金属バットのおもしろさを言語化する /「性別は2個なんじゃ!」はポリコレ的にアウトか?
金属バットのおもしろさを言語化する。これほど無粋なことはない。が、その無粋を無粋と、知ってするのが「言語化」じゃ。よろしくお付き合いのほど。
また、金属バットは大量のネタを持っているが、今回は、先日行われたTHE SECOND 2025 決勝1回戦での「親戚の子に何をあげたらええか」というネタにのみフォーカスして論じることをあらかじめ断っておく。
で、早速ネタの解説に入っていくわけだが、これまた単刀直入に本題に入ってしまうと、これ、 ポリコレ的にアウトなのか?である。
というのもツッコミの友保が漫才の中で「黙れハゲ!やかましいんじゃボケ!性別はな!2個なんじゃ!」と言っているからだ。
「え?性別って2個じゃないの?」そう思う人もいるかもしれないが、これ自体が現代社会では非常に問題となる発言である。理由はとってもかんたんで、少なくとも「性別は2個ではない」からだ。
「性別が2個である」という信念はバイナリ規範とも言われていて、現代では否定されている。性別入力欄に「男」「女」とだけあるのはアウト。「男」が先なのも「女」を「第二の性」扱いするからアウト。
「そんなこと言うのは一部のサヨクがかった人文学連中だけじゃ!」と思う人がいるかもしれない。が、そうでもない。
たとえばMIT(マサチューセッツ工科大学)が開発している子ども向けプログラミング言語+プログラミング環境サービスであるScratch では、性別記入欄が「女」「男」「Xジェンダー」「その他の性別」「選択しない」になっている。マサチューセッツ工科大学。名前からしてゴリッゴリの理系だろう。
「スクラッチ?聞いたことないわそんなもん」。そう思う方もいらっしゃるかもしれないが、日本の小学校教育でもフツーに使われてるプログラミング学習教材である。そこからして「性別は2個」ではないのが当然の前提になってる。
「そんな外国の事例は知らん、ここは日本じゃ」。そう思う方もこれまたいらっしゃるかもしれないが、今まさに、筆者がこの記事を書いているコメダ珈琲で、お店のアンケートに答えようとしたら、性別欄はこれまた「女性」「男性」「ノンバイナリー」「言いたくない」である。
「ご自身がどちらの性別であるとご認識していますか?」。聞き方もいわゆる性別自認主義をとっている。女性が男性より先にくる。「言いたくない」だって当然アリだ。筆者も「言いたくない」にチェックを入れた。
「性別は2個じゃないなんてそんなバカな」。そう思う人は無理にここでそのことに納得してもらう必要はない。ここで筆者は「性別は2つである」という、あなたの強い思想を矯正しようとしているわけではない。大前提となる文脈をただ押さえているだけである。
要するに(敢えてそう言うが)「ええかわるいんか知らんけど、そういう考えもあるんやな」「結構一般的になっとるんやな」。そこだけ押さえてくれればいい。
そんな中、ツッコミ友保の「性別は2個なんじゃ!」は、そうした世の中の「アップデート」を否定する発言、LGBTQ+運動に対するいわゆる「バックラッシュ」的な言説とも捉えられかねない、というわけだ。
ここらへん「ポリコレ的に問題あるから金属バットが大嫌い」という層は、筆者の実感では結構存在している。好き嫌いは人の勝手なので、これまた筆者にそうした人の趣味を矯正する気は一切ない。ただ筆者が言いたいのはこれだけだ。
金属バットのこのネタでの「性別は2個なんじゃ!」はポリコレ的に「アウト」ではない。
アリよりのナシか、ナシよりのアリか。最終的に「ナシよりのアリ」だと筆者は判断する。その理由を説明しながら、金属バットのこのネタがなぜめちゃくちゃおもしろいのかを言葉にしていく。
さて、今回のTHE SECOND 2025での金属バットのネタ。そのテーマは「親戚の子に何あげたらええか」である。
小林: なんかあのおれさ、親戚の子がおんねんけどさ。
友保:あんたそんなんいてんねや。知らなんだ。どういう子なの。男の子なの。女の子なの。どっちなのそれ。
