陰気な夫を励まし続ける陽気な夫人
その後、ほどなくして上京したふたりを訪ねた『月刊高知』の元同僚は、その暮らしぶりについて次のように日誌に残しています。
やなせ先生は三越で破天荒な日々を送る前だったこともあり「何かつかれた感じ。本当に人生、成功への出発は困難であり、金のないのはさみしいことだと思う」と記録されていた一方、柳瀬夫人については「都会になじんでいたように見えた」とあります。陰気になりがちなやなせ先生を、陽気そのものの柳瀬夫人が励まし続けるという同棲生活は、すでにこのときから始まっていたのでしょう(上京してからほどなくしてふたりは結婚したので、以後「小松暢」ではなく「柳瀬夫人」と表記します)。
そんな同棲生活ですが、最初はふたり暮らしではありませんでした。柳瀬夫人の友人と、その夫と2人の子どもが住む家を間借りしたのです。それも、小さな男の子の面倒を見るという仕事があったので、ムードもへったくれもありません。新居を探そうにもインフレの進み方が凄まじかったため、お金をいくら貯めても賃料も上がってしまい手が出ませんでした。
トイレで傘をさすようなボロアパートに住む
こうした状況であれば、ふたりがまともな住まいを見つけるのは至難の業です。結局、厳しい戦地を生き抜いたやなせ先生でさえ「いくらなんでもこれはひどすぎる」と、一時は敬遠したボロアパートに住むことにしました。
風呂なし、共同トイレ、住居に通じる階段には欠落あり、その階段に手すりはあるが、つかまった方が危ない。おまけにトイレの屋根には穴が開いており、雨や雪が降れば使用中に傘をささねばならないという、正真正銘のお化けアパートでした。現代を生きる新妻が目の当たりにすれば、即日判を押した離婚届が提出されること請け合いです。
一方、柳瀬夫人は一味も二味も違いました。文句の一つも言わないどころか「私、こういう生活、夢見てたの。とっても幸せよ」と言ってのけます。この底なしの陽気さに、陰気なやなせ先生はどれほど助けられたことでしょうか。
柳瀬夫人の一言が功を奏したのか、どの本や資料を読んでも、この時期の生活は明るく朗らかにつづられています。
ふたりで銭湯に入った帰りしな、八百屋で柿を買って食べながら帰ったとか、得体の知れないプレスハムやベトベトの鯨ベーコンでもふたりで食べるとおいしかったとか、寒い夜にはふたりで抱き合って暖を取り、幸せをかみしめていた、なんていう微笑ましいエピソードが随所に見られるのです。
1985年福島県生まれ。早稲田大学理工学部卒業後、東北電力に入社。2011年退社。松下政経塾を経て、現在は地元で塾を経営する傍ら、執筆に取り組む。著書に『ネトウヨとパヨク』『デマ・陰謀論・カルト』など。