聖書には、【初めに言葉は神と共にあった】と記載されますが、旧約聖書を聖典とするキリスト教、イスラム教、ユダヤ教を見ても、【言葉は神なり】の教えが見当たりません。また、仏教にも存在しません。
この日本だけは古来より【言霊の幸はふ国】と言われて来ました
が、【言霊】そのもののに対する理解はあまりなされませんでした。
ただ、京都の六波羅蜜寺の空也上人像を見ますと、【言霊】のある程度までは理解が出来ていたと解ります。
写真は「ウィキペディア」からお借りしました空也上人像の写真のコピーペです。
この空也上人像の口から出ている六体の仏とは、【南・無・阿・弥・陀・仏】の六文字を表しています。すなわち、言葉が【仏】としての理解力はあったということなのです。ただ、この場合は【漢字】なので、言霊的に言いますと「なむあみだぶつ」の七音なのです。本来は七仏(七つの言霊)が正解なのです。が、「な、む、あ、み、だ、ぶ」であれば六音となります。
その意味で言えば、【南無妙法蓮華経】は七文字ではなくて、「なむみょうほうれんげきょう」と十三音となります。
明治25年に発祥の大本教で【ひらかな派の出口なお開祖と漢字派の出口王仁三郎聖師】の大本教内の戦いは、そこには神の深い仕組みがあったと見受けられます。出口なお開祖は文盲だったから【ひらかな】ではないのです。自動書記ならば、どんな難しい漢字でも絵でも書けるからです。
近年、チベットで【81仏】が立体的に装飾された古い【瓶】が見つかりました。だが、なんで「81」仏なのか?。それが解らないがありました。
下記の図は、私の別HP【http://kamikotokai.com/kotodama/】に載せているものです。ただ、以前の図とは少し変えています。
しかし、仏教の【曼荼羅】図では、いくらその仏達を見ても【言霊】そのものが出て来ません。
だが、丹波の片田舎綾部から発祥した大本教から、仮名手本【いろは四十七士】の教えが出て来ました。当時の大本教宣伝使はその【いろは歌】で大活躍をしました。
その大本教で機関誌の編集長をしていた岡本天明氏は、【日月神示(ひふみ神示)】なるものを出して、【ひふみ歌】を出しました。どちらも日本語の「四十七」の言霊で、これに【ん】を加えて「48音」と言います。
ヨハネ=4(ヨ)8(ハ)音(ネ)が先に出たのです
キリストとは【真理】のことであり、イエス個人ではない
私が子供の頃、旧約聖書の神と称する声が臨んでいて、イエスのことは【ナザレのイエス】と言われ、イエスは我が子にはあらず。他の神の御子である。また、一度もイエスが「救世主」だとは告げられませんでした。【イエスは千年級の神の子】と言う言葉を使われていました。大本教の出口王仁三郎聖師は、【自分はイエスに何一つ劣っていない。】と言われたのは、イエスと同じクラスの方であったということです。大本教の役割は「48音(ヨハネ)」の段階であったとしても、大本教の予告は【みろく神】でした。
そこで、大本教の出口王仁三郎聖師が「みろく様」だとなったのですが、出口王仁三郎聖師は昭和20年の終戦において、自分は本物ではない。昭和20年に【みろく下生】があったと述べられたのです。だが、これも正しくはありません。それに代わるような事柄が昭和20年に起きたなのです。
その昭和20年にみろく下生話は出口王仁三郎聖師のみならず、西洋でも語られており、ペンジャミン・クレーム等が説く昭和20年生の「世界教師・マイトレーヤ」の存在なとが雑誌ムーなどに写真と共に幾たびか記載されたなのです。霊界では誰も確実なことは解らないが、ある程度のことは知っているからです。
そうした中で、私は大本教神諭予告【九つ花】の言葉に触れて、大本教では【九つ花】とは「九曜紋」のことにしているのですが、それは本物の【九つ花】ではないと気づいたのです。
