人に内在する良心神(神言会)

神は言葉なりき。言葉は言霊で構成され、その言霊による神の仕組みを解説する神言会(kamikotokai.com)のプログです。
神言会では人に内在する良心神(この世の閻魔)とは何かを説明しています。

三つ星ベルト?。三種の神器と創造神の三位一体 その2

キリスト教では【三位一体】を言います。父と子と精霊です。どうやって、創造神たる神を父として、ナザレのイエスがその子で、聖霊達とで三位一体と言えるのかです。

 

それ自体はギリシャ語の「trias」の言葉から出たもので、言葉の意味は「3連構造」「3和音」「3つの徴」等です。英語で「トリプル」と言いますと「3人」を表したりしますが、その接頭語の「tri-」はギリシャ語やラテン語からなのです。

仏教でも「本仏」と「両脇仏」で三尊形式で祭ったりします。また日本神道でも「三社形式」で三柱の神を同じ社で祭ったりします。別にキリスト教だけで無く、仏教や日本神道でも「三位一体」の型はあるのです。ただ、キリスト教では【三位一体】の意味を取り間違えたと見られるのです。

 

 

私が今回受けた霊図は、私が天の御三柱神を表す徴として、少し前からマークとして出していた下記の図に近いものです。

 

以前に出していた図。

 

 

 

そして、今回出たのが

 

 

 

一つのベルトによって、その三つの力が「一体の力」となる

 

これまでは分散されていた三元の力(ミカド)が一つの力となって【臨む】です

 

 

大本教神諭には、【薩張(さっぱり)】で改めるとあります。この「薩張」は明治維新の薩摩藩(○十)と長州藩(三つ星)の連合軍のことですが、天の御三体の造化三柱神の総合力と地の「○十(地球マーク)」の連合軍なのです。

 

 

 

大本教が予告した【薩張(長)連合】とは

 

太陽(日)と月をも一新して治める【明治】維新

 

ある著名な行者さんが、大本教で起きたことは【神界クーデター(神様革命)】の失敗だと言われています。しかし、大本教は予告編であり、【本番】は大本教とは違って来る。このクーデターとは武力の行使であり、【クー・デ・タ】とも書きます。

 

そもそも「弥勒」とは、いよいよ始まる改革の力であり、○十の印には軍馬のあぶみ揃えが出ます。

果たして、江戸(穢土)城の無血開城で終わるのか?。それとも血の海(殺戮の丘)を見るかなのです。

神界における【最終戦争】が起きうる可能性があるのです。

 

私も少し前までは、【○十】の薩摩の意味はこの地球の徴だと解っていましたが、長州藩の意味が解けていませんでした。

 

長州藩が【天の御三体の造化神】の意味であることを最近になってようやく解けたので紋を変えたのですが、そこに【三つ力(三元)】の意味合いが解りませんでした。それが、今回出たことで、それが本当の【三位一体】と言えます。

 

そして、

 

三元神の力は「天帝の剣」として全霊界に裁きの開始時に臨み

 

三元神の鏡は汚れなき人の玉と獣(汚物)化した玉とに別けて

 

三元神より選ばれし者達はこの世を卒業の「翡翠」色の首飾り

翡翠は【羽根に非ず。羽根を卒業】する。本当の天人達に「翼」などは無いのです。

 

 

早くから世の【大立替】を宣伝して来た大予言者であった大本教の出口王仁三郎聖師は、その「大立替」を【宇宙開闢以来の大立替】で、三千世界(大宇宙)の大立替とも予告されました。

スピリチュアルでは、何もしなくてもこの地球が自動的に五次元界に上昇するのであって、悔い改めなどしなくても【神の愛】で全ての罪は赦されるのですと、実に安易なことしか言われません。

 

私は2番目の師匠の元で修業していた頃、こうしたスピリチュアルの人達の背後に居る霊の【サニワ(審神)】をしていましたところ、そのほとんどは霊界の年老いた蛇霊で聖書に書かれる霊力を保有した龍神と呼ばれる様な存在も含めて蛇霊系でした。この宇宙を創成して来たところの「龍神」とは別物です。

スピリチュアルと言う甘い言葉を使い、セッセセッセと大金を取るセミナーを催して、そのセミナーの受講者達に蛇霊を憑ける。

スピリチュアルと言う言葉に憧れて、そのセミナーに大金を支払って蛇霊を憑けられて帰って来る。蛇霊を憑けられたことにより、少しばかりの霊力を貰って霊が見えると喜んでいれば、死後の行き先は魔界とか地獄界になるのです。

 

こうした蛇霊達は、過去に神々に憑依して「国常立尊」様を地の神界の主宰神の地位から追いやることに成功しましたので、自分達が敗退するなどはあり得ないと思っています。

あの時、自分達は「国常立尊」を悪神として追ったことを天帝は承認されたではないか。まさか、その天帝が自ら天下って来る等、絶対にあり得ないと思っているのです。

 

私が初めて伏見稲荷山に上がった時、豊受姫は私に対して【貴方は言葉の神と呼ばれる貴き方。貴方の言葉による教えは天帝の「詔」と同じ意味を持ち、貴方の言葉の教えが聞けぬと言う神達は如何なる神であっても、ことごとく天帝により処罰されます】と言われました。

その時、私は豊受姫から【言葉の神】と言われてその意味がまるで解りませんでした。また、「天帝」などと呼ばれる神が直接に神々を裁くなど、途方もない話だと聞いていました。また、【言葉の教え】とは何だろうと思っていました。

 

何故、予告された審判が【最後】とされて来たのか?

 

天帝が自ら地上世界に降り立ってする審判なので、これが【最後】の審判となるのです。

そして、その審判で選ばれた者達は永遠の【みろく世】にと向かうのです。

 

天人界を訪問した人が天人達の噂話として、最後の審判が実施される。その審判は、各自の【良心】神の点数だと聞き及んだと言うように、最後の審判は【各自の良心神の点数】の判断であり、神の愛で全てを赦しますとはならないのです。

 

最後の審判は神界の神々による多数決ではなく、天帝の判断なのです。その時に多数決が民主主義だと言ってもダメなのです。誰がこの世をここまでひどくしたのかと、「詰問」されるのがおちなのです。

大本教神諭、「この世に出ている神達の心の持ち方が悪かった」なのです。

 

そこに、造化三元神の合同の力が必要なのです

 

 

 

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