小林:性別を気軽に聞くな!(会場爆笑)
友保:マジでそうなんすよね、今。今そういう時代なんすよほんまに。
小林:でさ、その子がさおれの誕生日の時にさ、わざわざ似顔絵を描いてくれてさ。
そしてその「親戚の子」の誕生日のお返しに何を渡したらいいだろうか?というのがメインの話運びである。
ここで小林が「性別を気軽に聞くな!」で会場が爆笑しているのはなぜか。
「こういう人いるよなw」かもしれないし「思想強っwww」かもしれない。
でも、筆者はこれは後の展開を考えると何より「小林というボケのキャラクターがまともなこと=常識を言い始めた」の笑いだと思う。理由は「そう考えたときに金属バットの漫才が一番おもしろくなる」からだ。順に説明していく。
実際、「まともなこと」、つまり「性別を気軽に聞くな」は正しいという前提で漫才は進んでいく。だから友保も「マジでそうなんすよね、今。今そういう時代なんすよほんまに」と話を受けている。
性別を聞くのがおかしいだなんておかしい、ではない。それはやっぱり「今では聞くのはおかしい」ことだとはっきり言っているのが金属バットの漫才なのだ。
「親戚の子」から「似顔絵」をもらった小林はお返しに似顔絵を贈ろうとする。会場は笑う。友保は言う。
友保:あかんあかんあかんあかん。しける。あっか。お前知ってる?似顔絵って心のこもったゴミなんやで?
会場は大爆笑する。
ここまでのなんとなくの雰囲気として、そしてボケという漫才上の役割として、小林は「とにかく常識からズレたヘンなことを言う」キャラクターのように捉えられている。友保の言葉をそのまま使えば小林は「ラリってる」というわけだ。
その「ラリってる」小林相手に話をなんとか進めようとするが、結局「親戚の子」の誕生日プレゼントに何をあげたらいいのか、話が噛み合わないため、ちっとも答えにたどりつかない。業を煮やした友保が言う。
友保:親戚の子がどんなもんかわからんとアドバイスできんさかいにさ。堪忍やけどそれ男の子なの?女の子なの?どっちなの?
すると小林が言う。
小林:性別で人をくくるな!
こう言われて、ついにブチキレた友保が「思わず我を忘れて」次のように言ってしまう。
友保:黙れハゲ!やかましいんじゃボケ!性別はな!二個なんじゃ!
そして「は!しまった!」という表情でなんとか自分をフォローしようとする。
友保:諸説ございますよ? 諸説ございます。すみません。あたしが古い人間なんで......。
「ラリった」=ボケの小林が「突然まともなことを言う」ので、それにペースを見出され、「常識」「世間」=ツッコミであるはずの友保がつい化けの皮はがれて釣られて「ラリって」しまう、その瞬間に飛び出してくる言葉として「性別はな! 二個なんじゃ!」があるというわけだ。
ということはどういうことかというと、ここの「おもしろさ」を理解するためには「性別は2個ではない」を(その瞬間だけでも)「常識」として受け入れていなければならないってことだ。
常識が非常識に揺さぶられる。常識と非常識の境界が揺らぐ。だから笑いはおもしろい。そして金属バットの漫才は、異端に見えて、「ボケ=非常識がツッコミ=常識を困らす」そんな「どストレート」の王道漫才だったりする。
いや、違うんだ、小林は始終おかしなことを言っているのだ。そのおかしなことの一つとして、政治的に「思想が強い」こと、「性別で人をくくるな!」「性別を気軽に聞くな!」があるのだ。それをネタにして笑っているのだ。ポリコレ的に大問題だ。
そう言う人がいるかもしれない。が、まったく違う。というのも、先ほど筆者は「「ラリった」=ボケの小林が「突然まともなことを言う」」と書いたが、この漫才を見返してみると、ハッと気づくことがある。
基本始終正しいことを言ってるのは「ボケ」の小林で、基本始終おかしなことを言ってるのが「ツッコミ」の友保なのだ。
試しに小林の発言だけ抜き出して順番に見ていってほしい。
小林:ゴミ?お前似顔絵もらったら捨ててんのか?
