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12 心離れが迫る夜


「リュー(にい)! こっち、こっち」


 勇ましき牡鹿亭へ入るなり、奥のテーブルで食事をしていたアンナに呼ばれた。

 その声で、店内の人々の視線を一斉に浴びる羽目になったのは言うまでもない。


「リュシアン、おかえり。久しぶりじゃないか。元気でやってたのかい」


 満面の笑みをたたえたイザベルさんに、背を叩かれた。カウンターの奥からは、クレマンさんが笑みを向けてくれる。


「ただいま。すっかりご無沙汰してしまってすみません。お陰様で、相変わらず忙しくさせてもらっています」


 気恥ずかしさを抑え、それだけを告げるのが精一杯だ。突然にここを出て行ってしまったこともあり、後ろめたい気持ちもある。


 困り果てて苦笑していると、店を手伝っていると噂の母が、足早に近付いてきた。

 牡鹿亭のエプロンと頭巾を身に付け、従業員姿が様になっている。


「この子が散々お世話になったそうで、本当にありがとうございました。本人が戻ってきたら直接御礼を言おうと思っていたんです」


「いいのよ、サンドラさん。気にしないで。うちも大きな息子ができたみたいだって、主人とふたりで楽しませてもらったんだから」


「ありがとうございます」


 深く頭を下げる母を見て、なんだか複雑だ。俺にとってはふたりの母ともいえる存在を前に、どんな顔をすればいいのかわからない。


「ほら。リュー兄もこっちに座って」


「すみません。ちょっと顔を出してきます」


 腕を引いてくるアンナに助けられた。

 逃げるようにその場を後にして、シルヴィさんが待つテーブルへ向かう。


 今夜の宴は、シルヴィさんとアンナの呼びかけで実現したものだ。牡鹿亭を貸し切り、盛大に執り行われている。


「ジェラルドはこっちね」


 俺たちが話し込んでいる間に、セシルさんが側に立っていた。すかさず、兄の腕を取る。

 ふたりが向かったテーブルには、父の他にクリスタさんとソーニャが座っている。


 その隣のテーブルは、発明家のルノーさん夫妻、鍛冶屋のアランさん夫妻、ブリスさん。そこに、冒険者ギルドを運営するルイゾンさん夫妻という面々が揃っている。


「え? あれって……」


 思わず独り言が飛び出した。


 別のテーブルには、衛兵長であるシモンさんの姿があった。武装をしていないので、うっかりすれば見逃してしまうところだ。以前に大森林で助けた部下たちを連れ、今日の宴に参加してくれている。


 そしてひときわ目を引くのが、受付嬢のシャルロット、聖女のマリー、助祭のブリジット、幼なじみのデリアが座るテーブルだ。異色の組み合わせだが、まぶしく輝いて見える。


「みんな、好きな所に座ってくれ」


 続く仲間たちに声を掛けると、イヴォンは真っ先に女性だらけのテーブルへ向かった。


「仕方ない。お目付け役は俺がやるか」


 レオンもその後を追ってゆく。


「僕は師匠と同じ席に……」


「じゃあ、一緒に来いよ」


 ヘクターは人見知りをするのか、俺の側を離れようとしない。それが悪いとは言わないが、せっかく外の世界を知れる機会だ。勿体ないとも思ってしまう。


「やっと帰ってきた。寂しかったんだから」


 テーブルへ着くなり、シルヴィさんから熱い眼差しを向けられている。それが素なのか、酒に酔っているせいかはわからない。


 ユリスが同行できないことは事前に伝えてある。残念そうな反面、俺の心労が軽減されるならいいことだと喜んでくれてもいた。


「シルヴィさんにも色々と尽力して頂いて、ありがとうございました。助かりましたよ」


「なに他人行儀なこと言ってんの。当然のことをしただけよ。リュシーのためだもの」


 あっけらかんと言い放ち、酒で満たされたグラスを口元へ運ぶ。

 今日はさすがに軽装姿だ。少し安心した。


「簡単そうに言いますけど、マリーだってランクSに仕上がってるし。アンナとふたりで魔獣を狩ってくれたんですよね?」


「そうね。マリーにも同行してもらったけど、ほとんどあたしたちで逝かせちゃったわね」


「シル(ねえ)ってば、暴れ足りない、って文句ばっかりでさ。困っちゃったよ」


 骨付き肉を頬張り、アンナが不満を漏らす。


「だって、ちょっと突いただけで、みんなすぐに()っちゃうんだから。こっちはまだまだこれからなのに……やっぱり、あたしを満足させてくれるのはリュシーだけよね」


「色々な話を混ぜるのはやめてくださいね」


 それだけを告げると、目の前にエールの注がれたジョッキが置かれた。ヘクターには果実水が用意されている。


 酒を手に、シルヴィさんが立ち上がる。


「では皆様、改めまして。王都の救世主、リュシアン・バティストの帰還に乾杯!」


 そうして、宴は大いに盛り上がった。


「リュシアンさん、お帰りなさいっ!」


「ここでやるのか!?」


 シャルロットの愛情突進(ラブ・チャージ)を受け止めるなり、ルイゾンさんから険しい顔で睨まれた。


「ナルシスさんは……どちらに?」


「それはちょっと。俺にもわかりませんよ」


 泣き出しそうなブリジットに迫られたが、奴の行方を俺が知るはずもない。


「リューちゃん。元気そうでよかった」


「デリアもお互いにな。マリーの仕事を手伝いながら、魔法も練習してるんだって?」


「うん。マリーちゃん、教え方がすごく上手なの。癒やしの魔法なら任せてね」


 デリアの成長が自分のことのように嬉しい。


 みんなと言葉を交わしながらも、シルヴィさんの一言で酔いが薄らいだ。


「本当はサミュエルも誘ったんだけどね。別の街で商談があるとかで、断られちゃった」


「聞きましたよ。娼館の売り上げにも貢献してくれてるみたいですね」


「そうなの。競合店を押しのけて、オルノーブルの街では今や敵なしよ」


「へぇ……」


 シルヴィさんの弾む声を聞きながら、どうしても言葉が刺々しくなってしまう。

 サミュエルさんを認めたいのに、受け入れられないと反発する自分がいる。


「特典券っていうのを考えてくれてね。一回来店ごとにお客様に一枚あげてるんだけど、十枚溜めると一回無料でお店を利用できるの」


「なるほど。面白い発想ですね」


「それとね、精力剤と避妊薬を格安で仕入れてくれるの。精力剤はお客様に。避妊薬は従業員に無料配布してるんだけど、効果はあたしたちが身をもって体験してるじゃない」


「は? 身をもって?」


「そう」


 王都アヴィレンヌの宿での出来事が蘇る。


「あの時に飲まされたアレですか?」


「飲まされた、って失礼ね。リュシーだってノリノリだったくせに。何度も突かれて、あの時はさすがにダメかもって思ったわよ」


 酒を飲み、ソーセージに先端からかぶり付く姿が妙に艶めかしい。


「サミュエルさんは有言実行したわけですね。ってことは、シルヴィさんも本気で付き合いを考えるわけですよね?」


「まぁ、約束しちゃったわけだしね。とりあえず、友達として付き合ってみるのもいいかな、って思ってるところよ」


「アンナはいいと思うよ。いつまでも、リュー兄にくっ付いてるわけにもいかないもんね」


「それを言わないで。あたしだって、どうにかしなきゃいけないとは思ってるんだから」


 シルヴィさんが頭を振ると、後頭部で縛った黒髪が馬の尻尾のように揺れた。


 お互いに心離れの時が迫っている。それを強く感じさせる夜だった。

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