日韓関係の「今昔」,反日だとか嫌韓だとかいいつのっていたら,天皇さんが嫌がっていたのでは? 最近,女子アナ♥上納問題でへたれつくしたフジテレビ が一昔前の2015年6月5日,池上 彰を講師にして放送した番組を詮議してみる(前編)
※-0 『前口上』 「反日だとか嫌韓だとか,いつまでもこだわっていたら,天皇の明仁さんが嫌がるのでは?」という話題,いまから10年前にこの文章を書いて公表していたが,最近まで冬眠していたこの記述を2025年的に復活させ再論する
もちろん2015年の時点は,日本に特異な元号制度でいうと平成27年であった。本ブログ筆者の場合だと,この西暦と元号がそれぞれ何年になるのかについては,机の上に常駐させている換算表をみないと,即座には口から出てこない。いつもその換算には「一瞬だがイラッ!」とさせられる。
また現在は令和の元号を使っている時期だが,このほうに関係する天皇徳仁は,オヤジが生きているときに退位したので,このオヤジはいまでは「上皇」様という呼び名になっている。
さて,江戸時代から明治維新への時代変遷を生きてきた福沢諭吉が,明治5年の1892年に出版した『学問のすすめ』は,冒頭の一節いおいて,「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと言えり」と解説したそうである。
もっとも,現在の天皇・天皇制の実態に対して「人の上に人を造らず人の下に人を造らず」などと唱えたところで,いかほどに効能のありうる詮議ができるのか,にわかには判断しかねる。
数日前であったが,ユーチューブサイトの『一月万冊』の出演者の1人である元博報堂勤務で現在は作家を名乗る本間 龍は,「私は天皇のことは天皇と呼ぶし,陛下などとはけっして呼ばない」と断わっていた。
本間はそのことを述べるさい,自分の両親(とくに母親のこと)が戦争中において苦労した事実に触れ,本間自身は戦後生まれだから,この母親から聞いた「1945年3月10日」未明からの米軍がおこなった東京下町大空襲の被害者(の子どもの世代になる)のだと強調しつつ,「だから天皇のこと」を陛下を付けて呼ぶ必要などないと断わっていた。
戦争末期における天皇家側に対する配慮として,こういう点があった事実は有名である。つまり「深夜に間違った空襲警報を発令すれば天皇の睡眠を妨げる」と判断した当直の陸軍参謀は,空襲警報の発令が遅らせたとの部下の証言があった,という話。
明治時代というよりは大正時代後期から昭和戦前期にかけて,実際にはできあがっていく「神国日本論」の,いわば「八紘一宇」路線的な旧大日本帝国の侵略主義国家体制を,阻止できるような政治思想を構想し,これを実践しえた各分野の活動家がいないわけではなかった。だが,当局側の徹底的な弾圧のもとでは,1933(昭和8)年を頂点にして,彼らの政治活動は徐々に芟除されていった。
結局,福沢諭吉の教育・学問にも暗い影を落としつづけてきた,明治謹製になる天皇制国家の支配原理は,彼なりに努力を傾注してきた啓蒙運動のありようをもってしては,とうてい基本から変質などさせられなかった。この事実は見落すことのできない動向であった。
福沢諭吉が本気で「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」と説いていたとしたら(「言えり」と解説するだけではなくて・・・),1835年に生まれ,1901年に死んだ彼の人生は多分,人為的な要素がくわわり,もっと短縮させられていたかもしれない。
日本においては「天」という思想が「天皇・天皇制」の枠内に横奪,回収されてきたのだから,この天:天皇に向かい「あなたは」「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」の立場にある人だなどと問うたところで,実にむなしい発言でしかありえなかった。「天の上の人」とその「下の人」との間でとなれば,そもそもまともな対話が成立しえない点は,あえて問うてみるまでもなく明瞭であった。
福沢諭吉は,初出を1882(明治15)年4月26日~5月11日とする「帝室論」『時事新報』時事新報社(1882:明治15年5月)を書いていた。この全文はネット上でも読める( ↓ )。