仏教で説かれた【81仏】の曼荼羅とは、それに「数値」を当てて、五十六億七千万の【みろく(369)】を出す仕組みであり、これは【日本語】でないと紐解けない仕組みだったのです。
そこに日本語の【言霊】が要るのです
しかし、それには大本教が出した【いろは歌】でも、岡本天明氏の【ひふみ歌】でも出来ないなのです。
私は大本教の出口王仁三郎聖師らしき霊から、【ア】門から【ラ】の仕組みと暗示されて、大本教霊界物語の国常立尊様【三十五万】年前に御引退から、神の時計とこの世の時間との仕組みから、九つ花の中心たる【41】の理解が出来たと言えます。モーゼは紅海を渡って四十年間さまよい。イエスは四十日間荒野をさまよって悪魔を退けた。出口王仁三郎聖師予言の【みのか尾張の国から出る誠の女子】も大ヒントです。
九つ花の真ん中の【41】にて、悪魔を退ける
私は子供の頃、旧約聖書の神と称する声から、【この国(日本)は、私の教えが満ちあふれた世界で唯一つの国であり、そなただけにはこの神の仕組みを見せよう。そなたはそれを見て、人々に告げなさい。そなたが歩く道は、今日まで人類の誰一人として歩いたことがない道であり、そなたが初めての者であり、そなたをもってこの仕組みは終わる。そなたは最終の者である。そなたの後にそなたと同じ道を歩く者はなし。】と告げられたなのです。
何故に、【日本語】で仕組みが為されているのか?
日本語は神の言葉であり、宇宙の言霊だからです
大本教神諭に、日本人には外国人より一段高い御魂が授けてあるとありますが、これは日本に【皇室】があることとは関係しません。日本語は神の言葉であり、神の言葉を使うことが許されている民族の魂とは、他の土地に住み使う言葉も日本語でない魂達とは別だと語っているのです。この魂を別名【大和】魂と言いますが、日本と言う土地で誕生したことで付与されるもので民族そのものとは関係しません。
そうした時、必ずや上がるのはそうした【選民】思想は間違いだと言う声です。確かに、こうしたことを書くと自分は何もしていないのに、自分は日本人だと偉ぶった態度に出て来る人達が出て来ます。
大本教神諭予告「九つ花」の仕組みは「米」型で【八紘一宇】の形を取ります。この「八紘一宇」とは日蓮宗の学僧であった「田中智学」による造語とされていますが、私の家系の御先祖霊が日蓮聖人の御分霊であったことからしても、そのバックは日蓮聖人と国常立尊であったと推察は出来ます。
田中智学は日蓮主義者であり、戦争反対。死刑廃止主義者でした。彼が唱えた「八紘一宇」は当時の日本軍部が中身を変節させて「日本の天皇家を中心として、アジアの諸国はすべて同胞で一つの家の下」でアジア侵略戦争の口実に利用されたなのです。
本来の【八紘一宇】とは
日本は皇神(唯一神)を中心にして、世界の人類を助ける民族
為に、日本人には【神の言葉】たる日本語の使用が許される
さらに、日本列島は【世界の大陸の雛形】となっています。その場合、南アメリカ大陸の雛形がありません。これは、かっての日本領の台湾が該当しているとされます。現在の台湾は終戦後に中国本土から逃げて来た蒋介石の国民党の人達と、昔から台湾に住んでいた人達が混在しますが、昔から台湾に住んで居た人達が非常に親日的であり、今でも日本との統一国家を願う人達が存在しているのは霊的な流れからです。
しかし、創造神の最後の判定とは、各自の魂が【どれだけ磨かれているか】であって、魂の【核】の働きである「良心神」の点数で決まることであり、日本で生まれて日本人として育ったからではないのです。良心神の欠片も無いような者は、この日本のお土からはお払い箱となるのです。
