私達が持つ魂はその本籍地を霊界とします。この世を去れば霊界で生きているわけです。今は魂の修学の為に、一時的にこの世に降りて来ているのに過ぎません。そんな魂にとって、何故に肉体をまとってまでこの世に降りて来る必要があるのかとなります。
それに関してはそれほどの差異はないのですが、霊能者の方々の表現は違ったりしています。厳しい方は「この世は魂の刑務所」とか、大本教の出口王仁三郎聖師のように「天人の苗床」などがあります。この世は「魂の修学の場」である以上、どちらも言えることです。
私がそれらに追加すると、【魂の汚れの浄化の為】なのです。
魂は汚れると自らの浄化が難しく、肉体をまとってその肉体に魂の汚れを取らせるがあります。その時に起きる作用の一つとして「病」があります。
白光真宏会(びゃっこうしんこうかい)の開祖「五井昌久」師は、病は魂の汚れが取れていく過程だと述べておられますが、けだし名言と言えます。
一部の霊能者の方が言っておられますが、【癌を霊媒質者に転送】するがあります。そんなことが出来るかとなったら、一部の実力霊能者の方であれば不可能ではありません。無論、医学的にはあり得ないのですが、病が何から発するのかの原点を知るならば、そうしたことも言えるのです。
仮に、魂が完全無欠で汚れていなければ病は発症しない
某著名教祖さんは癌を消すで何百万円もの大金を貰っておられました。だが、末期癌の方の癌を消すことを「八百万円」で請け負われたそうですが失敗して、これは裁判になってしまいました。教団はお金はあくまで教団に寄進であって病を治す約束などは無いであり、教祖を訴えられた方は寄進ではなくて病を治すが条件だったので返金を求める裁判です。
私自身は霊界見聞の修業の中で、医師が見放した末期癌が消滅した事例にも遭遇して来ました。私には癌を消すなどの力はありませんが、大金を貰えば癌を消すなどは正しい行為とは思えません。
私の最初の師匠は豊受姫のお代で、霊能者は医師ではないので病気治しは医師の仕事で手を出すべきではないと断っておられましたが、やむえず関わる時は金銭の授受を絡めないでした。病治しには一銭も頂かないです。
人は誰しも霊界での自分を記憶しておりません。どうしてもこの世の生に執着してしまいます。某著名な行者さんは自殺をすれば霊界の罰を受けることは当然にご存じで、どんなに辛くても自らが命を絶つことは出来ない。で、自分を殺してくれる人がいれば恨むどころか感謝すると述べておられました。
自分が死後に行く霊界を知る人ならば、この世は自分勝手な人が多くて世知辛く、本当の自分の居所たる霊界に帰りたいという感情はあるのです。
前回のブログに、自分の魂の汚れを自分の肉体で浄化するのではなくて、霊媒質者に押しつけるを書きましたが、私の元にそうした被害を訴えて来られた霊媒体質者はかなりあります。そうした方達の中には誰から汚れを押しつけられたかを知ってはおられます。
だが、そうしたことを警察に訴えても、裁判に持ち込んでも何の証拠も出ない話であり、結果的には泣き寝入りです。
しかし、一般的にはそうした個人の魂の汚れの押しつけよりも、社会全体に魂を汚した人達があまりにも多く、それらの汚れを霊媒質者は自然に拾うがあります。
例えば、多くの人達が集まる場所。劇場とか電車とか人混みの中。そうした中に入ると霊媒質者は眠くなるがあります。他人の汚れた物を霊媒質の肉体を持つために知らず知らずに拾っているのです。
都会では病状持ちであったが、田舎に転居したら病がやわらいだ等は、田舎の水とか空気の環境の良さもありますが、悪しき想念を放っている人達が圧倒的に多い都会で霊的被害を被っていたもあります。霊媒体質者の場合は都会の人混みの中で暮らすよりも、田舎でのんびり暮らす方が快適があります。
それは、本当の天国とは大都会の光景ではなく、田舎の田園農村光景だからです
宗教で天国は金銀財宝で輝いた世界の様に語られます。霊界にはそうした世界も存在しますが、その金銀財宝で輝いた城壁の中の神殿に入れば、蛇が俺の財を取る気かと威嚇して来ます。金銀財宝に目がくらんで蛇霊化し、それを取られまいとする姿は哀れなりなのです。為に【心に安らぎがないのです】。なまじ大金を持つと、おちおち眠れないなのです。
蛇霊が金銀財宝を意味することは古来より知られていたことです。私達は蛇の抜け皮を財布に入れると金持ちになる等と聞いて来たはずです。
しかし、財宝に執着しない天国天人にとって「宝石」で輝く世界などは不必要な世界なのです
一方、本当の天国住民とはこの世に出ておられる神々のような高貴な衣装は誰もまとってはおられません。また宝飾に飾られたような人も居ません。住民の一人一人の心が「宝」の世界であり、一つの物も皆で分ける【分かち合いの世界】なのです。すなわち、その地域に住む全ての人が自分の友であり兄弟の様な世界なのです。そこには【心のやすらぎがあるのです】。
人と争うことを好む人には、天国など面白くも何ともないつまらない世界です。天国天人は誰も喧嘩も言い争いもしないからです。人と争うことは【修羅】の世界であり地獄界なのです。人と争うことを好む人は、自分は「地獄」行きを認識すべきなのです。
磨かれた人の心こそ、真(誠)の神の宝なり
天国住人には【魂】には汚れが無い
たぶん、多くの人は本当の「天国」を知れば、こんな何も無い世界など嫌だとなります。大都会の雑踏のような世界が良いと言う人には本当の天国界は不向きなのです。
個々の人の幸せとは、自分は何を求めるか
物質的欲望が強ければ、真の天国はまるで地獄であり、地獄も力の強い者には自分の天国となる
精神的安らぎに幸せを求めれば、物質世界の執着から離れなければならない
自らが仏陀を目指す仏教は、何故に「執着から離れよ」と説いたのか?
