私が子供の頃、旧約聖書の神と称する声が臨み。【この神だけを唯一の神とせよ。他の神を神としてはならぬ】と告げられました。
しかし、私は子供心にも疑念を持ちました。【唯一の神って何?】です。ユダヤ教やイスラム教の様に旧約聖書の神と称する声の主を【唯一神】とせよと言う意味なのか?。それとも別の意味なのか?。です。
ご承知のようにキリスト教は【ナザレのイエス】だけが主の御子であり、人類はイエスを通さないと創造神たる主の神には近づけないとします。為に、その教義は【イエス個人を神として崇拝する】となっています。そうしないと、人類の原罪であるアダムとイヴを唆した蛇の囁きの罪から逃げられないです。
だが、イエスの教えに【蛇】とは何か?。そうしたものが見当たりません。ただ、弟子に言ったことは、【蛇の様に賢くあれ】です。古来より蛇は神秘な存在とされ神とも崇められて来ました。その蛇が【知恵】を意味することは知られています。しかし、それだと知恵と人類に唆しでは合点が行きません。
キリスト教より後発のイスラム教においては、イエスは尊敬される偉大な預言者とはしましたが、旧約聖書に予言された主の御子ではないとします。ただ、イスラム教の開祖マホメット(ムハンマド)に下ろされた教えが人類に対する最後の教えとされました。それが「コーラン」とされます。イスラム教では旧約聖書とコーランを聖典とします。
しかし、私は自分がヴェダー典に残される【人の中に眠れるコブラ蛇が目覚めて走り上がる時、その人は真理に目覚める】を体験して、【巳(蛇)帰る】現象において、スピリチュアルで自分には天使長ミカエルが、大天使がガヴリエルが語りかけて来ますの天使達の存在に疑いを抱いたのです。もしかすると、ミカエルの意味は「巳(蛇)帰る」であり、彼らは「羽根」の意味すら間違えた者達ではないだろうかです。
その時、何故かお釈迦様は真理を悟られだが、イエスは真理を悟らなかったと感じて、お釈迦様とイエスの教えの違いに「真理」があると感じたのです。
世界の民族で、神の言葉を使う民族が唯一つだけあるとされます。その唯一の民族が日本人で、その神の言葉が【日本語】であったならば、「ミカエル」の言葉も「羽根」の言葉も意味が違っていたとなります。
一部の説では人類は幾度か滅びたとされています。大本教霊界物語もそうなのですが、今の私達が知る歴史以前に世界の民族は一つの言葉であったとされます。その言葉が「日本語」。言葉の内容から【日ユ同祖】論などもありますが、もしも、太古の言葉が一部に残っていたならば、そうしたことも考えられなくもないとなります。
この日本民族だけが神の言葉を使用している論の一つの根拠として、日本列島は【世界の大陸の雛形】説があります。四国は反転させるとオーストリア大陸の形に、九州は南アフリカ大陸に、北海道は北米大陸に似ているとは言えます。ユーラシア大陸は本州に、そして残る南米大陸はかっての日本が統治した台湾島とする説です。それが正しいとすれば、大きな意味を持ちます。
そして、世界の民族の中で日本人と他の民族とでは【脳】の左右の働きの違いが指摘されています。日本人の脳は【言語処理能力】が他の民族とは違っているのです。ただ、外国人でも日本で生まれると日本人と同じ脳の働きを持ち、日本人でも外国で生まれると外国人と同じ脳の働きをするです。これは【環境】の違いだとされています。
では、脳の働きを変える【環境】の違いとは何かとなります。これは大本教神諭にあります「日本で生まれた人の魂」と、外国で生まれた人の魂とでは違うなのです。すなわち日本で生まれた人の魂には【大和魂】があるなのです。
この大和魂とは【八真止】魂と理解すると解りやすいのです
八方向の中心に真を止める【八紘一宇(はっこういちう)】
世界の民族は一つの屋根(八根)の下で、その中心は日本国
こうしたことを書くと、私は天皇絶対の神国日本の国粋主義者の様に思われてしまいますが、【真理】を求めているだけの者にしか過ぎません。私は創造神のみを神として、人の肉体を持つ者を神として見ることはありません。私が見せられた【十六弁菊花】は天皇家の紋章ではなくて、日の神を意味するものでした。それで日本は【日の本の国】なのです。
一部の霊能者の間では、本当の神仏は「菊座」や「蓮座」に乗っているとされますが、そんなものは「邪神」でも造って乗って来ます。そうした菊座蓮座に踊らされている霊能者や行者も居るなのです。菊座とか蓮座の形を見れば、それが何を語っているのかある程度は解ることなのです。
私が【米】として説いて来た型で、日本人だけが神の言葉の日本語で知る
日本人以外の民族は言葉に母音がなくて子音だけでも意味が通じるとされています。そこに【アイウエオ】が言われています。
大本教からその「アイウエオ」の並びを変えて【アオウエイ】が出されました。
そこに、日本で初めて「言霊」を出して来た大本教に注目せざるにはおられなかったと言えます。
大本教の出口王仁三郎聖師から【ス】の神が出されました。また、岡本天明師から【日月神示(ひふみ神示)】にも【言霊神】と呼ばれる言葉が出て来ます。この【言霊神】とは何か?。なのですが、それに関しては大本教の出口王仁三郎聖師も岡本天明師も深くは答えてはおられません。