この福沢諭吉『帝室論』は,ある意味では途方もないくらい「ヤマト国,マンセー!」になっていた。まず,冒頭の一句がこう宣言していた。さきまわりして断わっておくが,これは事実ではなく理想的に傾斜したかたちで,語りたかった福沢のいいぶんである。
帝室は政治社外のものなり。苟も日本國に居て政治を談じ政治に關する者は,其主義に於て帝室の尊嚴と其神聖とを濫用す可らずとの事は,我輩の持論にして,之を古來の史乘に徴するに,日本國の人民が此尊嚴神聖を用ひて直に日本の人民に敵したることなく,又日本の人民が結合して直に帝室に敵したることもなし。
さらにしばらく読んでいくと,こういう理解を示した段落が出ている。なおこの引用では,読みやすさを配慮し,適宜に改行を入れた。太字強調も引用者。
人或は我帝室の政治社外に在るを見て虚器を擁するものなりと疑ふ者なきを期す可らずと雖ども,……帝室は直接に萬機に當らずして萬機を統べ給ふ者なり。直接に國民の形體に觸れずして其精神を收攬し給ふものなり。
專制獨裁の政體に在ては,君上親から萬機に當(あたり)て直に民の形體に接するものなりと雖ども,立憲國會の政府に於ては,其政府なる者は,,唯全國形體の秩序を維持するのみにして,精神の集點を缺くが故に,帝室に依頼すること必要なり。
人生の精神と形體と孰れか重きや。精神は形體の帥(すゐ)なり。帝室は其帥を制する者にして,兼て又其形體をも統べ給ふものなれば,焉(いづくん)ぞ之を虚位と云ふ可けんや。
若しも強ひて之に虚位の名を附せんと欲する者あらば,試に獨り默して今の日本の民情を察し,其數百千年來君臣の情誼中に生々したる由來を反顧し,爰に頓に國會を開て,其國會のみを以て國民の身心を併せて共に之を制御せんとするの工夫を運らしたらば,果して大に不可なるものありて大に要する所の者あるを覺ふ可し。
其要する所のものとは何ぞや。民心收攬の中心にして,此中心を得ざるの限りは,到底今の日本の社會は暗黒なる可しとの感を發することならん。左れば帝室は我人民の依て以て此暗黒の禍を免かるゝ所のものなり。之を虚位と云はんと欲するも得べけんや。讀者も心に之を發明することならん。
以上のごとき福沢諭吉のいいぶんは,要するに,明治維新以降の日本における天皇・天皇制の維持と運営にとってみれば,その「必要・不可欠論」になっていた。
令和という元号を背負って登場させられた天皇徳仁は,女房の雅子と連れてだって先日,『産経新聞』が報道した記事によると,つぎのように説明された日程を,「ご公務」(?)としてこなしていた。
どのように反映されているかと観るべきか
ところで,本日に復活させる話題は,10年前にいったん公表した記述であったゆえ,以上のような,福沢諭吉の「天皇・天皇制」論,1世紀以上も前の,遠い昔における言説に関しては,いっさい触れるところはなかった。
しかし,本日の記述となれば,福沢の天皇・天皇制に関した論説は結局,天皇論としては無条件に天皇を肯定し,是認する政治思想しかうかがえなかった。その意味では,明治期になってからの言説ではあったものの,ごく最近における関連の議論にも十分に通底しうる実質を含んでいた。
大日本帝国憲法の制作は,つぎのように解説されてもいるが,福沢諭吉はこのような制定の方法をたどった明治の憲法に大いに賛同はしても,けっして,明治初期における自由民権運動を,そのまま歓迎する者ではありえなかった。
つぎの史料「説明」に聞こう。
対抗できる日本にするかということであった
それゆえ「天皇あってのこの国」という政治思想をイデオロギー的に
国民(臣民)のなかに浸透させるために明治憲法を立案・制作した
伊藤博文たちがドイツにいって法学者の
ローレンツ・フォン・シュタインやルドルフ・フォン・グナイストら
の助言をえて大日本帝国憲法を制定した
英や仏や米の法学者に学ぶよりは
ドイツ(欧州のなかは政治体制が相対的に遅れており封建遺制がまだ残っていた)
の政治思想を摂取したほうが都合がよいと受けとめたからである
※-2『フジテレビ』が2015年6月5日に組んで放送した「池上 彰の放送番組」をめぐり議論する
この※-2がとりあげる題材は,平成天皇が2001年12月23日(誕生日)であったが,『百済王の子孫が桓武天皇の生母だ』というふうに,天皇家の大昔に実在していた『〈ゆかり〉発言』をめぐる出来事となる。この話題は,日韓関係史に関しては基本的にほとんど無知であったに等しい,あるいは,教えられてもこなかったともいえる「日本庶民の側に特徴的であった情報不足」にも関係していた。
