先日テレビを見ていましたら、西洋キリスト教における「悪魔祓いの儀式」が放映されていました。西洋では悪魔祓いとして大袈裟にされていましたが、日本では「憑依」霊の一言で片付けてしまう話です。
ただし、その憑依症状は日本の方が緩いがあります。これは日本ではそうした邪霊の活動がかなり押さえられているからでしょう。西洋では憑依霊がモロに出ていると言えます。
今は亡くなられておりますが、日蓮宗の霊能者で「慈雲」と言う和尚がいられました。その慈雲和尚とキリスト教の悪魔払いで有名な牧師とで、アメリカでポルターガイスト現象が起きている場所で悪魔祓いの対決がテレビで放映されました。だいぶ昔です。
最初にアメリカの悪魔祓いの牧師が聖書と聖水とロザリオを手にして、【汝に告ぐ、イエスキリストの名を持って、悪魔よ立ち去れ】と言います。だが、ポルターガイスト現象は一向に鎮まりませんでした。
それを横で見ていた慈雲和尚が、これは悪魔などでは無い。幼くして亡くなった子供が、父親恋し。母親恋しと探して暴れているだけだと。この子が亡くなった後にその親はこの家を引っ越してしまったです。その子供に家と親を慕う心が強くてその地に地縛霊化している。可哀想な話だと、それで一緒に同行してた自分の寺の尼の依り代(霊媒)を使って会話で言い聞かせて、無事に本来の霊界に送るで解決がなされました。
西洋の霊能者は幼子の霊を悪魔(サタン)にしてしまい、東洋の霊能者はキチンとその正体見抜いていたわけです。
私も修業時代、地元のある地蔵菩薩の祠の背後に少女の幽霊が出て来るの噂に、2番目の師匠が霊査に入ったところ、少女の霊が出て来たがあります。この少女が亡くなった時、先祖霊の誰かが迎えに行っていなければおかしいで、霊媒通しでその少女はどうして本当の霊界に行かなかったのかと尋ねたところ、その少女の父母や祖父母は生きていて、その少女が見た事も無い先祖霊の迎えであった為に、その霊に付いて本当の霊界に行かなかった。それで迷い霊となってしまった。で、その地蔵菩薩の背後でお供え物を戴いていたでした。
なるほど見たことも無い先祖霊には付いて行けなかったと言われると、そうした幼くして亡くなった子供の霊に対しては、親なりがきちんと霊界に行くのだよと言い聞かせておく必要があるのだと実感したしだいです。供養の仕方です。それでその少女霊はその地蔵菩薩に引き取っていただくで解決がなされました。
霊界には神仏が居られるからそうした霊を助けているは錯覚で、霊能者が仲介しないと神仏の元に送れないもあるのです。
西洋で言う「エクソシスト」とは悪魔祓いの聖職者のことですが、キリスト教の中では一段格下の牧師のように思われています。ほとんど牧師は何も解っていないがあります。ただ、そこに見られるような憑依現象は日本でも見られるのですが、日本では怨み霊とか動物霊が憑いているで、それを悪魔と言う表現まではしないわけです。
そうした霊が居たとしても、その霊の被害などは社会全体から見ればさほどのことがないからです。一部の方に留まります。もしもそうした霊が大量に暴れていれば、世は大騒動になってしまいます。
私が住む家では3年間に渡る大ラップ現象があり、既存の神々や霊能者ではまったく手が付けられなかったがあります。しかし、その被害は私だけに留まっているからです。
ただそうした憑依霊を力尽くで相談者から剥がそうとすると、憑依している存在がかなり暴れるは、それは東洋であろうと西洋であろうと一緒なのです。ただ、日本では聖書と聖水とロザリオではなくて、霊縛とか御経や祝詞という【言霊】をもってして対処するなのです。
霊能者江原啓之さんはテレビのオーラの泉で、俳優宇梶さんの背後霊に攻撃されてのびてしまわれる醜態を世間にさらけ出してしまわれましたが、スピリチュアルで自分には天使長ミカエルがメッセージを送って来るで何の価値も意味も無い内容のメッセージに喜んでいるのとは違い、本当の霊能者は「切った張った」丁場の中を行かなければならないのです。そうしたことで命を落とした霊能者はいくらでも居るのです。
今回、悪魔祓いの儀式を見ていて、その憑依されている存在に対して牧師が「悪魔名」を言っているので、?となってしまいました。私は西洋で言う「悪魔」など見たことがないからです。私が見るのは動物の姿として見るからです。
そこで、悪魔に関して少し調べていて、キリスト教における「七つの大罪」から、日本の霊能者とキリスト教における悪魔祓いの牧師の受け取り方の違いが解って来ました。そこで言われる動物名で対比して見れば解ることだったのです。霊はその姿を「身変える」だからです。
日本では、蛇霊・狐霊・狸霊・猫霊・犬霊等と言いますが、それに一々「悪魔名」などを付与していないのです。
西洋ではサタンは「狼」にしていたようですが、
