私が子供の頃、旧約聖書の神と称する声は私にある例え話をして来ました。【海岸に長年の風雪に耐えた見事な枝振りの「松」がある。人々はその風雪に耐えて荒々しい木肌や見事な枝振りの松を見て褒めるであろう。だが、誰がその「松の根元」を見るであろうか。
松の枝振りでなく「松の根元」を見る者でないといけない。仮に【松の根元】が解る者がそなた一人であっても、そなたには【松の根元】を見る者になって欲しい。
私は子供の頃、この【松の根元】の意味を深く考えていました。
大本教神諭には【末(まつ)の世から松(まつ)で治める】があります。また、【枝葉の神ばかりが栄えて、根元の神を枯らして何とする】があります。一般的には弥勒の世は【松の世】と言われていますが、そこには【松の根元】があったのです。その松の根元を枯らして何とするです。
この「松」には【末】が隠されていることは、大本教神諭を学ぶ人達には既に理解はされています。【末の世から松で治める】です。仏教では日蓮聖人達か出られた頃が末法の時期に入ったとされます。今はその末法の世なので、とんでもない行為をする人が多数出ます。
しかし、松に【公】の意味の字が隠されていることに気づく人は少なかったと言えます。
神の公(松)、【仏】の私
更生(甦)後の後世(みろく)の世は、【公正】の世
今日まで神は神としては「公」に救えない場合は、仏(私)の立場で救って来たのです。大本教神諭にあります。だが、みろくの世に入りますと、【仏(私)の世は終わった】はそこにあるのです。
私が2番目の師匠の元に居た頃、就寝しようとすると私の耳元で多数の人が訴える声が聞こえて来ます。霊達の声です。例えば女性の声で「自分の夫は酒飲みでばくち打ち。幼い子を抱えて、お金に困って借金を踏み倒しました」。男性の声で「あまりにも上司が陰湿な虐めをするので思わず殴ってしまいました」等の言い訳をする声の数々です。
私は一度に十人の声を聞き分けたとされる聖徳太子ではありませんので、右から左からそうした訴えをされても、聞き分けられるではありません。私に訴えるならば順番にしてくださいです。だが、会社勤めをしている身では、夜は眠らなければならないのに、そうした訴えの声を夜中に聞いているわけには行きません。自分にはこの世で生きて行く為のお給料を貰っている会社勤めがあるからです。私は神ではなくて人の肉体なので自分の生活があるのです。
さすがに夜な夜なの霊の訴えに困って、当時の2番目の師匠に相談すると、【おまえは地獄閻魔庁の者。地獄に落ちたくない為に助けを求める霊達が、おまえに訴えに来ているからだ。自分は生活の為の仕事があるので夜は寝なければならない。日中に訴えて来いと宣言すればその現象は鎮まる】と言います。そこで宣言すると、見事に鎮まりました。
私はその師匠の元に居た当時、たまたま新聞に幽霊が出る列車と報道された列車に乗って、列車と併走して走る火の玉に出会い、その火の玉として飛ぶ霊が自殺した原因などを知って、気の毒だと本当の霊界に送ったり、太平洋戦争で外地で死亡した兵士霊達が、自分達は霊界に赴かないといけないことは解っていますが、どうか霊としてこの皇国の守りに就きたいという願いに許可を下さいの願いに許可を出したりで、いったい自分は何者だろうと自分でも首を捻るように事柄に度々遭遇して来ました。
私は自分一人が見た霊的映像だけでは確信が持てませんので、そうした霊的映像が出て来た時にはなるべく多くの霊能者に当たって見て貰って来ています。霊的世界が見せる妄想に自分が惑わされない為です。しかし、今では金儲け主義の方が多くて、そうした方に見て貰っても無駄骨となることが多く、また優秀な霊能者の方が減ってしまわれています。
私の本守護神が【国常立尊】様であるとの指摘は、私が師事した豊受姫の言葉だけでなく、全ての霊能者とは行きませんが7~8名の霊能者の方からも出された言葉であり、中には【閻魔大王】だと指摘されて来た霊能者の方もありました。