1)「『百済王の子孫が桓武天皇の生母』明仁天皇,韓日の縁を強調」『中央日報』日本語版,2001年12月23日21時34分,https://japanese.joins.com/JArticle/22347?sectcode=200&servcode=200
日本天皇が古代韓日間の交流事実と韓国とのゆかりを強調し,「2002年韓日ワールドカップ共同開催を機に,両国民の理解と信頼感が深まることを願う」と述べた。
明仁天皇は68歳の誕生日を迎えた〔2001年12月〕23日,特別記者会見を開き,韓日両国の人的・文化的交流問題に言及しながら「韓国とのゆかりを感じている」と話した。日本の天皇が韓国との歴史的交流事実をとりあげながら両国の関係に対して具体的な立場を表明するのは異例だ。
2002年3月20日号の表紙
明仁天皇は「日本と韓国との人びとのあいだには,古くから深い交流があったことは,日本書紀などに詳しく記されている。韓国から移住した人々や招聘された人びとによってさまざまな文化や技術が伝えられた」と韓日関係について話しはじめた。
補注)まだ『中央日報』の引用途中であるが,こういうふうに当時においてとりあげられた事実を,先に注記しておきたい。日本のマスコミ界は,そのころにおいてはほとんどが,この天皇発言を黙殺した。なにか気に入らない点があったと観るほかあるまい。
〔記事に戻る→〕 天皇は「こうした両国の文化交流は日本のその後の発展に大きく寄与したことと思っている」とし,「私自身としては,桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると続日本紀(しょくにほんぎ)に記されていることに,韓国とのゆかりを感じている」と話した。
天皇は「武寧王は日本との関係が深く,この時に五経博士が代々,日本に招聘されるようになった」とし,「武寧王の子・聖明王は日本に仏教を伝えたことでしられている」と付けくわえた。天皇は,宮内庁楽部の楽士のなかには当時の移住者の子孫で,代々,楽士を務め,いまも折々に雅楽を演奏している人がいると紹介した。
天皇は「しかし残念なことに,韓国との交流はこのような交流ばかりではなかった」と強調した。 天皇は「ワールドカップを控え,両国の人びとが,それぞれの国が歩んできた道を,個々の出来事において正確にしることに努め,個人個人としてたがいの立場を理解していくことが大切と考えている」と述べた。
註記)以上,前記の http://japanese.joins.com/article/347/22347.html?sectcode=&servcode= から。
2) 原田曜平稿「大人が知らない,『新・韓流ブーム』の真相-韓流は,日常生活に溶け込むステージへ」『東洋経済 ONLINE』2015年2月13日,https://toyokeizai.net/articles/-/60106
この記事からは適当に取捨選択的に抄録する。以下では中略した個所があるが,いちいち断わらない。文体も変更,補正してある。原田曜平は,博報堂ブランドデザイン若者研究所リーダー。
★-1 『ブーム』から『定着』へ
筆者(原田曜平)は,日本とアジアにおいて,若者の価値観やライフスタイルの研究をおこなっている。ここ数年,強く感じるのは,日本以外のアジア各国で,「韓流」が『ブーム』から『定着』に完全に移ったことである。
日本では日韓関係のこじれも影響してか,以前よりは韓流ドラマや韓流アーティストをメディアで目にしなくなっているので,韓流ブームを一過性のもの,過去のものととらえている人も多いと思う。
ところが,アジア各国で若者たちとインタビューすると,たとえば,超親日エリア・国である台湾やタイでも,意外な声を聞く。筆者はアジア各国で現地の若者たちを現場研究員として組織し,彼らと協同して若者研究をおこなっているが,彼らからじかに聞く日本,また韓国の印象が以前とは大きく変わっている。
日本がかけ声にしている「クールジャパン」はさほど浸透しておらず,少なくともアジア全域の若者のあいだでは,「クール」という言葉は「韓流」にとられかけてしまっている,といった実情にある。
★-2 若者がハマる「新・韓流」とは?
