第××項 稲荷を捨てて、言霊(米教)の道へ
私の最初の師匠がこの世を去る少し前、私に対して【あなたほど摩訶不思議な体験をされて来た人は一人もいないでしょう。貴方の身に起きる出来事が解る神など、日本国中探しても一柱も存在しないでしょう】と言いました。仮に私と同じ体験をされた方があったとしても、言葉の仕組の紐解きは無理だったかと思います。
私にしても初めて伏見稲荷山に上がった時、豊受姫から【貴方は言葉の教えをする方】と聞かされていなかったならば、霊的な遭遇を言葉で解釈する等には行き着かなかったと思っています。
私の最初の師匠は幼児の頃から白狐達と遊び、娘時代から不動明王の御代(オダイ)を経て、【豊受姫】の御代となられた実践派の霊能者としては一流の方でした。神霊世界に関わって60年以上、その間に見て来たもの、関わった事件は数知れずです。神霊世界を見聞して来た内容は私が見た比ではありません。
だが、その師匠をして【あなたほど摩訶不思議な体験をされて来た方は一人もいないでしょう】と言わせしめる体験を私はして来たのです。それは【言葉の仕組】の紐解きの為のものでした。
私が子供の頃、旧約聖書の神と名乗る霊声は次のように語って来ました。【人はその一生で何もかも知ることなど出来ない。人がその一生で体験出来ることなど、僅かなことでしかない。されど、自分は体験していなくても他の人が体験しているかも知れない。他の人の体験を頭から否定するのではなくて、他の人の体験を聞いて学び、それを自分の体験とするならば、より多くのことを知ることが出来る。学ぶことが出来る。】です。
私の最初の師匠は豊受姫の御代としては当時№1とも言われていました。その神霊の取次者としての著本は本人自身が述べた「霊能一代」もありますが、最近その師匠を取材して来たライターによる「お稲荷さんと霊能者」という本も出ているようです。「霊能一代」は今は絶版本で、中古本でアマゾンで8万5千円というとんでもない価格がついています。
霊能一代は発売当初はさほどでもなく、伏見稲荷大社の参集殿や稲荷山の茶店で売られていましたが、神の【オダイ】とは如何なるものか、そうしたことが書かれた著書が他にはあまりないことで貴重性があったとは言えます。
オダイたる霊能者とスピリチュアルとでは、同じように見えてもまったく違います。スピリチュアルには修業に修業を積んだ方はあまりないでしょうが、オダイは過酷な修行を積んで神霊の【代位者】となっているからです。
私の最初の師匠は100日間断食を2回こなしています。それも単なる断食ではなく、その断食の期間中、毎日伏見稲荷山を一周するという信じがたい荒行です。終盤になると、立って歩くことはかなわずに這って伏見稲荷山を一周したと言います。ただ、当時はそうした修行をする人の為に世話をしてくれる茶店宿が存在したのです。
その茶店宿は後日伏見稲荷大社の御膳谷社務所となって建て代わっしまいましたが、昔は行者を世話したのです。しかし、こうした修行はその師匠は幼児期から白狐達遊んでいたので可能だったのであり、通常の人には出来ない荒行と言えます。
私は最初に出会った霊能者の方から、私の家系先祖霊から「私には断食や瀧行等の荒行は一切必要無し。そうした荒行はこの先祖霊が代わりに充分に修行を積んできたので不必要」と告げられたそうですが、その霊能者の方から、御先祖霊はそう言われておりますが、何事も体験経験あってのものです。荒行も体験されることをお薦めします。自分は年老いているのでそうした荒行の指導が出来ませんので、そうした荒行の指導が出来る先生を見つけて体験してくださいと告げられました。
そして最初の師匠に連れられて瀧行を受けた後、私はヒンズー教の奥義書とされるヴェダー典に残る【人の中に眠るコブラが目覚めて走り上がる時、その人は真理に目覚める】を体験して真理の探求にと入ったのです。
