第四十五話:天命と覚悟 ~帝の深慮~
《前回までのあらすじ》
鎌倉の世より、謎の女性トモミクによって戦国時代へと誘(いざな)われた源頼朝。
当初は、源氏の血筋である同盟国・武田家を守ることが軍団の目的と聞かされ、織田・徳川両軍と激しく戦っていた。
しかし、軍団に秘められた多くの謎、そして自らの存在意義について少しずつ理解し始めた頼朝は、織田信長を死なせず、多くの武家を滅ぼすことなく安寧の世を目指すという、困難な道を選択。その実現のため、京に上り「惣無事令」を発することを決意した。
さらに、今の頼朝はこの時代における「二人目の頼朝」であり、「先代の頼朝」は秀長自身が誤って殺害してしまったこと、そして頼朝に寄り添っていた出雲阿国の正体が、古代の巫女・卑弥呼であった事、時を超える力を持つのは彼女自身であったことなど、衝撃的な事実を聞かされ、頼朝はその場で意識を失ってしまう。
頼朝は決意を新たに京の二条城へと入り、友軍や徳川への対応、朝廷工作に奔走する。その矢先、心労が祟ったのか、再び頼朝は吐血して倒れてしまうのであった。頼朝はこれ以上時の流れを別の時代から来たものが創り出すのではなく、"本来の時"に生きる者たちへ戻すべく、徳川家康に軍団を引き継がせることを模索し始める。そして、そのために頼朝が選んだ道とは、意外にも、まず家康に攻めかかることであった。
《主な登場人物》
源頼朝: 鎌倉幕府を開く直前にタイムスリップ。価値観の変化に悩みつつ、頼朝軍団を率い「惣無事令」を目指す。二条城にて病床に伏す。
源義経: 平泉で最期を遂げる直前にタイムスリップ。兄・頼朝に献身的に仕える軍略の天才。徳川討伐軍の総大将。
武田梓: 武田勝頼の娘。義経の妻。武田流軍学に通じ、現在は狙撃部隊の部隊長。徳川討伐軍に参加。
源頼光: 平安時代の武将。摂津源氏中興の祖。騎馬隊を率いる。徳川討伐軍に参加。
トモミク: 頼朝を導いた謎の女性。立花宗茂のはるか先の未来の子孫によって生み出された存在。
出雲阿国: 正体は卑弥呼。時を旅する巫女。頼朝の側近として京に滞在。
北条早雲: 戦国初期の大名。晩年にタイムスリップ。軍団のご意見番、外交役。
羽柴秀長: 織田家臣・羽柴秀吉の弟。信長を見限り頼朝へ。軍団の筆頭家老、優れた参謀。
羽柴篠: 秀長の娘で頼朝の正室。父譲りの才覚を持つ。頼朝隊の副将。
赤井輝子: 狙撃隊を率いる猛将。譜代衆。長浜城代。
源桜: 頼朝の娘。北条早雲に師事。安土城代。
源里: 頼朝の娘。武芸に秀で、義経隊の副将。
太田牛一: 少し未来の徳川の世からタイムスリップ。二条城代であり、頼朝の側近・参謀。
お市: 織田信長の妹。頼朝軍に加わり、京に滞在中。
源宝: 一色義満の娘。頼朝の養女。砲術に長け、義経隊の副将として徳川討伐軍に参加。
太田道灌: 室町時代の名将。文武両道。突撃隊を率いる。徳川討伐軍に参加。
[第四十五話 天命と覚悟 ~帝の深慮~]
天文十七年(1588年)六月。
義経、武田梓が率いる頼朝軍狙撃隊が、遠江国北部の要衝・長篠城を攻略していた、まさにその頃。
太田道灌隊、源頼光隊からなる頼朝軍突撃隊は、海岸沿いの街道を東進し、徳川方の重要拠点である浜松城(はままつじょう)へ向け、その進軍を続けていた。
太田道灌は、海沿いの街道、白須賀(しらすか)を抜け、吉美(きび)へと差し掛かろうとしていた。
斥候より、浜松城への援軍として駆けつけた加藤嘉明(かとうよしあきら)率いるおよそ五千五百の部隊が、太田道灌隊の進軍を阻止すべく、ここ吉美にて迎撃の態勢を取っているとの報が入った。だが、ほぼ同時に、別動隊である源頼光隊が、北方の井伊谷(いいのや)を抜け、三方ヶ原(みかたがはら)を経由し、すでに浜松城の背後へと迫りつつあった。それを知った加藤嘉明隊は、慌てて浜松城へと兵を引き、退却を始めたのであった。
(ふむ。これもまた、あの、源宝殿の見立て通り、か……)
道灌は、内心で感嘆していた。
