先日、古いテレビ番組の再放送ドラマを録画して見ていました。捜査検事の物語です。捜査検事とは裁判所の裁判に出る検事ではなくて、検察庁で被疑者を取り調べて起訴するか不起訴にするかを決める捜査担当の検事です。
そのドラマの捜査検事のセリフを聞いていて、その言葉は検事や警察官であれば誰しも言う常識的内容かも知れません。だが、精神世界ではそれが常識として思われていないのです。ある意味、現在の神界は大本教神諭に「世に出ておられる神々が四つ足である」ことを暴くぞとある様に異常なのです。故に創造神(天帝)による立替論が生じているとも言えるのです。
このことは再度記事にした方がいいかとブログの記事を一本書くことにしました。
そのドラマの中で被疑者は検事に向かって言います。そのドラマのセリフ通りではありません。骨子です。
この世の勝ち組は何かしらの悪事をしている。悪をしなければ勝ち組として残れない。法は全ての人を裁けていない。たまたま自分は運が悪かったから、こうして捕まることになっただけだ。
すると捜査検事は言います。法があるからと言って法で全ての人を裁けません。為に【人には良心があるのです。人は良心があるから人であって、良心を持たない人などは人の顔をしている獣です】。
その言葉は単にドラマの中の捜査検事の一セリフです。しかし、神霊だ神だと騒いで神社に言っても、そのセリフを参って来た者に口に出せるだけの神霊が居られるのかなのです。
自己に良心を持たないは獣と同じこと(天帝が言われる人とは良心がある者)
獣に愛はあっても良心は無い
私はこのことを何度も言って来ました。【人の顔をしていても、その魂は毛物(獣)】と説明して来ました。
私の神霊世界における修業の導きは豊受神のお代を勤めていた女性霊能者でした。当時の日本で10本指に入るとされていた実践派の実力霊能者です。スピリチュアル等と言う低いものではありませんでした。100日間断食を2度積んだような修行の猛者です。
スピリチュアルの言葉を広めた某霊能者は幾多の霊能者・霊感者達から狸霊だと言われておられるようですが、スピリチュアルでは何の魂の磨きにもさほどつながらないからです。天帝の宝(タカラ)を抜いて殻(から)にしてしまう「タ抜き」の教えだからです。
その師匠がこの世を去る前に、豊受神の命令で書かれた著書には「自分は神様とは蛇霊や狐霊だと思っています」と書き残しています。その師匠はスピリチュアルで自分にはミカエルだカブリエルが降りて来る式の霊感者ではありませんでした。
私が神霊世界に修業に入って気がついたのは、【神とは良心を失った者達か?】でした。
その師匠が最後に残す物として豊受神の命令で書いた著書にあるように、神霊と呼ばれている存在は人の姿で見えていても、その実態のほとんどは蛇霊や狐霊や狸霊や猫霊や犬霊等の動物姿や爬虫類姿や鳥姿で語られる霊なのです。ただ、ある神示では白狐ならば天も許すとされているわけです。
当時、私は動物霊達は神霊に成っているのに、どうして人は死して神に成れないのか?。大いなる疑問に襲われていたわけです。そこにあったのが【ミカエル(身変える)】現象だったわけです。
私は大本教神諭に残された「九つ花」によって、56億7千万の「みろく」の意味を引き出すことが出来ました。「米」教です。その答えはお釈迦様の悟りであった【人には良心と呼ばれる神が内在する】の引き出しでした。
お釈迦様の教えを忘れた人達に対して、56億7千万後に現れてお釈迦様の悟りの教えを告げるのが「弥勒菩薩」とされているのですが、実によく出来た言葉の仕組みであったわけです。
だが、私は言葉の仕組みの解読の教えは出来ますが、霊能者としての霊的力はまったく持ち合わせておりません。私が子供の頃に臨んだ声は、【そなたにこの私の力を授けるのは最後の最後の時である】で、それまではそなたには何の力を与えないで、低級霊の傍若無人の暴れぶりも見ていても阻止すら出来ません。力を持たない悲哀も感じてはいます。
勝てば官軍。負ければ賊軍の力に頼る今の神霊界において、言葉の仕組みの解読がどれほど人々の役に立つのかは私にもよく解りません。
低級霊は非常に面白くて、人の行動を常に監視しています。昨日、貴方は誰と出会って何をしただろう。夕食に何を食べただろう。そうしたことを簡単に当てて来ます。だがそうした当て物がよく当たるからと言って、どこどこに大地震が起きるなどを事前に当てられないがあります。また世の大変動も予測出来ないのです。
私の修業の世話をしてくださった豊受神は、事前に阪神淡路大震災や普賢岳爆発など数々のことをその師匠に言い当てられていましたが、世の大きな動きを数々予言されて的中された大本教の出口王仁三郎聖師のような方と、巷の霊感者に何の中味も無いメッセージを降ろす霊とでは根本的に違うがあります。
