これまで、自分と関わっていただいたすべての方へ。


 
 過去、twitterでの12年間の自分の発言を読み返し、これまで人間として争いを好み、他者への攻撃や、激しい言動があったことを、ここに謝罪いたします。大変申し訳ございませんでした。
 特に政治的でセンシティブな話題について、多くの無礼があったことを、重ねてお詫びしたいと思います。重ねてお詫びいたします。
 現在までの自分は、センシティブな話題に対して、不要な皮肉、当てこすり、不必要な攻撃性が含まれたツィートが複数あり、多くの人と争ってきました。
 この文章を残すのは、いまここで、これまで関わってきたすべての人と、これから関わる人に謝罪し、生き方を変えねばならないと強く思ったことが動機です。
 現在の自分はイラスト描きであり、小説書きです。
Twitterにイラストを上げる勇気が出ないとき、DMで友人に書きかけのイラストを見せて、いくばくかの勇気をもらい、ネットにアップしている人間です。
 その友人たちにだけは、恥ずかしくない生き方をしたいと思っています。
 自分のこれまでやってきたことが、多数の他者を不快にさせ、傷つけていたこと。これから先も、ネットの情報として、現在進行系で、この世界の何処かにいる他者を傷つけることがある危険性を悟った以上、きちんと形が残る状態で謝罪する必要があると感じています。
 そして、「あなたのツイートを見るのがつらいのでブロックします。ごめんね」という言葉を、おそらく沢山の人に、心のなかで言わせてきたんだろうと気づいて、後悔しています。

 https://twitter.com/kanenooto7248/status/1573970531941904384

 こちらのツィートでも謝罪したことでありますが、長文になりますが、改めて謝罪したいとおもい、このエントリーを書きました。
 この件について、誤解しないでいただきたいのは、誰かから謝罪を求められたとか、訴えられたということではありません。
 動機は、これまでの過去のツィートを読む機会があり、自分という人間を省みて、きちんと形の残る謝罪をし、ネットとの関わり方を変えたことを、宣言する必要があると強く感じたためです。

 
  
