神奈川DMATの調整官だった阿南英明医師の元に電話が入ったのは、クルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」が入港した翌日のことでした。
声の主は神奈川県の職員。「クルーズ船の対応にDMATを派遣できないか」というものでした。阿南医師がモデルとなった、クルーズ船の実話を描く映画「フロントライン」(来月公開)でも、DMATに依頼が入るシーンからストーリーが始まります。
阿南医師は戸惑いを隠せなかったといいます。DMATは大規模な災害や事故が起きた際に専門的な訓練を受けた医師や看護師を派遣する医療チームで、感染症への対応は任務として想定されていなかったからです。
新型コロナ 最前線で闘う隊員を苦しめた差別と偏見
2020年2月、横浜に入港したクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」。
3711人の乗員・乗客のうち712人が新型コロナに感染。日本で初めて集団感染に向き合う現場となりました。
クルーズ船に乗り込み、最前線で対応にあたったのが、DMAT=災害派遣医療チームです。
船内での医療活動と患者の搬送先の調整に奔走する隊員の前に立ちはだかったのはウイルスの脅威。そして、未知のウイルスへの恐怖に多くの人々がおびえる中、隊員たちに向けられた“差別と偏見”でした。
(おはよう日本 ディレクター 畑京介・ 佐々真梨恵)
3711人の乗員・乗客のうち712人が新型コロナに感染。日本で初めて集団感染に向き合う現場となりました。
クルーズ船に乗り込み、最前線で対応にあたったのが、DMAT=災害派遣医療チームです。
船内での医療活動と患者の搬送先の調整に奔走する隊員の前に立ちはだかったのはウイルスの脅威。そして、未知のウイルスへの恐怖に多くの人々がおびえる中、隊員たちに向けられた“差別と偏見”でした。
(おはよう日本 ディレクター 畑京介・ 佐々真梨恵)
集団感染は“災害”と同じではないか DMAT派遣の決断
神奈川DMATの調整官だった阿南英明医師の元に電話が入ったのは、クルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」が入港した翌日のことでした。
声の主は神奈川県の職員。「クルーズ船の対応にDMATを派遣できないか」というものでした。阿南医師がモデルとなった、クルーズ船の実話を描く映画「フロントライン」(来月公開)でも、DMATに依頼が入るシーンからストーリーが始まります。
阿南医師は戸惑いを隠せなかったといいます。DMATは大規模な災害や事故が起きた際に専門的な訓練を受けた医師や看護師を派遣する医療チームで、感染症への対応は任務として想定されていなかったからです。
声の主は神奈川県の職員。「クルーズ船の対応にDMATを派遣できないか」というものでした。阿南医師がモデルとなった、クルーズ船の実話を描く映画「フロントライン」(来月公開)でも、DMATに依頼が入るシーンからストーリーが始まります。
阿南医師は戸惑いを隠せなかったといいます。DMATは大規模な災害や事故が起きた際に専門的な訓練を受けた医師や看護師を派遣する医療チームで、感染症への対応は任務として想定されていなかったからです。
阿南英明医師
「県庁に行ってみると、悲壮感が漂う状態で必死なんですよね。あの船の中に3711人が取り残されていて、あそこの中で患者さんが発生して、下船できない人たちが3700人いるわけですよね。この不幸な出来事をなんとか解決に導かなければいけないので、そのために何ができるのか。やるべきことは何なのか」
「県庁に行ってみると、悲壮感が漂う状態で必死なんですよね。あの船の中に3711人が取り残されていて、あそこの中で患者さんが発生して、下船できない人たちが3700人いるわけですよね。この不幸な出来事をなんとか解決に導かなければいけないので、そのために何ができるのか。やるべきことは何なのか」
阿南医師は、DMATの本分とは何かを考え派遣を決断します。
「船の中でどんどんどんどん患者さんが膨れ上がるということであるならば、これは感染症の事案であると同時に災害事案なわけですよね。日常の対応、通常の対応では対応できない。特別な対応をしなければいけない。これが災害っていうことですから、まさにそういう状況だろうと。であるならば、災害に対して医療を届ける災害時の医療というのはDMATの本分なわけですね」
医療が必要なのは陽性者だけではなかった
