人に内在する良心神(神言会)

神は言葉なりき。言葉は言霊で構成され、その言霊による神の仕組みを解説する神言会(kamikotokai.com)のプログです。
神言会では人に内在する良心神(この世の閻魔)とは何かを説明しています。

魂を磨く⑦/お釈迦様の悟りの【この世は苦界】。社会の荒波と言う魂磨きのサウンドペーパー 

私が子供の頃、旧約聖書の神と称する声が言いました。【この世で自分は大変な苦労しました。苦労しましたと言っても世間には通らない。何故ならば自分がいくら苦労を積んだとしても、世間の他の人が同様の苦労を味わったわけではない。そうしたことを言って、世間の同情を集めてはいけない。苦労は自分の為になる行為であって、自分から買ってでもする覚悟でなといけない】。
 
ことわざに
【若い時の苦労は買ってでもせよ】
 
若い頃の苦労は自分を鍛え、必ず成長に繋がる。苦労を経験せず楽に立ちまわれば、将来自分のためにはならないという意味です。

 
私はその旧約聖書の神と称する声が言った、そなたの今生はとても辛い苦しい道を歩ませるを味わさせられました。あまりの辛さに自殺も考え、泣いて泣いて涙も涸れ果てた状態にもなりました。時には怒りのあまり先祖霊の位牌を叩き潰しもしました。自分をこんな苦労に追いやって、何が御先祖霊だ!。

夏の瀧場で瀧水の脳天受けの修業中、夏の湧き水の冷たさで意識が朦朧としてこのままでは死ぬと思いましたが瀧からは出ませんでした。瀧場の中で死ぬ覚悟をしたのです。すると瞑っている目に一つ、二つ、三つと光が見えたのです。これは死なせてもらえないなです。
私の瀧行の様子を見守っていた豊受姫の御代であった最初の師匠は、最初にその瀧場の観音菩薩様が瀧場に飛び込み、次に同じ瀧場の不動明王様が瀧場に飛び込み、何事かと思っていたら伏見稲荷山の稲荷神までが飛んでこられて瀧場に飛び込まれるで、さすがに私の身に重大なことが起きていると察知されて、瀧の水切りという術を行使されたのです。
その時、私の瀧行を見ていた師匠の信徒の方達は瀧の水が切れる様を見て、何と不思議なことが起きているのだと見守っていたと言われます。私自身は瀧の中に居て瀧水が自分に落ちてこない不思議を感じていましたが、その水切りの術の光景は瀧の中の私には見えませんでした。

私は最初の師匠と同様に、自殺を謀っても死なせては貰えない身であると理解して、その後はどんなに辛くても自殺を考えるはしなくなりました。どんなんに辛くても生きてやるです。

 
何故に、若い時の苦労でないといけないのか?。
 
【鉄は熱いうちに打て】
 
鉄は熱いうちに打てとは、人は柔軟性のある若いうちに鍛えることが大事だという教えです。
 
私が18歳の高卒で入社した商社系の会社で、支店に配属で私に二人分の仕事が課せられました。以前は二人の社員がこなしていた仕事を一人でしなさいです。しかも仕事量は以前の二人の時よりも増えているです。
同じ職場に配属された同じ年の者は全員夕方の5時に上がりでしたが、私は毎日会社の食堂で夕食を食べた後、夜の12時頃頃まで働いていました。当時は残業時間手当など一円もつきません。それが当たり前の時代です。日曜日だけが休日で、過酷な勤務だったと言えます。
今の時代だと完全にブラック企業となりますが、夜中まで働かされていたのは私一人だけで、他の社員は管理職でも8時頃には帰っていました。

さすがに疲労で倒れると、会社は急遽一人の方を雇いその状態からは解放されました。あまりのひどさに一年で会社に退職届けをだすと、支店駐在の重役から引き留められました。何故に私にそんな過酷なことをしたのかは、私が大卒を含めて同期60人の大卒・高卒同じ入社試験でトップ成績だったので、将来の重役・営業所長候補で、会社は足りない人を雇い入れるのではなくて、新しく出来る営業所の幹部候補生にして、会社で一番若い営業所長に育成する為に、私がどこまで頑張れるかを計っていたと言います。
当時は猛烈社員の時代であり、そうした頑張りをした者だけが会社でも上に登用されて行った時代でもありました。そこにあったのが「鉄は熱いうちに打て」です。
 
