私儀、昨年末に長年続けていたブログの筆を置かせていただきました。
それは、私が子供の頃に臨んだ旧約聖書の神と称する霊声が、【この国(日本)は私の教えが満ちあふれた世界で唯一つの国であり、そなた1人だけにはこの神の仕組を見せる故に、それらを見て人々に告げなさい】と言われたことが自分自身を縛り、その仕組とは日本語と呼ばれる日本の国に満ちあふれている言葉の仕組であることを知り、自分の任務として長年に渡って言葉の仕組をHPや掲示板やブログで発表解説して来ました。
だが、私が言葉の仕組から読み取ったことが本当に正しいのか間違っていないのかがあります。もしも間違っていたならば、その影響を計り知れないからです。
一般的に見られるのは、自分に何らかの神霊が懸かって来て、懇切に教えてくれるです。それならば話は簡単なのですが、私の場合は神霊が姿を見せられても、私に教えてくれる神霊は存在しませんでした。私が初めて伏見稲荷山に上がった時、豊受姫の神は貴方に教えが出来る神など存在しておりませんと告げられましたが、それを地で行ったようなものです。
大本教神諭に【出口直に明治25年に申してある事、この大望な経綸の致してあること、世界に一人知りておる。誠の人はこしらえてあるから、この誠の人が出て来んと解らんぞよ。】とありますが、世界で一人だけその神の大望を知っていても、何の力も与えられていなければほとんど役に立たないのです。私一人でどう戦えと言われるのか?。です。
そのことに関して、子供の頃に私に臨んだ旧約聖書の神と名乗る声は、【もしも、そなたが教えを間違えたならば、それはそなたの責任ではなく、この神の仕組そのものが悪かったのである。その責任はそなたにあるのではなく、仕組をしたこの神自身にある】と告げられました。とは言え、日本に満ちあふれている仕組を人々に告げるのは神ではなくて私なので注意に注意をして来ました。
しかし、それは世の人にとってはどうでもよいことだったと見受けられます。この世の終わりが訪れない限り、どうでもよい教えだからです。常識で考えれば、この世の終わりなどあり得ることではないからです。
そして、私に解る範囲のことは全て世に出し切ったことで、自分の任務が一段落したと感じて、昨年末に筆を置いたしだいです。
だが、多くの方が半年を過ぎても私の過去のブログを読んでおられる。ブログを長々と書いたことにより、最初に出したHP等の文章量とは違い大量になり、総体的に文章としてのまとまりを欠いてしまいましたので、より分かり易いように本のように新しい文章をまとめておりました。それらは出来上がりしだい、より多くの人の参考になるように無料で見られる形でインターネット上に出したいと思います。
私自身は神霊世界を知る為に、今日まで膨大な費用や時間を注ぎ込みました。自分が地位や名誉を得る為とか金儲けをする為ではなくて、ある意味奉仕です。自分から学ばなくても神霊が何もかも教えてくれるでは、その神霊の教えしか解らずにそれが正しいと思い込み、自分自身が大きな間違いに入った時、制御が効かなくなります。間違った教えを受けたままあの世に渡るです。
私は死後の霊界に入ってからも、今日までも間違った方向に走ったままの霊達の存在を見て来ました。生前はそれなりの行者であり霊能者だったのでしょう。だが、どこかで間違ってしまった。為に今もなお、霊界で生前に会得したお経や祝詞を上げているだけで、霊界をその信者諸共何百年間と彷徨っている霊達の存在を知りました。いくら生前は神仏に祝詞やお経を上げていても、死後の霊界で自分が拝んでいた神仏霊から助けられていない有様をです。
霊能者でもある美輪明宏さんは霊能者の看板を上げている中で本物と呼べる者は20人に1人程度だと言っておられますが、実はもっと根深いのです。私がある著名な霊能者から直接に聞いたことは、霊能者千人とか一万人に対して一人程度しか本物と呼ばれる者は出ないと言うほど過酷な世界なのです。神を信じて霊の嘘の言葉に踊らされるなのです。
