第××項 誰が【米一字】で【魂】の存在証明論を仕組んだのか?
今の人類の世は終わったとしても、それは私達の永遠の命である【魂の消滅】とは違います。私達に永遠の命である【魂】が存在することによって、私達は低次元界とされるこの世に生きて、死んでから高次元界にと進む道もあります。どの次元界まで上がれるかは、この世における肉体の自分の精進次第なのです。
この世は【魂の修行場】とされて来たが、それを理解している人は数少ない
何が大切かと言いますと、永遠の命である魂を消滅させるなのです
私自身は腐った魂、捻れた魂、どす黒く汚れた魂、反対にまるで【瑠璃】玉のような美しい魂をも見させられました。それらは自分自身がこの世で積んできた結果です。長い輪廻転生で自分の魂を磨いて来た結果です。神様神様と言っていれば、自分の魂が磨かれるではありません。自己努力の結果です。
一部のスピリチュアルの論調に、【魂磨きは辛いから、捨てましょう】の意見があります。それこそ解っているじゃないかです。魂を磨くのは実に辛い作業なのです。だからと言って、辛いからと魂磨きを止めたならばどうなるのかです。
邪神界の神霊などは正神界の神霊の様な振りをして、自己の魂磨きをさせないように甘い言葉を出して来ます。聖書にある蛇の囁きなどです。その魂を堕落させて、自分達の仲間に取り込む作戦です。
魂を堕落させるのは簡単で、楽だが地獄界行き
魂を磨くのは辛いが、結果として天国界行き
なまじ霊能力があると、自分の目の前に出て来た霊が光輝いていると、それが正神なのか邪神なのか解りません。それは邪神とは醜い姿をした存在だと錯覚により思い込んでいるからです。邪神でもエネルギーがあれば強烈な光は出せるのです。
闇の門を開けると、光を意味する日立(音)が出る
なまじ霊能力がある人ほど、霊が見える会話が出来るで【道理】を見失うのです。霊を審神(サニワ)する。そうした言葉一つですら、理解しょうとしないからです。霊が見えることに天狗になるからです。
邪神は自分が使いたい人間に知識を得られることを怖がります。下手に学ばれると、自分が邪神であることを見破られてしまうからです。ですから、知識を得ないように知識を得ないようにと働きかけます。本人の【奇魂】の働きをさせないことです。
仏教には多少なりとも【魂】論がありますが、しかし、それが【玉思惟】であることは説かれていません。日本語でないからそれは無理かも知れません。
キリスト教やイスラム教にはあまり魂論は存在しません。ただ、イエス一人を神の御子として拝せば天国だとか、神の名を称えてていればよいという誤った教えが宗教世界を支配しました。それでは自分の【魂】が磨かれません。人を殺す宗教テロ活動で、いくら【神は偉大なり】と称えても、創造神の怒りを買うだけになってしまいます。
人の魂に内在する【良心神】が働いていれば、何の罪も無い人達を無差別テロで殺すなど、神の御言(命)に反することだと簡単に理解出来ることだからです。自己の良心神を見失うから、誤った道にと走るのです。
大本教から【艮(ウシトラ)金神・国常立尊】が世に出された時、【節分の炒り豆にも花が咲く】と歌われました。これが私達に初めて「鬼が云う」で【魂】の存在を具体的に知らしめるものでした。
人は死んでは花実が咲かぬと言いますが
世の大立替は【死んで花実を咲かせる】のです
そこに、節分の炒り豆にも花が咲くとなります
何度も示しましたが、【魂】とは節分の炒り豆の【鬼が云う】であって、大本教の出口喜三郎聖師に神が「喜三郎」ではなくて「鬼三郎」と名乗れと命じられても、「鬼はあんまりじゃ」と【王仁三郎】とされたのですが、節分の炒り豆で追われている【鬼が云う】でなければ、言葉の仕組上、私達の魂の中に【天帝の分魂たる直霊(人に内在する良心神)】は解らないのです。
私は魂の中に【心棒】の存在を見ましたが、そんなことを今日まで誰も語っていないので、その【棒】が何なのかを知るまでにかなりの時間が掛かりました。まさに【心の棒」だったのです。何故に棒の字は木に「奉る」なのかと首を捻っていたのです。
大本教から【ス】の神論が出されましたが、誰も何故に【ス】の神論が出たのか?。その意味すら考えずに理解出来ていなかったと言えます。それは世に出ている神々も「国常立尊」の言葉の仕組に誑かされたなのです。
お釈迦様は菩提樹の下の悟りで、人には良心と呼ばれる神が内在していると悟られましたが、現在の仏教ではそれがほぼ消されています。それは日本語の言葉の仕組みで大本教神諭予告【九つ花】を紐解かないと、それが「みろく(369)」を示し、五十六億七千万年の数字の意味も解らないようになっていました。
