人に内在する良心神(神言会)

神は言葉なりき。言葉は言霊で構成され、その言霊による神の仕組みを解説する神言会(kamikotokai.com)のプログです。
神言会では人に内在する良心神(この世の閻魔)とは何かを説明しています。

魂を磨く⑤/外部の力を借りずに、自己の【奇魂】の学びで魂を磨く

私が小学校の5年生から6年生頃、私はクラスの図書委員となって、放課後は小学校の図書館で図書司書さんの手助けをしていました。

 

その頃、私に臨んだ旧約聖書の神と名乗る声は、【旧約聖書は我が書なれども暗号化して人類に降ろしたものであり、文面通り読むと意味が解けぬ。暗号化の為である。新約聖書は人の子達が為した書で、私の書とは言えぬ。日本神話の「天の岩戸開け」は私が予告の為に創作させたものであり、事実には非ず。それが予言書であることを紐解きなさい。そなたはこの神を知る為に、世界の文豪達の小説を読みなさい。日本であればことわざや民話や日本昔話やわらべ歌等に私の教えを秘めた。一番重要なわらべ歌は「かごめ かごめ」である。そこに大切なことを秘めた。多くの書物を読むことによって、多くの知識を得ることで自分の魂は磨かれる。】と告げられたしだいです。

 

別に町の図書館に行かなくても、小学校に併発されていた図書館で図書委員の役目として放課後は強制的に居るのですから、たくさんの書物を読むことが出来ました。漫画本でなく、世界の文豪達が書いた名作は、私の心も育ててくれたと言えます。 私が言霊師たる2番目の師匠の元に行った時、その書棚には高価な漢字の原典書と並んで日本昔話や民話の本が多く置かれていました。その師匠も漢字と日本昔話や民話から神の教えを学んでおられて、その御祭神は「国常立尊」と称されていたので、当時の私はそれを疑うことすら起きなかったと言えます。

 

この旧約聖書は【暗号書】であるの話と連動することですが、私が豊川稲荷神から直接聞かされたことに、【神界からこの世に神示を降ろすと反対派(豊川稲荷神からすると反対派勢力の神々)に筒抜けとなる。為に、人に神示を降ろす時は、どうでもいいような内容(人の御利益)は別として、大事な内容(神界に関わる機密的なこと)は真実と嘘とを織り交ぜて降ろす。一種の暗号化であり、神霊の神示を鵜呑みにせず、その内容にどのような隠しが秘められているかを読み解く力がなければ神示は間違える】と告げられたことがあります。

 

 

私が説くお釈迦様の悟り【人に内在する良心神】とは、単に良い心のことではありません。私が良心神を言うと、【そんな良心神など、貴方から教えて貰わなくても解っていますから結構です】と言われる方がほとんどです。

しかし、本当は何一つ解ってはおられないのです。それは良心神を単なる「良心」と思っているからです。大本教神諭予告には【この世の閻魔大王】として現れる。

 

この世の閻魔が【良心神】と解らぬようでは

お釈迦様の悟りの【良心神】など解りません

 

 

日本神道の一部では【一霊四魂】を説きます。古神道系で、古神道には「一霊四魂」説など昔は無いと言われる神道家の方達が居られますが、それは日本の神道界からはお釈迦様やイエスの様な【叡智】を持つ方が出ないで、単なる【儀式屋】ばかりが出たからにすぎません。

日本において創造神と呼ばれる神の存在が浮かび上がったのは、妙霊、黒住、金光、天理の先走りと言われるように、本格的にその存在が出て来たのは大本教からなのです。為に、妙霊、黒住、金光、天理からは大本教神諭予告【九つ花】の存在は出ていないのです。この【九つ花】が無ければ、何も解らなかったなのです。ただ、大本教で出した【九つ花】は本来とは違ったものだったのです。

 