小林:ちっちゃい頃欲しかったもの?お父さん? すごいほしかったんやけど。
小林:子どもは親選ばれへんもんな。
小林:(30代で今一番ほしいものは?と聞かれ)ヤクルトでつくったマラカス?
小林:(2番目にほしいものは?と聞かれ)駅直結のタワマン?
小林:(大人には消え物をあげるべきだと言われ)じゃあおれはお前に似顔絵をあげたらええんやな?
小林(60歳になった人には一発変わったもんを贈らないといけない、何だかわかるか?と聞かれ)ヤクルトでつくったマラカス?
小林(70代には何を贈ればいいかと聞かれて)ジョア?
小林:(もらった似顔絵を)ビリビリにやぶいてさ、それを全部肩たたき券にして、オカンの誕生日にプレゼントしたんよ。
流れの中で聞くと、始終おかしなことしか言ってないかのように見えるのだが、冷静に見返してみると、ゾッとすることに、基本、小林は変なことは何一つ言ってないのである。
強いて言えば「今一番ほしいもの」が「ヤクルトでつくったマラカス?」と答えるのは「ヘン」かもしれないが、「何がほしいかなんて人それぞれ」だろう。むしろ本来は人それぞれであるものを「年齢」や「性別」で決めつけるほうがおかしいのではないだろうか。
さらにゾッとするのは「60歳になった人には一発変わったもんを贈らないといけない、何だかわかるか?」と聞かれて小林が「ヤクルトでつくったマラカス?」と答えていることだ。ヤクルトでつくったマラカスは一般的には「ヘンなもの」と捉えらるという「常識」も小林は完全に理解しているのである。
せっかくもらった似顔絵をビリビリにやぶいて、それを肩たたき券にして、オカンの誕生日にプレゼントするというのも、よく考えてみたら変なことだろうか? ただ処分するわけにもいかないし、心のこもったものだから、心のこもったプレゼントとしてアップサイクルしてるだけだ。
70代にジョアを贈る。漫才の流れの中では笑いになっているが、①健康に役立つ、②大人には消え物を贈るという2つの定石をむしろきれいに満たした素晴らしい贈り物ではないだろうか。
そして、この発言の中に他と同列のものとして、
小林: 性別で人をくくるな!
小林:性別を気軽に聞くな!
が入っているのである。
要するに「ボケの小林の発言は実は終始真っ当な常識の範囲内」であり、だから、そこでの発言を全体としての常識だと考えるべきなのだ。少なくとも金属バットの漫才を理解する者であれば。
他方であらためてツッコミ(それは「世間」の「常識」の代弁者であり、オーディエンスと同じ立場に立つものとされる)の友保の発言だけ抜き出して並べてみてほしい。その暴力性に背筋が凍りつく。
友保:似顔絵って心のこもったゴミなんやで? もっとええもんあげんと。
友保:(小さい頃小林がほしかったものはお父さんだと聞いて)ごめんごめんごめん、あんたんちそうやねんなあ。堪忍なあ。
友保:(二十歳超えたらお父さんなんか必要ないという小林に対し)そんなん言うなよお前。
友保:ラリってんのか、お前、おい。
友保:(友保には似顔絵を贈ったらいいのかと言う小林に)そんなん言うなよお前おい。お前似顔絵を消えもんみたいに絶対言うなよ!
