人に内在する良心神(神言会)

神は言葉なりき。言葉は言霊で構成され、その言霊による神の仕組みを解説する神言会(kamikotokai.com)のプログです。
神言会では人に内在する良心神(この世の閻魔)とは何かを説明しています。

神の芝居の舞台には悪役も必要。神の芝居の舞台に立つ役者と見学者。最後の幕のフィナーレは女子達の勢揃い

私が子供の頃に臨んだ「旧約聖書の神」と名乗る声は、私はこの世の幕を降ろす。次に嬉し嬉しの永遠の世を創ると言われます。私も成長してそれが「みろくの世」と表現されている世界のことだと解って来たしだいです。

大本教神諭予告の【九つ花】を紐解いた時、この仕組みがお釈迦様の本当の悟りを忘れた人達に【五十六億七千万】の仕組みで日本語で「みろく」を現す仕組みだったと解った時には、さすがに度肝を抜かれたわけです。
それまで弥勒の【五六億七千万】の数字がどこから出て来たのか意味が解りませんでした。大本教の出口王仁三郎聖師の太陽系が出来て「五六億七千万」の説明など、天文学からしても論理が通るようなものではないからです。
それが紐解けた時、あまりにも途方も無い大きな仕組みであり、大本教神諭に【誠】の者でないとそのお世話が出来ないとあるように、単に霊が見えるとか霊の声が聞こえるでは、それが逆に災いとなって言葉の仕組みのスケールの大きさに気づくことが出来ない難しい話になると解りました。
 
その旧約聖書の神と名乗る声は一度この世の幕を降ろして、新しい世の幕が開くと言われたので、それはこの世の舞台の幕が一度は降りて、また新しい演目の舞台の幕が開くことは子供心にも理解しました。

その旧約聖書の神と名乗った声は、このことを世に知らせむ為に、神の芝居の舞台が用意されている。その神の舞台に上がる役には「善」の役もあれば「悪」の役もある。その神の舞台の主演を演じる者もあれば助演も脇役もある。与えられた台詞(セリフ)が何も無く、ただ神の舞台を通り過ぎるだけの通行役の者もある。それらが混然として神の芝居の舞台が演じられる。

神の芝居の舞台を演じる役者に舞台の上での演技として、高い身分の地位を演じる役とか低い身分の地位の役を演じさせるはあれども、神の芝居の舞台は終われば全員皆同じ立場なり。今回、高い地位の役を演じさせて貰っても、それは「役目」上のものと知りなさい。
その神の舞台を見事に演じたならば、次の舞台では悪役から転じて正義の役の主演もある。だが、神の舞台の役の上での悪の演技と言えども、その役者の化粧を落とす時、性根まで悪に染まっていたならば、それはもはや神の役者には非ずと言われたのです。

だが、次の様なことも言われたのです。この神が脚本を書いて監督する神の芝居の舞台の筋書き(シナリオ)は誰もが知らず。世に出て居られる神々達もその筋書き(シナリオ)は知らない。この神が見せる神の芝居の舞台に立つ役者も、この神の筋書き(シナリオ)を知らずに演じることになる。
この神が見せる神の芝居の舞台を見学する観客は、世に出ておられる神々であり、舞台には立たない人民である。全てが終わったならば、世に出て居られる神々も人民も、こんな「仕掛け」だったのかと驚いて、この神の栄光を讃えるであろう。そうしたことを告げられたのです。
 
つまり、【世の大立替とされるものは創造神が見せられる神の芝居たる舞台であり、創造神たる神の存在を神々や人民が知ることであり、全てが終わったならばとんでもないドンデン返しが待っている】なのです。
 
その内容は一度は私達が見ているこの世の天地は崩れてしまうのです。全てが終わったと思うと、そこには新しい天地が存在しているのです。だがその新しい天地はこれまで見た天地と何等違和感が無い世界、為にこの地球が次元上昇しただけと判じる方も出るでしょうが、その地球に住むメンバーがこれまでと同じではなくなるのです。そこには【選別(餞別)】があるのです。餞別を渡されて違う世界に行く人も出るでしょう。
 