前回のブログの「魂を磨く④/汚れがない捻れた魂よりも、汚れていても魂は丸くないといけない」に【艮(牛虎)金神・坤(羊猿)金神に秘められた意味】の図解を出しましたが、その中で叡智である【奇魂】が働かないと魂の点数が上がりません。日本の神智学で愛ばかり説くのは「蛇霊」の教えとしますが、その意味も示しました。

そこに示したことは、魂は丸い球体ですが魂の理論として平面図で示されるものです。その内容は今日までの優れた霊能者であり宗教家の方達が既に述べてこられたことですが、自分がしっかり勉強していれば誰でも知り得た知識なのです。

では、何故にスピリチュアル標榜者はそれを知らなかったかと言いますと、自分の目に見える霊、声が聞こえる霊に囚われて他者からの叡智を学ぼうとしないからです。

 

前回のブログの図と似たものですが、大本教の出口王仁三郎聖師が説かれた【五情】と魂の関係を出しますと

 

 

その中で【奇魂】を見ていただくと、それが直霊(良心神)と結びつきますと【覚り(悟り)】にと行きます。ところが反対になると【覚れ(悟れ)】ないとなるのです。

 

スピリチュアルでは悟れないのは、この奇魂の働きがないからです

神霊世界で圧倒的に蛇霊が多いのは、愛に片寄ったからと言えます

 

 

私が十津川の「玉置神社」に参拝する前夜、近場の温泉宿に泊まっていました。宿での朝食前、私の前に【猿顔】の方が現れました。私の玉置神社参拝に当たり、事前にご挨拶に来られたわけです。で、私はその「猿顔」の方に首を捻っておりました。単に玉置神社の御使者神だろうか?。です。

玉置神社に参拝に入って本殿を見ますと、朝に出て来られていた猿顔の方が殿と中央に座っておられます。私は一瞬玉置神社の御祭神は【猿】かと思いました。どう考えてもそれが【国常立尊】様とは思えないのです。しかし、すぐにそれは【奇魂】の意味であることに気づきました。

 

奇魂の神は【猿】として現れる

 

お釈迦様の逸話として、どこまで本当かは定かではありませんが、お釈迦様が仏陀となる以前に船乗りであった時があり、港町の安酒場で喧嘩で人を殺められたことがある。その罪によって【猿の身】に墜ちたとの話があります。私はその【猿】は何の意味だろうかと思っておりましたが、猿は【奇魂】を意味していたのです。お釈迦様は【奇魂】の働きだったとなります。

私の場合は何の罪を犯したのか覚えてはおりませんが、【牛の身】に落とされていたことがあります。それは私が【和魂】であったなのです。

 

自己の魂を磨くのに、今日までの教えで大きく欠けていることは【奇魂】の働きを無視していたことなのです。

 

仏教において【悟りを第一】とするのは、自己の【奇魂】を働かせるなのです。

 

そうすれば、必然的に魂は【丸い玉】にと向かって行きます。そこに、菩薩と如来の違いが鮮明になるのです。

 

 

神本来の愛である幸魂の働きは、【神を畏れる】で、創造神を畏れることで「幸」を得ることが出来るのです。

イスラム教徒の一部には過激なテロに走る人達もありますが、穏やかな多くのイスラム教徒は創造神を畏れることによって、霊界では悪くない世界にと進めていると言えます。

 

何をしても神の愛で赦されますのスピリチュアルでは、ウシトラ(牛虎)の魂論を無視しているからと言えます。

 

仏教の目連尊者の母親は目連尊者にとっては愛の母親であったなれども、行く先は餓鬼地獄の世界でした。お盆に供養するのが目的ではなくて、何故に愛の母親が餓鬼地獄に墜ちなければ行けなかったのに気がつかないと、「愛」一辺倒の教えでは地獄行きなのです。

 

今の世に、本当(真)の天国界に進む人は数少ない

 

天国に案内すると言いながら地獄に案内する取次ばかりは大本教出口王仁三郎聖師の言葉ですが、この世の閻魔が解らぬスピリチュアルで地獄界は花盛りは閻魔庁付きの判官の言葉。

 

 

 

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