日本でスピリチュアルを呼称したい方達が「サタン=悪魔」にしている為に、それが「狼」を意味していたとは私も今日まで気づかずにいました。
これらは日本昔話にある「狼がくれた睫毛」の話であり、霊的に「身変える」の問題なのです。
日本語で「悪魔」の「亞(亜)」は、大きな意味で言えば「主君たる神を裏切って墓に葬った司令官」の意味です。これまでのブログにも解説してきました。個々の魂の観点から言えば、自己の魂の中の核たる天帝の分魂、すなわち「人に内在する良心神」を「毛物(獣)」にした【獣の良】で「狼」となります。
今回調べていて、西洋でサタンを「狼」に置き換えているとすれば、西洋では【神は言葉】の中味が出せませんので、日本語と漢字の変換が解っているならば
狼(良心を獣科にした)が「サタン(悪魔)」
良心神を失えば、魂の直霊の場所が「空く間」となる
お釈迦様が菩提樹の樹の下で、【悪魔は実態を持たない表れで有り、人には良心と呼ばれる神が内在する】と悟られたことは実に凄いことだったとなります。
そして私達が使う「日本語」は、大本教が予告した「九つ花」によって、五十六億七千万の仕組みの「みろく」で人に内在する良心神を解き明かせ、悪魔は実態を持たない表れで有ると証明出来る仕組みとなっているわけです。
西洋キリスト教ではイエス一人が神の子だという根本的間違いの中にありますので、悪魔の意味が解らなくなっていると言えます。
日本でも「嫉妬」は安珍清姫伝説で語られるように「蛇霊化」します。多くの怨み霊が蛇霊化しています。また権力の溺れも蛇霊化に行きます。ただ、日本では色情も「蛇霊化」すると見ています。一番きつい蛇霊化は色情で「色情の蛇」などと言います。
高慢のプライドは、ライオンとしても出ますが「猫」科のことです。ライオンは猫科です。この「猫」は創造神でも無いのに自分が創造神だと「描くの獣」のことで、猫科の姿になってしまうわけです。暴食は古来より豚です。ただ、西洋では「白狐」は語られませんので、「狐」の意味の捉え方が西洋とは違って来ます。
日本では狐霊は野狐霊と白狐などに分けて見ています。特に日本独特の「稲荷」信仰はキツネその者を神として崇めるがあります。これをキリスト教にもって行けば、日本人は悪魔「マンモーナ」を信仰しているとなります。白狐は全て「正神界」に所属するではありません。邪神界に所属している白狐も大蛇霊の配下となっている白狐も存在します。しかし「悪魔」として見るのは如何なものかとなります。おそらく西洋人の霊能者は「白狐」など見たこともないのでしょう。
これらは全て【日本語】という言葉をもってして捉えないと、本質的な意味が解らないのです。
私が初めて伏見稲荷山に上がった時、伏見稲荷山首座神の豊受様は豊受様の御代を勤めていた最初の師匠を通じて、【貴方は言葉の神と呼ばれる貴い御方で、貴方の言葉による教えは「天帝の詔」と同じであり、如何なる神でも貴方の言葉の教えが聞けないとなると、天帝に対する反逆罪と見做されます」と言われたのですが、私が幼い頃、私に臨んだ旧約聖書の神と名乗る声は、この国(日本)は私の教えで満ちあふれた世界で唯一つの国である。そなたはその仕組みを知る唯一人の者としてそれを人々に告げなさい」と命令されたのです。
私は日本語による【言葉の仕組み】を解読している中で、私が子供の頃に臨んだ声が旧約聖書の神と名乗ったことに関しては、ほぼ間違いないと確信するまでに到りました。誰がこんな仕組みが出来るかです。伊勢の天照大御神でも出雲の大国主命様でも豊受様でも無理な仕組みです。だが、日本語による言葉の仕組みのスケールの大きさに気づかれる方はほとんど居ないなのです。
各神界のトップ神であれば私のことは既に御存知のようですが、同じ神名を名乗っていても一門の末端神(神界の合目が低い神)とか御家来衆とか眷族クラス迄には私のことはまだ行き届いていないようです。で、末端の天狗に使われている神通力者が私を殺しに来たりしました。
私が「言葉の君」と名乗っていることに関して、ある方が酒井師という方に私のサニワを依頼されたところ、酒井師はこの方は「言葉の君」ではなくて、「言葉の神」と呼ばれる方で創造神その方ではないが創造神の横に座す方だとサニワされたそうですが、豊受様と同じことを言われたわけです。その天帝が出座されてからでは遅いのです。間に合わないのです。
私一人が言葉の仕組みのあまりにも大きさに驚いていたのでは、まったく先行きはしません。その大きさを理解して欲しいのです。ただ言えることは、こうした言葉の仕組みの大きさは、これまで世に出ておられた御神霊とは段違いの存在の神があるの認識が出来れば、創造神と呼ばれる段階の神が桁外れの存在の神だと解ることなのです。


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