そして、伏見稲荷山にて当時の師匠は伏見稲荷大社講社の婦人部長をしていたので、自分は講社の用務で指導が出来ないが貴方は龍神さんに守られているので単独で瀧が受けられます。で、二度目の瀧行を単独で受けていると、瀧の水にアップアップして瀧水から逃げようとすると、その瀧水が逃げる私を追いかけて来ます。瀧水が追いかけるなどあり得ない出来事です。
その出来事を師匠に話すと、師匠は即座に【貴方は瀧行や断食の様な行をなされる方では無い。貴方は「里行」の方ですと告げられました。それでもと思って、その後も瀧行は受けていたのです。
私自身は4年間ほど、その師匠の弟子として鞄持ちで伏見稲荷山で見聞して来ましたが、そうした本に書かれている内容は事実であったことを、自分の体験を通して認識しています。そして他の人の体験も自分の体験としたのです。
科学者や医学者があの世(霊界)とか神霊の存在を否定するのは、明らかに【体験不足】から来る無知と言えます。
その当時、伏見稲荷大社で私の最初の師匠を見たある行者さんは、私にあの女の方はあんたの先生かと聞き、女性でもとんでもない行者がいるもんだ。男でもこれほど行者はめったにはおらん。だが、これほどの先生をもってしてもあんたを育てることは出来ない。あんたを育てることが出来る者などこの世にはおらん。それはあんた自身解っているはずじゃ。あんたは自分自身で道を切り開かないといけないと言われました。
私はその師匠から、貴方は神の御子であり自分にはあなたを育てることなど出来ません。ただ、修行の面倒を見させて貰いますと告げられてはいたのです。
私が子供の頃に旧約聖書の神と名乗る声は、【そなたが歩く道は、これまで人類の誰一人として歩いたことがない道で、そなたの後にもそなたと同じ道を歩く者は二度とは出ない。そなたが最初の者であり、そなたを以て最後の者となる】と告げられています。つまり、私には私が行く道の師匠は存在しないと告げられてはいるのです。
私の行く道の師匠には出会えませんでしたが、霊体験を見させてくれる良き師と反面教師たる師と二人も出会えたのです。私はその2人の師匠以上の霊能者を探しましたが、見つかりませんでした。
特に反面教師となった「言霊使い」の師匠は、私にとってはもっとも「恩義」のある方となりました。この言霊師の師匠に出会っていなければ、私は【神は言葉】と大本教神諭予告【九つ花】を紐解けなかったでしょう。
ところがある日、伏見稲荷山で修行中の私の体内から私に臨んだ霊声は、【何時まで稲荷神に欺され続けていたならば気が済むのだ!。この大馬鹿者が】と私を叱って来たのです。それは私が子供の頃に聞いていた旧約聖書の神と名乗る声とは別のものでした。
それは外部からの霊声ではなく、私の肉体の腹(高天原)からの声でした。それは私に憑依している霊からではないのです。人の腹は【高天原】に通じているからです。人の肉体の頭上から出る霊子(たまのこ)線よりも、腹の臍から出る霊子線の方がより重要なのです。で、私は稲荷神界の神々ですら「欺しの世界」の神と認識して、私は稲荷神界を離れて【言霊の世界】にと転じたのです。
と言っても、霊能者は掃いて捨てるほど居ても言霊とは何かを知る言霊師と称する方は日本でも若干名です。そんな数少ない言霊師を師匠に持てたのは、全て神の計らいだったとは言えます。が、その言霊師の師匠から【死神】を送りつけられて、その後その後遺症で長く苦しみました。
霊能者は全て正神界に所属ではありません。今の霊界は力が強い者が支配するで、正神も邪神も存在します。霊界に関わるには、時には自分の命をもっていかれる危険性すらあるのです。
稲荷の稲の教えと【米】の教えは「瓜二つ」でも
米の仕組とは、言葉を創りし神の存在を告げる
