『DOUBLE FANTASY』なる写真集が発売される。『GQ JAPAN』は世界に先駆けそのなかから選りすぐった10点を、独占的に掲載する権利を得た。篠山紀信が撮った、ジョンとヨーコ、最後の写真。
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※この記事は2014年12月24日発売のGQ JAPAN2月号に掲載された記事です。
写真: 篠山紀信
1980年12月8日、ジョン・レノンはニューヨークのセントラルパークに面した住居、ダコタハウスの前でファンを名乗るマーク・チャップマンに撃たれ40年の生涯を閉じた。ジョン・レノンとオノ・ヨーコによる共作のアルバム『ダブル・ファンタジー』が発表されて、まだ1カ月を経ないタイミングでの凶行だった。
結果的にジョンの遺作となったそのアルバムのための写真を撮影したのは篠山紀信氏。篠山さんが撮影した800枚あまりの写真は、アルバムに使用されたもの以外は以後、長らく封印されたままだった。
そして35年後にあたる2015年春に、それら未公開写真を編集して、ドイツの出版社TASCHENから、その名も『DOUBLE FANTASY』なる写真集が発売されることになった。それに先立ち、『GQ JAPAN』は世界に先駆け、そのなかから選りすぐった10点を、独占的に掲載する権利を得た。
作家・甘糟りり子氏による篠山さんへのインタビュー記事を併載した。
篠山紀信に甘糟りり子が訊く
「キスをしてみましょうと言ったら、自然にふたりの唇が近づいていった」
文:甘糟りり子
時間はどんどん死んでいく、と篠山紀信さんはいう。
「写真は、そんな死にゆく時間を記録するひとつの装置なんじゃないかな」
その言葉にのっとって感傷的ないい方を許してもらえば、写真は時の亡骸であり、だからこそ、見る者は一枚の紙に言葉や匂いや音を感じ、懐かしさを抱き、その向こうに広がる物語に思いを馳せるのかもしれない。
『ダブル・ファンタジー』撮影の依頼は、オノ・ヨーコ本人からの電話だった。篠山さんはLAにいた。
結果的に遺作となったが、5年間のハウス・ハズバンド生活を送っていたジョン・レノンの復帰第1作のアルバムである。二人を撮りたい写真家は、アメリカはもちろん世界中にたくさんいた。撮影は「日本の写真家に二人を撮ってもらいたい」というヨーコの希望だった。日本人の活躍を海外でアピールしたいという思いがあったのだろうと、指名された篠山さんは推測する。
1980年9月15日の早朝、LAからニューヨークに到着。レキシントン・ホテルにチェックインして、午後にはもうスタジオ「ザ・ヒット・ファクトリー」にいた。そこでヨーコに紹介されたジョン・レノンをひと言で表すならtender、温和で優しい人という印象を持った。そんなジョンとは対照的に、ヨーコはてきぱきと動き、積極的に空気を仕切っていた。
その時レコーディングしていたのは「Woman」だった。
すぐにシャッターを押し始めた。限られた時間を無駄にしたくなかった。篠山さんは自分のことを「消えるのが上手い」という。そこがどんな現場であれ、自分の存在を消してしまう。
「消す、というか、流れにのるんですよね。だから撮られているほうが気にならないみたい」
夕暮れ時が迫り、ヨーコが突然、ジャケット用の写真を撮ろうといった。3人はスタジオを出て、自宅であるダコタハウスに立ち寄り、それからセントラルパークに向かった。ヘアメイクやスタイリスト、マネージャーといったスタッフは皆無。3人だけ。人数の多い撮影なんてダメだよ、写真は少ないに越したことはない、と篠山さんは笑う。
公園に人はまばらだった。時折すれ違う人はジョン&ヨーコだと気がついても、にこっと笑いかけるぐらい。シャッターを押している間、二人はくつろいで会話をしていた。真ん中の大きな池の横にベンチがあった。彼らがそこに座ると、なんとなく顔がくっついたらいいかなあと思いつき、キスをしてみましょうと提案した。自然に二人の唇が近づいていった。
