ことわざに、【縁なき衆生は度し難し】があります。これは、【仏縁のない者は、すべてに慈悲を垂れる仏でも救えない】から来たことわざで、お釈迦様が仏法を説かれていても、【人の言うことに耳を貸そうとしない者や話の分からない者には、いくら説いて聞かせてもどうにもならないから救いようがない】から転じた「ことわざ」なのです。
自分では自分の考えが正しいで、他人攻撃ばかりにエネルギーを費やしている方がありますが、そうした方は何を説いても自己主張に入って聞く耳がないので、そうした話が分からない者と関わることは無意味の教えなのです。
一般的に仏教を信じない者達が縁なき衆生のことだと捉えられる方もありますが、そうでないことは「五千起去」で解ります。
釈迦に説法と言う諺があります。お釈迦様に向かって「仏の道」を説くような人のことです。法華経の方品便第二に「五千起去」が書かれています。
お釈迦様が大事な教えを説こうとしている時、その場に居た5000人の比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷が、自分達は既に悟りを得ていると増上慢(いまだ悟りを得ていないのに悟りを得たと思って慢心する)して、お釈迦様からこの場から立ち去れと命じられた者達のことです。その数5000人です。大多数の人が立ち去れと告げられたのでしょう。
お釈迦様はそれに対して、舎利仏に増上慢の者達は退くもよしと告げられたわけです。自分の教えを受けたからと言って、そうした増上慢はもはや自分の教えを受ける者達ではないと見限られたのです。もはや弟子でも教えを聞く者達でもないということです。そこにあるのは自分は仏法を囓った学んだではないのです。
少しばかりの教えを知ったからと言って、その真髄も解らぬ増上慢の者達に対してなのです。
お釈迦様もイエスにも、全ての人を救う義務などありません
増上慢の者は排除する
イエスは過激にそうした者達は地獄に墜ちろとまで言っています
お釈迦様は自分は困っています。救ってくださいと言って来た人を個々に救ってはおられません。そんなことはいくらお釈迦様がスーパースターであっても、不可能なことなのです。ですから、そうしたことは【観音菩薩】に頼めと説かれたのです。
お釈迦様に自分を救ってくださいと訴えるのはお門違いなのです。覚者には覚者の道があり、今、困っている人の救済ではないのです。覚者の教えとは来世に向かっての教えと言えます。
大本教の出口王仁三郎聖師は、正神界一八十(イワト)段、邪神界一八十(イワト)段と述べておられます。これは人の魂は平等ではなくて、神霊としての【格・階級】が存在しているなのです。
それは軍隊で言えば元帥から将官、佐官、尉官、下士官、兵と階級がありますが、霊的世界では天使の階級とも呼ばれており、差別ではなくて区別があるのです。霊界ではその階級は歴然としており、下級神霊は上級神霊に目通りも会話することも許可されておりません。兵士が大将に向かって対等の口がきけるのかです。
ある方は白狐霊と生活していると言われておりますが、その白狐霊が白狐の身分では冨士浅間大社の此花咲耶姫様には目通りも出来ないと語っています。
私が修業のお世話になった豊受姫は、この神をしても見通せない上級の神界があると告げられました。その上級神界(創造神)から来るものなど、もはや人智で理解出来るものではないのです。
大本教神典では、人類が知ることがない遙かなる過去の神代の時代に神々による【下克上】が起きたとします。みろくの世にはそうした下克上が許されないように魂の身分は固定されてしまうのです。これまでは輪廻転生において魂の地位を上げることが出来ました。だが、みろく世に入る時には【魂の最終審査】が行われて、永久にその地位が確定する。そうした説明がなされたのです。
だからこそ、それが起きる日までは「立替」論を説かなければいけないとなるのです。それは学校の試験のように入学定員が決まっているのではなくて、魂の点数によるものですから、自分の代だけではなくてその日まで説かれるべきだからです。