豊受姫の御代をしていたその師匠でも、私に【出来ることならば、神の御代などしたくはなかった。神に仕えて先生、先生と言われるよりも、普通の人として普通に生きたかった】。それが本当の声だと言えます。普通の人として生きれることは、それはとても幸せなことなのです。
神の世界に仕えるのは自分が選ばれた者ではありません。どれだけ【貧乏くじ】を引いても耐えられるかです。そこを錯覚して、自分は偉い者だから選ばれた者と思うと間違えるのです。
それは私が子供の頃、旧約聖書の神と名乗る霊声から、あることを告げられたからです。【神の世界に仕えることは、とても辛い作業である。特にそなたは他の者よりも辛い道を歩くことになる】。泣いて泣いて涙も涸れ果てたなのです。しかも、いくら気の毒な人を見ても自分に力がない為に助けてあげることも出来ないのです。
言葉を創りし神は私に力を授けて力で押すのではなくて、私が解読した【言葉の仕組】を見て、そこに創造神の存在を認識して、自らがその創造神の下僕となる人でなければ、大本教神諭が説いた【誠】の者とはなり得ないのです。
その【言霊】の世界に入って、私の神観は百八十度も変わったと言えます
私がそこで見たのは聖書の【言葉は神と共にあった】なのです
ただ聖書では、言葉としたことにより【言霊】の意味が解らないなのです
私はそれを知った時、あまりのことに苦慮しました。神とは神社や仏閣に鎮まっていると思っている人からすれば、言葉は神なりきを知るのはお釈迦様の「悟り」以上に難しいからなのです。
私は子供の頃、旧約聖書の神と名乗る霊声から【私はこの世の幕を引く】と告げられました。だが、それは単に【人類の滅亡】を意味した物ではなくて、次に【嬉し嬉しの永遠の世が訪れる】為の「今の世の幕引き」であるとも教えられました。
ただ、その嬉し嬉しの永遠の世とは、この地球上で展開されるのではなくて、聖書のヨハネの黙示録に記載される【今の天地は滅びて、私は新しい天地を見た】の方です。だが、それはあまりにも途方も無いことであり、既存の神霊や天使と称する霊達が語れるようなものでもありません。
永遠に嬉し嬉しの世に行けるならば
何故に魂の修行場のこの世に縛られ必要があるのか?
しかしながら、貴方は本当にそんな途方もないことが起きると信じているのですかと尋ねられたならば、別に信じているではないのです。何故ならば、私は創造神と呼ばれる神の神力をこれまで一度も見たことがないからです。
巷で自分が創造神と称される霊は見て来ましたが、全てニセ者と言えました。どれほどニセ者の霊が巷にばっこしているかです。そうしたニセ者がばっこするのは、本当の創造神が神霊達にも見えないからと言えます。
日本にも【国常立尊】様を祀る神社は存在します。しかし、そこに鎮座されているのは【言葉を創った神(日本の国に常に立つ御言)】その方ではないのです。それが解っているからニセの「国常立尊」も世に堂々と出て来るのです。そうしたことは道理をわきまえれば解る話です。大本教は予告であり、立替は未だなのです。
それは西洋に残されていた、ユダヤ人では無い異国の「言葉の君」は自分は主を知らないと言うのと同じ事です。実際に私は創造神と言われる主神の神力を知らないで、言葉の仕組だけで創造神を語っているからです。
ニセ神達がばっこするするなら、どこかに本物が存在する
私は2番目の師匠の元を離れた後、自分が何者か調べたくて東京の著名な霊能者の元に霊査を受けに行きました。するとその方が私に言うのです。その方は大本教の世の大立替宣伝の時、その宣伝の大将をされた浅野和三郎師の一番弟子と言われます。浅野和三郎師は大本教を飛び出して、「出口王仁三郎ほどの大悪党はいない」と弟子達に言われたそうです。
世の大立替宣伝は自分の独断ではなく、総大将たる出口王仁三郎聖師に相談して来たのに、立替が起きなかったその責任を自分一人に押しつけた」と弟子達に憤慨して言われていたと言います。
