人に内在する良心神(神言会)

神は言葉なりき。言葉は言霊で構成され、その言霊による神の仕組みを解説する神言会(kamikotokai.com)のプログです。
神言会では人に内在する良心神(この世の閻魔)とは何かを説明しています。

魂を磨く⑮/人は【霊(ヒ)止(ト)】故に、誰しも霊の憑依を受ける

三千世界の大立替を予告した大本教の出口王仁三郎聖師によって、人は「霊止(ヒト)」のことであるとの説が出されました。現在、出口王仁三郎聖師の大本教霊学で何等かの学びを得た人達の間では、人は「霊止(ヒト)」の意味であるという考え方は成り立っていると思われます。「霊」の字に「ヒ」とする呼び方があるからです。
 

 

人=霊止(ヒト) 人は肉体に霊を止めている物

この「霊」の漢字は知られているのですが、あまり知られていない「同字」が存在しています。ほとんどの人は見られたことはないと思います。PCでは第四水準漢字に所属していますので、新しい機種ならば出て来る漢字ですが、第四水準だと出て来ない機種もあるかと思いますので画像として示します。雨の漢字の下に示し申すの「神」の字があるのです。雨は「あめ」と発音するので解るように「天(あめ)」をも意味します。



人は誰しもこの世を去れば霊魂となって【霊界】へと帰ります。本来は【天(あめ)から降りた身(魂)】なので、天に帰るのが【責務】なのです。しかし、この世で自分が為した行為によって「天に帰れなく」なったりします。
そうした一つが【黄泉国(よみのくに)】で、この「黄泉国」からこの世に出ることは【黄泉帰り(甦り・蘇り)】ともします。
この天に帰れなくなった時、地獄に落ちる。あるいは地獄に落ちるほどでもないが天にも帰れないで天国と地獄の中間と言うべき【中有界】などに留まっていると、現界に差し戻しとなる【輪廻転生】の中に入ってしまいます。

そこに「示し申すの雨(あめ)の神」と「並の雨(あめ)で示す霊」とがあるとなります。大本教から【本守護神】が出されました。この本守護神とは各自の魂の【御親神】であり、天に在る自分の【天津神】でもあるのです。
全ての人の魂は、その霊的段階を遡っていけば誰しも御親神の【天津神】に到達はするのです。大本教霊学の真髄は、その【本守護神】の存在を世に知らしめたことです。

自分は〇〇の神様が好きだとか、惹かれるというようなたわいの無い話ではなく、自己の魂の【源】の存在です。自分の魂は如何なる神から出たのであろうか?。そのルーツを探すことが、正守護神・本守護神につながる道なのです。人には肉体のルーツと魂のルーツが存在しているのです。肉体は死ねば終わりですが、魂は半永遠性を持っていると言えます。

人は神に【似せられし者】と言われるように
人は【神の容器】ともなるのです
ですから、人は霊止(ヒト)でもあるのです 


しかし、それは肉体人間のことではないのです。私達の肉体の中に宿る【霊魂】の本質が神であったからなのです。ですから、人の魂は【神の世界に戻る】ことが可能となっているのです。

ここに、大本教で説かれた
【人は神の子・神の宮】の神の宮が出るのです

日本では神社で神として祭られている存在は、神界の高級霊もあれば、蛇霊や狐霊や狸霊や猫霊のみならず、過去の人として出た存在も神として祭られています。ただ、それれは人々が神霊として祭っただけで、本来の神霊でない場合もあります。
日本で使われる「神」には、「上(かみ)」たる存在を含め、守護の「守(かみ)」、頭たる「頭(かみ)」たる存在も含まれて来ます。
いくら日本の朝廷が神社の神霊に「正一位」などの称号を贈ったとしても、神でも無い人間天皇の朝廷が贈った神号など神界では別に意味をもなさないのです。