一八十(イワト)とされる神霊階級。自分がどの程度の階級にあるのか?。下位だと上位の神霊が打つ手が解らない。為には増上慢は禁物なのです。
私は旧約聖書の神と称する声から、【そなたは最初から高い霊格から始めるのではなくて、一番最下位の下座から始めさせる】と告げられました。つまり、私は下の霊世界を知らないではなくて下の霊世界からスタートしたのです。
軍隊で言えば士官学校(防衛大)卒ではなく、一番下級の二等兵的立場から修業で神霊界の階級を上げて来ているのです。叩き上げです。当然、その間の下級兵、下士官時代には誤ったこともしでかしたでしょう。
ですから、私は自分は【聖人君子】ではないと常々言っています。社会の底辺を舐めて来たからです。苦労人の一人なのです。私は常に自分は相手を写す鏡に成ろうと考えて来ました。私を見て、そこに主がおられると言われる方はその人が主に等しき人です。
私は自分は【欠点だらけ】の人間だと認識しています。だからこそ、神そのものではなくて「人」なのです。為に道を誤れば地獄に墜ちる覚悟もしています。別に天国を目指しているのではないのです。ただ、【真理】を学びたいなのです。
私は【真理】を説いているのであって、欠点だらけの私を見て、説いている【真理】の内容を無視するであってはいけないのです。私という人を見ずに神が仕組みをされた【法(言葉の仕組み)】を見よなのです。
樹を見て森を見ないではなく、森そのものを見よです
私が創造神の仕組みを説いても、至らない私を見て創造神の仕組みを否定するではいけないのです
私の間違いや欠点を見つけて喜んでいるのではなく、森全体を見て得るでないと自分の力は着いて来ません。
釈迦に説法とは、これを相撲に例えれば、横綱に向かって同じ相撲取りでも序の口や三段目が相撲講釈をしてくるようなものなのです。持っている技量が違うのに、自分の土俵に横綱を巻き込もうとする。こうした者とは語るなかれがお釈迦様の教えなのです。それは卑怯者でも何でもないのです。土俵が違う者とは相撲を取ってはいけないのです。逆に相撲を取れば上界から叱られてしまいます。
私の趣味は囲碁です。アマチュアの二段程度です。だが、アマチュアの七段とか八段の方が打つ手が私には解りません。見えません。どうしてこんなところに石を打つのだ!。どう先を読んでいるのかです。とんでもないところに石を打たれるからです。
七段八段クラスの方になると、二段の私と碁を打つと自分の手が荒れると言って、なかなか打ってはいただけません。下位の者が打つ手で自分の手が乱れてしまうのです。ですから囲碁を打つ時は、自分と同じ様な土俵の方でないと難しすぎます。
それは霊的世界でも同じで、特に感情論で来る人には、何を言っても時間のムダが起きてしまいます。
先を読む手が解らなければ、黙して思考するのみ
お釈迦様もイエスも霊界に帰れば高級神霊界で、この世を去ったからと言って霊界で出会える存在ではないのです。そうした存在と対等に口がきけるのは、その存在が肉体をもってこの世にある時だけなのです。千載一遇のチャンスなのです。
お釈迦様から立ち去れと命じられた。それはお釈迦様が偉ぶっておられたからではないのです。問題は立ち去れと命じられた者達が、どこで自分の「増上慢」から起こした過ちに気づくかなのです。
こうした霊界の階級は行者の世界では【神の高山】として、十段ぐらいに分けて【合目】で評価されています。
例えば、霊能者Aさんと霊能者Bさん。どちらも自分に天照皇大御神が出て来られるとしても、それが同じ天照皇大御神ではないと言うことなのです。片や八合目であり、片や五合目という意味です。この場合、八合目の天照大御神ならば答えられても、五合目の天照大御神では答えられないが起きるのです。また、にせ者の天照大御神も多数輩出しています。