本当に起きるのか確証もないことを宣伝しなければならない立場とは、非常に辛いのです。だが、もしも起きた時のことを考えれば誰かがそれをやらなければならない。そんなことは絶対に起きないと言っている方が遙かに楽なのです。
世の大立替等、絶対に起きない。大嘘だと言っている方が遙かに楽
その私の霊査の時、その著名な霊能者の方は、さらに私にあることを言われます。【霊界を見るならば、どこかに創造神が存在していなければシステム的にはおかしい。なのに、どこにも創造神の存在の痕跡が無い。これはいったいどういうことだろう】と言われます。私はその痕跡は【ウシトラ(艮)】の言葉ですよと返そうと思いましたが、著名な霊能者の方に失礼だと思って止めました。
私が子供の頃に旧約聖書の神と名乗った霊声が、【この国(日本)は私の教えが満ちあふれている世界で唯一つの国である。そなた一人にはその仕組を見せるので、それを人々に告げなさい】と言われたことに関しては出来たわけです。
この日本に満ちあふれているのは【日本語】でした。日本国中に転がっている言葉に私は創造神を見たなのです。が、それは日本の世に出ているどの御神霊にも出来なかったことだとは言えます。
私自身は全霊界、全ての神のことが解る立場の者ではありません。私が見聞して来たものは霊界と呼ばれる世界の一部分にしか過ぎないと思います。
それこそ触らぬ神に祟り無しで、興味本位で入る世界ではないのです。
私が言霊の世界から、再度稲荷神界と関わりを持ったのは、神の世界は創造神と呼ばれる最高神の段階から、蛇霊や狐霊や狸霊や猫霊と称される「身変える」を起こした霊、霊力を保持する龍神とか天狗とかが混在していて、【創造神の御印籠】も役に立たないがあるのです。下位の神霊段階では創造神など見たことも聞いたことも無いと言う霊達の集まりだからです。そうした低級神霊に創造神の存在をいくら言っても通らないのです。
私達日本人は大本教と呼ばれる宗教が起きるまで、ウシトラ金神【国常立尊】と言われても意味すら解らなかったはずなのです。
大本教と言う宗教が起きたのは、創造神による【世の大立替】が迫って来たからと言えます。
私は稲荷神界に入るまでは現世御利益など何も起きないでしたが、私が稲荷神界に入ると私自身には何の御利益も出て来ませんが、私の母親に驚くほど現世御利益が起きて来ました。だが、私が稲荷神界を離れると、またも元の木阿弥の何の御利益も無しです。だが、私は現世御利益信仰では【真理】には向かえないことを知ったのです。
私の最初の師匠は実践霊能者としては凄い方でした。しかし、その霊格は通常の方より高くても、神霊としての位はさほど上だとは言えませんでした。霊能者とお釈迦様やイエス等の宗教開祖の根本的違いは霊能力云々ではなくて、持って生まれた神格が根本的に違うなのです。【識界】レベルと称されるものです。
私はある霊能者から、貴方は【第十識界】に入ってくださいと言われましたが、それはいくら何でも私には不可能だと返しました。お釈迦様で第七識界。イエスで第五識界とされます。第十識界とは名実共に創造神の段階だからです。いくら修行を積んだからと言って、その域に到達は難しいのです。
その最初の師匠がこの世を去る少し前に私に言いました。【自分は神を間違っていました。現世御利益で信徒を引っ張るのではなくて、信徒の魂を磨かせる方向でないといけなかった】と。
私にすれば、そのことに気づいていただけたことは嬉しかったのですが、出来うればもっと若い時に気づいて欲しかったなのです。私はその師匠と初めて伏見稲荷山に上がった時、その師匠に自分の信徒の信仰態度はどうでしょうかと聞かれたので、【どの信徒さんも信仰熱心はいいのですが、神様に対して何かをして差し上げるではなく、神様から何かをして貰おうの現世御利益信仰ではその拝んでいる神霊以上には成れません】と答えました。
