人に内在する良心神(神言会)

神は言葉なりき。言葉は言霊で構成され、その言霊による神の仕組みを解説する神言会(kamikotokai.com)のプログです。
神言会では人に内在する良心神(この世の閻魔)とは何かを説明しています。

この世は魂の【修業場(更生所)】で甦る、輪廻転生の終了を持ってその役目を終える

多くの霊能者や行者が、この世は魂の【修業場】だと言って来ました。大本教の出口王仁三郞聖師は【天人の苗床】とも言われ、行者の世界で多くの行者から崇められておられた方は【魂の刑務所】と語っておられました。

その言い方は違っていても、内容的に同じ事です。下記の図で示します。

 

ある場面を取れば、この世は【魂の刑務所】です。ある場面を取れば、【天人の苗床】です。

それらのことは、【輪廻転生】をよく理解していれば解ったことなのです。

 

魂は【公正】を学ぶ為、【後生】の世に【甦(更生)る】 

 

この「公正」とは愛ではなくて、【良心】とは何かを学ぶ

 

 

 

そうしたこの世は【魂の修業場】の中で、大本教の出口王仁三郞聖師が【天人の苗床】と言われたことにはある意味があります。

 

人はこの世での修業次第で【神霊に昇格】が出来る

 

大本教神諭、【人には神とも成れる魂を授けてあるにも関わらず】

 

スピリチュアルでは、よく【宇宙人】が宇宙人がと言われる方達があります。それらの宇宙人とは人間の様な存在ではなく、宇宙の【霊人】達であって、本質的な神と呼ばれる存在ではないのです。ですから、良い宇宙人とか悪い宇宙人と呼ばれる様な存在も出て来ます。彼らは【神その方】ではないのです。

 

神霊化する為には、人としてこの世に出て来る必要がある

 

現在の神霊と呼ばれている存在の中には、人として出たことが無い存在も見られますが、それらの霊はそれほど高い霊ではないのです。例えば白狐は白狐として生まれて来て、ある程度の神霊世界の存在ではあるのですが、霊界でとても高いとは言えないなのです。そこに、白狐を使っている行者と、白狐にこき使われている行者とでは大きな違いが生じます。

一部の超能力者の噂話の段階にしか過ぎませんが、この世で肉体を持っている人間の中から次期【天帝】が選出されるなどの噂話もあります。この地球に人として肉体を持って出ることは、重要なことではあるのです。

 

人として、この世に出して貰いながら、何もせずに遊んでいたならば、

 

おまえは何の為に、この世に降りたのだと叱責されるのです。

 

まして、その魂の修業場で【罪】を犯して地獄に行く。それでは【本末転倒】なのです。だが、罪を犯して地獄に落ちてもその刑期を勤めれば、またもや人として出して貰えたのです。そうした魂が【悔い改める】為に、高級霊界から人々を指導をする為に神霊以上に格が高い魂が下ろされて来たのです。そうした魂が宗教の開祖などになられたのです。

スピリチュアルで【宗教】など必要が無いと言っている方の魂はかなり低いことが解ります。いずれにしも、スピリチュアル標榜者には魂が高い方は見受けられません。

 

閻魔大王とは【閻羅大王】で、羅に【死者の維新】を秘めた

 

羅城門をくぐれば来世を授けるで、これを【来世門】と言う

 

魂の復活をさせて来た神に対して、悪魔だと言ってその羅城の番卒(邏卒)の牛頭虎パンツに炒り豆をぶつけるで【鬼は外】。

大本教が何故に【節分の炒り豆にも花が咲く】と宣伝したのか?。【ウシトラ(牛虎)金神】としたのか?。そんなことも理解せずに、愛で何をしても赦されますと説いているような者は、永遠性のみろくの世には行くことが出来ないのです。

 

羅城の邏卒とは現在の【警察官】のことで、鳥居の型が「刑事」

言葉の仕組みを敬い、宇宙主宰神を祭るが警

 

熊野の九鬼家神道、【宇志採羅根真】と奉る

 

九鬼神道家であった綾部藩の総氏神社である若宮神社は、綾部藩は【鬼は内、福は外】であったので、【節分祭】は執り行っていません。大本教神諭に大本教と鳥羽藩主であった【九鬼大隅守(嘉隆)】との関係が解れば驚くぞとありますが、【鳥羽】は【十里の八根】。

鳥羽藩は嘉隆の息子、九鬼守隆の死後に家督を巡る兄弟のお家騒動により、九鬼隆季の「綾部藩」と九鬼久隆の「三田藩」の二つに分かれましたが、九鬼神道の家筋としては【綾部藩主】側となったのです。

大本教における【福は内。鬼も内】の原点は綾部藩の九鬼家の【鬼は内。福は外】にあります。そして、大本教開祖出口なおが信仰した【本興稲荷】とは、元は九鬼家の綾部藩邸内にあった稲荷社であり。この稲荷神が【国常立尊】と深い関わりがあるのです。それは「九鬼大隅守」の歴史を調べれば解ります。この理解が出来れば、大本教と九鬼神道の関係は見えて来ます。

 

その綾部藩主側の九鬼家の末裔が現在の【熊野本宮】大社の宮司を勤めておられるなのです。綾部における熊野を意味する本宮村や新宮村とか那智山や熊野神社は、九鬼家ではなくて源平の時代の【平重盛(平清盛の嫡男)】まで遡ります。

大本教とは、単に綾部(古来名・漢部)で言葉の綾の仕組みで起きた宗教ではないのです。深い神仕組みの一環と言えるでしょう。

 

宇宙の志は【羅】を採用の【宇志採羅根真】

 

この【羅】一字に、重大な意味が秘められた

 

聖書の死者の復活(蘇民将来)はイエスでなく【羅】にある

 

私が説明してる【言葉の仕組み】をバカにしている方達は多数あります。だが、そうした方達は、みろくの世の到来は【輪廻転生】の終了だと理解されていません。大本教神諭に【三千年】に渡る深い神仕組みとあっても理解が出来ないなのです。

 

 

 

精神世界

にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村

この内容がよければ、応援のクリックをお願いします。

この記事のトラックバックURL
トラックバック機能は終了しました。

» この記事へのトラックバックを見る

このブログの人気記事ランキング

JUGEMおすすめブログ

S M T W T F S
    123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031
<< May 2025 >>