霊的世界に関わっていると「ラップ音」を聞きます。このラップ音は種類によってはその場の全員に聞こえることもありますが、通常のラップ音はその場の全員に聞こえているではありません。ほとんどの人にはラップ音は聞こえていません。
30人から居た場所でラップ音が聞こえた時、その場所に向かって振り向いた人は数人でした。そうしたラップ音を聞く人は、どこに居てもやはり聞こえています。が、そうでない人はラップ音が鳴っていてもほとんど素知らぬ顔です。つまり「霊音」であって自分が霊媒質であるかが大きな要素なのです。
霊感霊媒質であれば「ラップ」音だと解りますが、初めはそれがラップ音だと解らずにいるということが多いようです。それがラップ音と呼ばれる物だと解って来ると、聞こえている人と聞こえて居ない人が居ることの認識に入ります。
ラップ音にはいろんな種類があり、簡単なのはパーンとかポーン。コーンとか。新築の家だと柱が乾燥して柱割れの音かどうか判断に迷うがあります。実に様々な音があり、爆音やヘリコプターが飛んでいる様な音やバイクのエンジン音のようなもの。ノコギリでギコギコ切るような音や石ころをコロコロ転がすような音や下駄音。雨が降っていないのに雨音のような音など様々あります。
私が自宅に正式に伏見稲荷大社から豊受様の御ミタマを受けた後、私の最初の師匠が私の元に訪ねて来ていて神棚で伺いをしたところ、私に青森の「恐山」に行く様に神界から指図が出たとのことで恐山に向かいました。
田名部の某ホテルに宿泊したところ、一階はフロントや会議場。2階は結婚式場や宴会場。確か3階から5階までがホテルの部屋で、当日は日曜日だったのですが、泊まり客は何故か私一人しか居ないとのことでした。これだけ部屋数があるのに泊まり客が私一人とは、何か恐いなという感じでした。
おまけにフロントと道を挟んだ反対側が経営者の自宅で、泊まり客は私一人でチェックインされたのでホテルのフロントを閉めますので、御用があれば道の反対側の自宅に言って来てくださいです。
ホテルの部屋で旅装を解いてくつろいでいると、屋上なのか、上からドンドンと凄い物音です。日曜日なのに屋上で建築工事でもしているのか。夕方の5時になったら終わるだろうと思っていたら、5時になってもドカンドカンと来ます。さすがに頭に来て、文句の一つでも言おうと屋上に行ったら誰も工事などしていません。人一人居ないのです。
ラップ音かと思いましたが、ビルを少し揺らすほどだったのでポルターガイスト現象と呼ばれる一種なのでしょう。それ以前にも自宅を揺るがすような現象に出会ったのですが、当時はあまりそうしたことの理解が出来ていませんでした。
さて、どうしたものかと思っていたら夜の8時頃にはその音は終わりました。これは明日の恐山行きに関係しているな思っていましたが、無事に恐山は何事も無く終わりました。
この当時は、こうした霊現象は自分にも原因があるとは思ってもいませんでした。
祖母の法要があるで母に代わって私が長野に法要に行くことになり、最初の師匠に長野に行って来ますと言ったところ、その師匠が「これは大変な旅になります。特製のお守りを創って差し上げますので、それを首に掛けて行ってくださいと言います」。私にすれば何が大変だ?。です。自家用車なので交通事故に気をつけなさいで特製のお守りだろうかと軽く考えいました。
親戚の家に泊まるのではなく、その手前の某市のスポーツセンターに宿を取りましたところ、泊まり客は若干名で部屋はかなり空いていました。案内された部屋に入ったら、ドンパンドンパンとラップ音が始まりだしたのです。師匠が言った大変な旅はこれかです。
部屋はかなりの数が空いていたようなので部屋を変えて貰おうかと思った時、原因は部屋そのものにあるのではなくて自分自身だと気がついたのです。それは私が風呂場に行った時、その風呂場でもラップ音が起きたからです。