人間が贈った称号や名誉は、人の身であるこの世では価値はあれども
神霊世界に戻れば、その人はこの世で何を成したかが問われる


ある宗教団体をバックボーンにした某国会議員さんは大臣を勤めたことから国からの勲章を辞退して、自分が欲しいのは国が下さる勲章ではなくて、「神からの勲章」だと言われました。人間がくれる勲章にいかほどの価値があるかです。霊界に渡って、この世の【勲章】を見せびらかせることは出来ないのです。
あの世に持って行けるのは、この世の勲章や地位や名誉や財ではなくて、その人がどれほどこの世で他の人の為に社会の為に役立ったかの功績の章なのです。

古来より、健全な心に正しき神が宿ると言われて来ました。 
人を罵ったり悪口を言っているでは、その人には健全な神など宿ってはいないのです。


人は「霊止(ひと)」である為に、常に霊の【憑依】を受けます。

それらの憑依はその人の【表意】として表に出て来ます。

スピリチュアルの世界ではまったくなされていないものの一つとして、【サニワ(審神)】があります。
霊学の分野では「サニワ」に「審神とか審神者」の漢字を当てていますが、辞書でサニワを調べたら、この「審神とか審神者」の漢字は出て来ません。これは明治以降の新宗教からとされています。
元は神霊を霊媒者に降ろして神託を聞く清められた庭の【清庭(さやにわ)】の意味なのですが、実際に霊降ろしをすれば、霊媒者に降りて来る霊は必ずしも本来の神霊ではなくて、俗に言われる蛇霊や狐霊や狸霊や猫霊と言われるような神霊とか、本来の霊界に渡ってない不浄仏霊とか霊界にウロウロしている愉快犯霊等が出す言葉に惑わされてしまうことから、それを吟味する「審判をする人」から審神とか審神者の漢字が当てられて来たようです。

自分には霊が見えるで、神社などに参拝して出て来た霊が名乗る神名に疑いを持つ霊感者はまずないでしょう。で、その神霊が言う言葉を真に受けてしまいます。
それに対して「サニワ(審神)」者は、見える霊の姿形からではなく、その神霊が告げて来る言葉の内容に何かおかしいところがないか?。と聞いていて、ここは何かおかしいと思うとその神霊に質問をして行きます。その質問で高い神名を名乗る霊を追い込むので、かなりの博学が要求されます。
 

 

聖書に、「龍神とは霊界で年老いた蛇霊」とあるように、相手は霊界において長い時間をいますので、歴史的なことを聞くことはあまり意味がありません。それよりも、その高い神名を名乗る霊の【心の持ち方】に関して、詰問を加えるなのです。それは大本教神諭に、【世に出ておられた神々の心の持ち方が悪かった】とあるように、その神霊が如何なる【心の持ち方】をしているかです。心の持ち方が悪かったら、〇〇大神と名乗ろうと臆すること無く突っ込むのです。
また、対峙している霊の力が強いと、その霊の攻撃を受けてしまいますので、自分に霊的防御能力が無いと、その霊に殺される場合もありますので、誰でも彼でもサニワ(審神)が出来るではないのです。命がけとなります。

相手がいくら高級神霊と名乗っていても、サニワ(審神)の権限として質問することが許されるのです。その時、相手が高級な神霊の名を語る霊であつてもサニワ(審神)者として言葉を出すと、そのサニワ(審神)者のきつい言葉は【神の剣】ともなって行くのです。
私達が出す言葉が【神の剣】とも成るは、ヨハネ黙示録には言葉が剣になると書かれていますが、ほとんどの霊感者レベルではその実態は知られていないのです。
このサニワ(審神)者のことがあまり世に知られていないのは、サニワ(審神)には非常に優秀な【霊媒者】を必要とするからです。世に霊が見えると言う方はかなりあるでしょうが、優秀な「霊媒」が出来る方は非常に数が少ないからです。まして神霊降ろしともなればその霊媒者の魂の格が高くないと勤まりません。霊能者の間では優秀な霊媒者は取り合いになるぐらいなのです。

サニワ(審神)において、スピリチュアルで盛んに言われる宇宙からのメッセージも、本物は一つも無いともされます。スピリチュアルの宇宙語とされる言葉にしても、言語学者を動員したところ、今は使われていない古代の異国の言葉で蛇霊の仕業とサニワされた事例も存在しています。今の人類の姿をしていない太古の霊も存在するのです。
ただ、それらは人には遙かなる古代からの霊が憑依して来ているなのです。聖書における人類の祖とされるアダムとイヴを唆した蛇霊の教えにも意味があるのです。肉体は滅びても、霊魂は生きている証明論にはなるわけです。

