本当にすごい人はすごそうに見えない
2024年3月3日(日)朝の6:00になりました。
シンプルであることは、複雑であることよりも難しい。
どうも、高倉大希です。
気持ちよく話せるのは、相手が自分よりも優秀な証拠である。
相手の聞き方が上手だからこそ、自分が気持ちよく話せるというわけです。
争いは、同じレベルの者どうしでしか発生しない。
これもまた、同様の考え方から生まれた言葉だと思われます。
本当にすごい人は、話している最中に相手の思考を追い越します。
その上で、まるでずっと隣にいるかのような相槌を打ってくれるのです。
なんとなく「右へ行くのかな?」と仮説を立てました。でもこの時点ではあくまで仮説でしかありません。大きな字で「右へ行け」と書いてあるわけではありませんから、仮説には正しいはずだという確証も自信もありません。(中略)その直後、右から出てきたクリボーに気づきます。右に行くという行動が正しいかどうかという不安の中、クリボーに出会ったら......さあらあらためて問います。クリボーを見つけたプレイヤーがよろこぶ理由とは?こたへは「右へ行って正解だった!と、よろこぶ」です。
ゲームをつくる人は、プレイヤーが喜ぶ姿を想像してプログラムを組むそうです。
自分たちがつくったゲームで楽しんでほしいという、極めて純粋な想いです。
しかし、実際に注力するのはプレーヤーが喜ぶ瞬間のプログラムではありません。
それより前に、どんな仕掛けを施すかが重要だというわけです。
喜ぶ姿から逆算して、必然性をつくります。
プレイヤーの思考を追い越して、喜びをつくるのです。
いい文章の条件としてぼくは、「苦労の跡がどこにも見当たらない文章」や「最初からそのかたちで存在していたとしか思えない文章」を挙げた。
だからといって、意図が見え透いてはなりません。
ウケを狙いすぎた発言が、まったくウケないのと同じです。
相手を思いどおりに動かしてやろう。
そのような発想ではうまくいかないところも、とてもおもしろいポイントです。
だから、本当にすごい人というのはすごそうに見えません。
本当にすごい人のすごさは、巧妙にカモフラージュされているのです。
つまり、才能とうのは、「ご褒美を見つけられる力」のことなんじゃないだろうかと。「なしとげること」よりも、「なしとげたことに対して快感を感じられること」が才能なんじゃないかと思うんですよね。いってみれば、ご褒美を見つけられる、「ご褒美発見回路」のようなものが開いている人。
自己顕示欲がどうのとか、承認欲求がどうのとか。
そんなことを言っているうちは、まだまだなのだろうなと思います。
この世の中、すごい人だらけです。
そしてくり返しになりますが、そんなすごい人のすごさはすごそうに見えません。
いやいや、実際にすごくもなんともないんだよ。
すごい人は、いつだってこう言います。
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コメント
2すごそうに見えないひとは自分よりすごい人を知ってるから( *´艸`)
@野原綾さん
コメントありがとうございます。
どんなことにも上には上がいますからね( ̄ー ̄)ニヤリ
@野原綾さん
コメントありがとうございます。
まわりの人が勝手に思っているだけですね。