私の最初の師匠は通常は自分が神主を勤めている神社の御祭神である豊受姫に聞いておられましたが、その豊受姫では解らないとなると、必ず伏見稲荷山に詣でて、伏見稲荷大社の御祭神である豊受姫から直接に聞かれておられました。その神界のトップ神に聞かないと解らないことがあるのです。
師匠の神社の豊受姫は私に対しては、最初は貴方には妙見(天之御中主)様の御使者神が居られるでしたが、伏見稲荷山に上がって、豊受姫から私の本守護神は【国常立尊】であると告げられたなのです。トップの豊受姫様でないと解らないだったのです。霊能者で同じ神名の神霊のお代をされていても、まったく違ったことが出てきます。そのお代たる人の能力で違っているのです。
大本教の出口王仁三郎聖師さんは、関東大震災や広島や長崎に新型爆弾(原子爆弾)投下などを予言されて当てておられますが、私の最初の師匠は豊受姫のお代として阪神淡路大震災や普賢岳爆発を事前に言っています。世の中にはその師匠以外の豊受姫のお代をされている霊能者の方もあるでしょうが、そうしたことを事前に知らされたはないでしょう。そこにはお代たる霊能者でも格の違いが歴然としてあるのです。
私の最初の師匠のことを書いた本が、この分野のベストセラーになっているとの話を聞きましたが、その本とは別の本人自身の著書に、修業を積んだお代としての霊能者と単なる霊能者はまったく別物だと書いています。
その師匠は霊が見える。霊と会話すると言う方に対しては霊が見える。霊の声が聞こえるを封じていました。本人の為にはならないからです。だが、封じても封じても霊が見える。霊の声が聞こえる人には修業を命じていました。修業を積まないと最終的には霊にだまされてしまうからです。
だが、そうした修業に入った方達もその多くは途中で潰れてしまいました。男ならば絶世の美女の女神、女性ならば小説の光る源氏のような美男子が現れて、メロメロにされてしまうと言います。そうした誘惑から邪神界に誘われるです。霊と結婚など出来ないのに、結婚願望を起こしてしまうのです。
私の最初の師匠は豊受姫様の御代として、非常に高い評価を受けておられましたが、自分の弟子とされたのは私と私より若い兄弟子の二人だけであり、その師匠の元から幾人もの神霊の御代さんは出られましたが、それらの方は通常の講員としての立場でした。
私は霊能者にはまったく向かなかった不祥の弟子でしたが、その兄弟子であった方は、今は何万人もの信徒を持つ教団の教祖様に治まっておられます。
その教祖様となった兄弟子が、卑弥呼の魂を持った女性と結婚したいとその師匠に言ってこられた時、その師匠は、即座にその女性は卑弥呼の魂ではないと言われたのです。だが、兄弟子となる方は自分は何万人者もの信徒を持つ立場であり、自分には伊弉諾尊や伊弉冉尊が降りて来られるほどの者。自分のその女性が卑弥呼の魂の見立てに間違いはないと結婚されたのです。
それからしばらくして、その教祖をされている兄弟子は師匠の元に、あの女性は卑弥呼の魂ではなかったので別れましたと報告されたのです。
何万人もの信徒を持ち、自分には伊弉諾様や伊弉冉様が降りて来られる教祖様であっても、卑弥呼の魂の持ち主を見誤ってしまわれたのです。それは何故かと言った時、この教祖をされている兄弟子に降りている神霊は私が見る限り伊弉諾・伊弉冉であっても神界の合目が低いなのです。ですから、神霊にその真偽を尋ねていても、神霊そのものにも見間違いが生じます。
私の最初の師匠は綾部のある土地を見て、大本教で説いた【天の御三体の神が降臨される場所】と私に告げて、私に【貴方はこの土地で大本教を遙かに凌ぐ大教団を創られる】と告げられましたが、私はそこが大本教で説く【天の御三体の神が降臨される場】であっても、私がそこで大本教を遙かに凌ぐ大教団を創ることはないですと言いました。
私に見えていたその場所の光景は今の世ではなくて、立替後の霊的光景だったからです。私に来世で人の立場があれば、その時の光景です。それは私が見た光景では太陽が上がる南北が正反対だったからです。だとすれば、今の世ではないことになります。