2004年「冬ソナ」を皮切りに始まった韓流ブーム。年配の女性を中心に,幅広い世代で人気を獲得し,若者もK-POPや韓国ドラマに熱狂した。その後,ブームは一段落したかにみえるが,実はいま,若者のあいだでは当時とはまた異なる,新たな韓流ブームが巻き起こっている。
それは,韓国発のコンテンツを「受動的に」受け入れていた第1ブームのころと違い,こんどは韓国文化を自身の日常生活のなかにとり入れはじめる若者が出てきている。
まずは「整形」である。日本ではこれまで,整形する若者は必らずしも多くなかった。だが,最近,気軽に整形をする女子をみかけるようになった。彼女たちの特徴は「韓国の女の子のあいだでは当たりまえだから」と口をそろえることである。
つぎにファッションへの影響をみると,かつての韓流ブームでは,韓流アイドルの服装をおしゃれだと思い,まねする人はそう多くなかったと思われるが,現在は模倣する若者が増えている。「韓国のファッションリーダーをまねするだけで,簡単に周囲からオシャレになったといわれる」。
韓国のはやりものを日常生活にとり入れる動きも強まっている。日本とは違う,韓流の文化そのものに引かれていると思われる傾向があるのは,興味深い。
★-3 総評:若者消費は今後の有望市場
日本における韓流ブームは,一時に比べると目立ちにくくなっている。しかし,いまでも韓流スターが東京ドームでコンサートを開くと満員になっているし,もちろん大多数ではないものの,それなりの数の日本の若者たちのあいだでも,アジア同様,韓流が定着していることが分かった。
とくに今回,現場研究員が報告してくれたように,整形・美容・ファッション・カップルアプリ・ダンス・セルカ棒など,日本の若者のライフスタイルと近しい部分で,韓流がアジアの中心になっていることが分かる。
日本はいま,未曽有の少子高齢社会となり(実は韓国も似た状況であるが),エンタメ領域を中心に(たとえば,「月9」枠で恋愛ドラマが減るなど),若者をターゲットにした商品やサービスも減っている。
しかし,アジア市場に目を向ければ,中国では10代で2億人以上,20代で2億人以上の人口がいるし,東南アジア各国の平均年齢は20代の国が多い事情がある。日本の多くの企業が,高齢者市場だけではなく,若者領域にも目を向けないといけない時代になっていると思う。
--ところで,出版界では,竹田恒泰『日本はなぜ世界でいちばん人気があるのか』(PHP研究所,2011年1月)」が2010年12月の発売以来,続編2巻を含め81万部を売り上げ,ベストセラーとなっていた。また,テレビでは当時とみに,外国人が《日本の素晴らしさないしはスゴさ》を賛美する内容の番組が人気を博していた。
こうした動きについて,東京大学大学院の高橋哲哉教授は,「社会が不安定になる度に日本礼賛のブームが起こった」とし,「日本人の偉大さをことさらに強調するのは,それだけ自信がないことの裏返しであり,危険な兆候」だと述べた。
註記)「『嫌韓』に続き日本メディアにあふれる『日本礼賛』,教科書にも=韓国ネット『日本人の劣等感の表れ』『「韓国はそんな幼稚なことはしない』」2015年6月7日(日)7時0分,http://www.recordchina.co.jp/a110740.html 参照。
補注)2025年現在でいうと,SNSでもとくにユーチューブサイトにはいかに日本はいい国なのか,すばらしい国であるとか,それはもうとてもうれしそうに,あるいは必死になって訴求しようとするその種のサイトが多い。
