法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

Capricornus氏やその同調者は、公園のトイレを使う時に毎回身分証明書を提示したいと考えているのだろうか?

支援団体Colaboが撤退を選ぶような「是正」によって深刻な問題が発生したなら、本当に「是正」だったかを疑うべきではあるだろう - 法華狼の日記

 以前にも東京都の事業「きみまも」が、性加害がおこなわれうる場所として問題となったり、リソース不足を露呈して、Colabo代表の仁藤夢乃氏の批判が妥当とわかったことがある。

 基本的にColaboは支援対象者の個人情報を行政にわたさないことを選んだ。それが東京都との争点だ。
 たとえばDVなどで家族から逃げている状況で行政に情報をわたすと家庭にもどされることを支援対象者が懸念するような問題がある。セックスワークが違法とされている社会においてセックスワーカーの支援対象者の情報を安易に行政にわたせない問題もある。

 上記エントリに対して、はてなブックマークで下記のようなコメントがはてなスターを集めて注目コメントに入っていた。
[B! Colabo] 支援団体Colaboが撤退を選ぶような「是正」によって深刻な問題が発生したなら、本当に「是正」だったかを疑うべきではあるだろう - 法華狼の日記

id:Outfielder 法華狼先生の言う通り、こうやって立て続けに不祥事が続発するということは、他団体の適格性も問題になってくるということであり、つまり東京都若年被害女性等支援事業そのものを抜本的に見直した方がよいということ
id:the_sun_also_rises id:richest21 「〇〇が出来るのはAだけなのだからAが手を引くような是正をして深刻な問題が発生したらどうする気だ」というのは既得権益を守るために使われる常套的主張。この界隈も既得権益化しているのだろうと感じるよ
id:keshimini 今回の件でおそらく多くの人が感じてるのは、この手の団体には外部からの監視が必要ということで、都への情報提供を拒むような仁藤氏の考えには真っ向から向かい風な話。「っぱ、仁藤さんっしょ」とはならんのよ。
id:wildhog 保護対象者に色々と大きな価値があるがゆえに保護団体がその価値をキメセクや辺野古座り込みに利用してしまう問題はある。警察や児相がやるべきで民間がやるべきことではないのでは?
id:richest21 「〇〇が出来るのはAだけなのだからAが手を引くような是正をして深刻な問題が発生したらどうする気だ」ていうの、日本のあちこちで政治や行政にガッチリと根深く絡みついているんだろうなぁ
id:fukken 手弁当でやらなきゃいけないような活動をわざわざやるのは、聖人か、じゃなかったら立場を利用して別の利益を得ようとする悪人だけなんだよなぁ。普通に公務員で回せば?って感想。
id:hobo_king 「公金は若年層支援に使った。支援対象は秘密。以上」て無茶言うな。どれだけ税金の使途に対する公平性や公開性や検証性を踏みにじってると。桜を見る会に参加者名簿と領収書出せとかもう二度と言えなくなるわ。
id:jaguarsan 事業の効果測定が件数でしか表せないとした上で対象の情報も渡せないとなれば、これは言い値で金渡せという主張にしかならないparrying ひとつの支援団体がやらかすと他の団体にポイントが入ると考えるのは少数派で、大抵の人は支援団体なんて碌なもんじゃないと考えるのでは(それが正しいかは別として)
id:Capricornus 公金に基づく介護福祉事業において個人情報の管理は当たり前に国。じゃないとサービスを受ける人物が適正かどうか確認できず、実態不明の実績に公金を出す事になる。個人情報を渡すことへの批判は悪手でしかない。

 最上位につけているOutfielder氏のコメントは、意図しているかどうかはともかく、Colaboに対する批判の問題を指摘したものといえるだろう。不祥事など見つからなかったし多くの疑いは裁判で晴れたColaboを撤退させた後に、仁藤氏が指摘したとおりの不祥事が連続して発覚しつづけている。


 またfukken氏のコメントは、その行政の事業「きみまも」で問題が発生したことを無視しているし、行政が信用されえない状況においてどのように支援をおこなうかという話を後半で書いていることも読みとれていない。
 それに関連して興味深いのはCapricornus氏のコメントだ。行政が信用されえない状況においてどのように支援をおこなうかという問題に対して、行政を信用できないセックスワーカーなどを支援しないという考えにも、なるほどある意味での一理はある。その一理は、公衆トイレの使用に個人情報の提出を求めるような理であるが。
 事実として、公衆トイレを有料化する動きは現実にもわずかながら存在する。幸いにも、まだ現在の日本はそのような厳格化をしないほうが社会の利便性は残されると判断しているが*1。そうでなくても公園そのものや多くの道路など、利用において個人情報との紐づけを必要としない公金が投入される事業は珍しいものではないし、それらを有料化しようとする動きも定期的にある。
 これは公共をどのように位置づけるのかという問題だ。合理性の問題とは異なるどころか、むしろしばしば対立する。公金をつかって誰もが利用できる空間を有料化することは、社会全体で見れば料金を徴収する人件費などの無駄が新たに発生するだけだし、そうした徴収の手間が増えただけ会計などのミスも悪用の余地も増えてしまう。そのような非合理な負担をしいることは、生活保護の水際政策のように、女性支援にかぎらず社会福祉ではよく見られる問題だ。

*1:便だけに。