弥勒菩薩とは、この世の終末に現れて人類を未来の世に渡す未来仏とされたが、
みろくが表に出なければ、誰もお釈迦様の悟りが何であったのかも解らないでいた。
そうした言葉の仕組を見ずに、ただ自分の前に神霊が現れたで、そんな霊の存在に囚われていると本質を見失ってしまいます。何故ならば、そうした霊は言葉が仕組まれていたことすら解っていない段階の存在だからです。
霊が見える。それは普段の時であればそれなりの意味もあるでしょう。また、そうした霊によって自分が助けられた。他人も助けることが出来た。しかし、【最後の審判】と呼ばれる事態が起きた時には、そんな霊が見える程度の霊力など何の役にも立たないかも知れないのです。
それは豊受姫の神が、私に【貴方の言葉の教えに従えない神は、如何なる神とて天帝に対する反逆罪で裁かれる】と告げられたからです。
私も豊受姫が言われた天帝の【詔】とは、大本教神諭予告【九つ花に咲く一輪の言霊の秘密(火水)】だとは、【九つ花】を解読するまで気づきませんでした。
朝鮮半島に残されていた預言、最後の審判前に【米一字】の教えが起きる。その教えに従った者達の上には天罰は降りないが、そうでなかった者達の上には天罰が降りるがありました。
未だ、そうした天罰は降りてはいませんが、誰が考えても【米一字】で教えは説けません。だが、その米一字は大本教神諭予告【九つ花】を持って来ると説けるようになっていたのです。
それはいくら伊勢神宮に天照皇大御神と呼ばれる御神霊が鎮座され、出雲大社に大国主命と呼ばれる御神霊が鎮座されていようとも、【米一字】の仕組みをされたのはそれらの御神霊ではないのです。だから、世に出ておられる神々にも紐解けなかった。それらの神々よりも遙かに次元の高い神の存在が在るとしか言えないのです。
ある方から伊勢神宮の天照皇大御神から私に伝言とのメールが来ました。私自身は伊勢神宮からの霊的な大神霊行列とか、【鶴と亀の紋様が入った着物】を着用された高貴な方と霊的には出会って来ました。
その私に伝言と言われた方がどこまで本当に御神霊が見えているのかは解りませんが、その方が伊勢神宮に参拝されたところ、伊勢神宮の天照皇大御神から「神野公園」さんに伝言として、自分が三千年間に渡ってこの日本の総氏神を勤めた功績は忘れないで欲しいと伝言を託されたとのメールが来ました。
確かに、伊勢神宮に鎮座されている御神霊には日本の総氏神としての役割はあるでしょうが、創造神ではないのでそこまでの段階なのです。伊勢神宮に行って喜んでいる霊的段階では、創造神とされる神の存在までとても目が行きません。
私に子供の頃に臨んだ旧約聖書の神と名乗る声は、そなたの背後にこの私が在ることが解らぬ神では使い物にはならぬ神と告げられましたが、伊勢外宮の豊受姫の神は私が何者かをほぼご存知だったので、本当の伊勢内宮の天照皇大御神ならば、私のことはご存知なのかも知れません。
私達が創造神と直接に繋がるのは、【自己の魂に内在する核(日本神道で天帝の直霊)】であり、その働きはお釈迦様の悟りである【人に内在する良心神】の「良心」として働いて来ます。それは大本教神諭予告の【この世の閻魔大王として現れる】の働き以外のなにものでもないのです。
一部のスピリチュアルの人達は、【良心】など重いだけだから捨てましょうと説いておられます。確かに、良心の【呵責】は重たいのです。それは【この世の閻魔大王】だからです。
【節分の炒り豆で追われている】のは閻魔大王の麾下の番卒である鬼達のことなのですが、その鬼は現代の悪を取り締まる【警察】です。警察とは「言葉を敬い宇宙を祭る」です。
それは自己が犯した罪を認めず、その罪の償いから逃げる者達に対しての「鬼が云う魂」の意味であり、その結果として自分の魂の姿が霊界で蛇霊化、狐霊化、狸霊化、猫霊化を起こさせているのです。
私が【神】とするのは万物の【創造神】だけであり、それ以外の御神霊に対して神と言う言葉を使っても、それは便宜上にしか過ぎません。聖書で言う【唯一】の神だけを神としているのです。
最後の審判と呼ばれる事態が起きないのであれば、別に蛇霊や狐霊や狸霊や猫霊を神様神様と拝んでいても大きな支障はありません。しかし、この世の終わりにはそうした段階の霊では対処が出来ないのです。
神(神)とは、言葉で示し申すの【神】のみ
第××項 35万年間の苦しみは世に出ている神々では手がつけられない