そして2月8日から、船内でのDMATの活動が始まります。
最初に直面したのは、感染者の急激な増加でした。
最初に直面したのは、感染者の急激な増加でした。
「毎日、陽性者が何人出るのかっていうのはものすごいドキドキする話で、多い日は一日、数十人出るわけですよ。もう絶望的な気分になりますよね。これを一日で降ろせるだろうか。そういう発想になってくる」
なんとか陽性者を受け入れてくれる病院を探し出し、搬送手段の調整を続けていったDMAT。
しかし、次第に状況が変わっていきました。体調不良を訴える乗客が増え始めていったのです。
しかし、次第に状況が変わっていきました。体調不良を訴える乗客が増え始めていったのです。
「船に乗っている方はかなりご高齢の方が多かった。さらにはご高齢であるがゆえに病気をお持ちの方も多いんですね。ふだんから治療薬を使っている。こういった方々が何日間も部屋に閉じ込められていると、やはり具合が悪くなることがある。もちろん感染をして具合悪くなる場合はありますが、感染をしなくても具合が悪くなるわけですね。そうするとこれは陽性か陽性でないかということは関係なく、あるいはもう陰性であっても優先的に患者さんを出さなければいけない」
そこで、DMATはコロナへの感染の有無だけでなく、高齢だったり、持病があって命に関わったりするなど、症状に応じ、緊急度の高い乗客を優先的に下船させることを決断。
適切な医療が受けられる体制を模索していきました。
適切な医療が受けられる体制を模索していきました。
「具合が悪かったら命が危ぶまれる病気もあるわけですよ、中には。心臓の発作、頭の発作ではないかって疑われる症例もあったわけです。だからこれはちゃんと優先しなければいけない」
最前線で闘う隊員たちに向けられた“差別と偏見”のまなざし
DMATの活動が始まった初期には、急激に増加する発熱者に対応するため、医師たちが船内で診療に。次第に症状の悪化などで搬送される患者が増えてくると、患者と離ればなれになり、クルーズ船に残った家族へのケアも必要になりました。
DMATは、患者に面会できるよう直接病院に家族を送り届けることもあったといいます。外国人も多く、コミュニケーションにも苦慮しながら、患者に対応するだけでなく家族へのケアも行いながら活動をつづけていたDMATの隊員たち。しかし、思いもよらぬ声が阿南医師の耳に届き始めます。
隊員たちに差別や偏見の目が向けられているというのです。
DMATは、患者に面会できるよう直接病院に家族を送り届けることもあったといいます。外国人も多く、コミュニケーションにも苦慮しながら、患者に対応するだけでなく家族へのケアも行いながら活動をつづけていたDMATの隊員たち。しかし、思いもよらぬ声が阿南医師の耳に届き始めます。
隊員たちに差別や偏見の目が向けられているというのです。
「DMATだと背中に病院の名前とか入っているわけですね。そういうベストを着て活動しているのがテレビで流れると、『その病院にコロナの患者さんを扱ったスタッフがいるんだ。ということは、その人が帰ってきたらこの病院にコロナが入ってくるかもしれない。この病院は危ない病院だ』。こういう連想がなされて、この病院に行くと危ないんじゃないか、この病院に行かない方がいい、あるいはこの病院に直接クレームの電話をかけてきた方もいらっしゃったというふうに聞いています。怖い病気を持ち込まないでほしいという思いがどんどんどんどん広まっていく。そうするとその矛先が時にこの船で対応した医療者に対しても向けられると」
さらに、そうしたまなざしは同じ医療従事者からも向けられていました。
当時、阿南医師が受け取った隊員たちからのメールの記録には…。
当時、阿南医師が受け取った隊員たちからのメールの記録には…。
「同僚の看護師から『あなたは感染源なんだから“ばい菌”』とののしられ、非常に傷ついた。」
「院長に謝罪を求められた。DMATに出動した人間は、悪者なのでしょうか。」
「(隊員たちは)『私はこの船に乗って、懸命にやっているのに、私はそんなに悪いことをしたんだろうか』と自問自答をしているわけですね。これはもう今であれば、『君は決して悪くない。いいことを本当に頑張ってくれたね』ほとんど全ての人がそう言うでしょう。だけどあの当時、未知のウイルスだと言われてみんなが恐れている状況の中では、たぶん言っている側も意識していない。無意識のうちに攻撃的な発言になる。で、言われた方は傷つくと。いじめの構図や昨今のSNSの問題に非常に似ていると個人的には思ってますけど、そういう構図になってしまったんじゃないかと思うんですよね」