(徳川軍は、城に籠っての徹底抗戦を選択せず、最後の拠点となるであろう駿府城、あるいは蒲原城(かんばらじょう)での決戦に備えるべく、道中の野戦において、少しでも我が頼朝軍の戦力を削(そ)いでおこうと、そう考えておるのであろうな……)
やがて、頼朝軍本隊は、浜松城下へと到達。そこでは、先の加藤嘉明隊に加え、浜松城から出撃してきた督姫(とくひめ、家康の娘)隊、さらには徳川に味方する、この地の国人衆たちも参戦しており、計一万あまりの兵力が、頼朝軍への迎撃態勢を取っていた。
頼光隊と道灌隊は、浜松城の手前で一旦進軍を止め、両隊が歩調を合わせ、一斉攻撃を行うための最終調整に入った。
その陣中にて、太田道灌は、副将である坂田金時に、声をかけた。
「…坂田殿。敵は、予想以上の兵を集めてきたものよな。駿府や蒲原での、最後の決戦となるであろう戦いに向け、家康は、もはやこれ以上の援軍など、到底出せぬものと、わしは思うておったのだがのう。
頼光殿の隊と、我ら道灌隊とで、北と西から挟撃できるとはいえ、一万もの部隊に対し、ただ単純な力攻めを仕掛けては、こちらの被害も、決して無視はできぬであろう。しかも、あの徳川の槍働きは、先の岡崎でも経験した通り、ちと、やっかいじゃからのう」
道灌は、ため息をついた。
「それにしても……。今、全てが、あの一見か弱く見える、軍師殿(源宝)の見立て通りに事が進んでおる、何ともはや……。
徳川が、こうして野戦で、我らの戦力を削ぎに来るであろうことも、また、それに対抗するために、我らが鉄砲隊を、あえてここに配属する必要性も……。全て、あの軍師殿が、先の軍議で話しておられた、まさにその通りのこととなっておるではないか。
今の、あの徳川の部隊を崩すに、十分なだけの鉄砲隊を、あらかじめ、我らが部隊に配備しておるがゆえに、此度の戦も、我が軍の被害も少なく、そして確実に勝てる、と……。そういうことなのであろうな」
「道灌殿が、それほどまでにおっしゃっておられる、気弱でありながら、天賦(てんぷ)の才を持つという、源宝様に、わたくしも、一度お目にかかりたいものですな」
坂田金時は、興味深そうに言った。
「はっはっは! まことに、面白き軍師殿じゃぞ、あの御方は!」
道灌は、快活に笑った。
「さて、坂田殿。頼光殿の隊へ、早馬をお願いいたしたい。
まず、頼光殿の隊に、北から断続的に、徳川軍に向け鉄砲を放っていただきたい。
その間に、我ら道灌隊が、東面より、騎馬隊をもって突撃をかける。
その後、頃合いを見て、頼光殿の隊にも、騎馬による突撃を加えていただき、
そして、最後に、我が鉄砲隊で、残党を追い払い、とどめを刺す
…と、そうお伝えくだされ」
「道灌殿、かしこまりました!」
坂田金時は、すぐさま伝令を、頼光隊の本陣へと走らせた。
やがて、頼光隊による、北方からの鉄砲斉射が始まった。
その斉射が、一瞬止んだ瞬間、道灌隊が、西側から、猛然と突撃をかけた。
道灌隊の将兵たちは、先の岡崎城下での、あの屈辱的な敗戦を晴らすべく、これまでにないほどの気迫で、徳川軍へと突撃を敢行していた。
「徳川軍よ、思い知るが良い! これこそが、まことの戦(いくさ)の作法(さほう)というものよ!」
太田道灌隊は、徳川軍槍隊による、先鋒へのあの痛烈な反撃を、力でねじ伏せるかのように、重厚な騎馬突撃を繰り返し、徳川軍の陣形を、中央から分断していった。
やがて、北方からは源頼光隊が、徳川軍の側面に向け、騎馬による突撃を加え、
そして最後に、再び西方からの、道灌隊の鉄砲隊による斉射が、混乱する徳川軍へと降り注ぎ、ついに、徳川軍は、完全に潰走した。
天文十七年(1588年)七月。
守備兵のほぼいなかった浜松城は、頼朝軍に包囲されて間もなく開城した。
源頼光と太田道灌隊は、その勢いを駆って、さらに東進。遠江国のもう一つの重要拠点である掛川城(かけがわじょう)をも、同月中に攻略、開城させるに至った。
