よく「正神」だとか「邪神」だと言葉を発する方が居られます。その人は何を持って正神と邪神の基準を決めておられるのだろうかです。おそらく、自分が信じる神が正神界で、自分が信じていない神以外の存在は邪神だ式なのでしょう。
自分が創造神だとか救世主だと名乗っている方を100人集めれば、100人が100人とも自分以外の人は蛇や狐や狸や猫の類いの神に騙されていると言われます。ということは、そうしたことを名乗っている人の背後も蛇や狐や狸や猫の類いの霊となります。
今の神霊界の実態は、どこにも創造神と呼ばれる神など見当たらない
そうしたなかでは、信ずべき存在は自分が見ている神。霊声が聞こえて来る神霊だけであって、それ以外は違うという実に狭い了見の中に嵌まってしまいます。
私自身、二番目の師匠の御祭神は【国常立尊】と言うことで、本当にその御神霊が国常立尊様だと信じた時期もあります。その神霊の驚くべき【奇跡力】に惑わされたなのです。だが、その師匠の御神霊は「猫科」の姿でした。すなわち「苗」が獣化したか、「描く」の意味が違ったかです。
今の神霊世界そのものは、【勝てば官軍、負ければ賊軍】で、力の強い者が勝つ獣の世界とされるように何の正義も公平も重んじられているとは言いがたい面があります。
それは私達がこの世に生きていて、常に力が強い者が勝つ。長いものには巻かれろ式で生きていることからも解ることです。それに逆らえば、自分が大変なことになるです。
私は日本語という言葉に限られていましたが言葉の仕組みを知って、世に出ておられる既存の御神霊でこんな仕組みが出来るような御神霊が見当たらないので、どこかに【創造神】と呼ばれる神が存在していると説いていますが、別に霊能者をしているわけでもありませんし、神霊の力を背後に持って説いているわけではありません。
そうしたことから生半可の霊能力を持った方の中には、私を今の世の終わりを説く邪神だとおっしゃる方達もあります。何の神力の示しも見せないで、【良心神】などとせせら笑っておられる方が大多数のことも承知しています。
確かに、今の世が終わるなどと説く者は邪神だとする意見は解らなくはありませんが、大本教神諭に「こんなことならば、もっと早くに説いて貰わなければと」あるように、その土壇場になって説いていたのでは間に合いません。
そこには、悪神だと罵られることを承知の上でしなければならないがあります。そんなことは絶対に起きないと言っていて、仮に起きたならば責任の取りようがないからです。そこにあるのは万が一の備えの為です。
大本教が世に大宣伝した【世の大立替】など、別に無かったら無かったでもいいわけです。捨てておけば、人類は近い将来自然に滅びるでしょう。科学の力で自然の崩壊に勝てません。誰しもこのままでは地球が保たないなど解るからです。ただ、立替はあった時は恐ろしいなのです。
幾多の宗教団体の教えには、天国に行きたければ大金を教団に寄進しろがあります。私はそうしたことを説いているのではありません。自分の【良心神】によって、これから来るであろうと思われる【永遠の弥勒世の地位が決まる】と言っているのです。
その弥勒世の地位には、どこにも神に対する金銭要求などはありません。【自己のこの世における行為の結果論】にしか過ぎません。それすら解らない人からいくら邪神呼ばわりされても、別に痛くも痒くも無いなのです。
【自己の魂を磨かせる教えが悪なのか?】
逆に、人の魂を堕落させる教えが正しいのか?