大本教神諭に【世の立替があると云うことは、どの神柱にも判りていれど、モウ一厘の肝心の事は判りておらん】。

また大本教神諭に【今度の大事業(大望)は人民の知りた事では無いぞよ。神界へ出ておでます神にも御存知ないような深い仕組みであるから】とあります。

しかしながら、その神の芝居の舞台に立つ役者も、何の筋書きも持たせてもらっていないとすれば、誰が主演で誰が助演で誰が脇役かさえ解らないとなります。舞台の役者のメンバーすら誰も解らないなのです。

明治31年の大本教神諭には
【出口直に明治25年に申してある事、この大望な経綸の致してあることを、世界に一人知りておる。誠の人はこしらえてあるから、この誠の人が出て来んと解らんぞよ。誠の人を西と東に立別けて御用がさして在るぞよ。この事解りて来たなれば、三千世界が一度に開くぞよ。綾部に九つ花が咲いたならば、万古末代枯れぬ花であるぞよ】。
ある意味、世界に一人しか知らないことをいくら言っても、圧倒的多数の人はそれを知らないとなると、いくら叫んでも世の中には通りません。何故にそんな無体な仕組みをされたのかは、それは創造神のみがその意味を知るなのです。
私が子供の時に臨まれた旧約聖書の神と名乗る声は、【そなた一人と全人類との戦いぞ】と告げられましたが、世界に一人知りておるの意味とは思いもしませんでした。

​大本教関係者はこの神諭の存在を「出口王仁三郎聖師」のことだと思っておられたことでしょう。だが、出口王仁三郎聖師は「九つ花」を紐解かれることはなかったわけです。この神諭の該当の役目では無かったからです。それは、それそれが持ち場持ち場に応じて神の芝居を演じているなのです。
豊受の神様も此花咲耶姫様にしても世の立替はあり、人民は一人も残らないと言われますが、さりとて全てを御存知ではないのです。まして末端の神々ともなれば、立替など話すとそりゃ「何じゃ」と言われます。まったくご存じない有様と言えます。
私なども立替が起きるぞ。立替が起きるぞの空宣伝ばかりで、実際に立替等と言う事態が起きるのかと問われたならば、正直言って解らないとしか言いようがないのです。ただ、万一起きてもそれに対処する道を説くしか出来ないわけです。
 
何の台本(シナリオ)も渡されておらず、神の舞台を演じろ演じろと言われても、正直なところ戸惑うだけなのです。豊受の神様にしても、人類は全員死ぬとは言われても、では何時のことなのかと尋ねれば、その時期は解らない。ただ、言えることは貴方は間違いなくその立替の大嵐の中を突破されるだけです。
ただ、解っているのは人類は全員死ぬとしても、聖書で予告されている【復活】にと進むと言うことです。ただ、それには魂の【更生(甦る)】が必要とされるです。
 
更生=甦る
 
その最終幕としての霊的映像は、「女子達」による幕締めの【大フィナーレ】です。その霊的映像が出た時、私が子供の頃から聞いている声が私に臨んだのです。

この世の終わりの最終幕は女子のみの舞台ぞ そなたに出番は無い

最終章におけるそなたの役は舞台の解説の台詞回し(ナレター役)だけである。その幕が降りた時、アンコールの拍手が鳴り響く。その時アンコールの為の一度は降りた幕が開き、そなたは男子なれども女子達の舞台に上がり、その最前列の真ん中の中央に立ち、女子達と一緒にこの世のラストのご挨拶。
その幕が降りたなれば、観客は拍手喝采の総立ちとなる。まさかこんな仕組みだとは誰も思わなかったである。そして新しい嬉し嬉しの世に渡るでした。