一方、武田梓隊と義経隊は、山間部を、引き続き北上し、犬居城(いぬいじょう)から撃って出てきた大久保忠佐隊を、これもまた難なく退け、大久保忠佐本人を捕虜とした。そのまま、両隊は、犬居城を包囲すべく、進軍を再開した。
天文十七年(1588年)八月。
武田梓隊と義経隊は、ついに犬居城を開城させた。
また、時を同じくして、源頼光隊と太田道灌隊も、電撃的な速さで、遠江国最後の拠点、小山城(こやまじょう)をも攻略した。
徳川討伐軍は、いよいよ、徳川家康が籠るであろう、最後の拠点、駿府城(すんぷじょう)、そして蒲原城(かんばらじょう)を残すのみとなり、東海道の山間部と、海岸沿いの平野部、その両方から、同時に最終決戦地へと攻めかかる態勢を整えていた。
* * *
天文十七年(1588年)九月に入り、京の二条城では、関白・二条晴良(にじょうはるよし)が、朝廷からの正式な使者として、頼朝のもとを訪れていた。
この時、幸いにも、頼朝の体調はすこぶる良く、先の病が嘘であったかのように、何事もなかったかのような顔で、評定の間にて、二条晴良を迎えていた。
「勅使(ちょくし)として参上仕(つかまつ)り候(そうろう)、関白、二条晴良にござりまする」
晴良は、厳かな口調で言った。
「この度、源頼朝公に対し、主上(おかみ)より、畏(かしこ)くも有難き御沙汰(ごさた)がござりまして、本日、参上仕った次第にございまする。
主上におかせられましては、頼朝公が、朝敵・織田信長を追討し、長きにわたる戦乱を鎮(しず)め、天下に静謐(せいひつ)をもたらしたる、その比類なき大功を、深く叡感(えいかん)あそばされておられまする。
つきましては、本日、帝は、頼朝公を、内大臣(ないだいじん)に任じられる、との宣旨(せんじ)を賜(たまわ)り、こうして、この晴良が、御前(ごぜん)に罷(まか)り越したのでござりまする。まことに、これ、武門の誉(ほまれ)、これに過ぐるはござりますまい。
何卒、この聖恩(せいおん)に報いられ、内大臣の重責を全うし、いよいよ朝廷を尊奉(そんぽう)し、万民(ばんみん)安寧(あんねい)のために、今後ますます御尽力あらんことを、帝(みかど)ご自身も、深く御期待あそばされておられまする。これ、主上の御意(ぎょい)にござれば、謹んで、これを拝受(はいじゅ)せられ、いや増して王事(おうじ)に御精励(ごせいれい)あらんことを。
…との、有難き勅(みことのり)にござりまする」
頼朝は、晴良の前に進み出ると、その場で深々と頭を下げ、恭(うやうや)しく、その勅命を受けた。
「…二条様。この二条城までお越しいただき、また、かような、あまりにも有難き勅命を、わざわざお伝えいただきまして、まことに、痛み入り候。
この源頼朝、未だ徳薄く、その才もまた、浅き身にござれば、内大臣という、あまりにも重き大任、この身に余る光栄に存じ奉り、ただただ、恐縮の念に堪えませぬ。これもひとえに、主上の、海よりも深く、山よりも高き、御仁慈(ごじんじ)の賜物(たまもの)と、この頼朝、深く肝に銘じ申すべく候。
謹んで、内大臣の宣旨、確かに拝受仕(つかまつ)り、その任、お受けいたしまする。
この上は、主上の、その温情ある御期待に、決して背かぬよう、また、この度の、輝かしき御叙任の栄誉を、些(いささ)かも汚さぬよう、いや増して、朝廷を尊崇(そんすう)し、天下の静謐と、万民の安寧のために、この身命を賭(と)して、その職務に精励(せいれい)いたす覚悟にござりまする。何卒、主上へも、頼朝の、この偽らざる微衷(びちゅう)を、しかと、お伝えくださいますよう、重ねて、お願い申し上げ奉りまする」
一通りの、儀式的な、堅苦しい言葉のやり取りが終わった後、二条晴良が、ふと、表情を和らげ、頼朝に口を開いた。
「さて、内大臣殿。
かねてより、お話申し上げておりました、帝との謁見(えっけん)の儀でござるがな。帝ご自身も、内大臣殿と、直接お会いし、お話をされることを、それはそれは、楽しみにされておられるご様子。内大臣殿さえ、よろしければ、数日のうちにでも、その謁見の儀も、取り行われる運びとなりましょうぞ。