私は神々を見たり会話する能力は無いに等しい者ですが、その見立ては当たっており、その師匠も【あなたの見立ては当たっている】と言っておりました。
私の見立てとは、この神霊は高いとか低いの判断であり、霊能者も見ていれば優秀とか二束三文とかが解ることです。私はその師匠から【別格官幣大社】とあだ名を付けられましたが、大社を預かる神霊以上の神界での格はあるなのです。ただ、今はそうした神力の発揮は付与されていないのです。
つい先日も、ある方が自分は素戔嗚尊と名乗っておられて、東京直下型地震や南海トラフ地震の発生を事前に防ぐことに成功されました。ただその方が主催する会の会員が少ないため、その型の力も弱く、311(東日本大震災)の地震を防ぐことには失敗しました。その方の講演会に参加されて、本人を見て本当にそんな力があるのか判断して欲しいの頼みです。
どうして私が汽車賃や宿泊代まで個人負担して、その方が本当の素戔嗚尊かを見なければならないのか?。そんな義務などありません。その方にはその教祖が素戔嗚尊に見えても、私は数多くの霊能者の方に出会って、自分が創造神だとか救世主だとか称する方にも多数出会って来ました。もう出会わなくても解ります。
強い霊能者はインターネットからでもこちらに波動が来ます。本当に恐ろしい霊力を持った方も世の中に存在しました。中には何百体もの龍神と呼ばれるような存在すら動かして来られるのです。私を霊的に殺しに来た霊能者達も存在します。そうした殺すの修羅場をくぐって来たのです。ある意味、生きているのが不思議なのです。自分が霊に殺されるような修羅場を経て来ますと、自然と相手の力が解るようになります。
その教祖は私の見立てでは、よくあるミニ教祖と同じ段階です。そんな東京直下型地震や南海トラフ地震の発生を事前に防いだなど、証拠にもならないことを言いなさんなです。出会って見て欲しいとあまりにもしつこいので、今後は私にメールを送らないようにとお断りをしました。自分がその方が本当の素戔嗚尊と信じたければそれで行けばいいだけなのです。
以前、そうした教祖の講演会に参加して欲しいと頼まれて、久し振りに東京にも行ってみたかったので、汽車賃や宿泊代を自己負担してその教祖と出会いましたが、信徒が全て亡者の姿であり、教祖は地獄に墜ちると見えまして、一人の霊能者の方だけは助けるにしましたが、後の方はどうぞ地獄に行ってくださいです。教祖個人崇拝で道理がまったく解らない信徒さん達ばかりでした。
大本教の出口王仁三郎聖師が述べられた、信徒を天国に案内すると言いながら地獄に案内する取次者です。
古来より、健全な心に健全な神が宿る
増上慢で人を攻撃することばかりに走るでは健全な神は宿らない
他人攻撃ばかりしていると、自分の魂はドンドン堕ちていくことになりかねません。他人攻撃をしていて、自分の魂が上がって行くなど道理で考えてもあり得ないことなのです。知らず知らずに下に落ちて行って、下の霊が見せる光景に惑わされるとなりかねないのです。
自分には神霊が見える。神霊と会話が出来るといくら言っていても、低い合目の神霊を見て会話しているではあまり意味がないのです。上級界の神霊が、どういう手を打つておられるのか、そこが見えないのです。
私が示しているのは【人に内在する良心神】の説明が言葉の式でなされている事実に目を向けなさいであって、霊が見える霊の声が聞こえる霊能力がある方に天照大御神が憑いていようが素戔嗚尊が憑いていようが、それは関係が無い話なのです。その天照大御神が素戔嗚尊が大本教が予告した【九つ花】を【言葉の式】で解くこと(説くこと)が出来たかどうかなのです。
それは私が初めて伏見稲荷山に上がった時、豊受姫が私に言われた【あなたの言葉による教え(言葉の仕組みの解説)が聞けぬ神は、いかなる神であっても最後には天帝により処罰される】と告げられた【天帝(創造神)】の存在の証明なのです。
その天帝とは、【終わり(破壊)の神にして、初め(創造)の神」