私はその時の長時間労働にも自分は鍛えられたと言います。ただ、今の時代にはそんな長時間労働で残業代も出さないなどとなるとブラック企業と言われてしまいます。また残業手当もないなどは労働基準法違反ですが、昔はそうした会社も存在したなのです。
当時は土曜の休日も半日もなく、月の残業時間など150時間は超えていたでしょう。
そうした意味では昔はどこに勤めていても魂は結構鍛えられており、現代はひ弱となっていると言えます。昔の時代と今の時代を比較するなの批判はあるでしょうが、魂を鍛える意味では昔も現代も同じなのです。今は時代が変わったではないのです。神の世界から言えば何も変わっていないのです。

そうした辛さに我慢できずに自殺しても、霊界では自殺霊は地縛霊と化して、おぞましいことになります。そんな会社なら早々に退職するのがベターであり、私は退職の道を選びました。退職してやり直す道があるのです。
 
何故にこの世の【苦(9)】が必要なのかとなりますと、天の【禄(6)】育成する為でもあるのです。霊界に帰ってからは【6(禄)】の花は咲かないからです。

地上界の【9(苦)】は、天界の【6(禄)】となる
 
この【6(禄)】は色にすると【緑(6)】であり、【翡翠(火水)】であり、翡翠のまが玉の形となるのです。まが玉は「6・9」となりますが、私達はそうした形を【陰陽の図】として見て来たはずなのです。これを白黒で表す陰陽ではなくて「赤(火)と青(水)」と読んでいれば、意外と解ったはずなのです。
白黒の二元論に囚われる必要がなかったのです。
 

こうしたことを書くと、すぐに「言葉遊び」と非難される方達が多いのですが、大本教神諭に【この神(国常立尊)の三千年の仕組み】とあるように、言葉の仕組みとしてなされているものの一つなのです。
私達は天国以外の霊界を【冥土】と言いますが、この「冥」の字は【道理にくらい。愚か。頑冥】をも意味します。冥に「六」があっても「緑」ではないからです。
この世は【苦界】の中で、その9(苦)を反転させて6の【禄】を創れなかったならば、本当の天国へとは進めないとなります。単なる【冥土】です。
 
この世の苦労は自分に課せられた【試練】であり、他を恨む筋合いのものではない
私は自分に課せられた試練から、【言葉の式を練った】のです
 

私が修業のお世話になった豊受姫は、そのお代であった師匠に、【私はあの者(私)にもっともっと苦労を与えるつもりであったが、あの者の母親の神力に阻まれて苦労をかけそこねた】と嘆かれたと言っていました。自分は苦労していますと神霊に泣きついたからと言って、可哀想だ可哀想だと言われてる間はだめだと言うことなのです。
私は私の母親の神力が豊受姫の力さえ阻んだと言われたことに、私の母親の背後の神はどなただろうかと疑問を持っておりましたが、その母親がこの世を去る少し前にその神は【豊国姫(坤金神)】だと解りました。ならば、豊受姫様とて手が出せなかったなのです。
​肉体の母親の愛とは、そうした時には諸刃の剣ともなるのかも知れません。
 
私達の魂を磨くのは、この世での自己の勉学のみならず、他者である社会の荒波で魂が磨かれるがあります。実は、これが圧倒的に多いのです。

お釈迦様の教えに【この世は苦界】があります。しかし、言葉としては知っていても、それが自己の魂を磨かせる社会の荒波のことであるとまでは理解している方は少ないと思われます。
 
この世は【魂の修学・修行の場所】とされて来たのは、この世が【苦界】であるからなのです。
 
だが、この世に降りて来て、この世のどこが苦界なのか?。面白く遊べる世界じゃないかと思っている方は、何の魂磨きにもなっていないのです。それを実感できるのは、この世で他者から虐められたりした時に理解して来るのです。
学校でも職場でも同級生や同僚に陰湿ないじめをする方がいます。こうした方達のことを【鬼】と言いますが、鬼によって虐げられるのです。こうした弱い者いじめをする方の魂はほとんど捻れ曲がっておられます。また、非常に【小心者】が多いと言えます。一人では何も出来ないから仲間を集めて集団で虐めに来るがあります。
 
他人に対していじめをされる方は
弱い犬ほどよく吠えるの弱い魂である為に、自分を強く見せようとするのです。
 
その証拠として、この手の方は自分より強い者には尾っぽを振るがあります。
だが、結果としては魂は弱いから捻れて行くなのです。そうした人達に死後は天国はあり得ません。
私は子供の頃、弱虫の泣き虫でした。喧嘩しても勝てない。泣かされるのがオチです。そうした時、私の肉体の父は10発殴られたら1発は殴り返して来い。他人を暴力で従えようとする者は実際には弱い者だ。一発でも殴り返されたら、逆に虐められたと親に言いつけに走ると言います。
 