 現在は幸運にも社会復帰をしていますが、自分はインターネットを始めた頃、生活保護で暮らしていました。 
 2008年頃、精神病をブラック企業の激務で発症し、心身経済的に破綻した状態でした。
 体重も、薬の副作用と多大なストレスにより、80kgから122kgまで太り、もう自分はこのまま何物も残さずに死ぬのだろうと思いながら、ネットで無料で読める二次創作小説を眺めている生活でした。
 そんな、生活保護を受給し、ニートのような生活を送っていたときに、自分はネットの書き込みを、はじめて行いました。
 当時、知り合いから、とある外国人弱者支援の署名を集める手伝いを頼まれました。自分も知り合いを周り、署名を集めました。複数の署名活動があり、その中の一つでした。
 当時、自分にはある程度の信頼があり「まあ貴方の持ってきた署名なら間違いないだろう」ということで、少しだけ署名を集めることができました。そんな中、1人の中年男性の知り合いから極めて冷たい拒絶を受けたことを、いまでも覚えています。
 彼には、明らかに外国人に対する敵意がありました。
「困っている人がいたら名前ぐらい貸してくれてもいいじゃないか。なんでそんなに拒絶するんだろう」と思いながら、Google検索したところ、凄まじい論争が起きていました。
 ネット上で、そういった問題が大論争になっていた時代でした。
 自分は、当時は日陰者のオタク、生活保護を受けた経験、精神病で障害者という被差別とされる属性だったことから、攻撃される側に共感を勝手に覚え、ネットに入りました。しかし、もしも、自分が別の思想に染まっていたら、恐らくすさまじいヘイトスピーカーになっていた危険はあると思います。精神的な立ち位置はそれぐらい危うい状況でした。
 検索して見つけたブログのコメント欄にあった、ヘイトコメントに対してコメントしたのが最初でした。
 凄まじい論争になりました。
 そこからのめり込みました。
 正義感だったと思います。
 こんな理不尽なことがあってたまるか、と思っていました。
 以来、毎日、ネットで、歴史、政治、社会、国家、差別に対する複雑な感情と事情について、自分の半径5mとテレビ、ネット、図書館、手持ちのわずかばかりの本だけで、常に論争するようになりました。
 この話題には、終わりがありませんでした。
 歴史、政治、社会、国家、差別における論争には、様々な視点があり、終わりがなく、そして、「不用意な言葉が、名前の知らない誰かにも届いて、流れ矢になり、傷つけることもある」ということに全く無頓着でした。
 時代が狂っていたかと言えば、狂っていたのは自分でした。
 自分よりも間違っていると思える人を、批判することが習慣になりました。
 そうした問題に関わる際に、最低限必要な慎重さと責任を欠いていました。
 一面的に、理のあることを言っていることもありましたが、それ以上にセンシティブな分野にずけずけと踏み込んでいることを全く自覚していないまま、長い時間を過ごしました。
 多くの間違ったことも言って、あわてて訂正したり、赤面せざるをえないことも多くありました。
 排外主義、差別、風評被害、デマに反対するポジションを取ろうとしていましたが、いつ世界中の隣人に対して不当な攻撃をするかわからない、危ういポジションで論争しました。 政治家批判、社会批判、思考実験等も、出すべきでない単語や比喩を出したこともあり、いま読めば相当危ういことを言っています。
 当事者ではない問題について、ジャーナリストでも、科学者でも、政治家でもない自分が、踏み込む際に、必要な最低限の慎重さが欠けていました。
 それでも、デマや差別に対して、情報を訂正するという立場を取ろうとしていました。
 しかし、同時に攻撃的で、常に怒って、皮肉を言い、口汚く論争していました。多くの攻撃的な論争と発言は、怒りが習慣化したものでした。
 それが他者の助けになったこともありました。困っている人、犯罪の被害者を助ける機会もありました。全てが否定するべき行動だけではなかったとも思います。
 しかし、自分の場合、度が過ぎていました。
 明らかに、それにのめり込み、大量に投稿し、そして雑でした。
 わかりやすく言うと、レスバしつづけました。
 私が特に怒りを感じてバランスを崩したことは、原発事故以降に起きた放射能差別と風評被害の政治利用でした。それまで一緒に差別に反対しているはずの人々が、この問題について情報災害というべき風評被害を、容認・擁護する立場を取ったことに、裏切られたと思うと同時に、さらに激しく怒りました。
 同時に、それまで、事実に基づかない偏見・差別に反対していた人たちが、風評被害からの偏見・差別を容認・強化する側に回ったことについて、大きな衝撃を受けました。
 かつて信頼していた、メディア、学者、ジャーナリスト、政治家、オピニオンリーダーに対しても、怒るようになり、その怒りを全て書き込みました。
 それらの放射能差別と風評被害の問題は、現在進行形の、不当な、ただちに解決すべき問題だと、現在も思っており、その立場は変わっていません。
 しかし、自分には問題がありました。
ネットで諸問題に触れているうちに、あらゆる社会の現象、世界中の国家、人物、権威を、うさんくさいものとして捉え、あらゆるものに「不信と批判」という姿勢で臨んだことです。
 これは文字通り、あらゆる事象が胡散臭く、批判すべき対象に見えました。
 心のバランスを崩し、あらゆるものに噛みつきました。
 世界中のあらゆるものに、不信と攻撃的姿勢で臨むこと。それは単に、無礼で迷惑な人間です。
 かりに、そう思うことがあったとしても、全て怒りの感情のままに吐き出すのは、自分の発言を見る人間に対して、大きな負荷になるということに思い当たりませんでした。

 ネットで政治に関する話をしている人たちが、全員間違っていると言うつもりはありません。真摯に活動し、バランスの取れている人のほうが大半だと思います。
 多くの尊敬すべき方がいます。真摯に情報がもたらす偏見・差別・人命にかかわるデマの不利益に取り組み、デマを訂正し、正しい情報を拡散している方とも、幸運にも相互フォローしていただいています。
しかし、自分には毒であり、なにかに常に怒ることが習慣になりました。
 ニュースを見ては、あらゆる対象に、常に何かしらの皮肉を混ぜたコメントを、荒い言葉で行うことが習慣になりました。自分の愛する創作物に対する感想すら、攻撃的になっていきました。
 そして、社会や事件、人物、属性に対して、多くの荒い言葉を残しました。
 IT技術が発達し、世界中が繋がって、あらゆる価値観がぶつかれば、理不尽、不当に見えること、軋轢、社会問題が出てきます。
それらに反応し、怒りを向けようとしていました。
多くの人に対して怒っていました。
 そして、多くの友人を失いました。
 確かに、おかしいと感じることにおかしいということは重要です。
言葉の刃を抜かなければならないときが間違いなくあります。弁舌を用いることもあると思います。不当なことについては激しい言葉を使う必要性に迫られます。しかし、自分は、あらゆる問題に対して、明らかに度を越しており不必要かつ、雑に刃を振り回しました。
 12年間のうち、かなり多くの論争とレスバをしました。
しかし、そういう論争は、見せられる方も苦しくなる。
不意に、検索等で、使うべきでない荒い単語や発言を見つけた人たち。自分の創作から、ツィートを見た人間に、不意に流れ矢が刺さるという自覚が、欠落していました。自分が関わっている人に対する配慮が決定的に欠けていました。
 
 


