若い世代も歌い継げるか 長野県歌「信濃の国」50年
信州リポート
日本で最も知名度が高い県歌と言われる長野県歌「信濃の国」。2018年は長野県が県歌に制定して50周年の節目の年だ。各地域が山で分断された信州を文化的につなげる役割を果たしてきた信濃の国だが、若者を中心に知名度が下がりつつある。50周年を機に官民挙げて信濃の国を盛り上げ、100年歌い継がれる歌を目指す取り組みが進んでいる。
「信濃の国は十州に 境連ぬる国にして 聳(そび)ゆる山はいや高く 流るる川はいや遠し」。5月20日、サポーターの歌声が晴天のアルウィン(松本市)に響き渡った。松本山雅FCとアビスパ福岡との試合前に県が開催した「未来へつなごう!信濃の国 キックオフイベント」だ。
イベントでは地元の子ども達が信濃の国にあわせた創作ダンスを県のPRキャラクター「アルクマ」や松本山雅のキャラクター「ガンズくん」と披露。県出身の音楽グループ、グリムスパンキーや長野県永久観光大使の峰竜太氏はビデオメッセージを寄せ、信濃の国を小学校で学んだエピソードなどを紹介した。
この試合があった5月20日はまさに信濃の国が長野県歌に制定された日。県は日本記念日協会に5月20日を「『信濃の国』県歌制定の日」として登録した。「信濃の国は県民の宝。記念日を頭に残してもらい、県民運動として広がっていくと良いなと思って登録した」(広報県民課)と説明する。
また県は50周年にあわせて専用ホームページ「未来へつなごう!信濃の国」を開設した。投稿された信濃の国を歌う動画を編集してつなげる「未来へつながるコーラスリレー」を企画。ダンス動画や写真、エピソードを募集する「わたしの『信濃の国』MYシナソングランプリ」も実施し、50周年を盛り上げる。
実は県の2018年度予算の要求段階では、信濃の国の7番を作る構想があった。しかしパブリックコメントで県民から「まずは6番まで完全に歌えるように推奨すべきだ」との意見が殺到し、7番構想を断念した。
長野県聴覚障がい者情報センターは1~2番の歌詞の手話表現を募集。信濃の国を手話で表現できるようにする。県立長野図書館でも「『信濃の国』はどこからきて、どこへいくのか」と題した企画展を実施。日本郵便は50周年の記念切手を販売している。
信濃の国は1899年に長野県師範学校教諭の浅井洌が作詞し、翌1900年に同校教諭の北村季晴が作曲した唱歌。1968年に県歌に制定された。第2次世界大戦後、県北部と南部の分県論がわき上がった際には、県議会で巻き起こった信濃の国の大合唱が分県の危機を救ったというエピソードもある。
98年の長野五輪の開会式では日本選手団の入場行進時に信濃の国が流れた。今では北陸新幹線長野駅の発車時にも信濃の国のメロディーが使われている。
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長野県が2015年に実施したアンケート調査によると、信濃の国を「すべて歌える」のは18.6%、「1番は歌える」は60.8%と、約8割の人が信濃の国を歌えることが判明した。県外の県人会や同窓会など、信濃の国を歌う場面は多く見られる。
ただ70歳以上の36.6%が「すべて歌える」のに対し、20歳代は6.1%、30~39歳代は2.7%にとどまる。100年歌い継がれる歌にするためには若年層への浸透が課題といえる
全国でも信濃の国ほど知名度が高い県の歌は他にない。老若男女すべてが歌える「信濃の国」はまさに県民の宝の一つ。県の調査でも効果的な発信方法として小中学校で信濃の国を歌う機会を増やす必要性が求められていた。100年歌い継がれるためにも、若い世代に歌ってもらう取り組みを増やす必要がある。(佐伯遼)