自己の魂の良心を磨くのは辛いから捨てますと言われるのならば、それはそれで致し方のないことなのです。今の霊界の現状でもそうした魂は腐ったり破砕されて行く運命から逃げられていないからです。
邪神や悪魔系は、人を楽な方向に楽な方向にと堕落の方向に導きます。それは霊界における多数派工作の為です。太古の昔、多数派を形成出来たことから創造神でもあった「国常立尊」様を退かせることに成功しているからです。
狭い了見の教えにしがみつけば、その魂の器は大きくはなれない
私が言う邪神は、人殺しや強盗のような「犯罪」霊を意味していません。そうしたこの世での凶悪な「犯罪」霊は、警察でも捜査一課で取り扱う凶悪犯であり凶党と呼ばれる霊で本質的に神霊として崇める存在ではありません。そうした凶党は正神界であろうと邪神界であろうと受け入れがたい存在と言えます。
大本教から元の創造神として「ウシトラ金神・国常立尊」が世に出されました。地上神界の創造神であった国常立尊様が何故にその座を退かれたかの経緯です。そこにあったのは、幾多の神々が蛇霊に犯されて、反国常立尊派に回ったでした。その多数派の数の力によって、やむなく「国常立尊」様は退かれた。
この「ウシトラ金神は邪神」ともされて来たとします。それは勝てば官軍負ければ賊軍の中で邪神とされたのでしょう。勝った方が正義です。それは聖書における人類の原罪である「アダムとイヴ」を唆した蛇霊の囁きと同じことなのです。
日本で、【邪の道は蛇】と言います
つまり、【よこしまの心】を持つことが邪神なのです
しかしながら、太古の神霊界で起きたことは蛇心に犯された神々の多数決による結果であり、そこに【勝てば官軍、負ければ賊軍】が発生したのです。また、大本教で説かれた【下克上】があったなのです。下位の神霊達が上位の神霊を下克上。臣が君を亡き者とする。子が父を殺す等です。
そこに来る言葉が主を墓に葬った形の【亞の心】
すなわち【悪】の漢字です
今の神霊世界は、力こそが正義です。
そこに今の神霊世界は【力の強い者が勝つ】獣の世と化したなのです。
岡本天明氏の「日月神示」において、今の世は「99%」は邪神だの言葉が一人歩きしたように見られます。そうすると100体の神霊がおられたとして、99体の神霊は邪神だと言う概念に嵌まってしまいます。すると、残りの1体の神霊だけが正神だとなってしまいます。その1%とは100柱の神々の中で1柱の神だけの意味ではないのです。
では、その残りの「一厘」は何なのですか?、となります。いろんな方がいろんなことを言っておられますが、どれもピンと来ません。九九は「百引く一で白」などと言われる方がありますが、そうなると何が何だか意味不明となってしまいます。
大本教神諭は、九つ花に咲く【一輪の火水(言霊)の経綸(しくみ)】を予告しました。大本教霊界物語に記述される「一厘の仕組み」と大本教神諭の「一輪の火水(言霊)の経綸(しくみ)」では、一見すると別物とも見られます。確かに大本教霊界物語を持ち出すと、一厘の仕組みは国常立尊がシナイ山に秘密に隠された神宝となります。
私は神霊世界に修業に入って気づいたのは、神とは【良心を失った存在か?】でした。全ての神霊の神示が嘘ではないにしても、嘘を平気で出す神霊世界の体質です。
大本教からは「九つ花」ではなくて「九曜紋」から「スの神論」が出たのですが、その大本教が出したのは「いろは歌」であり、いろは歌の末は「す」であり、その「いろは歌」の初めにも「す」があったで、初めにして終わりの神を「す」としたのですが、日本語の並びとは何も「いろは」歌だけではありません。
今から35年以上も前になるでしょうが、曹洞宗の小冊の機関誌にお釈迦様の菩提樹の下の悟りとは、【人には良心と呼ばれる神が内在している】とあったのを見て、私は小躍りしたしだいです。これまではお釈迦様の悟りは【仏の慈悲】にされていたからです。
本教神諭予告【九つ花】に咲く一輪の言霊の経綸で「ラ神論の良心神」となり、九つ花で「みろく(369)」が出て、今の世が七度目で「五十六億七千万」が導き出されるからです。しかも、それは「龍宮の音秘め」だけではなく、「ひふみ(123)」も含まれているのです。
そこには、私の前に出て来られた出口王仁三郎聖師霊がイスラム教の宣伝使の姿で、アラーの神を私に暗示してくださったこともあります。日本語のアイウエオは【ア】の門を出てから【ラ】に行くまでのアラーの「41」の道筋です。
世紀の大予言者、大本教の出口王仁三郎聖師が出された遺文とされる予言は、
【いま大本にあらはれた 変性女子はニセものだ まことの女子が現れて やがて尻尾が見えるだろう 女子の身魂を立て直し 根本改造せなくては 誠の道はいつまでも 開く由なし さればとて それに勝りし候補者を 物色しても見当たらぬ 時節を待ってゐたならば いづれ現れ来るだろう みのか尾張の国の中 変性女子が分かりたら モウ大本教は駄目だらう】。