 認めなくてはいけないのは、自分には、創作の才能はほとんどなかったのに、皮肉を言う扇動家と論争の才能がいくばくかあったということです。
 過去、最も論争していた時期です。
 ネット論客という恥ずかしい称号をもらったことがあります。
 なりたい自分から、程遠い名称ですが、そう呼ばれました。
 討論会に出るよう依頼が来たことがあります。
「そういうキャラクターとして売り込んで、金を稼ぐ道を考えたらいい」と勧められたことが、複数あります。 
その手の機会はすべて辞退し、断りました。自分を論客として扱って、お金を支払うという申し出は断ってきました。
 専門家でも、ジャーナリストでもなく、取材もしていないのに、訳知り顔でなにか語ることは、わりと得意な方だと思います。
 しかし、自分のなりたいものは、そこではありませんでした。
むしろ180°逆の方向にあることには、ずっと前から気づいていました。
だから、そういう生き方を潰すために、この文章を書いている面もあります。
 また、ツィートが大きくバズるようになったときから、他人のスキャンダルや個人情報に類するプライバシーを持ち込まれることがありました。
詳しくは書けませんが、明らかに普通の人間ならば、手に入らないはずの、本来ありえない情報をソース付きで送られることがありました。
「そういう売り込みがくるということ」に、
 心底ゾッとしました。
 そういう情報はいらないと、断りました。
 悪事を告発するのが仕事ではない自分に、そういう物を見せてくるということは、暴露・扇動をする人間として利用価値があると判断されているということです。
 暴露系とか扇動系として生きるつもりが自分にはありませんでした。
自分のなりたい人間像とはかけ離れていたからです。
 この判断は正しかったと思います。
「誘いをかければやりそうな人間。暴露に飢えて、危ない情報でも食いつくに違いない人間」と、自分は見られているのだと思いました。そうでなければ誘いなどかけらなかったと思います。
そういう誘いがもう二度と来ないように、
煽動や暴露でお金を稼ぐことをしないために、この文章を載せているという面もあります。
 この情けない文章を書いて、プロフィールに貼っておけば、もう二度と、他人の秘密を、売りこまれたりすることはないだろうと思います。
また、他者を暴露して注目を稼いだり、扇動する記事をネットで売ったりする生き方はできないだろうし、そういう依頼も来ないと思います。
 

 

 過去、自分がネットで活動するようになって、嬉しかったことはすべて、そういうセンシティブな話題について触れたときではありませんでした。
 生きていて、心の底から嬉しかったことは3回ほどあります。そのうち2つは創作に関することです。
 匿名で書いた文章を、いまさら、自分が書いたというのも気がひけるのですが、この際、全てさらけ出しておこうと思うので、書いておきます。

「コミケが早く復活してほしい。」
 https://anond.hatelabo.jp/20200626202903

 https://twitter.com/kanenooto7248/status/1573903372351983617
 どちらも、自分の拙い創作を、面白いと言ってくれた人がいたときでした。

 はじめてコミケで本を買ってくれたお兄さんに、自分の投稿掲示板に投稿した小説を読んで感想をくれた名無しの人に、渋谷で声をかけてくれた黒人のお兄さんに、「自分が過去にやった、どうしようもない、粗野で攻撃的な言葉をつかった論争」を、自信満々で持って見せられるのかと言えば、とても見せられない。顔を覆いたくなるような恥ずかしさを感じると思います。
 

 
 過去、多くの人と、創作を通じて交流しました。
 何度も、そういう話題から離れた方がいい、とやんわり諭されたこともあります。しかし、言葉ではなく、心で理解できたのが最近になってからでした。
「あなたのツイートを見るのがつらいのでブロックします。ごめんね」という言葉を、おそらく、これまで、沢山の人に、心のなかで言わせてきたのだろうと、今ならわかります。
「自罰がすぎるのではないか。気にし過ぎではないか」
「現在の言動を見ている限り。黙っていてもかまわないのではないか」
 この謝罪文を書くにあたって、複数人に相談し、そういう声もいただきました。
 しかし、自分は過去、高い道徳性を他者に要求して、あらゆるものを責めてきました。
間違った行動をした人、社会的なデマを撒いたり、明らかに間違っている情報や差別を撒いた人、迂闊な発言をした人について、そのまま訂正せずに開き直った数多くのケースに「なぜきちんと訂正して謝罪しないのだ」と迫ったことは多数あります。
 その分、自分が、過去、他者の精神に負荷を掛けて、多くの流れ矢を世界中の人間に放っていたことは、生き方として間違っていると気づいたことを認めずに、謝罪せずに済ませることはできませんでした。
 自分が、論争をしてきた相手、創作で交流した人、そんな自分をそれすらも許容して友人として交流してくれている人、これから出会う人、多くの人に対して間違いを犯していたことを認めずに、開き直ってこのまま謝罪せずにいることはできませんでした。


 
 
 ネットで現在まで関わったすべての人に、重ねて謝罪したいと思います。
 もうこれ以上、不必要に雑に怒り撒いて、他者を傷つけることのないように、この文章を残します。
 申し訳ございませんでした。



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