私が住む土地は、豊受姫からその土地に住みなさいと告げられた場所です。
元々は私の母親が勤務先の定年前に定年後に住む為に古家で買った家と土地でしたが、あまりにも古い家で結婚が考えられる私と親子で住むには間取りも悪く、自家用車の出入りも適わないで別の場所に家と土地を買って母親と10年間ほどその地に住んでいました。
私は東京から戻って来てその古い家に一年間ほど住んだのですが、そこを出て行く時、私は必ずこの土地に戻って来て神界の御用をするという不思議な意識が出て来て、この何の変哲もない土地で神界の御用と感じたことに首を捻っていました。
その家と土地は私の高校時代の同級生に6年間ほど貸していましたが、その同級生が新築の家を建てて引っ越して行くことになりました。その古い家を壊して土地を売ろうと考えておりましたが、私は必ずこの地に戻って来て神界の御用をすると感じた意識が、私にその土地を売ろうとはさせませんでした。
そこで当時の師匠を通じて豊受姫にその土地のことを聞いてもらったところ、その土地は神界にとってもっとも重要な機密の土地であり、その付近一帯は本来は人間が住んではいけない神域である。そなたとそなたの家族だけには住むことが許される。そなたはその土地に戻って神界の御用をすべきと告げられます。
ところが、師匠が反対します。あんな汚れた土地に住んだならば、この人(私)は命を取られてしまいます。あんな恐ろしい場所は他にはありません。私ならば、行かなければ殺すと言われても絶対に行きません。どうして豊受姫はそうしたことをあの方に言われるのですかと問い返しをされたところ。
私が行けと言っている以上、その土地に行け!。これは人間の問題では無くて神界の問題であって、人間が知る必要のない問題。この御用が出来る者は神ではなく、あの者ただ一人なのである。どの御神霊も、あの者がする役目は出来ない。
そこまで言われると、私にはその土地に戻るより道はありませんでした。その地を出て行く時に、私は必ずこの土地に戻って来て神界の御用をすると感じた以上、その地に戻るのが私の定めと言えます。そこで古い家を取り壊して新しい家を建てたのです。
その地鎮祭の時、私は霊能者をしているのではないのであまり神霊を見ることはありませんでしたが、その土地に【大金龍】がとぐろを巻いています。驚いた私は地鎮祭を執り行っている師匠に、大金龍神が見えましたがと聞くと、「大金龍神」だけではありません。この土地は今の世には出ておられない【太古の神々】が押しくら饅頭の様に閉じ込められておられます。が、その理由までは解りませんと言います。
それらの神々は私達の様な人の姿ではなくて異様な姿であり、見るからにおぞましい姿です。今の時代の神々の姿ではありません。私達人類が歴史的にも知らない超太古の神々です。第三の神々とも言えます。この土地はそうした超太古の神々の恨みや怨念が渦巻いています。これらの神々の怨念が世の表に出て来たら、恐ろしいことになりますとその師匠は言います。
後に私の家に宿泊した某大宗教の幹部で霊能者の方は、この土地は今の神代の話ではなくて超太古の神代の中心点であった。祝詞の神謀りに謀りてはこの土地を指した言葉だと告げられます。
その土地に引っ越してからのある日、私に霊が懸かって私自身が【35万年間の苦しみから救ってくださってありがとうございます】と口を切りました。この土地に押し込められていた霊は【35万年】間も押し込められた霊達なのか?。今の私達が知る歴史における古代の話は、ウル・シュメール(メソポタミア)の時代にしても紀元前五千年とされています。もう歴史では調べようもない超古代です。
大本教霊界物語に【国常立尊様、35万年前に御引退】とありますが、それに関わっている超太古の神々とも言えるのでしょう。
それから数年後、私の家に【大ラップ現象】が生じて来ました。その大ラップ現象とはテレビの超常現象番組で放映されたラップ現象等と比較できないほどの強烈なものでした。昼間は別として、夜はラップ(騒霊)音で眠れません。もういつ自分の命が取られてしまうかの状態です。その当時は最初の師匠の元を離れていたので、いろんな霊能者の元を訪れて相談しましたが、自分なら簡単にラップ現象を鎮めると言われるどの霊能者の方も鎮めることが出来ませんでした。出雲大社教や大本教の霊能者も口だけで鎮めることが出来ませんでした。