私は自分が霊界の【規則】でなく、その【規則】を超えた事をしたのは【閻魔庁付きの者】だったからだと見ています。
私の過去のブログに書いたことですが、自分は高木の神に仕える神官だと名乗り、おまえは生意気だから殺してやると仲間の神官霊とともにやって来た霊能者の生き霊が、その高木の神と称する天狗もろとも閻魔庁の役人に捕縛されて、その神官の生き霊は「便所落とし」の刑で天狗は羽根落しの刑となり、その霊能者はその翌日からヤフーの掲示板から消えたがありました。
私の最初の師匠は、【あなたを見て、こんな恐ろしい存在は見たことがないと言う霊能者ならば本物ですが、そうでない霊能者はさほどの霊能者ではありません】と言いました。その師匠は三流の霊能者ではありませんでした。
その師匠(砂沢たまゑ)のことを書いた内藤憲吾氏著の【お稲荷さんと霊能者 伏見稲荷の謎を解く】はベストセラーにもなっているとと聞きましたが、五流六流の霊能力ではこの砂澤師が見た段階などは超えられないのです。
著者の内藤憲吾氏は砂澤師とのお付き合いが15年間とされていますが、私は35歳の頃にたった二人の弟子の一人となり、4年間の修業で砂澤師の元を離れて、言霊の世界にと転じましたが、そのお付き合いは亡くなる前までの30年以上に及んでいます。
当時、伏見稲荷大社に所属するお代たる霊能者としては№1ともされていたのです。この頃は非常に優秀な稲荷神のお代さん達も他に居られました。私はそうした諸先生達も見て来ているのです。
大本教で予告された【世の大立替】とは、大本教神典に【世の立替に白狐は下郎の役で奉仕する】とありますように、稲荷神界と関わりがあるのです。しかしながら、稲荷神は枝葉の神で根元神を知るには至らないのです。また、私が師事した豊受姫は、稲荷神界の半分の白狐達は反国常立尊派だと言われていたので、白狐霊だからと言って安心は出来ないなのです。
内藤憲吾氏著本

私が師匠の著本で持っているのは、今は絶版の霊能一代だけです。その砂澤師と出会っていて、豊受姫から書けと言われて書かれた自著伝です。伏見稲荷大社の参集殿の売店でも販売されていましたので、準公式本に匹敵します。そうでないと伏見稲荷大社の参集殿で販売されるなどあり得ないからです。
その自著伝を出される経緯も砂澤師から聞いております。今はアマゾンの中古本でも8万円以上の値がついているようです。

いくら自分には霊能力があると豪語されても、この砂澤師を超えている霊能者の方ならば話もわかりますが、そうでないと「豊受姫」と名乗るニセ霊に踊らされることにもなりかねません。単に霊が見える。霊と会話が出来る程度では砂澤師の100日間断食2回もの荒修行などこなせるものではありません。
私はその砂澤師が仕えておられた豊受姫がされた事柄として、阪神淡路大震災や普賢岳爆発や飛行機事故の事前予告。某地方役場の温泉発掘の依頼で温泉源の場所を教えて、そこには温泉が出ました。また国土省(当時は建設省)の出先の依頼で、某稲荷神の立腹で国道が通せなくなった事案の交渉。霊障が発生した事案で他の神々との交渉なども見て来ました。
単にその霊が名乗る神名に踊らされるのではなくて、その神霊が行った【実績】を知ることも必要なことなのです。名乗るだけならばどんな霊でも神名など名乗れるのです。要はその霊の実績です。
自分には霊が見える。霊の声が聞こえるで神名を名乗る霊の神示と呼ばれるものをいくら連発しても、何一つ当たっていないとなれば、これはおかしいぞと思わなければならないのです。少し前、ブログの世界では宇宙連合とか宇宙司令官と称する霊の神示が多発しましたが、予言のどれ一つ現実に起きたものは見当たりません。
ある方はブログで神示の連発されていますが、その神示を出した神霊の言葉でこれまで何一つ当たったことがないがあります。それでもその方は今でもその霊の神示を信じ込んでいるがあります。もしもその神示が過去に当たった【実績】でもあるならば話は変わりますが、当たらない神示などいくら連発しても意味がないとなります。
