いように見られますが、お釈迦様の教えは死後500年間だけが【正法】の時代で、その後の大乗仏教の興りからお釈迦様の正しい悟りは消されてしまった。大乗仏教はお釈迦様の教えは小乗として、変質させてしまったからです。為に埋没していたお釈迦様の悟りを知るのは難しいことではあったなのです。

お釈迦様は【悪魔は実体を持たない表れであり、人には良心と呼ばれる神が内在している。】と正しく悟られていたのですが、イエスはその位置に自分自身を置いてしまった。つまり、悪魔を退ける【神の御子たる救世主】の意味を間違えてしまったなのです。

 

イエスは悪魔を退ける良心神の存在を自分自身に置いた

 

人は自分の罪を被ってくれるなら、その人を救世主と仰ぐ

 

私はイエスと思しき霊に数度出会いました。無論、それが本当のイエス霊かどうかの確証はありません。ただ私が見たイエス霊らしき存在は、キリスト教徒が犯した罪の十字架を背負っており、哀れとしか言えませんでした。キリスト教徒は自分が犯した罪を自分で刈り取ろうとしないで、全てイエス一人に押しつけているなのです。それは旧約聖書の【自分が蒔いた種の果実は自分で刈り取れ】と完全に相反したものではあるわけです。

イエスにキリスト教徒の全罪を贖(あがな)えるだけの神の力があるならば何の問題もありません。しかし、イエスに全キリスト教徒の罪を贖えるだけの力が無いとすれば、自分を助けて欲しいとイエス霊にしがみつくキリスト教徒の信者霊の数はあまりにも膨大で、その罪の重さは霊界の【十字架】と化してイエス自身にのし掛かるなのです。

 

私は自分が救世主だと名乗ることは一切しません。それは自分には自分を神と信じたら助けてあげると言う程の力が無いからですが、これは助けて上げたいと思う僅かな人達の罪程度ならば私にも受けられますが、何一つの自分の罪を悔いないで自分を助けて下さいと懸かって来る様な霊等、そもそも助けるだけの価値そのものが無いと言います。ですから、私は【自分を悔い改めない霊は助けられない。】と言って来ました。

 

私は子供の頃、旧約聖書の神と称する声を聞いていましたが、【旧約聖書は我が書であるなれども、意味は暗号化してあり。そのままに読めば言葉の意味を間違える。取り違える。新約聖書は我が書には非ず。人の子達が為した書で私の書では無い。旧約聖書も新約聖書も読むには能わず。私の教えは、この日本国の中にある。】と告げられました。

私は大本教霊界物語や大本教神諭を読んだ時、【これは日本版の旧約聖書】かと思ったほどです。大本教の出口王仁三郎聖師が【自分はイエスに何一つ劣っていない。】と言われたことは納得なのです。その出口王仁三郎聖師は、【自分はニセ者だ!。本番は自分とは似ても似つかない存在。】と述べられたなのです。そこに大本教が【予言教団】ともされるがあります。

 

しかし、巷には出口王仁三郎聖師と同様に自分は【素戔嗚尊の魂】たる持ち主で、自分が本当の救世主と名乗る人が幾人も続出しています。私は【救世主】の意味が大本教神諭予告の【九つ花に咲く一輪の言霊の経綸(秘密)】にあると解った時、【言霊】の存在すら知らず。よくぞ自分が救世主だと名乗るとはと、呆れかえっているなのです。いくらその背後に【黒龍神】が存在しても、黒龍神にはその信徒を天国界に渡すだけの力は存在していないなのです。結果的にはその信徒達を【地獄界】に導くなのです。

 

お釈迦様の死後、【五十六億七千万】で

 

みろく神を日本語で組み立てた神がある

 

 

 

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