観自在菩薩冥應集、連體。巻4/6・13/33
十三中山の観音を念じて水難を免るる事
摂州池田の奥古江村(大阪府池田市古江町)と云處に六右衛門と云者あり。常に漁を産業とせり。さんぬる元禄三年庚午の洪水に彼が家も夜中に押し流され逃げる間なく妻子共に四人家に居ながら漂ひ流されたり。さしも猪名河の早き瀬に浮きぬ沈みぬ流さるる程に岸の尖に突き当たりて洑(うずま)く水に巻き込まれ悲しやと云を最後にて妻子は刹那が間に沈み死しぬ。六右衛門は破れたる家に取り付て二里ばかり流されて其の破家も取り失ひ、後には渺渺たる水中に東西も分かたず漂ひ悲しさの餘りに観音を念じ奉りけるに不思議や水中に柳の木一本あり、其の枝に取り付きて暫く息を継けるに、又川上より橋板一枚流れ寄りしを便りとして取り放たぬやう様にしていよいよ観音の寶号を唱奉る程に漸く夜明けければ諸人見つけて舟にて助けたり。六右衛門必死の命を延る事偏に観音の御利生なりと悦び急ぎ中山寺に参りて五六年が間観音に奉仕し奉り深く殺業を慚愧して剃髪し名を浮木と改む。是實に盲亀の浮木の穴に逢へる悦びか又は観音の浮木を授け玉へる故に命助かりたれば長く忘るまじき為の名かるべし。彼の唐の成珪が観音の方便にて浮木を得て命を全うせるとw和漢域異なれども冥応一般なるものなり。さて妻子の横死せることを悲しみて三十三所を巡礼して回向し美濃の谷汲に通夜して一生の殺生業故に妻子まで餘殃を受けて横死せり。願わくは父母妻子の罪障を消滅せしめ玉ひ我等と衆生と共に生死の愛河を出離し佛果の岸に到らしめ玉へと涙を流して祈りける。その夜の夢に父母妻子麗しき衣服を著し顔色怡悦の色なるを見る。さては我が回向も届きて苦患を免れたるならんと悦び、倍々観音の御恩のありがたき事を感じ尊みけり。此の者正直なる性分故終に薩埵の感応を得たるものならんか。