そして、この事態は活動への大きな妨げとなっていきました。
出動予定だった隊員たちのキャンセルが相次いだのです。
出動予定だった隊員たちのキャンセルが相次いだのです。
「DMATというのは仕組み上、病院の派遣です。ですからご本人が行く行かないっていうことに加えて、病院長が行きなさいと許可を与えて派遣されるんですけど、病院サイドが止めちゃうわけですね。だから予定としてあさってから来ますよってなっていた人たちが軒並みキャンセルが入るっていうことが起きて。非常に難しい局面を迎えたというのはありましたね。ここはほんとは10人で対応するところが5人に減ってしまう。そうすると、線が細くなるわけですからこのスムーズな流れっていうことが全部滞ってしまうと。こういうことにつながっていくので非常に苦慮した点ですね」
そうした差別や偏見にさらされながらも、全国からかけつけた隊員は合計472人に上りました。
そして活動開始から23日後、全ての乗員・乗客の下船を完了させました。活動期間中、船内では1人の死者も出さずに、任務を終えたのです。
そして活動開始から23日後、全ての乗員・乗客の下船を完了させました。活動期間中、船内では1人の死者も出さずに、任務を終えたのです。
再び差別や偏見をうまないために
あれから5年。
再び未知の脅威にさらされたとき、差別や偏見といった同じような事態を繰り返さないために、私たちには何が必要なのか――。
再び未知の脅威にさらされたとき、差別や偏見といった同じような事態を繰り返さないために、私たちには何が必要なのか――。
阿南英明医師
「『いまは元に戻ってよかったね』ですませてはいけないことで、やっぱり振り返りをしなければいけない。みんながあの時にああいう思いで見ていたこと、ああいう思いで口に出していたことがあって、実は人を傷つける行為であった場面もあるし、困り事を発生させることにもなったんだとかみしめておくということが、次へのステップにつながるだろうと。
“未知”っていうのは怖いですね。分からないっていうのは怖いこと。怖がる権利は誰にでもあるだろうと思っています。そこから逃げるならまだいい。でも攻撃はしてはいけないだろうと。怖い、嫌だ、だから排除をする、攻撃をする。これはやってはいけないことです。『今、自分が知っている範囲ではこうかもしれない。だけど、もっと新しい情報が入ってきたら違う考えになるかもしれない』。そういったことをいつもかみしめて社会の中で運用していく。考えて、口にして、生活していくっていうことを習慣化しておくことが、もしかすると次の時にいきてくるかもしれない」
「『いまは元に戻ってよかったね』ですませてはいけないことで、やっぱり振り返りをしなければいけない。みんながあの時にああいう思いで見ていたこと、ああいう思いで口に出していたことがあって、実は人を傷つける行為であった場面もあるし、困り事を発生させることにもなったんだとかみしめておくということが、次へのステップにつながるだろうと。
“未知”っていうのは怖いですね。分からないっていうのは怖いこと。怖がる権利は誰にでもあるだろうと思っています。そこから逃げるならまだいい。でも攻撃はしてはいけないだろうと。怖い、嫌だ、だから排除をする、攻撃をする。これはやってはいけないことです。『今、自分が知っている範囲ではこうかもしれない。だけど、もっと新しい情報が入ってきたら違う考えになるかもしれない』。そういったことをいつもかみしめて社会の中で運用していく。考えて、口にして、生活していくっていうことを習慣化しておくことが、もしかすると次の時にいきてくるかもしれない」
取材後記
今回、阿南医師に取材を申し込んだのは、クルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」での出来事が、映画になると聞いたことがきっかけでした。
阿南医師へのインタビューは、誰も経験したこともない未知の脅威に、多くのリスクを背負いながら対応していたDMATをはじめとした医療者の方々の存在を改めて知る機会となりました。
当時は私たちも含め、多くの人が、日々流れてくる陽性者や死者の数に恐怖を覚えていたのではないでしょうか。けれど、その数字の裏には一人一人の人生があり、生活があることを忘れてはならないと強く感じました。
これからの社会でもまた多くの人にとって脅威になる事態が起こるかもしれません。その時に、自分の恐怖心をいたずらに人に向けることがないよう、しっかりと振り返り、考え続ける必要があると思いました。
(5月2日「おはよう日本」で放送)