私は一部の霊能力がある方から、あなたがしていることは単なる言葉遊びに過ぎない。あなたは邪神の低級霊の方だと告げられても、どうぞどうぞです。仮に私の言葉の解説が言葉遊びとしても、言葉で言葉遊びが出来るように仕組まれた神が在るなのです。それがどれほど困難な作業だったことかと気がつかないのは、その方の目が「慢心」から曇っているのに過ぎません。
私は2番目の師匠から【霊界の歩くバキュームカー】のあだ名を付けられていましたが、低い霊を肉体に入れて浄化する特異な霊媒質者で、常時低い霊が肉体に懸かっています。自分は高い魂だと歩いていれば、低い霊を浄化出来なくなります。浄化を求める低い霊が寄りつけないからです。
そうした特異な霊媒体質者ですから、大本教の出口王仁三郎聖師が信者に大本教に内密で死守せよと言われた、一部の霊能者が言う霊界の汚物の吹きだまりのような場所に住むことも出来ます。
ある霊能者は、そこは霊界の汚物の吹きだまりで、いくら浄化しても浄化しても汚物が吹き込んでくる。自分でないと、その場所に汚物が吹き込んで来るのを止められないと言って来られたので、あなたの力では無理ですよと答えたら、おまえは生意気だから殺してやると仲間の神官達と生き霊で私を殺しに来られたがあります。その霊能者の方も「慢心」の塊でした。
慢心に陥った人の改心・悔い改めは難しい
そうした非難をする方達の霊能力で私を見ると、私がお世話になった阪神淡路大震災や普賢岳爆発を事前に言い当てた豊受姫様まで黒狐の邪神に見られています。そうしたことを言いたいのであれば、その方達が見る本当の豊受姫はそれ以上の予言の数々を出して言い当ててから言うべきなのです。また、私がお世話になった師匠のように目の不自由な方の目を開けた。多くの人の病も助けて来た等の実績も必要です。わらわは本物の豊受姫などの名乗りは意味がないのです。
ある霊能者は伊勢神宮で出てこられた女神から、あなたが大本教の出口王仁三郎聖師が予言した本当の変性女子だと言われて、伊勢神宮の神が言われるのだから本当だと大本教に押しかけたがあります。伊勢神宮でも危ないのです。本来の伊勢神宮の神霊ではなくて、自分に懸かっている霊の自作自演がどの神社でも起きるからです。
自分に見えている霊的光景とは、自分に懸かっている霊が見せて来る映像に過ぎないからです。
単に自分の前に出て来た霊が本当の豊受姫で、私がお世話になった阪神淡路大震災や普賢岳爆発を事前に言った豊受姫は黒狐だとするならば、その人が見る豊受姫にはそれ以上の神力がなければおかしいとなります。【道理で考えれば】本当の豊受姫は、黒狐の豊受姫と名乗っている霊よりも予言能力も病気治しの力も弱いのかとなります。
道理というものをわきまえていないと、霊能力がある人には何十体とか何百体の霊が憑依して、それらの霊が俺々詐欺の役割分担のように自作自演のマッチポンプを起こすにやられてしまいます。ですから、本当の霊能者は数少ないと言われているのです。いくら本人が素直であってもプライドが高いと、そうした霊の餌食になりかねません。慢心は禁物なのです。
正神界と邪神界ではまったく反対に見えます。正神も邪神から見れば邪神であり、邪神が正神となります。白と黒の立場が逆転するからです。正神でも邪神でもいいのです。今の神霊世界は勝てば官軍。負ければ賊軍だからです。大本教にしても、邪神の汚名を着せられて戦前の国家神道に叩きつぶされたからです。それは国家神道に勝つ力がなかったなのです。
要は、どちらであっても神は力の発動がなければ嘘になるなのです。実際に数々の予言をして言い当てる。難病も治癒する。そうした力が無い神霊は低級霊となるからです。
私は何の予言もしなければ、難病の治癒も出来ません。ですから、低級霊と言われてもいいわけなのです。単に言葉の仕組みの解説者にすぎません。
ただ、自分の魂の中に良心神を確立しておかないと、死後の世界に渡ってから苦労しますよと言うだけです。
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