ことわざにある【窮鼠猫も噛む】です
 
確かに、金持ちの子で金で手下を集めているような同級生を殴り返したら、お母さん虐められたと親に訴えるような子供達がいました。どちらが虐めたのだです。
私の従兄弟の子供が不良から虐められて金をたかられていました。確かに気の弱い子でした。私は従兄弟から相談されて、殴られても金を出すな。何度殴っても金を出さないと解ったら、もう殴って来ないと言いました。だが、それが出来なくて高校を退学してしまいました。それでは社会の荒波を乗り切れないと心配していましたが、会社も先輩や同僚の虐めで退社するで長続きしません。
 
私は小学校から高校まで殴られたからと言って、ひるむなどはなかったので、やがて不良達からあいつは脅してもだめだとなって、不良達にたかられないでした。逆に下級生が不良にたかられている時には不良達の元に行き、金を返してやれと向かっていくので、不良達が下級生に金を返すでした。
 
私が2番目の師匠の元に居る時、息子が会社の先輩に虐められて会社を退職すると言っています。なんとかしてくださいと母親から頼まれたその師匠は、その夜、霊媒通しでその先輩の魂を呼びつけて徹底的に叩きました。その魂に凄まじい叩きをしたのです。その次の日、その相談者の息子さんが辞表を会社に出そうと出勤すると、その虐めの先輩は早朝に退職届を出して会社を辞していました。ただ、そうしたことは私の2番目の師匠は可能でしたが、私は魂を霊媒に下ろして叩いてしまうなどの芸当は出来ません。
しかし、その霊能者がしたようなことは神霊には出来ます。だが、頼んだからと言って神霊が受けくださるとは限らないなのです。
私は同僚との関係で会社を退職寸前まで行きましたが、最初の師匠を通じて豊受姫様に相談すると、その者がそなたに指一本も出させないようにすると約束された後、その者は私を見ると逃げて行く様になりました。
 
学校でも職場でもそうした虐めをする者達はいます。自分のうっぷん晴らしをする者もいます。しかし、そうした者達を全て取り締まるなどは現在の神霊界では行われていません。
私とは直接同じ職場ではありませんでしたが仕事仲間、その同僚が同じ同僚の虐めから自殺してしまいました。虐めた同僚は誰に対してもそうした態度で、他の同僚達はうまく立ち回っていました。だが、自殺した同僚は僧侶もしていたのですが、内向的だったので上手に立ち回れなかったのでしょう。
 
同じ環境でも上手に立ち回れる者もいれば、立ち回れない者もいる。
自分は上手に立ち回れないと言って不満を言うのではなくて、その同僚も別の職場に転勤願いを出すなどの要領も必要だったといえます。

一般的に霊的世界からすると【自殺は罪】だと言われています。多くの自殺霊が地縛霊となっていることはどの霊能者でも語ることですが、たとえ自分の力が弱くて、それに負けて自殺するでは犬死になってしまいます。
 
自殺するのはとても勇気が要ることであり、人は死ぬ覚悟があれば何でも出来ます

自分の命を惜しまない者は強いからです。極論すれば、この世の刑法は自分を虐める者に仕返しすれば罪を問うかも知れませんが、自殺する勇気があるならば虐める者を倒しても神はこれを罰しません。なぜならば、旧約聖書の神の原理原則は【目には目を、歯には歯を】だからです。相手の理不尽から自分を守ることは正当防衛と見なすからです。
 
私の小学校時代の同級生に小学生でありながら、近隣の不良高校生を手下に持つほどの番長がおりました。もう中学生になると誰も手が付けられない。先生達は逃げ惑うだけです。
ところが、私はその番長に弱いながらも喰ってかかるので、こいつは死ぬ覚悟で向かって来るから恐ろしい。その手下達にあれには絶対に手を出すなです。
 
その番長がある日、私に泣きながら語りました。中学校の校長がその番長を校長室に呼び出して、【自分は校長の椅子を辞してもかまわない。おまえの間違った根性を叩き直してやると、その番長を殴った】と言います。その番長が反撃すれば、体力で校長が吹っ飛んでしまいます。小学生の時に柔道の黒帯です。だが、その番長は嬉し泣きに泣いたと言います。自分の校長としての椅子を投げ出してもおまえを叩き直してやるという校長の言葉にです。本当に自分を思って殴ってくれる校長の愛にです。自分を叱ってくれる本当の愛にです。
 
スピリチュアルで流行る言葉上の愛ではありません。もしもそのことが世間に知られると、その校長は首が飛んだでしょう。だが、その校長は自分の職が飛んでも、一人の生徒を真人間にしたかったのです。
 
本当の神は、その人の魂を本当に立て直ししたいのであれば、
鬼ともなれば蛇ともなる
創造神は、何故にこの世を【苦界】としたのか?

 

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