大本教の出口王仁三郎聖師は【みのか尾張の女子】を予告されました。私の元にはその女子は自分ですと名乗って来られた方は数知れずでした。だが、本物と思える方は一方も存在しませんでした。
しかしながら大本教の出口王仁三郎聖師は、その遺文の終わり、その【みのか尾張の女子】を自分のことだと思うのは曲人だと予告されておりましたが、そもそも人たる存在の意味ではなかったのです。しかし、多くの神々がその予言の仕組みに引っかかってしまったと言えます。つまり【みのか尾張】の女子の意味の取り違えです。
美濃か尾張の国から富(十三)山に向かう国道は【41号線】です
私は美濃か尾張の国から出る国道「41」号線で【九つ花】は解けるので、どこに女子が出現しなければならない必然性があるのだろうかと首を傾げていました。
私が神霊世界に修業に入るきっかけとなった最初に出会った女子は「良子」と呼ぶ名で、十三に消えた【良(ラ)」を示してくれました。その当時はどうして「良子」は十三(じゅうそう)に消えたのかと首を捻っていました。十三のス神ではなく、「良」の字で「ラ」神を知ることなのです。
そうした名乗りをした方ではありませんが、一人だけその演技の該当者らしき女性を知りました。その女性の御霊は白山「菊理姫」に属するようでしたが、その方の演技が【753】で、この【753】の演技こそ、私に【龍宮の音秘め】の意味を紐解かせたとも言えます。
私は大本教神諭予告【九つ花】を先に解いてしまったので、【龍宮の音秘め】を理解するのが後になってしまいました。
そこに出て来たのが【カナン】の言葉でした。聖書で言われる「カナン」の地ではなくて中国の「河南」です。河南と言えば河南省の洛水(洛河)の故事から来る亀の背の文様の【龍宮の音秘め】があります。
【九九理】の音に【秘め】たのは【七五三】
カナンの地に至る。中国【河南】省洛水の亀甲紋の故事
この図は過去に何度も出している図です。
すなわち、そこに来るのは数字の羅列で有り、言葉の【音を秘めている】なのです。
巷で、自分は「龍宮の乙姫」だとか【白山菊理姫」だと名乗っていることではなく、九九理(括り)を展開させると、大本教神諭予告【九つ花】が見えるなのです。そうしますと出口王仁三郎聖師が出された【ス】神論ではなくて、必然的に【ラ】神論になって行きます。
大本教神諭が予告した「九つ花」の紐解き方には、いくつかの答えが存在して来ます。そのどれが正解かとなりますと、そこに【龍宮の音秘め】から展開したものでないと不正解があったのです。
幸いに私の「九つ花」の展開が間違っていなかったので助かりましたが、そうした仕組みになっていることが解らなかった神々の中で自分の息が懸かった者を使って、【みのか尾張の女子】とか【龍宮の乙姫】とか【白山菊理姫】を出そうとした為に、世間のあちらこちらにそうした名乗りをする方達が現れたと言えます。
日月神示などでも、どの神でも「九十九」までは行けるとあります。仮にその神が「九十九」の段階まで行けていたとして、足りないのは何かとなりますと【良心神】となります。悔い改めるとは、心の棒(杭)を改めればいいわけです。それで【良心神】は得られます。それにはどうすればいいのかとなります。
だとすれば、目指すのはまず「九十九」の段階まで行くことです。
それには正神であろうと邪神であろうと共通して説く【感謝心】があります。良寛和尚のように泥棒に身ぐるみ剥がれても感謝心を持てとは言えませんが、何事にも感謝、感謝で進むであれば、人は劇的に変わることが出来るのです。
この社会に不満を持って、愚痴ばかり述べるのではなくて、自分の命を生かしてくれる為に食の犠牲になってくれている動物達の命や、私達の心を慰めてくれている自然や花や、そして何も語らないが空気や水。そうした万物に対しての感謝心があれば、貴方の愚痴は贅沢だとなります。
自分が他の犠牲によって生かされているを学ぶ
そこに【感謝心】がなければならないのです
感謝とは、言葉が身を助ける
一般的には感謝の「謝」は、【人のあやまちを許すこと。自分の犯した間違いをわびること。謝罪する】ことですが、感謝は【ありがたく感じて謝意を表すことです】。意味が違っていることが解ります。
謝は「言葉と射」に分解されますが、射を「弓で矢を放つ」と捉えてしまいますと意味が解らなくなります。それは【寸】が持つ意味なのです。私達は感謝のお礼として、僅かですがと【寸志】を出します。この寸は【守】の字にも使われています。
そして、大本教が出した【す】神の「す」は、漢字の【寸】の草書体からです。我れよしではなくて、何事にも感謝の「寸志」を持つことなのです。またこの「寸」は【寿】ともなります。
大本教が出した【す】の神には【寸】の漢字に意味がある
感謝心を持つことは、言葉で感謝の意を他の人に表し
あなたの身を守る(助ける)なのです
何事にも感謝の心の無い人は、天国界は難しい
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