自分が誰と出会って何をしようが、何を食べようがどうでもいいことなのです。それは霊的世界が在るの証拠の一端であって、中味的には意味の無いことです。ところがそうした当て物に夢中になってしまうと、低級霊の嘘の名乗りの神名や天使名にコロリと欺されてしまうとなります。それがスピリチュアルとしての入り口にしか過ぎません。問題はそこから先なのです。
私がいくら人に内在する「良心」神を説いても、低級霊にコロリと欺されているスピリチュアルでは、何をしても神の愛で赦されるとか、愛ばかりを言って自分を悔い改めるとか恥じる等の言葉は一切出されません。そもそも他の話を聞こうともされません。自分に見えた光景とか聞こえた霊声の押しつけばかりです。
私自身が2番目の師匠の元で、国常立尊と名乗る神霊の奇跡力にそれが【ニセの国常立尊】と解らずに引っかかった口ですから、決して人に大きな事は言えませんが、たとえその霊が天之御中主とか国常立尊と名乗っても本物とは思うなです。疑ってかかって、本物ならばその証拠を出せと迫ってもいいのです。それは奇跡力ではなく、人としての在り方とか神としての在り方を聞いていけば、低級神霊はまずボロを出します。神だ神だと思わせることだけに集中しているからです。
これだけニセ神が世に横行していると、本物の天之御中主とか国常立尊であれば、疑ったとして赦されてその証拠を見せてくださるでしょう。決して私を疑うのかと叱られるもないでしょう。しかし、その前にスピリチュアルで出て来るような低級な存在ではないのです。
私は子供の頃、検事に成りたかったのです。子供の頃から誰よりも正義感が強く、担任教諭からあまりにも正義感が強すぎる。それでは社会人となって社会では生きていけませんと注意を受けましたが、社会の権力者の悪には鬼の検事として、弱い立場の人達の前には仏の検事としてと立ちたかったのです。
しかし、早くして父親が死に赤貧の中にあり、夜学に通って法律を学びなんとしてでも司法試験を受けようと思ったのですが、諸般の事情によりまったく違った道にと行かされてしまいました。
私が子供の頃、私に臨んだ声は「そなたを社会の底辺に置く。その社会の底辺で人の心のあり方に関して学ばさせる」であって、それは鬼の検事になる道ではなかったと言えます。
しかし、神霊世界に関わって自分は地獄閻魔庁と深い関わりを持っていると判って来ました。豊受様から貴方の本守護神は国常立尊様ですと指摘されましたが、他に7~8名の霊能者の方からも貴方の本守護神は国常立尊様です。また天之御中主様とか閻魔大王様ですとも指摘を受けて来ました。
この国常立尊様とは天では「天之御中主」とされ、仏教での地獄の「閻魔大王」その方だと言われています。私自身は国常立尊様の御姿は拝見したのか拝見していないのか定かではありません。どなたも私の前では一切名乗られないので、皇帝の様な姿の方を見てもそれが誰だかよく判りません。が、閻魔大王としての方は日蓮聖人と一緒に出て来られたことで解りました。
また私自身が自分ほど優れた神通力者は居ないと豪語する方から、おまえは生意気だから殺すと天狗を連れて攻撃された時、閻魔庁の衛士達がその天狗を捕獲して羽根落としの刑に処すがありました。その後に大天狗達から末端の天狗達は貴方が本当は誰かを知っておりませんので粗相がありましたと天狗界の不始末として詫び状をいただきましたので、閻魔庁に守られているはあります。
地獄の判官とは、この世の裁判官と検事と弁護士の3役を同時に受け持っており、それだけにそこには自己の「私利私欲」があってはいけないのです。常に中立と公正の判断が要求されます。また私利私欲でない「情」も必要なのです。時には法の杓子定規の規定ではなく、何故にその人はそうなったのかの背後を見て、情による酌量の判断もしなければならないのです。
それは法では何も解決しないがあるからです
私が見た古いドラマの捜査検事が言った言葉のように、この世の法は悪も見つからなければ世の表に出て来なければ見逃されてしまいます。しかし、人には「良心」と呼ばれるものがあるのです。その良心が在れば人で在り、その良心を持たなければもはや人では無い獣(魂は毛物)なのです。
神々がいくら貴族の様な服装や十二単衣で現れても、蛇霊や狐霊や狸霊や猫霊や犬霊であったりで、それは【天帝の法】により真の霊力を持った者にはその姿を見破られてしまうのです。良心が無い者は人の姿をしていても人では無い人の姿をした獣なのです。
こうしたことは別に私が「米」教をもってして、人に内在する良心神をここまで説明するほどのことではなくて、人に内在する良心神はお釈迦様の本当の悟りで在った様に、人ならば誰しも本質的に持っており、他から教えを受けなければ解らないというものではなかったはずなのです。私達は本質的に感じていることなのです。解っていたことなのです。
古来より言われる良心の呵責です
良心の呵責が無い者、それはもはや人ではないのです
単に人の顔をした獣(魂は毛物)に過ぎないのです
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