多くの方がテレビの人気番組オーラの泉で霊能者江原啓之さんが霊視していた俳優宇舵さんの背後霊に襲われて倒れ、急遽側に居た美輪明宏さんが九字を切って助けた場面を見られたと思いますが、霊に攻撃されて倒れるではいくら霊的なものが見えても、本物とは言えないのです。それでは、力がある霊が居る場所から逃げ出すことになってしまいます。
よく正神界と邪神界が言われますが、一般の私達にすれば、そこに出ている神霊が正神なのか邪神なのかまず判断が出来ません。邪神の姿は醜いではないからです。光輝いている霊とて邪神であったりしているからです。それが正神なのか邪神なのか解らずに接しているのが今の私達の現状なのです。
自分の霊能力を過信して、命を落とした行者や霊能者は多数あるのです。私自身は黒龍神やその黒龍神群団に襲われたこともあります。力が支配している今の霊世界では【真実】よりも力の支配がより重要だからです。私は霊能者から死神も送りつけられたりして来ました。それらの死神とは正義とかで動いていないのです。
神に会えば神を斬り、仏に会えば仏をも斬る。そうした斬った張ったの賭場を行く。そこまで体験を積まないで軽々しく言える世界ではないということなのです。綺麗事など通用しないのです。
そうした中で、どうして私が【言葉の仕組の解説】に入ったのか、そこにはそれなりの経緯が存在します。その部分だけが全体の文書より早く仕上がりましたので、未だそれがこれから出す予定の著本形式の第何章第何項になるのか確定は出来ませんが、その部分だけを先に出したいとここに書いたしだいです。
創造神による日本語による言葉の仕組など、誰も思いつかないことであり、気がつくことではありません。今日までの神の存在は奇跡や病気治しの霊力の現出に頼っていたからです。そうした分野の力の誇示だけです。奇跡や病気治しは邪神も出来るのです。それで、何故に私がこうした物を書いたのかの説明となります。
第××章 Xデー 最後の審判・世の大立替・天の岩戸開けは本当にあるのか?
第××項 ことの起こり
私がこの章で言う【Xデー】とは、聖書に記載される【火の審判と言われる最後の審判】や、日本で言われる【世の大立替・天の岩戸開け】や、スピリチュアルで盛んに言われている【弥勒世の到来】そのものの日にちではありませんが、そうした出来事も全て含んだ「今の世が終わる」とされる最終日に関することです。この世における【身の終わり(美濃尾張)】です。
最近、天才理論物理学者である【ホーキング博士】は、地球の気温は250度まで上昇し硫酸の雨が降る。このままだと人類は滅亡で、この先100年以内に人類は他の惑星に入植しなければならないと語っておられます。100年以内ともなれば、今の私達にとっても関係無いとは言い切れません。子孫の時代の問題になります。単に他の惑星に入植するでは事済まないからです。それでは人類の上に未来が見えて来ない話となり、絶望的な話になってしまいます。
神や霊の言葉だけに囚われていると【硫酸の雨】には気がつきませんでした。現在の私達は中国から押し寄せて来る大気汚染の中にあり、「酸性雨」の被害を各地で見ることが出来ます。これまで大丈夫だと思われていたコンクリート構造物も酸性雨により少しずつ劣化破壊されています。以前はコンクリートは大丈夫と言われていましたが、そうした被害が現実に出て来ていても硫酸の雨が降るに気づかなかったところです。そうした酸性雨の中に「硫酸イオン」や「硝酸イオン」が含まれています。
二十世紀末に世界の科学者が集まって催された会議で、このままでは地球は環境汚染で人類に21世紀は訪れても22世紀は訪れない。至急に対策を打つべきだとされて、それ以後それなりに地球環境を改善する会議や条約の締結はなされました。が、中国やアメリカの大国のエゴのむき出しであまり改善もされず、ホーキング博士は既に【手遅れ】だと述べておられます。そこに出て来るのがこの地球から脱出論となります。それ以外に人類の滅亡から助かる方策など見つからないなのです。