たとえば,新幹線の安全性・快適性は世界一だし,各国の人びとが実際に認めているとか,日本の食べ物はすごくうまいし,芸術性すら高く感じさせる,外国人たちも,自分の国ではこのような繊細で上品で,しかもともかくおいしい料理は,食べられないとか,日本の街は清潔で安全である点は実にすばらしいとか,べた褒め状態のそれら動画がネット上にあふれている。
しかし,その同じ日本のなかではローカル線がどんどん廃止されていることや,地方都市においてはシャッター街の道路がすでに出つくしたとみられる程度にまで拡大してきたこと,
あるいは,一日3食すらまともに口にできない貧困世帯・家庭の子どもたち〔だけでなく老人たちなど〕が大勢いる事実,
さらには,リニヤー新幹線工事の関係で大規模な道路陥没事故が起きているが,これ以外にも各地で似たような事故が多発している,この国に目立ち始めているヘタレ具合を
直接目にしないで済む外国人(の観光客など)は,観光地めぐりで日本のキレイな景色を観賞でき,高給ホテルでていねいはおもてなしを享受され,おいしい和食などもあれこれ堪能できるからといって,彼ら・彼女らが「ワタシ,ニッポン大好きよ!」と称賛してくれる分には,なにも世話はない。せいぜい,あなたたち訪日した観光客の立場から,しっかりとインバウンドに大いに貢献してね,と期待しておきたい。
以上の話でもうひとつ,とくに気になる点があった。それは,外国人観光客という実在を意識して話しをする場合,これは主に白人系からえられた発言・感想・印象にもとづく「事例の説明」が,そのかなり大きな比率を占めていた事実である。
〔記事:本論に戻る→〕 韓流ブームに対する反動と思われる日本社会側での「庶民意識のひとつの動向」が,最近のテレビ番組で流行っている感のある, “すごいですね,日本は! ” といったふうの「例の放送」である。
この種の「みずから・ヨイショ・する日本礼賛」番組を視聴していると,それもだいたいは「白人系統の外国人」を出演させて,そのように「日本・日本人・日本の歴史や文化や伝統を褒めさせている」。この面では「白人外国人コンプレックスの裏返し的深層心理」がないとはいえない。
もっとも,そのような番組の制作・放映をもって,日本人側がただひたすらいい気分になれるというのは,それじたいべつに悪いことではなく,むげに否定する理由もない。
だが,この種の感情がいつの間にか,腸捻転的に脱線(脱腸?)したかのようにしてだが,嫌韓・反韓意識のほうに横すべりしていく様相は,奇妙な現象であった。「相手を褒める」のに飽きてしまったのか,それとも「自分を褒めてほしく」なったのか,そのへんの気分に関する重点移動は,ここでは微細にはうまく説明できない。
なお筆者の本棚には,竹田恒泰『日本はなぜ世界でいちばん人気があるのか』(PHP研究所,2011年1月5日発売)の第4刷(1月28日増刷)があった。筆者の場合,どういうわけがあったかよく記憶にないが,188頁のところで読み捨ててあった。本文は207頁まであるから,もう少しで読み終えるところであったが,それ以上読む気を喪失していた。嫌気が差してしまったのか,そこまでで本を閉じたと記憶する。
だが,なにせ本書の内容は,手前味噌や我田引水,自己陶酔の部類が多く,いささかならずウンザリ感を抱かされていた。それで188頁で読むのを中断していたらしい。元皇族の血縁者が《天皇万々歳の論調》でものを書いた本である。この手前味噌で身内褒めだらけの本は,マユツバの精神で接しないと,天皇尊崇を迫られそうにもなるごとき「トンデモな本」である。
「なんだか自信が湧いてくる」どころか,「なんだか気が抜けてくる」ような,元皇族血縁者による自慰行為満載の本であった。
★-4 竹田恒泰の堂々たる在日への「差別と偏見」