友保:ちゃんとしたことを正しく言うのが正解じゃないねん。アホやなお前は。日本人やろ。空気読めハゲ。
友保:(ヤクルトでつくったマラカスについて)あんなやかましいゴミ、年寄りに渡すなおい。
友保:70代は逆に似顔絵やねん。消えもんより先に消えよんねん。ぼんち師匠なんか似顔絵でかまへんねん。
友保:イカレてるやんけお前の親戚!
友保:あんた優しく静かに狂ってるやん!
他人の事情や心理を十分に想像せず、勝手に思い込みで判断する(「親を必要ない」と言うことがなぜ「そんなん言うなよ」になるのか)。「ラリってる」「狂ってる」「イカレてる」と他者を「正常」から排除し一方的に「狂気」とだけ認定する。高齢者に対し「もうすぐ死ぬ」と言い、似顔絵を心がこもってるだけの「ゴミ」と言う。
挙げ句の果てには「ちゃんとしたことを正しく言うのが正解じゃない」などという不条理この上ないことを言い、そんなこと「日本人」ならわかるやろ=「わからんお前は日本人とちゃう」とまで言い切って、小林の頭を思いっきり遠慮なく引っ叩くのである。
友保が体現している(そしてオーディエンスと共有している)「常識」とは、「日本人」のみをその構成員とする閉鎖的で他者排除的な「世間」でしかない。
そして、そんな「世間」の「常識」の並びの中にあるのが、
友保:男の子なの。女の子なの。どっちなのそれ。
友保:堪忍やけどそれ男の子なの?女の子なの?どっちなの?
という発言であり(人間を「それ」って.....)、
友保:黙れハゲ!やかましいんじゃボケ!性別はな!二個なんじゃ!
なのである。
金属バットの漫才は、おそらくポリコレ支持者からは蛇蝎の如く嫌われているだろう。一見したかぎり、表面上の言葉だけ見れば、彼らの漫才は「狂ってる」「ラリってる」「イカレてる」「ゴミ」「もうすぐ死ぬ」。汚くドきつい言葉のオンパレードだからだ。彼らの「ファン」を自称する人たちにも、そうした「トガってる」部分を愛好している人は少なくないのではないか。
けれども、その漫才を構造的に取り出して冷静に分析してみると、彼らが「笑って」いるのは、むしろそうした言葉を使う「世間」という「常識」の側だということがわかる。人に簡単に「イカレてる」「ラリってる」と言う側こそがラリってる。ノーマルではない。
そしてこの文章をここまで読んだ人全員に正直に答えてほしいのだが、小林が冒頭、
小林: なんかあのおれさ、親戚の子がおんねんけどさ。
そう言ったとき、あなたはこの「親戚の子」を何歳くらいだと想像しただろうか。
性別を決めつけたらあかん。それを揶揄するような漫才は許せない。ポリコレに反する。
そう批判するあなた自身が「それがおもちゃとかゲームも興味ないらしくてさ」とまでヒント出してもらってるのに「年齢を勝手に想定して話を聞いて」いたりしないだろうか。
もしあなたが逆に「金属バットは尖ってるからおもろい」と、表面的な言葉づかいや「ポリコレかどうかギリギリをせめるセンス」で笑っているのだとしたら。
これまた自分たちはこのネタの本当のおそろしさとおもしろさをわかっているかどうか、一度自問してみてほしい。金属バットのネタで笑われているのは、自分たちの常識を一切疑わない「あなたたち」なのかもしれないのだから。
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読んでくださりありがとうございます。一生懸命「おもしろい」と思って野暮な分析を書きました。こんなことをここで言うのもなんなのですが、先週から無職になってしまい、収入の当てもありません。
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コメント
1私の作成した文章を読んで、オッサン認定しだすような読み方する人間は、たぶん金属バットの漫才では笑われる側なんだろうな……。
ツッコミ側というのかな。
私は、たぶんボケ側。
ツッコミ入れてくる連中の方がだいぶヤバすぎて、ズレすぎてるなぁと思っちゃった。