そこで、私を知る大阪の霊能者に相談したところ、その土地には得体の知れない怪物達が居る。それは伊勢神宮の天照皇大御神でも出雲の大国主様でも稲荷様でもお不動様でも束になっても鎮めることなど出来ない。ダメだ。とても手に負える様な存在ではない。その地を鎮めることが出来る神などこの日本には存在していない。あんた自身が鎮めないと鎮まらないと言われます。
私からすれば、日本の神々が鎮められないものをどう鎮めよと言うのか?。です。そこで覚悟を決めて騒霊(ラップ)現象の鎮めに入ったのですが、最初の四十日間はほとんど夜は眠れない状態でした。その騒霊(ラップ)現象を鎮めるのに約3年間もかかったのです。
私はスピリチュアルで自分はちょいのちょいので浄霊が出来る等と言っている方を見ると、バカではないかと思います。自分で浄霊したと思っているだけで、浄霊は簡単に出来る霊もあれば困難を極める霊もあるのです。その霊のカルマが軽ければ簡単であっても、カルマがきついと簡単ではないのです。
後日、最初の師匠に出会った時、その師匠が【豊受姫様が言われたように、あの土地を鎮めることは世に出ている神々には出来ない。あなただけだと言われた通りでしたね】と言われます。それを聞いた私は憮然としていました。世に出ておられる神々が鎮められないで、私まかせかです。
ただ、私がそうした中で暮らせたのは、私が通常の霊能者の様に霊が見えたり霊と会話が出来ない者であったので暮らすことが出来たのだろうと思われます。もしも、なまじ霊能者の様に霊が見えたり会話して来られたら、おそらく自分の命を持って行かれたかも知れません。
後に数名の霊能者から、私が住む土地は【神界の機密ゲート】があり、そこを死守出来る方は神ではなく貴方一人だけであり、貴方がこの世を去ればその機密ゲートは永遠に封じられて、この世(地球)は終わると言われます。そして、【弥勒の世】と呼ばれる五次元世界が現れるです。
それは私が子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神と名乗る霊声が私に告げた【この世の幕引きと私のこの世での命が連動している】と同じ意味合いですが、本当のことなのかとなりますと私自身は疑ってはいるのです。皆さん、あまりにも途方もないことを言う。
後日、私はあることを知ったのです。私が現在住む土地は大本教の出口王仁三郎聖師が教団には内密でその土地を死守せよと一部の信徒達に命じられて、そうした信徒さんの1人が建てた家だったのです。
だが子孫の段階でお金に困ってその土地を分割して、前側の空地は売られて家が建ち、残った古家は私の母親が買ったでした。その古家を取り壊した時、その家の棟上げ式は大正九年であり、大本教【霊界物語】が書かれる1年も前だったのです。大本教霊界物語はそうした機密を隠して書かれているなのです。
もしも、その土地に関して大本教の出口王仁三郎聖師が浄霊化出来る土地であったならば、何も信徒に大本教団に内密で死守させる必要はなかったはずです。自分の子孫の教祖の段階では、とても手が出せない問題だったのでしょう。
私の前に大本教の出口王仁三郎聖師霊は三度出現されました。一つには、出口なお開祖と一緒に出て来て、大本教はまな板の鯉であり料理する必要がある。その鍵は「アラー」の神。一つには、大本教の演技を知るには「日本語」が必要で漢字を変換すること。そして、私が世に出て来るのが出口王仁三郎聖師からすると「遅かった」と言われます。
私は大本教の信徒ではありませんが、大本教出口なお開祖と出口王仁三郎聖師の活躍がなければ、私にも神の仕組が紐解けなかった。それだけは間違いがないと言えます。
私達日本人が言う神々とは、日本神話の中の天照皇大御神とか素戔嗚尊とか呼ばれる神です。私が子供の頃に臨んだ旧約聖書の神と名乗る霊声は、日本神話の【天の岩戸開け】などの事実は一切無い。全てはこの私が【予告】の為に仕組んだ神話であって、そなたはその【意味】を解読しなさいと告げられていました。
豊受姫の元で修業に入った時、豊受姫の御代であったその師匠も、豊受姫から日本神話の天の岩戸開けなどの事実は存在していないと伺っていますと言われます。
日本神話の天の岩戸開けは、各自の魂の核となる光の天照皇大御神が表に出る
私達日本人が言う歴史とは、日本神道界で【皇紀26××年】などで言われる時代背景にしか過ぎませんが、そうした記紀神話に基づいて神社に祀られている神々よりも、遙かに超太古に神霊達が存在していたとなります。
続く


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