大阪の読売テレビの番組:「たかじんのそこまで言って委員会」は,2013年10月20日の放送で,「在日特権を許さない市民の会(在特会)」によるヘイトスピーチ(憎悪表現)の問題をとりあげていた。
補注)以下,ウィキペディアに書いてある説明である。屋敷隆仁(やしき・たかじん;1949年10月5日~2014年1月3日)は,日本のシンガーソングライター・タレント・司会者・ラジオパーソナリティ。大阪市西成区出身。本名は家鋪隆仁で,主に関西ローカルの番組に出演していた。
やしきたかじんの出生については,フリージャーナリストの角岡伸彦がこう説明している。やしき本人の死後,「父・権三郎は在日韓国人1世であり,たかじんは母親の籍に入り日本国籍となり,家鋪姓を名乗った」と。
出所)上の画像の出所は『NEWS まとめもりー 芸能・ニュース・V I P まとめプログ』http://www.akb48matomemory.com/archives/1014117310.html から。
〔記事に戻る→〕 このサイトでは「大阪市西成区出身。在日韓国人2世。本名は家鋪隆仁。血液型はO型。主に関西ローカルの番組に出演していた。愛称は「じんちゃん」「たかじんさん」「たかじん」など,と解説されている。
角岡によると芸能界に入る前,たかじんは友人であり,のちに彼の詞を書くことになる荒木十章に泣きながら,「実は親父は韓国やねん」と語ったことがあった。荒木は「親父が在日韓国人というのはコンプレックスになってたんでしょうね。当時のことやから,就職のことなんかを考えると,しんどいなというのはあったと思うんです」と語っている。
補注2)角岡伸彦『ゆめいらんかね やしきたかじん伝』小学館,2014年9月,第1章「ルーツ」参照。自分の出自を徹底的に隠したたかじんの人生は力道山に似ている。
しかし,力道山は1世であった。力道山は「ルーツを隠した」が,たかじんは母親の姓を名乗っていることから分かるように在日2世(だがもともと日本国籍)であって,必死に隠していたようである。
ふつうは父親が韓国人であれば韓国籍をもつ場合がほとんどあったから,たかじんは異なっていた。けれども,父親の出自を「隠さねばならない自己認識(アイデンティティー)の不安定さを,意識的と無意識的とを問わず精神的に抑圧しながら,彼は生きてきたことになる。
〔記事本文に戻る→〕 この番組にパネリストとして出演した竹田恒泰は,「在特会が活動したおかげで在日の特権の問題が明らかになった。たとえば,通名というのがあって,日本人の名前に変えることによって,犯罪歴や金融関係の経歴を全部消すことができ,また新たな犯罪ができる」と,得意げに述べていた。
これに対し,在日外国人の人権保障にとり組む大阪市のNPO法人「コリアNGOセンター」(郭 辰雄代表理事)は2013年10月22日,「在日への差別や偏見を助長するものだとして,読売テレビ局の望月規夫社長あてに抗議分を提出するとともに,放送倫理・番組向上機構(BPO)にも審理を申し立てた。
10月23日に竹田氏は自身のツイッター上で,こう反論・弁解していた。--『そこまで言って委員会』の私の発言について読売テレビに抗議があったようだが,私は在日特権について事実を述べただけのことであり,まして在日を差別する発言はしていない。私はこれまで「在日は日本の宝」といいつづけてきたと。
註記)竹田恒泰@takenoma『X』9:43 AM · Oct 23, 2013,https://twitter.com/takenoma/status/392813602941329408 参照。
しかし,この竹田の弁明は「在日問題のイロハ」さえしらない者がいうせりふでしかなかった。在特会の痴的レベルに嵌まったかのような意見であった。