ちょうど、先の、内裏の修繕も、見事に終わり、帝も、たいそうお喜びでありましたゆえな」
「それは、二条様。諸々のお気遣い、まことに痛み入りまする。帝さえ、よろしければ、この頼朝、いつでも喜んで、参内いたしましょうぞ」
「それは、ようございました。それでは、その日時の詳細につきましては、この二条晴良の方より、改めてご連絡いたすゆえ、その折には、何卒、ご参内ください」
二条晴良は、そこで、ふと、意味ありげな笑みを浮かべた。
「…ところで、内大臣殿。かの『惣無事令』の儀は……もはや、お諦めになられたのかな?
先日、西国の雄・毛利とも、めでたく誼(よしみ)を結ばれたそうではないか。いっそのこと、その毛利を成敗され、天下に、その武威を改めて示された上で、征夷大将軍の宣下(せんげ)をお受けになり、堂々と惣無事令も発出なされる、というのも、一つの手ではあるまいか。
…それとも、そのご覚悟は、未だ、お決まりには、なられませぬかな、内大臣殿?」
「…二条様。
間もなく、織田家包囲網も、その効力を、完全に失いましょう。
そうなれば、ご心配なさらずとも、この日ノ本の世は、否(いや)が応(おう)にも、再び大きく乱れることとなりましょう……。
ですが……。
たとえ、織田家包囲網の効力が無くなったとしても、今の、この束の間の平和が、もう少しだけ続くやもしれませぬ。
また、もし、どこかで戦乱が起きたとしても、今やこの頼朝軍は、朝廷の、そして帝の、直轄の軍。朝廷の、その御名(みな)において、遠征軍を派遣し、その乱れを速やかに鎮(しず)めることも、できるやもしれませぬ。
今は……。たとえ、それが、仮初(かりそめ)のものであったとしても、この、穏やかなる平安の日々を、一日も長く続けたい。ただ、そう願っておりまする」
「…ふむ。申される通りかもしれぬが……」
二条晴良は、探るような目で、頼朝を見つめた。
「以前、初めてお会いした時よりも、どうも今日の内大臣殿は、その本音(ほんね)がどこにあるのか、ますます見えなくなってきておるように、この晴良には、感じられるのだが……。それは、わたくしの、気のせいですかな?」
「はっはっは! 二条様、ご心配には及びますまい」
頼朝は、笑って応じた。
「この頼朝が、朝廷より『惣無事令』を発していただきたい、と、そう強く望んでおる、その気持ちには、今も、何ら変わりはございませぬぞ。
ただし……。それが、あまりにも難しき道のりである、ということも、改めて痛感いたしました。
今は、惣無事令以外の道筋についても、同時に考えておる、ただそれだけのことにございます」
「そうであれば、良いのですがな。では、内大臣殿。数日中に、内裏にて、また改めてお会いいたしましょう」
頼朝と、その場に同席した太田牛一、大村由己、出雲阿国、そしてお市は、一斉に、深々と、二条晴良に頭を下げた。
* * *
二条晴良が、慌ただしく退散した後も、引き続き、家臣団は、頼朝を囲み、今後のことについて、話し合っていた。
「頼朝様。先ほどの関白殿下とのご様子、拝見しておりましたが……。お加減は、まことに大丈夫なのでございますか」
太田牛一が、心配そうに、頼朝に問いかけた。
「うむ。」
頼朝は、自らの掌(てのひら)を、じっと見つめながら言った。
「いままでの、あの体の重さ、そして息苦しさが、まるで嘘のように、今は、何事も無い。いや、むしろ、不思議なほどに、体が軽くなっておるのを感じる。
これであれば、帝との謁見(えっけん)にも、何の問題もあるまい。
…いや、それどころか、今すぐにでも、遠江の、義経の援軍に、馳せ参じたいほどじゃよ」
頼朝の顔は、以前と比較して、痛々しいほどに痩せ細ってはいるものの、その血色は、決して悪くはないように、牛一の目にも見えていた。