阿南医師へのインタビューは、誰も経験したこともない未知の脅威に、多くのリスクを背負いながら対応していたDMATをはじめとした医療者の方々の存在を改めて知る機会となりました。
当時は私たちも含め、多くの人が、日々流れてくる陽性者や死者の数に恐怖を覚えていたのではないでしょうか。けれど、その数字の裏には一人一人の人生があり、生活があることを忘れてはならないと強く感じました。
これからの社会でもまた多くの人にとって脅威になる事態が起こるかもしれません。その時に、自分の恐怖心をいたずらに人に向けることがないよう、しっかりと振り返り、考え続ける必要があると思いました。
(5月2日「おはよう日本」で放送)
おはよう日本ディレクター
畑京介
2024年入局
当時はただの大学生だった自分が、こうして最前線に立っていた方のお話を伺えると思いませんでした。
畑京介
2024年入局
当時はただの大学生だった自分が、こうして最前線に立っていた方のお話を伺えると思いませんでした。
おはよう日本制作記者
佐々真梨恵
2014年入局
当時は岡山放送局で新型コロナの取材にあたっていました。
佐々真梨恵
2014年入局
当時は岡山放送局で新型コロナの取材にあたっていました。
WEB
特集 新型コロナ 最前線で闘う隊員を苦しめた差別と偏見
2020年2月、横浜に入港したクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」。
3711人の乗員・乗客のうち712人が新型コロナに感染。日本で初めて集団感染に向き合う現場となりました。
クルーズ船に乗り込み、最前線で対応にあたったのが、DMAT=災害派遣医療チームです。
船内での医療活動と患者の搬送先の調整に奔走する隊員の前に立ちはだかったのはウイルスの脅威。そして、未知のウイルスへの恐怖に多くの人々がおびえる中、隊員たちに向けられた“差別と偏見”でした。
(おはよう日本 ディレクター 畑京介・ 佐々真梨恵)
集団感染は“災害”と同じではないか DMAT派遣の決断
阿南英明医師
「県庁に行ってみると、悲壮感が漂う状態で必死なんですよね。あの船の中に3711人が取り残されていて、あそこの中で患者さんが発生して、下船できない人たちが3700人いるわけですよね。この不幸な出来事をなんとか解決に導かなければいけないので、そのために何ができるのか。やるべきことは何なのか」
「県庁に行ってみると、悲壮感が漂う状態で必死なんですよね。あの船の中に3711人が取り残されていて、あそこの中で患者さんが発生して、下船できない人たちが3700人いるわけですよね。この不幸な出来事をなんとか解決に導かなければいけないので、そのために何ができるのか。やるべきことは何なのか」
阿南医師は、DMATの本分とは何かを考え派遣を決断します。
「船の中でどんどんどんどん患者さんが膨れ上がるということであるならば、これは感染症の事案であると同時に災害事案なわけですよね。日常の対応、通常の対応では対応できない。特別な対応をしなければいけない。これが災害っていうことですから、まさにそういう状況だろうと。であるならば、災害に対して医療を届ける災害時の医療というのはDMATの本分なわけですね」
医療が必要なのは陽性者だけではなかった
そして2月8日から、船内でのDMATの活動が始まります。
最初に直面したのは、感染者の急激な増加でした。
最初に直面したのは、感染者の急激な増加でした。
「毎日、陽性者が何人出るのかっていうのはものすごいドキドキする話で、多い日は一日、数十人出るわけですよ。もう絶望的な気分になりますよね。これを一日で降ろせるだろうか。そういう発想になってくる」
なんとか陽性者を受け入れてくれる病院を探し出し、搬送手段の調整を続けていったDMAT。
しかし、次第に状況が変わっていきました。体調不良を訴える乗客が増え始めていったのです。
しかし、次第に状況が変わっていきました。体調不良を訴える乗客が増え始めていったのです。
「船に乗っている方はかなりご高齢の方が多かった。さらにはご高齢であるがゆえに病気をお持ちの方も多いんですね。ふだんから治療薬を使っている。こういった方々が何日間も部屋に閉じ込められていると、やはり具合が悪くなることがある。もちろん感染をして具合悪くなる場合はありますが、感染をしなくても具合が悪くなるわけですね。そうするとこれは陽性か陽性でないかということは関係なく、あるいはもう陰性であっても優先的に患者さんを出さなければいけない」