竹田は当時,慶應義塾大学で非常勤講師を務めたこともあったらしいが,その仕事を世話した有名な憲法学者の小林 節(慶應義塾大学法学部教授)はその後,竹田のいいかげんぶりにはほとほと呆れたらしく,その講師の口を雇い止めにしておき,封印せざるをえなくなっていた。
ところで,在日(韓国人)側からいわせれば,たとえば,こういう日本社会の事情が潜んでいる。
民族名(韓国人の「姓・名」)を使うことによる入居差別は,現在も続いている。ある人は,東京で事務所を出すさいになんども断られた経験がある。永住権があり収入が安定していても,貯金があっても保証人を用意できても,それらとはいっさい関係なく,まず「名前(姓名)」だけで判断される。
大阪では雇用のさいに通名使用を強要されたとして,「イルム裁判」もおこわれたりもしている。民族名を名乗らせない日本社会の土壌が控えている。そういう事実が数え切れないほどあることを,竹田氏をはじめとする出演者や番組関係者はまったくしらなかったのか? 差別から逃れるために同化させられていることをしらず,分かったように通名を語ることこそ,「特権」じゃないのか。
註記1)http://www.logsoku.com/r/2ch.net/newsplus/1382663978/ このリンク先住所は現在不詳,削除されている。
註記2)『統一日報』2013年10月30日「『在日への差別や偏見,助長』作家・竹田恒泰氏の発言に抗議」も参照。
竹田恒泰『日本はなぜ世界でいちばん人気があるのか』は,受けとめ方によっては「軽いノリ」でのお国自慢といえなくもないが,まともな理由もたしかな根拠もないまま,在日問題に関しては,竹田自身の無識ぶりをもろにさらけ出していた。
しかも,「元皇族の血筋」を売りモノに活躍していた人物の発言だけに,問題は単純ではなく,彼自身が意図的に,特定の悪意を醸成させるためであるような発言を,乱発してきた。
たとえば,竹田の同書は「わが国は明治時代以降も,大東亜戦争を含め,非戦闘員を攻撃の目標にする作戦を立てたことはない」(124頁)などと,完全に妄想としか思えない非現実的・反歴史的な記述をおこなっていた。率直にいって「バカ丸出しの説法」。これでは,小林 節先生,呆れる前に,きっと怒りを沸騰させたかもしれない。
補注)竹田は作戦のことを指摘しているが,そうではなく,「戦史のなかで実際に旧日本軍が実施してきた作戦の結果」が問題であった。ひとつだけその実例を挙げるとしたら,重慶への無差別爆撃があったではないか。
重慶爆撃は,日中戦争中の1938年12月から1941年9月にかけて,大日本帝国陸海軍航空部隊が,当時中華民国の首都であった重慶に対して反復実施した大規模な空襲である。
ここでは出さないでおく
この人--元皇族とはいっても明治後期に〈創設された宮家〉一族に,血統的につらなっていたうちの1人でしかなく,父親の恒和もそうであったが正式に皇族(華族)の一員として生まれてはおらず,皇族としての履歴はいっさいない--の本の場合,
そこまでも無知な状態のまま,つまり「バカらしさばかりに富んだ発言」をするのには,いたしかたない面もあったとはいえ,せめてその内容のなかで「バカな記述をするのも休み休みにしなさい」と,警告しなければならない中身を「満載」した本であった。
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【未完:断わり】 本編の続編「後編」のリンク先住所は以下である。
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