枝葉の神でも、その根元が同じ系列ならばその予言も当たって来る可能性があります。
霊の言葉も吟味しないと、大本教神諭が語った【枝葉の神】すら理解出来ていないとなります。
枝葉の神を理解しないで、どうして根元神が解るだろうか
最近、東名高速でいたましい交通事故がありました。その時、「Iなる者」がした行為は、法律的には罪が重い危険運転致死罪では起訴出来ません。法律の専門家は世間の感情に流されてはいけないからです。法律的にはその人達を死に至らしめたのは後続のトラック運転手の前方不注意だからです。その前方不注意がなかったならば、死亡事故は防げたともなります。
しかし、【閻魔庁の判官】であれば、この事件は死ぬかも知れないと予測できた事案の殺人事件であり、全ての罪は高速で車を強制的に停車させた【Iなる者】なのです。この世では裁けない罪もその者の死後に閻魔庁が霊界で裁くなのです。
ここに、この世では【罪を憎んでも、人を憎むな】なのです。
人を憎むと、その心は増し。恨みは魂(心)地位の後退を生むのです。
この世で罪を犯し、仮にこの世でのそれ相応の罰を受けなければ、死後に地獄界に落とされるのです。人が罪人を憎むなどしなくてもいいのです。その罪そのものを憎みなさいなのです。自分が復讐する等の行為は自分がしてはならないなのです。
もし、人として次の【来世】が欲しければ、【来世門の羅城(閻魔庁)】に出頭して来なさいとなっているのです。そこに私は地獄閻魔庁の鬼が云うの【魂】論を説いて来た理由もあります。人としての来世門(死者の維新たる羅)をくぐらないのであれば、動物霊でいなさいなのです。
肉体はこの世を去っても魂は霊界で生き続けます。よく知られていることに【自殺者の霊は浮かばれない】があります。それは【この世は魂の修業場であり、どんなに辛くても生きなければならないからです】。それが自らの自殺に入ると【地縛霊】となってしまいます。その「法」を超えて助けることが出来るのが【閻魔庁】の権限となるのです。
こうしたことを書くと、ならば自分を殺してみろと息巻く方が必ずあります。霊能者の中には人を殺すことをなんとも思わない霊能者もいます。
私の2番目の師匠は、自分はこれまで何人もの霊能者を霊力で殺して来たと豪語していましたが、私もその師匠から【死に神】を付けられて殺されそうになりました。幸いなことにその【死に神】を発見したので事なきに終えましたが、その時の後遺症の病で長年苦しみました。その時は民間の薬代に大金を使ってしまいました。
だが、私はその師匠を恨んではいません。その師匠から教わったことは、スピリチュアルの自分には天使長が大天使が降りて来た等とは一線を画した内容だったからです。私を育ててくれた恩人と思っています。
私が今の世の霊界は「公とか正義」などではなく、【力が強い霊が勝つの獣の神の世だ】と言うのはそこにあります。
大本教神諭、【世に出ている神々の心の持ち方が悪かった】に起因しているのです。また、【この神は心の立替、立て直しの神である】となるのです。そこにあるのが「私(仏)ではなくて公(松)」となるのです。
自分に現世御利益をくださいは私事です。世の中が人々が良くなりますようにと祈るのは【公】となるのです。
世の為に、人の為にと【義】を尽くした人達は神上りとなりますが、神の祭壇に【牛と羊の血の捧げ】の【犠牲】を払われたからです。
ですから、大本教から【牛虎(艮)金神】に【羊猿(坤)金神】が出されました。そこに犠牲の「牛と羊」が読めないでは、どうしょうもない者となります。
枝葉の神を恭しく拝するのではなくて、根元の神(創造神)の「公」に向かわないといけないのです。
この世での幸せだけを求めて、地獄に進むのか
世の為、人の為に働く犠牲となっても、神にと上がって行くのか
道は二つあるのです。


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