「彼らが一番ハッピーだった瞬間でしょうね。その場に立ち会えたのは幸運だし、あの瞬間を記録できたことは光栄に思います」
滞在中、3人でチャイニーズ・レストランに行き、食事をした。携帯電話なんかない時代だ。ビジネス面を取り仕切っていたヨーコ宛ての電話が店の番号にしょっちゅうかかってくる。篠山さんはジョンと二人きりで話しているうちに、お互いが40歳だとわかった。ジョンは、自分は今転換期にきている、これまでの全部、有名であるという意識も含めた過去をすべて忘れて新しいスタートを切りたいと話した。このレコーディングが終わったら、すぐにパートIIの製作にとりかかりたいと意欲的だった。よく日本食を楽しむといい、帰りのクルマの中で「東京ブギ」を口ずさんだりもした。
ジョンとヨーコはたいていマネージャーもボディ・ガードもつけずに自由で無防備だったけれど、息子のショーンにはボディ・ガードがついていた。レコーディングの最中、もうすぐ5歳になるショーンがボディ・ガードとともにスタジオに遊びに来た。ジョンはできたばかりの「ビューティフル・ボーイ」を聴かせ、これは君のことを歌っているのだと息子に告げた。つい先ほどまでの緊張した時間とはまったく別の時間がこぼれるように流れた。シャッターがごくありふれた父親の姿を記憶した。
5日間で合計8時間の撮影をし、約800枚の「時の亡骸」を残した。現像はニューヨーク滞在中に済ませた。日本に戻ると、次の被写体がずらりと待ち構えていた。
撮影したのはカラーだったけれど、数週間後に受け取ったレコードのジャケットはモノクロで仕上がっていた。あの時ほんの一瞬だけ抱いた違和感を、意味ありげな予感にすり替えることはしたくないと篠山さんはいう。ジョン&ヨーコのずっと前、三島由紀夫は撮影した1週間後に割腹自殺をしている。
「わかっていたら、死ぬのはやめさないって、三島さん本人にいいますよ、僕は」
ニューヨークでの撮影からおよそ2カ月後に『ダブル・ファンタジー』が発売され、そこから1カ月もたたないうちにジョン・レノンは撃たれた。ダコタハウスの前で。篠山さんが衝撃的な死を知ったのは新聞社からの電話だった。その後、事務所の電話が鳴りっ放しだった。最後に会った日本人として各方面からコメントを求められた。
「写真っていうのは時代の写し鏡だと思うんですよ。技術とか手法とか、どんなカメラを使っているかなんて関係ない。人でも物でも、一番いいタイミングに撮る。それがいい写真なんだよね」
レコードがCDになり、そして今、ダウンロードで手に入れるものに変わろうとしている。残念ながら、レコード・ジャケットはかつてのような大いなる媒体ではなくなってしまった。1枚の写真から、そこに閉じ込められた音楽を想像する、という楽しみも消えようとしている。
時や時代は、どんなに記録しても、裏切るように消えてしまう。
それでも時や時代を掴もうとすることが、生きている者たちの仕事なのだ。「スターティング・オーバー」を聴くと、そんなことを考える。
未公開ショット多数、2015年に写真集『DOUBLE FANTASY』が発売
Double Fantasy
31.2×44cmという大迫力の大判サイズ。世界数量1730部限定。すべてにオノ・ヨーコ氏、篠山紀信氏の直筆サインがはいる。英・独・仏・日(4カ国語併記)版。¥125,000
Art Edition A
35×25cmサイズの写真をピグメントプリントした限定版。写真集に加え、セントラルパークの池で二人を撮影したショットを付した。篠山紀信氏の直筆サインがはいる。125部限定。¥310,000
Art Edition B
アルバム『DOUBLE FANTASY』のジャケットになった写真のオリジナルカラー版のピグメントプリントがセットになった限定バージョン。篠山紀信氏の直筆サインがはいり、125部の限定リリース。¥310,000
出版元:TASCHEN 企画協力・問い合わせ先:STEP inc. tel. 03-5774-4551