今の世に住む私達にしても、その本質は【霊魂】を持った者であり、この世を去れば霊世界に戻るなのです。

すなわち、私達は【霊止(ひと)】なのです 

人にはどれほどの霊が懸かっているかとなりますと、諸説あります。私が2番目の師匠の元でサニワ(審神)をしている時、その人の本来の魂を表に出すにあたっては、その人に憑いている俗に言う背後霊とか憑依霊を次々と除去して行かなければなりませんでした。

人はそうした憑依している霊の総意たる「表意」の元で行動しています 

少しばかり霊能力が備わっていると過信して、その人の外側に居る憑依霊でその人を判断すると大きな過ちに入ります。その本体の中心たる霊は、そうした霊達の奥に存在するからです。
こうした憑依霊の数は霊能者をしている人ほど多く、かなり名が知られた某霊能者の方は自分には三千体の霊が背後に従事していると公言されていました。その三千体の霊はその霊能者の正守護神(自己の前世で神霊に昇格)が管轄しているでした。
私の最初の師匠が竹生島に参拝した時、神社か寺院のどちらの管長さんだったのかは解りませんが、その師匠と同行していた優秀な霊媒者に、【あの女性は何者です。こんな人は見たことがない。少なくとも一万五千体の霊が憑いている】と言われたそうです。

霊的世界の戦いは、自分の背後に霊の数が備わっていないと戦えないがある

私はその話をその師匠と同行していた霊媒者の方から聞いて、その管長さんの霊能力に感心しました。スピリチュアルではそうした霊の数が読み切れない人が大多数だからです。
例えば、軍隊で言えば師団長クラスならば部下は1万人から2万人などと持つでしょう。連隊長ならば2千人ぐらい持つでしょう。大隊長ならば600人ぐらいは持つでしょう。中隊長ならば200から100人ぐらいは持つでしょう。小隊長ならば数十人程度は持つでしょう。
軍隊であれぱ、それらは将官とか佐官とか尉官とかの軍隊の階級で決まります。神の世界にも階級があるのです。行者の世界ではそれらは「天使の階級」とも言い。自分に憑いている霊の数が少ないと、その人の霊界での階級はあまり高くもないとなるのです。ただ、霊界でも管理部門になりますと部下は少なくても階級が高いとなります。自分に天使長が降りて来るで、その天使長に数名の部下しかいないとなれば眉唾物となりかねないのです。
 
霊能者としての実力を知る上で、その人に憑依している霊の数を言い当てるがあります。それが解らないで、その人の背後に憑いている霊の一つや二つを見て言う霊能力では、まったく見当違いのことを言うことになってしまうからです。
自分に白狐霊を数体とか数十体従えている古狐が憑いているとしても、膨大な背後霊団を持つ人の存在を見るなど不可能となります。

私自身が驚いたのは近辺の職業霊能者の方に私の最初の師匠の名を出すと、どなたもあの先生ならば間違いがないと太鼓判をおされましたが、SNSの世界では自分は特別の霊能者だと過信している方が多く、その師匠も黒狐にされたりします。
いくら霊的世界は【騙し合い】が横行している世界と言えども、数十体とか数百体の霊の憑依では、その人の前に出て来た神霊は本物ですかとなるのです。 また、数十体程度の霊の憑依でのびてしまうでは、とても本物と呼ばれる霊能者の段階には進めません。

 

いくら自分には〇〇の神様が出て来ると言っても、その神名を乗る霊が何十万何万の部下を従えて出て来るのと、数体程度しか従えていないとでは、同じ神とは言えないのです。霊がよく見えると霊界での力を持った霊と出会うのは次元が違っているのです。

単にその人に【憑依(表意)】している霊の言葉に惑わされてはいけない

人の表意(憑依)ではなくて、その人の本質(魂)を知る


 

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