ネットの世界で凡人レベルの方が「ホーキング博士」の理論は絶対にあり得ないと主張されていますが、天才の頭の構造は凡人レベルの頭の構造とは違いますので、あり得ないではなくて留意する必要があるのです。
スピリチュアルでは安易にその時は宇宙人が【UFO】で助けに来てくれると言いますが、次元が違う世界に肉体を持った私達がどうやって行けるのか具体的に説明して見なさいなのです。神霊や霊人達と交信することと、肉体を持って自分がその世界に行くことが可能かどうかは同一線上の話ではないからです。いくら神霊と会話出来ても、霊界に魂を飛ばせても、その世界は今の肉体の自分自身が入れるではないからです。
このまま行けばこの地球が【環境汚染】で住めない星になるなど、別に宇宙理論や科学で構築しなくても私達自身は誰も肌身で感じています。地球の気象が異常であることぐらい解るからです。そうした時、今の人類に他の星に移るなどの芸当が出来るかです。他の惑星に宇宙基地を造って移れるとしても、費用を考えればその惑星に行ける人など僅かな選ばれた人だけとなるでしょう。ほとんどの大衆は置き去りにされてしまうのです。
創造神と呼ばれるような神が存在して、人類を他の星に移す。そうした劇的なことでも起きない限り、おそらく人類はこの先滅びるでしょう。
それは大本教神諭にありました、ユダヤの悪鬼(資本主義)が【この世を泥海にする仕組】に他なりません。後先を考えず、結果を予測せずに儲かればいいとこの世に敷いた線路に人類が乗っかって走った結果です。
聖書では【始めにして終わりの創造神】の存在が告げられていますが、人類がその始めにして終わりの創造神を見たかとなりますと、これまで見ていないと言えます。キリスト教では神の御子イエス1人を通じてしか解らぬ存在として来ましたが、人類の【みの終わり】でないと見えない存在だからです。
この世の終わりの日が何時なのか?。そうしたことが世に語られてはおりますが、それは誰も解らないなのです。例え世に出でおられる如何なる神もその日は知らないなのです。ただ、一部の御神霊のみが【警告】を発しておられるだけです。口酸っぱく言っておられるのは【木花咲耶姫】と称される霊とか【豊受姫】と称される霊ぐらいです。ほとんどの御神霊は黙示です。
ただ、そうしたことを云ったからと言って、その神霊に助かる道が見えていないのであれば黙するのみとはなります。
ですから、それは【Xデー】といえます。そんなことが果たして起きるのか?。起きないのか。それすら神々にも誰にも断定など出来ないのです。
まさに創造神のみが知るなのですが、その創造神と呼ばれる神ですら、本当に存在するのか?。それすら断定出来ないところがあるのです。
日本の大本教から今日まで退かされていた創造神として、【艮金神・国常立尊】の名が世に出されました。艮とは、退くの艮です。今は表舞台から退いている創造神です。その大本教からは一貫して、【我れよし、自己中】の多くの人の生き様が批判されましたが、それでよくなるどころか、ますます【我れよし・自己中】の人が蔓延したと言えます。特にスピリチュアルの何をしてもよいと言う論法は、世を良くするどころか悪くする一方の論法だと言えます。それに荷担する霊が多いというのが現状なのです。
ただ、死後の世界(あの世)と呼ばれる霊的世界。死後の世界等無いと思っている方にすれば滑稽な話なのですが、その死後の世界(あの世)に多少なりとも関わるとあの世(霊界)が存在することは解ります。そうした【Xデー】に関わる映像が霊界に存在することも解って来ます。それらの【身の終わり】の話の源は霊界における【霊的映像】が起こしているなのです。
大本教から【美濃か尾張の女子】が宣伝されましたが、これは【身の終わり】であって、それが自分だと思う者は、邪神(禍神・まがつかみ)に欺されているなのです。
みのか尾張の国としたことから、言葉の仕組で大本教神諭予告の【九つ花】の答えが見えて来るなのです。だから、それが自分だと思う者は邪神なのです。