すると、その師匠は【さすがに神その方の言葉は違う。人は稲荷神以上の存在に成れるのですか】と尋ねられたので、蛇霊や狐霊を神として拝していれば、自分がその段階以上には行けないのです。高次元の神には到達出来ないのです。と言っておきました。
稲荷神界は現世御利益で人に神の存在を認識させる効能はありますが、自分の魂の磨きにはさほどつながらないのです。日本神道には根本的に教えがありません。それを美徳と考える神道の神職さん達は居ますが、要は日本神道界からはお釈迦様やイエスほどの存在が出て来なかったなのです。やっと大本教の出口王仁三郎聖師が出たなのです。
蛇霊や狐霊に万物の創造などの能力はありません。現世御利益を与えて人が自分に頭を下げてくる。それが楽しいとか面白いなのです。ですから、白狐などは人間の分際で頭が高いと、間違った方向に行きます。だが、白狐達よりも高い世界に行ける人ともなれば、そんなに多くはないのです。
人はこの世に【現世御利益】を求める為に生まれ出て来ているではなく、どんなに辛くても自分の魂を磨く為なのです。それが【この世は魂の修業場】の言葉です。魂の修業とは霊山での修業では無く、人と人の交わりたる【里の行】です。
日本人は【里の行】で【米(世根)】たる者として実る
私が初めて【言霊】とは何かと知った時、私の【神観】は百八十度もひっくり返ったと言えます。聖書に【言葉は神と共に在った】と記されていても、その意味を西洋人は誰一人として解っていなかったなのです。
大本教神諭に【九つ花に咲く一輪の言霊の経綸】。それは【誠の者】でないとお世話が出来ないとありますが、単に神霊が見えるとか神霊と会話が出来る程度では解読など出来ないなのです。【誠】がないと無理なのです。何故ならば、世に出ておられる神霊でもその仕組を今日まで理解されていなかったからです。
私は今の世に出ている神々には【誠】がないと気づいた時、神々に立ち向かうにはあまりにも非力の私には三千世界に身を置く場所も無いと悲嘆しました。が、大本教神諭予告【九つ花】を紐解いた時、私はどこにもその姿が見当たらずとも、言葉で成るの【誠】の神が存在していると解ったのです。私は言葉の仕組をして来た神とは、日本の天照皇大御神や大国主命様よりも遙かに高き存在の神と言います。未だ人類が本当の意味で知らない段階の神です。
私は創造神を見ていないが、言葉の仕組で創造神の存在を信じている者
以後、私は私の前に名だたる大身の神々や如来や菩薩や明王が現出されても、話される内容は一応伺いますが、それに従うことはありません。
私の最初の師匠が、豊受姫が私のことに関して言われる内容が尽く外れるので、さすがに疑問を感じて、その理由を豊受姫に問うたところ、【あの者(私)はこの神をしても見通せない高度の神界からの力にコントロールされている。あの者の身に何が起きるのかが解る神などは日本国中に無い】と言われたといいます。
この豊受姫が言われた豊受姫をもってしても、見えない神界。解らない神界の上位神界の存在は大本教霊界物語の中に記述はされておりますが、まだ人類はこの神界の存在を知るではないのです。
大本教から出されたその最高神の神名は
天之峰火夫皇大神
この「峰」に隠された意味は【蜂】で、七(質)の世が終わって八(∞)の世に移行する時なのです。
すなわち、神代【七】の世の終わりで、神代【八】の世の始まり。
終わりにして始めの神
私が子供の頃に臨んだ旧約聖書の神と名乗る声が私に命じたことは、【この国(日本)は私の教えが満ちあふれている世界で唯一つの国である。そなた一人にはその仕組を見せるので、それを人々に告げなさい】と言われただけではありません。
この地球から新しい地球に移行するには、巨大な宇宙の【三途川】を船で渡るからです。西洋では【ノアの箱舟】が説かれましたが、今度はこの地球に留まるのではありません。宇宙の大海原にと船出をしないといけないのです。
何故に私は【ラ神】論で【羅神】を説いたのか?
