私は魂とは【丸い思惟玉】だと説いて来ました。私があえて魂の写真を出したのもその為です。一方、【捻れた魂】の存在も説いて来ました。その「丸い玉」にも、汚れが無い玉と汚れた魂があります。
世間で100人が100人とも、あの人は「良い人」だと評価されている方がありました。性格は温和で、誰に対しても親切で申し分がありません。ところが、その魂を見ると玉は丸いのですが、その魂は汚れでどす黒くなっていました。魂の点数としても低いものです。世間の評価と魂の評価点が違っている?。のです。
その理由は、その方の世間の評価として出る表向きの顔ではなくて、陰でしていた自分の良心を失う数々の行為なのです。それは巨悪とか世間を困らせる悪ではなくて、自分さえ得すればいいの不正義の数々なのです。それが、僅かな悪行だからたいしたことがないと思っていても、日々の行為でチリも積もれば山と成るなのです。
その方はそれが悪しき行為であることは認識されていました。悪の認識出来るということはその方にはまだ「良心の種」が残っているなのです。それは魂が丸いからです。誰に対しても温和で親切だからです。私が説いて来た【人に内在する良心神】は魂の円真たる核なので、魂は丸くないとダメなのです。
性格が温和で誰にも親切であれば、魂そのものは丸くて変形はしませんが
悪を悪と認識していれば、その悪で魂は汚れる
神は悪人だからと処罰しているではないのです。悪人でもその魂はさほど汚れていないがあります。義賊「鼠小僧」の話がありますが、金持ちからは盗んでも貧しき者から盗まないは、同じ悪でも貧しき者を虐げる悪とは違って来るのです。
性格が温和で誰に対しても親切な方は、誰でもその人は「良心」を持っていることは理解出来ます。しかし、その「良心」に反する陰での行為の数々までは外からは見えないのです。
それは、世間の目はごまかせても魂はごまかせないのです
一方、世間では何かと問題を起こされる方がありました。その魂を見ると、捻れてしまっています。しかし、その魂には汚れがありませんでした。その御本人は自分がしている行為が良心に反する悪しき行為であることすら認識出来ておられませんでしたので、良心が存在していないから魂が汚れていないと言えます。
ともかく自分さえ得すれば、それでいいと走るなのです。自分の行動に注意する邪魔者は威嚇するです。暴力を振るうでした。丸い玉には存在する「核」たる良心神が捻れた魂には無いのです。
しかし、その本人がしている悪の行為は巨悪には遠く、些細な悪の積み重ねばかりです。では、どうして魂は腐っていなかったのか?。それは本人が【義侠心】を持っていたからです。ただ、偏屈そのものだったのです。本人自身の今生はある意味【自分勝手で、好きにやりたい放題】で、幸福な人生であったとは言えます。
その魂は捻れていますので、もうその魂には【良心の種】は存在していないのです。魂が捻れ曲がっていたのはその【偏屈】からとも言えます。性格が偏屈だと、どうしてもその魂は丸くはなりません。
良心神がなければ悪を悪として認識出来ないので、魂の汚れは起きないが
そうした魂は性格が丸くなく、偏屈で攻撃的なことから魂が捻れてしまう
逆に言えば、魂が丸ければ悪で汚れていても良心神の種は残っていて
為に悔い改めれば、新しい【心棒(杭)】も立つ
人に良心が無いと悪の認識は出来ないので魂そのものは汚れませんが、良心神が無いことで魂全体の点数はどうしても上がりません。上げようがないのです。
愛ばかりを言っているスピリチュアル系の方にいくら良心神を説いても、良心神が解っていないので、この手の方の魂の点数も低いと言えます。
大多数のスピリチュアルの標榜者は蛇霊が説く【愛】ばかりを言うので、【良心神】が理解出来ないのです。
下記の図は【一霊四魂】に関連したことで、以前の私のブログに出しましたが、一部の霊能者の方達も同様の似た図は説かれていることです。ただ、私はそれらを大本教が出した「牛虎金神と羊猿金神」の関係で説明しているだけです。
無論、魂は円球であり、この様な形ではないのですが、分かり易いように平面図として説かれているわけです。
あの人は魂が綺麗だ!。魂が綺麗だ!。だけでは、魂の総合点数は上がっていないのです。お釈迦様の悟りは【叡智】とされますが、お釈迦様の悟りである【人に内在する良心神】は、その叡智(猿)の賜なのです。いくら魂は綺麗だと言っていても、【叡智】で良心神が理解出来ないのであれば、その魂は変形に入って行く危険性を持ちます。
叡智による学びを得なければ、魂の総合点は上がらない
魂が丸くなく、他者に攻撃的であれば魂は捻れて来る
良心の存在が解っている方は【罪の呵責】を覚えますので、どうしても些細な悪でも魂を汚すことにはなります。その為に魂の点数が低くなりますが、良心の呵責を知ることは良心神そのものは存在していますので、魂を元の姿に戻すことは可能なのです。そこに【悔い改める】が説かれるのです。
魂が丸くて汚れただけの魂ならば、汚れを洗い落とせば元に戻せます
本人の【悔い改めの涙があれば元に戻る】なのです
涙と戻る
もしも、最後の審判と呼ばれる事態が起きるとしても、その前に多くの魂を助ける為に魂の汚れを洗う【祓いの嵐】が起きるでしょう。それで祓いで汚れを洗われた魂は、元の純粋の魂となるのです。
そこに【悔い改めさせる良心神】の教えの心髄があります
大本教神諭、【米】は一粒だに落とさない
私はある出来事が起きることを待ち望んでいました。それは、汚れた魂も洗い清めてしまう神の力の発動です。
その時、良心が解っている者はその【立替の祓い】によって、多少は苦しい面はあるでしょうが、これまでの悪しき業による魂の罪の汚れは祓われることになります。
【祓】祓いは【犬の示し】なので、来年の犬年から汚れの清めの力が起きて来るかも知れません。どこまでも起きるかも知れないと言う証拠無き話ですが、霊的にはその要素が既に現れて来ている面はあるのです。
悪しきものは、どんどんその悪しきものが世の表面に現れる。自分がその悪しきものに巻き込まれる危険性を祓いたまへなのです。
私が使っているマークを【○十】から変えたのもそのためです。大本教の出口王仁三郎聖師が本当の金龍海と告げられた陸の龍宮の祓いです。今は準備段階というところでしょうか。
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