【誠】の女子とは、【九つ花】の「言霊で成る」仕組を述べているのです。美濃か尾張の国から富山(十三)山を目指して高山を走る国道は【41】号線。その「41」を読み解く必要があったのです。それに踊った邪神は数知れずなのです。
実際に私は【自分が美濃尾張の女子】だと主張される方を数々見て来ましたが、そうした名乗りをいくらしても世を立替るなどの力を持った霊がその方の背後には存在しませんでした。神は言葉で示し申すであり、言葉を仕組む神の存在を単純に見ていたのでしょう。
世の大立替等の途方もないことが本当に起きるとすれば、そこには私達が知る科学では計り知れない【力(エネルギー)】が必要となります。
私達日本人は神社・仏閣に鎮座する神霊の存在を知ります。しかし、そうした神社に鎮座される御神霊でそうした【力(エネルギー)】を持つ御神霊が見当たるかとなりますと、どこの神社・仏閣にも見当たらないが本当のところなのです。
確かに世に龍神と呼ばれる【エネルギー体】は存在しています。しかしながら、そうした龍神を数百体集合させても、万体集合させても、世の大立替と呼ばれる事態に起きるであろうエネルギーには到底足りないとなります。世の大立替とは大地震や台風のエネルギーとは桁も規模も違うからです。そこに、どうしてそうしたことが今日まで語られるのかがあります。
私が未だ小学校一年生か二年生の頃、夜空の星々を見つめて、【自分の肉体の両親は貧乏でも優しくて、その恩は山より高く海よりも深い。だが、私は夜空に輝くどこかの星からこの世に出て来たのであって、そこには私の魂の父たる存在が居る。その魂の父の元に帰りたい】と泣いていました。
すると、私の耳に霊声が臨み、【私はこの世の幕を引くにあたって、人類を助けるが為にそなたを地球に遣わした。そなたはこの地球と言う星で、その任務をしなければ行けない。もし、出来ないと言うのであれば、そなたはこの私の元に帰って来る必要は無い。そなたはこの地球と言う星で永遠に暮らすがいい】と言われます。
さらに、【そなたの役目はあまりにも辛い。為に、他の神の御子にその役目を言いつけるわけにもいかず、我が子なれば、この父の為に死んでこいと申しつけるほどなり】と言われます。
私はその霊の言葉に驚いて、あなた様はどなたですかと問いかけたところ、その霊声の主は私に【私は私であり、アブラハムの神であり、そなたの神であり、旧約聖書の神である】と告げられたました。が、私はそうした霊の声が自分に臨んで聞こえて来たことに何も驚きませんでした。ただ、そうしたことを肉親の両親に伝えても信じて貰えないとは理解出来ていましたので両親には話しませんでした。
ただ、それが本当にその名乗り通りの旧約聖書の神だったのかは、子供の私にはとうてい解るはずなどありませんでした。
ある時、私はその旧約聖書の神と名乗る霊声に、【あなた様はイエスの上に臨まれたことがありますか?】と問いかけました。するとその霊声は、【私はナザレのイエスの上に一度たりとも臨んだことがない。ナザレのイエスは私の子ではなくて他の神の御子である】と告げられます。意外な言葉です。
いったいイエスは誰を指して「父なる神」を語ったのか?。私は子供心にも大いなる疑問を持ったのです。
私は神霊世界に関わってから、5月5日の武者人形で知られる鍾馗神の御案内で、中国で創造神ともされる盤古大神(木星神)に拝謁をして、大本教霊界物語によって、その盤古大神は国常立尊御引退の後に地上神界の主宰神となられた神、すなわちギリシャ神話の【ゼウス(木星神)】神であることを知りました。
大本教の霊界物語によれば、この盤古大神(木星神)が国常立尊の後引退後に地上神界の主宰神として君臨されていた。すると、大本教が世に出した【艮(表舞台から退いている)金神・国常立尊】とは、西洋の宗教ではとても説明不可能な存在だと解ったしだいです。