羅針(ラ神)盤無しに宇宙の大海原を航行が出来ないからです
私が大本教神諭予告【九つ花】を紐解いて出した【ラ神】論とは、お釈迦様の悟りの【人に内在する良心神】を五十六億七千万で出すだけではなく、今の地球ではなくて新しい天地の地球に移る為の船に必要な羅針盤の【羅神】でもあるのです。ですから、海路図の方位図は【米】型ともなっているのです。
大本教神諭予告、【この神は北を上にする】が【米型】に気づかれなかったようです。
私がしていることは【ノアの箱舟】と同じことなのです。今回はノアの箱舟と違って別天地たる地球に移るので羅針盤の【羅神】無しに航行は出来ないのです。 ただ、私にもその出港時が何時なのかは解らないのです。
ここまで言葉と言えども仕組まれていれば、もう信じて進むより道はありません。結果として何も起きなければ私は旧約聖書の神と名乗る声の【捨て駒】であったなのです。九×九路の将棋盤の仕組で働かせられているならば、時には捨て駒として捨てられる駒もあるでしょう。それが私であり自分は創造神の捨て駒であったとしても、それが天の差配であるならばそれに従うだけなのです。
私は自分の地位とか名誉とかは欲しません。そんなものが欲しかったならば、この仕事は最初から出来ません。
私は多少なりとも神霊世界を見聞して来て、絶対として言えることは私達が死後に渡る「霊界」そのものは存在しているです。そして、俗に言われている龍神とか白狐とか天狗と言われる存在もありました。だが、龍神や白狐や天狗を相手にしていても、何も解らないなのです。
ですから霊能者はたくさんおられても、それなりの霊力を発揮されていても、まったく【霊界】の真相が世に明らかにならないなのです。闇の中と言えます。
私は世に出ておられる神々の神力はそれなりに見させて貰いました。しかし、そうした世に出ている神々の神力では世の立替等が出来るとは思えません。不可能です。どなたも力不足なのです。
創造神の姿はどこにも見えずとも、霊界は機能している
大本教神諭に世に出ている神達の心の持ち方が悪かったとありますが、この世の私達が接している神とは【世に出ている神達】であって、霊界は圧倒的に世に出ていない神達が多いのです。ですから、創造神の姿はどこにも見つからなくても霊界はその機能を発揮出来るのです。それは【道理】をわきまえれば解ることです。が、その世に出ていない神達で地球船を運行している部門からは、既にこの地球船は異常ありの「SOS」の危険信号は発せられているのです。
もしも、この地球が何の異常もない安泰の状態であるならば、私は霊界の霊に欺されて【洞(ほら)話】をさせられているようなものです。私が言った内容は信じるべき話ではありません。
しかし、天才理論物理学者である【ホーキング博士】のこの地球は住めない星となり、この地球から脱出して他の惑星に向かわなければならないは、世に出ておられる神霊の言葉以上の重みを持っています。
創造神と呼ばれるような神が出て来て、人類を新しい地球に移行させなければ科学者達やホーキング博士が言われるように人類は後何十年間で終わるかも知れません。人類の歴史が終わるのはもはや時間の問題ではあるのです。
気候問題だけで無く、神国日本と言われたこの国は少子化により、老人が増えて将来の年金制度は間違いなく破綻します。誰が年金を支えるのか?。それは日本だけで無く、中国も襲います。一人っ子政策の余波です。そうした時、世には犯罪が多発して来ても止められなくなります。
大東亜戦争(太平洋戦争)において、日本陸軍のもっとも無謀な戦としてインパール作戦がありました。困難な山岳地帯の戦いに充分な補給を考えない牟田口司令官は、作戦に反対する師団長や参謀を次々と更迭し、補給が出来ない為に弾薬や食料が尽きて撤退命令が出されましたが、撤退するにも食料が無いで日本軍は飢餓とマラリアで累々たる死体を残したことにより、この山道を【白骨街道】と言います。その時、飢えた日本軍が味方の兵士の肉を食べたことが証言されています。もはや地獄の様だったのです。
1999年の少し前、一部の霊能者からあるビジョンが告げられました。それは太陽が衰えて、世界は饑饉に陥り、人が人を食べる恐ろしい光景です。幸いそのビジョンは危惧で終わりました。さりとて、それを「滑稽の極み」と片付けるのもどうかとなります。
この地球が悲鳴を上げているのは誰しも感じることですが
先を見通せない人民の人民による社会の破綻です
大本教神諭にある、もう本当の神が表に出て人民を守らなければいけない時期と言えます。
地球環境をよくする為に、今から慌てて電気自動車などにシフトしても、ホーキング博士がもう遅いと言われたように既に手遅れと言えるでしょう。これから先も天候異常はより増して来ます。それは科学的に物理的に来るのであって、私の言葉を信じるとか信じないの話ではないのです。
だが、そこにも未来のへ【希望】はあるなのです。
大本教基本宣伝歌 【たとえ大地は沈むとも、誠の力は世を救う】
言で成る【誠】の存在があるのです。
続く


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