私は子供の頃からよく眠るでしたが、その理由が解りませんでした。特に人混みの中に入ると、もうダメです。二番目の師匠の元に行った時、その師匠からおまえは【霊界の歩くバキュームカー】のあだ名を付けられて、自分が霊的世界の浄化マシンの一人であることが判明したのです。
私は霊が見えるとか、霊の会話においては不適格者と言えますが、霊界の汚れの掃除屋としては適任の面があるのです。
私は2番目の師匠の元で「黒海黒龍神」の浄化に失敗しましたが、その時の話を豊受姫のお代をしていた最初の師匠に話すと、「黒龍神の浄霊などすれば、死ぬかよくても病院送りで、命あってのものだね。するものじゃない」と告げられましたが、その症状のえげつなさはほとんど知られていません。
自分は男なのにお腹が妊婦のように膨れあがって即下痢。トイレから出て来ると、またもや妊婦腹で下痢。それの繰り返し。どこからそんな大量の便が出るのの摩訶不思議。徐々に体力を奪われて行きます。そのまま続ければ死か病院送りです。
人の魂の更生(浄化)に下痢(便)を伴うは精神世界では知られています
便所とは、人が更つ所(改める所)
いくら霊が見えても、数十体の霊の憑依でのびてしまうであれば、それは霊的世界では弱いと言えるのです。自分の体内に霊を入れて浄化する。それが本当に霊的に強い人なのです。
だが、いくら強い霊的浄化能力を持った人が何人か現れても、今のように多くの人が我よしの悪しき想念を放っていれば、社会の浄化は追いつきません。より多くの人が霊的浄化をしなければ社会が狂うのです。傾くのです。
もし、貴方がトイレの夢をよく見るならば、そのトイレとは社会や宗教団体の汚れ、汚いトイレの数々だったでしょう。
トイレは魂を浄化させる場所の夢で、美しいトイレを見れば、それは魂の汚れを取っている宗教団体も世にあるなのです。
また、夢に自分が出す尿がヘドロ状であったなども見られたはずです。自分の肉体が社会の汚れを浄化している。
今の世は、人を更生させる為の環境が無くなりつつあるのです。
魂は自己の肉体を持たないと、魂の更生(浄化)が難しい
聖書においては、人類の【原罪】として、アダムとイヴを唆した「蛇」が語られますが、仏教でも人の間違った欲望、恨み、執着、怨念が人を「蛇霊化」させることは説かれて来ました。
私は改心した神霊の存在が現実界で「蛇の直立」を起こすを見て来ましたが、そんなことはどの本にも書かれていませんでした。だが【蛇】の字を見た時、蛇はそういう意味かと解ったのです。蛇が「棒」の様になるは、映画の十戒だったかと思いますが、モーゼとエジプトの神官のどちらの神が上位かで、蛇が棒に成るように競う場面があったかとおぼろげに記憶しています。
自己の魂を汚さないとすれば、今の世では山奥で一人暮らすしかありません
しかし、そんなことは現代社会では不可能なのです。それこそ、仏教の「小乗」主義で行かなければなりません。
どうすれば、社会の中で自己の魂を汚さないように出来るかです。
人の肉体の肉の字は【内に人】があります。この「内の人(魂)」を汚さない。その為の肉「体」なのです。
この世に肉体を貰って出て来るは、自分は生んでくれと頼んでいないではありません。魂の自分がその魂を浄化する為にも、望んでこの世に出ているのです。その浄化の為の肉体としては、人間の肉体(身)が一番であり、人間として出て来られなければ動物体の場合もあるのです。どうして輪廻転生に動物体に【転生】が説かれて来たのか?。原点を知る必要があるのです。
もう各自の魂に浄化の必要が無くなれば、この世を閉じても何ら問題はないのです。
何故ならば全ての人の魂の【本籍地は霊界】だからです。
それは一部の霊能者の方達が言ったこの世は【魂の刑務所】の終焉であり、この世の魂が高次元界に進むことになればこの世は【天人の苗床】の終焉でもあるのです。
低次元の世界の概念にしがみつくことこそ、【愚か】なり
人としての肉体があるうちに、自己の魂を洗い清めるなのです。


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