私が子供の頃に臨んでいた神は、旧約聖書の神と称しておられました。そこで多くの霊能者の方に会って霊査をしていただいたところ、何も解らない何も見えないと言う霊能者の方が大多数でしたが、7~8名の霊能者の方からは、貴方の本守護神は【国常立尊(艮金神)】様だと告げられ、豊受姫からもそう告げられていたので大本教と同じ神様かとなったしだいです。
大本教神諭予告は、【綾部に九つ花が咲いたならば、万古末代枯れぬ花であるぞよ】とありますが、大本教は本当の【九つ花】の仕組みを世に出せていなかったのですが、出口王仁三郎聖師が大正九年より前に何人かの信徒達に教団には内密でその土地を死守せよと命じられた土地の一角に私が住んだことから、大本教神諭予告の【九つ花】を綾部で咲かせるしだいとなったのです。
どうして、言葉の仕組みと言えども、どうしてこんな深い【仕組み】が為されて来たのかとなりますと、今の宗教世界は、【我が宗派の教えを信じれば天国で、異教徒は地獄に墜ちる】式が多いと言えます。
例えば、この日本でもオウム真理教の麻原彰晃(本名・松本智津夫)は自分がお釈迦様の再来だと称して多くの信徒を集めて、サリン事件を引き起こしました。そうした一連の事件の中に仮谷事件があり、たまたま麻原彰晃と同様に自分がお釈迦様の再来だと称している教祖の信徒がオーム真理教の信徒達の行動を見張っていたことによって、捜査の突破口が開けました。怪我の功名とは言えます。
あちらこちらに自分がお釈迦様の再来だ。イエスの再来だ。弘法大師の再来だ。素戔嗚尊だ。救世主ですと自称する方があまりにも多く。そこにスピリチュアルまで流れ込んで来て百花繚乱の有様です。誰が本当のことを言っているのかさっぱり解らない状態です。
自分には霊が見える。霊と会話すると豪語していても、他の霊能者からはそれは蛇霊や狐霊や狸霊や猫霊憑きだと指摘されるだけ。黒龍神や天狗霊が憑いていると霊力が強いので、それなりのミニ教団の教祖様にはなれますが、そこから先行きはしません。
そうした名乗りを上げている方達の背後には、それなりの「神霊」が存在しています。そうした神霊は、自分の意のままになる肉体人間を利用して、その神霊が霊界での【覇権】を握るなのです。
私達肉体人間には、その教祖様や霊能者やスピリチュアル標榜者の背後に現れる神霊の正体が解りません。だが、確実に言えることは、そうした神霊では【言葉による仕組み】の組み立てなど不可能だと言うことなのです。
言霊そのものには、【善も悪】はありません
だが、言霊を宣る人の心には【善悪】があります
心とは言霊を載せる船形から、古来より魂は船に乗る
大本教神諭以後、大本教神諭に似せた神諭が日本のあちらこちらから出ています。一見するとあまりにも似ているので大本教神諭の後継の神諭かと思わせますが、そうではありません。大本教神諭が、止め(とどめ)の神諭だと予告してあるはずです。それらの大本教神諭に似せた神諭で【九分九厘】まで行けたとしても、最後の【一厘】には行けないのです。ですから、大本教神諭は【九つ花に咲く、一輪の言霊の火水(ひみつ)】ともしたのです。
邪神達は大本教神諭に何が書いていあるのか理解出来ていないことから、大本教神諭風の神示を連発したのですが、私は大本教開祖の出口なお霊とおぼしき霊から、【大本教はまな板の鯉。その鯉をどう料理するかは料理人の腕しだい。】と告げられて、大本教が演じた型の解読に特化しました。それは明治という時代に出たから、平成の時代の神示に劣るではないのです。明治という古いものでも【料理人の腕次第】だからです。
私は大本教の役割は、米を斗(はかる)升記号と出て来た時、まったく意味が掴めませんでした。まさか、【米】を量る(斗)とは思ってもいなかったからです。大本教が演じた【米】の仕組みはあまりにも奥が深く。単に霊が見えるとか、自分には神霊から神示が降りる程度では中身の解釈が出来ないのです。
にほんブログ村
この内容がよければ、応援のクリックをお願いします。