そこで、DMATはコロナへの感染の有無だけでなく、高齢だったり、持病があって命に関わったりするなど、症状に応じ、緊急度の高い乗客を優先的に下船させることを決断。
適切な医療が受けられる体制を模索していきました。
適切な医療が受けられる体制を模索していきました。
「具合が悪かったら命が危ぶまれる病気もあるわけですよ、中には。心臓の発作、頭の発作ではないかって疑われる症例もあったわけです。だからこれはちゃんと優先しなければいけない」
最前線で闘う隊員たちに向けられた“差別と偏見”のまなざし
DMATの活動が始まった初期には、急激に増加する発熱者に対応するため、医師たちが船内で診療に。次第に症状の悪化などで搬送される患者が増えてくると、患者と離ればなれになり、クルーズ船に残った家族へのケアも必要になりました。
DMATは、患者に面会できるよう直接病院に家族を送り届けることもあったといいます。外国人も多く、コミュニケーションにも苦慮しながら、患者に対応するだけでなく家族へのケアも行いながら活動をつづけていたDMATの隊員たち。しかし、思いもよらぬ声が阿南医師の耳に届き始めます。
隊員たちに差別や偏見の目が向けられているというのです。
DMATは、患者に面会できるよう直接病院に家族を送り届けることもあったといいます。外国人も多く、コミュニケーションにも苦慮しながら、患者に対応するだけでなく家族へのケアも行いながら活動をつづけていたDMATの隊員たち。しかし、思いもよらぬ声が阿南医師の耳に届き始めます。
隊員たちに差別や偏見の目が向けられているというのです。
「DMATだと背中に病院の名前とか入っているわけですね。そういうベストを着て活動しているのがテレビで流れると、『その病院にコロナの患者さんを扱ったスタッフがいるんだ。ということは、その人が帰ってきたらこの病院にコロナが入ってくるかもしれない。この病院は危ない病院だ』。こういう連想がなされて、この病院に行くと危ないんじゃないか、この病院に行かない方がいい、あるいはこの病院に直接クレームの電話をかけてきた方もいらっしゃったというふうに聞いています。怖い病気を持ち込まないでほしいという思いがどんどんどんどん広まっていく。そうするとその矛先が時にこの船で対応した医療者に対しても向けられると」
さらに、そうしたまなざしは同じ医療従事者からも向けられていました。
当時、阿南医師が受け取った隊員たちからのメールの記録には…。
当時、阿南医師が受け取った隊員たちからのメールの記録には…。
「同僚の看護師から『あなたは感染源なんだから“ばい菌”』とののしられ、非常に傷ついた。」
「院長に謝罪を求められた。DMATに出動した人間は、悪者なのでしょうか。」
「(隊員たちは)『私はこの船に乗って、懸命にやっているのに、私はそんなに悪いことをしたんだろうか』と自問自答をしているわけですね。これはもう今であれば、『君は決して悪くない。いいことを本当に頑張ってくれたね』ほとんど全ての人がそう言うでしょう。だけどあの当時、未知のウイルスだと言われてみんなが恐れている状況の中では、たぶん言っている側も意識していない。無意識のうちに攻撃的な発言になる。で、言われた方は傷つくと。いじめの構図や昨今のSNSの問題に非常に似ていると個人的には思ってますけど、そういう構図になってしまったんじゃないかと思うんですよね」
そして、この事態は活動への大きな妨げとなっていきました。
出動予定だった隊員たちのキャンセルが相次いだのです。
出動予定だった隊員たちのキャンセルが相次いだのです。
「DMATというのは仕組み上、病院の派遣です。ですからご本人が行く行かないっていうことに加えて、病院長が行きなさいと許可を与えて派遣されるんですけど、病院サイドが止めちゃうわけですね。だから予定としてあさってから来ますよってなっていた人たちが軒並みキャンセルが入るっていうことが起きて。非常に難しい局面を迎えたというのはありましたね。ここはほんとは10人で対応するところが5人に減ってしまう。そうすると、線が細くなるわけですからこのスムーズな流れっていうことが全部滞ってしまうと。こういうことにつながっていくので非常に苦慮した点ですね」
そうした差別や偏見にさらされながらも、全国からかけつけた隊員は合計472人に上りました。
そして活動開始から23日後、全ての乗員・乗客の下船を完了させました。活動期間中、船内では1人の死者も出さずに、任務を終えたのです。
そして活動開始から23日後、全ての乗員・乗客の下船を完了させました。活動期間中、船内では1人の死者も出さずに、任務を終えたのです。