ただ……。ただ、その眼差しだけが、どこか現実ではない、遥か遠くの何かを見ているかのようであった。そして、以前の、常に迷い、苦しみながらも、必死に前を見据えていたあの頼朝とは、どこか、その雰囲気が異なっているように、太田牛一は、感じずにはいられなかった。
そんな牛一の、心の内の不安を、まるで読んだかのように、頼朝が、不意に口を開いた。
「…そうじゃ。
以前、わしが初めて参内する際には、都大路を多くの兵を引き連れる事を考えておった。だが……。此度は、帝と、ただ静かに、そして、誠意を尽くしてゆっくりと話がしてみたいのじゃ。
力が必要な時もあれば、逆に、あえて見せつけることが裏目に出る時もある。そのあたりの機微は、今のわしにも、正直良くは分からぬのだが……。いずれにせよ、帝への謁見の際には、供の者の護衛は、必要最低限の数で良い」
頼朝は、その場にいる者たちを見渡し、言った。
「今、ここに居る皆には、是非とも、一緒に参内をお願いしたい。じゃが、帝とは、できることならば、二人きりで、ゆっくりと話をしたい、そう考えておる」
「ははっ! 御意のままに!」
太田牛一は、一抹の違和感を、心の内に抱えたままではあったが、それでも、頼朝の、その言葉には、力強く賛同した。
「それから、阿国殿」
頼朝は、出雲阿国へと、向き直った。
「帝との謁見が、もし叶った、その暁(あかつき)には……。その後、岐阜のトモミクのところへ、参りたいと思うておるのだが……。案内を、頼めるか」
阿国は、頼朝のその言葉に、明らかに心配そうな表情を浮かべ、返答した。
「まあ、頼朝様。何も、頼朝様ご自身が、わざわざ岐阜までお運びにならなくとも……。トモミク様に、こちら二条城まで、お越しいただく、という形でも、よろしいのではないかと存じますが……」
「いや、阿国殿の、そのありがたい気遣い、感謝する。じゃが、今のトモミク隊は、確か、先の徳川軍との戦いの後、降伏した敵兵たちが、再び反旗を翻(ひるがえ)さぬように、尾張の那古野城に、布陣しておったはず。もし、かの地で万一のことがあれば、大事(おおごと)じゃ。岐阜までであれば、那古野からも、すぐに戻れるであろう。だが、この二条城まで、となれば、そうもいくまい」
頼朝は、穏やかに微笑んだ。
「それに……。わし自身も久方ぶりに、あの岐阜の森の澄んだ空気を、腹一杯に吸いたくなってのう」
「…はい、頼朝様。それでしたら、この阿国が、必ずや、頼朝様を、岐阜の地まで、お連れいたしまする。
ただし……。もし、また、ご体調が優れぬ、などという場合には、決して、ご無理はなされないように、と、それだけは、固くお願い申し上げまする」
「はっはっは! 阿国殿、案ずるな。わしは、このように元気じゃ。いや、もしかしたら、もう、どこも悪くはないのやもしれぬぞ」
頼朝は、努めて元気に振る舞ってはいたが、その場に同席していた家臣一同、誰一人として、頼朝の言葉を額面通りに受け止めることはできず、ただ、言い知れぬ不安と、一抹の寂しさを、感じずにはいられなかった。
* * *
数日後。二条晴良の手引きによって、頼朝は、ついに、正親町(おおぎまち)天皇との謁見(えっけん)を賜(たまわ)るべく、内裏(だいり)の奥深く、清涼殿(せいりょうでん)へと、通された。
二条晴良が、清涼殿の御簾(みす)の前へと進み出て、静かに、しかし、奥にまで、良く通る声で、帝に声をかけた。
「内大臣、源頼朝殿、ただ今到着されました」
御簾の奥、清涼殿の中より、か細くも、しかし、どこか透き通るような、威厳のある声が聞こえてきた。
「…うむ。内大臣、頼朝、入るが良い……」
二条晴良は、もとより、頼朝と帝とが、二人きりで話をする場を設定したいとの意向があった。彼は、頼朝にそっと目配せをすると、自らは、そのまま内裏の、自らの政務の部屋へと戻っていった。
頼朝は、一人、御簾の前へと進み、かしこまって、帝への挨拶の口上を述べた。