ただ、聖書には【はじめにことばがあった。ことばは神と共にあり、ことばは神であった】【万物は言葉によって成った。 成ったもので言葉によらずに成ったものは、ひとつもなかった。 言葉のうちに命があった】。
しかしながら、西洋からは誰もこれを深く説明しておられませんでした。
そうした中で、大本教の出口王仁三郎聖師はあることを発表されました。
命(みこと)=御言(みこと)です
これならば、神の【御言】によって、生きとし生けるものに【命】が宿るとなります。
私は宇宙の初発にその「御言」によって万物に「命」が授けられる映像に触れて、聖書の【万物は言葉によって成った。 成ったもので言葉によらずに成ったものはひとつもなかった。 言葉のうちに命があった】が正しいことを認識しました。問題はその【言葉】を人類がどう理解したのかです。
私が見た【言葉】とは、私達が会話している【言葉】のことではないのです。
御言(命)=【想像】から【創造】に至る神の息吹
私は【言霊とは何にか】を知った時、私がこれまで持っていた「神観」など百八十度ひっくり返ったと言います。人類はいつたいこれまで何を拝していたのだ!。なのです。それはお釈迦様もイエスも含めて、全ての覚者の言葉さえその前には吹っ飛んだと言えます。
そこに来る言葉が【想像から創造】なのです。
創造神(想像神)を知る意味で【万物は言葉で成った】となるのです
まず、原点に戻らないと創造神(想像神)は理解出来て来ません。
残念ながら、キリスト教の牧師で「言葉の意味」が理解出来る方は一人と存在しないでしょう。それはイエス個人崇拝に入ってしまったからと言えます。
大本教から【スの神】が出されましたが、大本教以後に多発した多くの新神道系教団では、その【ス】に「主」の漢字を当てて【ス(主)神】と唱えているがありますが、本当の理解の上に成り立っているかとなりますと、疑問符を打たざるにはおられないのです。
私は大本教神諭予告の【九つ花】を紐解いて、これは【スの神】ではなくて、【ラの神】でなくてはならないと解ったしだいです。
多くの覚者が書かれた本を読み、自分はこの本の内容が最高だと思う。それはそれでいいと思います。しかし、その覚者は【創造神】の存在をどこまで理解しておられたのかとなると、完全ではなかったと思われます。
私は神の世界のことなど完全に説明出来ません。私がこれまで触れて来たのは霊界の部分でしかありません。さりとて、世に出ておられる神々で、そうしたことが説明出来る御神霊が一柱でも居られるのかとなった時、やはりどこにも見当たらないなのです。覚者でも世に出ておられる神霊であっても限界があるのです。
私も含めて人として肉体を持つ者は、その言葉によって【万物を創る】など不可能なことだと言えます。私は一人一人が創造神だと叫ぶ方達は【思い上がり】も甚だしいと言います。それでは自分が【いと小さき者】と理解に達していないからです。
私達が口から発する言葉とは、創造神のように【命(御言)】を生み出すことは出来ません。命を【誕生】させることが出来ないのです。
人は【言葉を延べる為に生まれたの誕生】
そうした中で、私達は創造神の存在に自然として触れてはいますが、自然から創造神を認識するのは簡単ではありません。容易ではありません。その中で、「真理」を語る覚者を尊敬もし、崇拝もするがあってもおかしくはありません。
私は大本教から【艮(ウシトラ)金神が出され、そのウシトラには「牛虎」もあるぞ】よと出され、牛頭虎パンツの牛虎(ウシトラ)から鬼が云うの「魂」論で、大本教神諭予告【九つ花】を紐解くことによって、今の世が七度目の世であり、次に八度目の弥勒世となる。そこに【みろくの五十六億七千万】の仕組みを見たと言います。
私が子供の頃に臨んだ旧約聖書の神と称する声が私に告げた。【この国(日本)は私の教えが満ちあふれた世界で唯一つの国である。そなたはこの神の仕組みを見て、人々に告げなさい】と言われたことをしているのに過ぎません。世界に唯一つの国とは、英語は世界中で使われていますが、日本語は日本人だけで世界には無い言語なのです。
私が臨んだ旧約聖書の神と称する声が本当に創造神であったのかどうかは調べようもありませんが、それは【日本の国に常に立つ御言(国立常尊)】ではあるわけです。私は自分は創造神を知る者ではないが、日本語という言葉の仕組みから「創造神」が存在すると思い。その神だけを「唯一の神」としています。
私はそれ以外の神々に神という言葉を発しても、【唯一神】とは思ってもいません。どの神であろうと、【創造神】には従うべきだと思っています。
ですから、私は偉大なお釈迦様もイエスも尊敬はしても、創造神たる唯一神とは思ってはいない者なのです。
信仰は、人は言葉を仰ぎ見よ
神は言葉で【示し申す】
私達日本人は、神の言葉を使う世界で唯一つの民族なのです
その為には日本語を大切にして、日本語を乱さないことなのです


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