ただ、その霊声は【私はこの世の幕を引くに当たって、人類を救わんが為にそなたを地上世界に使わした】と言われます。されど、【そなたに、この神の力を与えるのは最後の最後の時である。そなたにはその日まで何の神の力も与えない】と告げられます。
私は子供心にも驚きました。この世の幕が降りるなどとても信じられないので、その霊声に問うたのです。【その終わりの日は何時のことなのですか?。その日まで私がこの世に生きている保証もないでしょうに】と。
するとその霊声は私に言ったのです。【その日が何時なのかは今は言えない。ただ言える事は、そなたはその終わりの日まで生き続けて、その終わりの日を目にするであろう。そなたはその終わりの日には私の側に居て、この世の終わりを見届けるであろう。何故に人類は終わらなければいけなかったのか?。その理由をつぶさに見届けよ!。そなたは次の世の為に、このことを見聞して記録しないといけない】。
私に臨んだその霊声は、別の時にこの世の幕が降りた後には【嬉し嬉しの世が来る】と告げられたので、一度はこの世と呼ばれる世界の幕は降りるが、その後には嬉し嬉しの未来の世が開かれると理解したしだいです。更にその霊声は、【この世が終わった後の未来に訪れる世界は永遠の世である】と私に告げられたのです。それが俗に言われる【みろくの世】です。
私は子供心に、例え今の世は終わったとしても、未来と呼ばれる次の世が来ると聞かされて安堵したしだいです。だが、子供であったことから【永遠の世】の意味の理解がまるで足りていませんでした。
神霊世界に飛び込んで自分なりに学んで来て、その【永遠の世】が持つ意味の恐ろしさに誰も気づいていないことに驚きました。これまでは【輪廻転生】によって永遠の世には至らなかったのです。その【輪廻転生】が存続する限り、誰も知る必要性も無かったと言えます。
私が霊界見聞をしていて驚いたのは「輪廻転生」の意味がほとんど世に理解されていなかったことです。その「輪廻転生」には深く【カルマ(過去の業)】が関わっているのです。聖書の【目には目。歯には歯を】の本当の意味です。我が宗教の教えを信じれば天国など、どこにもそんな論理は存在していないなのです。
永遠の世=輪廻転生の終わりに訪れる
私は子供心にも最後の最後の日でないと、この私に何の神の力も与えない。それでいながら人類を救えとは如何なることなのかと疑問を持ちました。
それに対して旧約聖書の神と名乗る霊声は私に言ったのです。【この国(日本)は私の教えが満ちあふれた世界で唯一つの国であり、この国(日本)に住むならばそれらは解る。そなたは1人だけにはこの神の仕組を見せる故、この日本の国に満ちあふれているこの神の仕組みを紐解いて人々に告げなさい】と言われました。
この日本の国に満ちあふれている何らかの仕組みを知り、それを学んだ者達は例え今の世が終わっても新しい永遠の嬉し嬉しの世に向かうことになるです。
その旧約聖書の神と名乗る霊は、【そなたの背後にこの神があることを見抜けぬ神ならば、とても使い物とはならぬ神である。為に、そなたの本当の身分は神々には解らないようにしてある。無論、そなたも自分が本当は何者かを知らない】と告げられます。それはキリスト教やイスラム教で言う唯一なる神以外にも、神と呼ばれる存在の霊達があることに他なりません。
そして私に言われます。【ナザレのイエスは千年級。弘法大師やマホメットは六百年級。そなたは三千年級の者なので、ナザレのイエスの「愛の教え」を何一つ恐れずに乗り越えて行け】と。だが、私が三千年級の者の意味は解けませんでした。
当時は【イエスの愛の教え以上のものがある】の言葉に、愛以上のものとは何のことかさっぱり解りませんでしたが、ナザレのイエスの愛の教えよりも、遙かに高い教えがあるのだなとは理解したのです。
一神教の世界では唯一神の存在の意味が解らず、多神教の世界において、初めて【唯一神】の存在が解るなのです。