「内大臣、源頼朝、恐れ多くも天顔を拝し奉る栄誉を賜り、誠に恐悦至極に存じ奉りまする。主上(おかみ)におかせられましては、益々ご機嫌麗しく渡らせられますこと、慶賀の至りに存じ奉ります」
「うむ。内大臣、頼朝。面(おもて)を上げよ」
御簾の奥から、再び、穏やかな声が聞こえた。
「此度の参内、まことに大儀であった。そなたの、これまでの武功の数々、まことに目覚ましく、朕(ちん)もまた、頼もしく思うておる。
今後も、その勇武をもって、天下の安寧に、いっそう努めよ。そなたが、この度の内大臣の任を、よくよく務め上げ、朝廷のためにさらに力を尽くさんことを、朕も、そして日ノ本の民も、深く期待しておるぞ。
…まあ、しばし、くつろぐが良い」
「はっ! 勿体なきお言葉、まことに栄誉の至りにございまする!」
頼朝は、深く頭を下げた。
「…実はな、内大臣。そなたに会いたいと、強く思うていたのは、むしろ、この朕の方であったのかもしれぬ」
帝は、静かに、そして、どこか楽しむかのような笑みを、頼朝に投げかけた。
「なにせ、あの、古(いにしえ)の、鎌倉の世の英雄、源頼朝が、こうして、再び、我らが目の前に現れたからには、一度は、その顔を拝み、言葉を交わしてみたいと、そう思わぬ者など、この日ノ本には、一人としておるまいよ。
じゃが……。朕の知る、歴史書の中の源頼朝という男は、いささか、寂(さみ)しき御仁であったように思う。あるいは、その死期を、自ら悟っておられたのかもしれぬが……。
己の、まだ幼き息子たちのため、その脆弱(ぜいじゃく)な権力基盤を、何とか盤石なものとしようと、無理に入内(じゅだい)を画策し、そして、その願いも叶わぬまま、無念のうちに、亡くなられた、と。
そして、その、何よりも大切にしておったはずの、息子たちまでもが、あまりにも悲劇的な末路を、辿(たど)ってしまわれた……。
その、かつての頼朝殿が、こうして、再びこの世に現れ、今度は、いったい何をしたいと、何を願っておるのか。朕は、是非とも、そなた自身の口から、聞いてみたかったのじゃ。
特に……。あの、頑固者で、融通の利かぬ、二条晴良が、これほどまでに、そなたに対し心を開くというのは、まことに、珍しいことであるからのう。かつての、あの織田信長に対しては、それこそ、己が命がけで、朕を、そしてこの朝廷を守ろうと、必死になってくれておった、あの男が、じゃ」
穏やかで、どこまでも柔らかいその口調とは裏腹に、帝の言葉は、容赦なく、そして的確に、頼朝の心の、最も奥深いところを、鋭く突いてくるものであった。
「…恐れ多くも、申し上げまする」
頼朝は、言葉を選びながら、答えた。
「この頼朝は、天下統一を成し遂げるその直前に、この時代へと、呼ばれた者にございますれば。恥ずかしながら、この時代へ参りましてから、かの『吾妻鏡』などを拝見し、初めて、その後の、某(それがし)の、そして源氏の行く末を、詳しく知った、という次第にございます。
古(いにしえ)の征夷大将軍などと、呼ばれてはおりまするが、実際のところ、この頼朝は、天下静謐(てんかせいひつ)のため、と称し、ただただ残虐の限りを尽くしていた、まさにその頃の頼朝なのでございます」
「なるほど、なるほど。あの晴良が、『まことに面白き御仁よ』と、そう申しておった、その意味が、ようやく分かったわい」
帝は、楽しそうに笑った。
「自らを、『残虐の限りを尽くした』などと、平然と申されるとはな。いやはや、何とも、おかしきことよ。
聞けば、そなたは、『惣無事令』の発布を、強く願うてはおるが、征夷大将軍の位などは、もはや、いらぬ、とも申しておったそうじゃな。それは、まことか」
「はい。
古(いにしえ)の亡霊が、この時代において、またしても征夷大将軍になるなどということ、そして、天下静謐を成し遂げた者が、二度までも、同じように史書に名を残す、などということは、何としても避けねばなりませぬ」
頼朝は、きっぱりと言った。