大本教の出口王仁三郎聖師が予言された「みのか尾張の国の中から出る女子」ではなくて

「身の終わりの時に出る女子」達なのです

 
この世の幕閉めが拍手喝采の総立ちとなる?。
 
私にはその意味が完全には解りません。私は子供の時、旧約聖書の神と名乗る声からそなた一人だけに【この神の仕組み】を見せるから人々に告げなさいと言われましたが、そなたには最後の最後の時にならないとこの神の力は何も授けないで、既存の神の取次者や霊能者が見せる神霊力を保有しておりません。そうした神霊力を持たない私と違って、今日まで知られるような神霊力を発揮して神の存在を知らせるのが女子の役目なのでしょう。

大本教の出口王仁三郎聖師霊や出口日出麿さん霊が霊界で今もなお「みのおわりの女子」探しておられることは解っています。大本教のみろく殿において、私が案内したとある女性を大本教の出口王仁三郎聖師の霊が大本教みろく殿の神前に引っ張ろうとされたことがあります。
そこで私の最初の師匠に直に出会って貰ってその女子の魂の霊査を頼んだところ、その師匠が言うのには「待ちに待った人がやっと出て来た」です。しかし、その正体がバレると邪神達に命を狙われるので、為にその肉体が自我の塊になっておられるです。自我がありすぎて神界の御用は勤まらないかも知れないと言われます。
立替の難しいことは、舞台を演じる重要な魂をこの世に卸しても、肉体の自我により必ずしも神の期待通りには働くとは限らないなのです。
 
それはある意味、誰にも言えることです。自我だらけの塊であれば邪神には狙われない。だが、自我を離れて自己の神性に目覚めて来ると邪神達に狙われるです。
 
その女子は最終幕の舞台の候補の一人であることは確認出来ましたが、その役を演じきれるとは限りません。しかしその【女子が持つ魂】から最終章の主演を演じる女神がどなたであるかまでは解りました。
最終幕が降りる日は神々にも解らないで私にも解りませんし、その日迄にそうした女子達が全て間に合うかどうかも解りませんが、最後の幕の役者はその女子一人ではないのです。人民サイドでは解らない深い創造神の仕組みがなされているからです。
 
この記事に関わることを以前のブログに少し書いたところ、真偽の程は判定は出来ませんが伊勢神宮の天照大御神様からのメッセージなる物を私に送って来られた方があります。
その伊勢神宮の天照大御神と名乗る神霊曰く、【女子は七名】とことでしたが、それは主演や助演のスター級であり、全員で48名なのか?。80名ぐらいなのか?。どう勢揃いさせて、どうやってこの世の幕を引かれるのかまったく解らないわけです。


世の大立替論は、最初は聖書のヨハネの黙示録からとなります。日本では世の大立替論は既に天理教の段階で現れて、世に大宣伝をした大本教にと進みます。しかし、その大本教の型演技を見ていますと、「女子の教祖で七代続く」となっています。
過去に数々の予言を当ててきた大本教の正統の教祖たる女子は七代目も育っておられますから最終局面に来ているのは確かでしょうが、神の舞台を演じる女子は大本教からではないのです。主演助演スター級で【七名の女子】なのです。
 
それらの身の終わりの女子達は全員が同じ役を演じるではないのです。一人一人が神の舞台の役者であり、当然に個々に与えられた役割が違うからです。その数は多人数なので、自分が単独の「みのおわりの女子」だと思う必要は何もないのです。
男子は「立役者」であり、女子は「横役者」。ただ、この女子達をどうやって見つけるかです。

自分がその「みの終わり」の女子ですと言って来られる方は多数ありますが、それらの中には該当すると思われる女子は存在しておられないようです。それはそもそも「みのおわり」の女子という役名ではないからです。ですから、自分が「みの終わり」の女子と思う人には該当者は一人も居ないのです。

 
その女子が如何なる神を自分の魂の本守護神・正守護神にしているかで、その方に立替の役目があるのか無いのかが解って来るのです

その女子達を育成されるのは、その魂の本守護神・正守護神たる存在なのです
世間が世間がと世間を気にしていると、誰も助けることが出来なかったで終わりかねないのです




 

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