ただ、当時の私にはその旧約聖書の神と名乗る霊声が言う【この国(日本)は私の教えが満ちあふれた世界で唯一つの国であり、それは私の仕組みだと言われたことが、何の仕組みだろうと迷うばかりだったのです。
そうした中で、5月5日の武者人形で知られる鍾馗神の御案内で、中国で創造神とされている【盤古大神(木星神)】に拝謁して、大本教霊界物語の【盤古大神から日本の国祖神国常立尊様に地上神界の主宰神の地位の大政奉還】を知り、それは日本の国に常に立つ御言で、日本の言葉の仕組は中国の漢字を変換することを前提とするまで仕組んであると知ったのです。とてつもない仕組です。
もし、大本教霊界物語にその内容がなければ、私は日本語による【言葉の変換(返還)】に気づくことすらなかったでしょう。大本教では三千年に渡る仕組としましたが、それぐらいの年月は掛かるでしょう。
私も大きくなるにつれて、旧約聖書の神と名乗る霊声が臨むこともなくなり、人の世の習いで私も何時しか神などと呼ばれる存在のことすら、すっかり忘れて大人にと成長して行きました。
ただ、その旧約聖書の神と名乗る霊声が私に言った、【そなたを社会の底辺に身を置かせる。そなたは社会の底辺を「ウジ虫」の如く這ってでも生き、【社会の底辺で「人の心の在り方」に関して学ばせる】と告げられたのですが、その社会の底辺からはなかな抜けきれなかったと言えます。しかし、その社会の底辺で【人の心の在り方】に関しては学ばさせて貰ったとは言えます。
私は【自己の魂を磨く】を説いて来ました。この「自己の魂を磨く」は、社会の上流界に生まれたならば、まず磨ききれません。仮にお釈迦様の様なシャカ族の王家の様な立場に生まれたならば、その地位を捨てて社会の底辺に身を置く必要はあるのです。それは魂の汚れなど簡単に取れるものではないからです。社会と言う荒波に耐えてこそ、人の魂は磨かれるなのです。
イエスが説いた【幸いなるかな貧乏人】なのですが、貧乏人だから魂が磨かれるではないのです。ただ、金持ちよりは天国門を開けやすいなのです。逆に金持ちの家に生まれたならば、狭き天国門をくぐれるような人にはなりにくいなのです。そこにあるのは、この世は「楽だ!。楽だ!」で遊んでいれば、裁く(砂漠)の道で天国の門が通れない【魂の磨き】の問題なのです。
私はその時に告げられた社会の底辺を【這う】という言葉に強い印象を持ったのです。這うとは【言の道】です。社会の底辺で言葉の道を這わせろ?。這うとは不思議な漢字だ!。何の意味かと?。
人によっては、私が書いたことを単なる【言葉遊び】と捉えた方達が多数あったと思います。それは、言葉の仕組がまったく理解されていなかったからと言えます。聖書に「言葉は神と共に在った。言葉は神であった」とあります。それすら理解されていなかったと言えるでしょう。日本でも言霊とは何かを知る霊能者は若干名です。まして、スピリチュアルともなれば全滅でしょう。
だが、日本語が言葉で仕組まれていると理解出来るならば、何故に砂漠(さばく)に駱駝(らくだ)が居るのか?。その必然性に驚くことになります。大本教神諭が何故に「ひらかな」にしてあったのか?。それは出口開祖が文盲であっからではなくて、そこに創造神の深い仕組があったなのです。言葉の変換です。
ですから、言葉の仕組がどれほどのスケールなのか理解出来るのであれば、神社や仏閣に鎮まる神霊の段階では無いと解るはずなのです。
大本教からは世の大立替として【三千世界、節分の炒り豆にも花が咲く】と大宣伝がなされました。大本教が出した【ウシトラ】には節分の牛頭虎パンツの【鬼と云う牛虎】があります。
その鬼と云うのは【魂】のことで
世に出ている御神霊達も一柱残らずその魂を改める大審判がなされるのです。
その時には天地の【一八十】度のでんぐり返しがなされるので、それを【イワト(一八十)】開けともいうのです。
それらを言葉遊びと思ってるようでは、永遠に創造神を見ない者となってしまいます。
次回に続く


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