「わたくしは、ただ、この時代の、真の天下静謐を成し遂げ、そして、我が軍が持つこの強き、しかし、同時に危うき力をも、全て朝廷へとお捧げし、その後は、今を生きる、この時代のものに、その力をお渡ししたい。ただ、それだけを考えておりまする。
子を思う、親としての気持ちは、かつての鎌倉の時の某も、そして、今のこの某も、何ら変わることはございませぬ。ですが、帝への入内(じゅだい)などといった恐れ多きことが、たとえ万が一にも叶ったといたしましても、自らの家族を、本当に守ることができるとは、もはや全く思いませぬので」
「…不思議とは、思われぬかな、内大臣」
帝は、静かに問いかけた。
「古(いにしえ)の、かの藤原道長しかり、あるいは、足利の世における、足利義満しかり。帝への入内を成し遂げた者には、確かに、大きな権力が備わる。
しかし、その一方で、帝という存在そのものは、実は、何もできぬ、無力なものなのじゃ。帝の、本来の役割とは、ただ、望まれる宣旨(せんじ)を出し、そして、ひたすらに、世の安寧を祈り続けること、ただそれだけ。
じゃが……その、ただの『帝』という名分を、ひとたび、己が盾として手にした者は、何と、恐ろしくも、そして強きものへと、変貌(へんぼう)してしまうことであろうか……」
「滅相もございません! この日ノ本が、こうして存在し続けておるのは、ひとえに、帝が、この国に、おわしますればこそ!」
頼朝は、慌てて反論した。
「これもまた、晴良から聞いたことじゃが……」
帝は、構わず続けた。
「内大臣は、かつて、こう申しておったそうじゃな。『武家は、ただ力を誇示するだけのもの。鬼は、どこまでいっても鬼でしかない。であるからこそ、朝廷からの、そのお墨付きこそが、覇権への野心を挫(くじ)くための、唯一の大義名分である』と。
しかしな、内大臣。そもそも朝廷は、いったい、どうやって、その『鬼』が、『正しき鬼』であるのか、あるいは『邪悪な鬼』であるのかを、見極めるというのか。
もし、万が一にも、邪悪なる鬼に対し、正義の宣旨を与えてしまったとしたならば、この世は、いったいどうなってしまうであろうか。その時、この、無力なる帝に、いったい何ができようか」
「……某は、鬼でございます」
頼朝は、静かに、しかし、はっきりと言った。
「そして、この世に、正しい鬼など、おそらくはおりませぬ。じゃが……鬼は、確かに、強くありまするゆえ、その身に多くの罪を背負いながらも、天下静謐への、その道筋だけは、つけることができるやもしれませぬ。
そして、その後に、その『鬼の力』を、この時代を生きる、正しき『人』へと、穏やかに渡すこと。それだけは、できるやもしれませぬ。そして、それこそが、この古(いにしえ)の罪人(つみびと)たる、某が、この時代へと、わざわざ呼ばれた、その唯一の目的なのでありましょう。
我が、愛しき弟・義経は……。
あまりにも、酷(むご)き兄を持ったがゆえに、まことに不憫な、弟でございます。
かつての鎌倉の世においては、某が掲げた、天下静謐という、その大義のための、いわば生贄(いけにえ)となり、非業の最期を遂げました。
そして、今の、この時代においては、このわが罪を引き継ぎ、再び天下静謐のための『鬼』となる、という、過酷な定めを与えてしまっておりまする。
ですが……。この、源頼朝と、源義経という、二人の『鬼の兄弟』は、いつの世においても、ただひたすらに、この日ノ本の静謐のみを目指し続ける、そのような鬼でございますれば……」
「…内大臣よ」
帝は、深く、静かに頷いた。
「朕は、この、あまりにも長きにわたり、この戦国の世と共に、歩んで参った。そして、鬼どころか、まさに鬼畜(きちく)ともいうべき者たちが、この日ノ本に蔓延(はびこ)る、その様を、ただ、ひたすらに、何もできぬまま、祈り続けることしかできずに、見つめてきた。
この朝廷、そして帝という存在が、いかに無力であり、この世の安寧に対し、何の力も持ち合わせておらぬか。そして、ただ、力ある『鬼』に対し、都合の良い『免罪符』を与えるだけのものであるならば……。