再び差別や偏見をうまないために
あれから5年。
再び未知の脅威にさらされたとき、差別や偏見といった同じような事態を繰り返さないために、私たちには何が必要なのか――。
再び未知の脅威にさらされたとき、差別や偏見といった同じような事態を繰り返さないために、私たちには何が必要なのか――。
阿南英明医師
「『いまは元に戻ってよかったね』ですませてはいけないことで、やっぱり振り返りをしなければいけない。みんながあの時にああいう思いで見ていたこと、ああいう思いで口に出していたことがあって、実は人を傷つける行為であった場面もあるし、困り事を発生させることにもなったんだとかみしめておくということが、次へのステップにつながるだろうと。
“未知”っていうのは怖いですね。分からないっていうのは怖いこと。怖がる権利は誰にでもあるだろうと思っています。そこから逃げるならまだいい。でも攻撃はしてはいけないだろうと。怖い、嫌だ、だから排除をする、攻撃をする。これはやってはいけないことです。『今、自分が知っている範囲ではこうかもしれない。だけど、もっと新しい情報が入ってきたら違う考えになるかもしれない』。そういったことをいつもかみしめて社会の中で運用していく。考えて、口にして、生活していくっていうことを習慣化しておくことが、もしかすると次の時にいきてくるかもしれない」
「『いまは元に戻ってよかったね』ですませてはいけないことで、やっぱり振り返りをしなければいけない。みんながあの時にああいう思いで見ていたこと、ああいう思いで口に出していたことがあって、実は人を傷つける行為であった場面もあるし、困り事を発生させることにもなったんだとかみしめておくということが、次へのステップにつながるだろうと。
“未知”っていうのは怖いですね。分からないっていうのは怖いこと。怖がる権利は誰にでもあるだろうと思っています。そこから逃げるならまだいい。でも攻撃はしてはいけないだろうと。怖い、嫌だ、だから排除をする、攻撃をする。これはやってはいけないことです。『今、自分が知っている範囲ではこうかもしれない。だけど、もっと新しい情報が入ってきたら違う考えになるかもしれない』。そういったことをいつもかみしめて社会の中で運用していく。考えて、口にして、生活していくっていうことを習慣化しておくことが、もしかすると次の時にいきてくるかもしれない」
取材後記
今回、阿南医師に取材を申し込んだのは、クルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」での出来事が、映画になると聞いたことがきっかけでした。
阿南医師へのインタビューは、誰も経験したこともない未知の脅威に、多くのリスクを背負いながら対応していたDMATをはじめとした医療者の方々の存在を改めて知る機会となりました。
当時は私たちも含め、多くの人が、日々流れてくる陽性者や死者の数に恐怖を覚えていたのではないでしょうか。けれど、その数字の裏には一人一人の人生があり、生活があることを忘れてはならないと強く感じました。
これからの社会でもまた多くの人にとって脅威になる事態が起こるかもしれません。その時に、自分の恐怖心をいたずらに人に向けることがないよう、しっかりと振り返り、考え続ける必要があると思いました。
(5月2日「おはよう日本」で放送)
阿南医師へのインタビューは、誰も経験したこともない未知の脅威に、多くのリスクを背負いながら対応していたDMATをはじめとした医療者の方々の存在を改めて知る機会となりました。
当時は私たちも含め、多くの人が、日々流れてくる陽性者や死者の数に恐怖を覚えていたのではないでしょうか。けれど、その数字の裏には一人一人の人生があり、生活があることを忘れてはならないと強く感じました。
これからの社会でもまた多くの人にとって脅威になる事態が起こるかもしれません。その時に、自分の恐怖心をいたずらに人に向けることがないよう、しっかりと振り返り、考え続ける必要があると思いました。
(5月2日「おはよう日本」で放送)
おはよう日本ディレクター
畑京介
2024年入局
当時はただの大学生だった自分が、こうして最前線に立っていた方のお話を伺えると思いませんでした。
畑京介
2024年入局
当時はただの大学生だった自分が、こうして最前線に立っていた方のお話を伺えると思いませんでした。
おはよう日本制作記者
佐々真梨恵
2014年入局
当時は岡山放送局で新型コロナの取材にあたっていました。
佐々真梨恵
2014年入局
当時は岡山放送局で新型コロナの取材にあたっていました。