そのような朝廷など、もはやこの世に無い方が、良いのかもしれぬ。…内大臣、そなたは、そうは思われぬか。
しかし、だからと言って、この朕が、自らの手で、この朝廷を壊すわけにもいかぬ。あの、二条晴良のように、今もなお必死に、この朝廷を、そして朕を、支えようとしてくれておる者たちがいる限り、朕は、ただ、この国の平和を、祈り続けることとした。
だが……」
帝は、頼朝の目を、じっと見据えた。
「だが、もし、今、朕の目の前におる、その『鬼の兄弟』であれば……。その『免罪符』とやらを、与えてみても良いのかもしれぬ、と、そう考えるようになった。
もし、その鬼が、結果として、この朝廷そのものを、滅ぼすことになったとすれば……。その全ての責めは、この朕一人が、負うこととしよう。
…譲位は、その鬼たちに、朕からの『免罪符』を与えてからにするとしようかのう。
内大臣もまた、覚悟を決めるが良い。晴良が、そなたに伝えたように、この日ノ本を、真に安んずるためには、それを成し遂げるだけの、圧倒的な領土、そして力が、やはり必須じゃ。それこそが、そなたが『鬼』たる、その証(あかし)となろう」
「……某は……! この頼朝は、主上(おかみ)の、その御心に触れることができ、まことに、まことに、恐悦至極にございました……!
主上(おかみ)が、一日も早く、心からご安心して、穏やかなる日々をお過ごしいただけますよう、この頼朝、微力ながらも、精一杯、励みまする!」
帝の、これまでのあまりにも多くの、そして深い思いが、まるで濁流のように、自らの心へと、流れ込んできたような気持ちとなり、頼朝は目頭が熱くなるのを、必死に抑えるのであった。
頼朝は、心の底からの敬意と感謝を込め、帝に深々と頭を下げると、万感の思いを胸に、清涼殿から退出した。
* * *
二条晴良が、しばらくして、帝の謁見の許しを得て、清涼殿へと参上した。
「主上(おかみ)。先ほどの、内大臣とのご対面、いかがでございましたか」
「うむ。…あの内大臣の、心の内に秘めたる悲しみは、あるいは、この朕のそれ以上に、遥かに深いものやもしれぬな……」
帝は、静かに呟いた。
「己自身にも、そして、この世の全てにも、もはや何の望みも持っておらぬ……。朕の目には、そのように見えたが……。そなたは、どう思うたかな、関白よ」
「…おそらくは、内大臣殿は、もはや、そう長くは、ございますまい。こうして、主上に謁見できたこと自体も、あるいは、まことの幸運であったのかもしれませぬ」
二条晴良は、静かに答えた。
「そうか……。そういえば、『弟の鬼』が、天下静謐を成し遂げる、などと申しておったな。…であるならば、彼もまた、もう、全ての覚悟は、決めておるのであろう」
帝は、頷いた。
「関白よ。朕は、今しばらく譲位は、せぬこととした。まずは、あの鬼たちに、『免罪符』を用意してやらねば、なるまいゆえな。…良いな、関白よ」
「はい! この晴良、謹んで、主上(おかみ)の御心(みこころ)に従いまする!」
「そうか。…それと、関白よ。肝心なことを、忘れておったわい。
この、見事に改築された、内裏や、この清涼殿のこと……。
その礼を、あの内大臣に言い忘れておった。関白から、くれぐれも、よしなに伝えておいて欲しい」
「はっ。…主上(おかみ)は、清涼殿の改修、お気に召しておいででしたか」
「うむ。そなたの話を聞き、今日あの内大臣と話をして……ますます、気に入ったわ」
帝は、穏やかに微笑んだ。
「かしこまりました。それでは、これにて、失礼いたしまする」
二条晴良は、安堵と、どこか言い知れぬ悲しみとが、複雑に入り混じった表情を浮かべながら、新しく改築された、内裏の長い廊下を、静かに歩いていた。
源頼朝 戦国時代編 @Tempotampo
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