私の背後に居る霊団とその土地に住み着いている霊とがぶつかっているです。私の背後霊団の大きさは霊能者の方に存在する背後霊団とは桁違いに大きいと聞きます。知らない土地に行くとそこにはその地の霊が居ます。どちらかがどちらかに従えば別に争いにはなりませんが、そうでないと霊の力比べとなります。
それ以後、ラップ音が鳴ると、霊がぶつかっているかとみるとぶつかり合いなのです。
こうしたラップ現象が起きた時、そのラップ音が鳴っている場所をカメラで撮影しますと、俗に「オーブ」と呼ばれる物が写り込みます。ただ、オーブ写真は霊媒質の方ほど写りやすく、霊的に鈍感な方はあまり写りません。
そうした「オーブ」写真は、それをオーブだオーブだと喜ぶ手合いの物ではありませんし、また写真に写ったからと行って、それが誰かを別に詮索する必要もないのです。
先日、テレビを見ているとショコタンこと中川翔子さんが天草四郎の島原の乱における原城跡で無数のオーブ写真を撮っておられましたが、これは中川翔子さんが霊媒体質だからです。
天草四郎の原城の戦いではキリシタン3万人ほどが全員殺されました。キリスト教を信じたから天国等はありません。多くの霊が地縛霊となっていている場所なのです。全員が供養されたではないのです。夜に行けばそうした土地ではオーブは写るのです。それは別に中川翔子さんだけでなく、霊媒質者がそこに行けば写ります。
しかし、これだけ中川翔子さんがオーブ写真を撮っている場所を、自分の前世が「天草四郎」と称する方が供養していないとなると実に変な話にはなるのです。自分を慕って多くの人が死んで浮かばれていないとなったならば捨てておけるはずがないからです。
死後の世界(霊界)等無いと主張するのは【無知】から抜けられないのであって、人は神の愛で何をしても赦されるのであれば、そうした事象も起きないのです。キチンと事実を学ぶ必要があるのです。
そうしたオーブとオーブがぶつかれば、時には花火の様な閃光を出して片方が破裂するがあります。それでそのオーブは終わりなのです。オーブと呼ばれている物の多くは日本では【思念】と呼ばれています。
私は「無念・残念」の言葉を不思議に見ています。残念と言うのは「念が残る」ことなので意味が解るのですが。「無念」だと念は無いのですから、あり得ないことを言っていることになります。
よく古戦場で多くの人が亡くなった場所に行くと、そこで「オーブ」が写ることは多々あるのです。自分が殺された時の念が残っているからです。
こうした「思念」はいろんなことを訴えかけて来ます。それを聞き届けて叶えてあげると、「ありがとうございました」と消えて行きます。その想い(念い)が叶えられたことで、そこで「無念」となるわけです。
【無念】は仏教用語で、妄念のないこと
迷いの心を離れて無我の境地に入り、何事も思わないこと。正念。
残念・無念は言葉の使い方の意味を間違えているなのです。念を残している存在の念を無にしてあげるが「残念・無念」なのです。
ラップ音現象のことを日本語では「争霊・騒霊(そうれい)現象」と言います
騒霊だと単に霊が「騒いで」いるですが、争霊だと霊と霊が「争って」いるのです。これを単にラップ現象と表現すると、霊と霊が争っていることがよく解りません。
ラップ音が鳴るということは、そこには霊が居るということなのです。この世を去ったからと言って、全ての霊がこの世と隔離された霊界に旅立っているではないのです。
スピリチュアル系の人は何かと言えば西洋から来たカタカナ言葉を言えばいいと思っておられます。西洋でシルバーコードと呼ばれる霊子線も必ずしも「銀色」ではありません。ですから「霊子(たまのこ)線」と言った方が意味が解りやすいのです。
これまで日本では「霊学」はおろそかにされて来ましたが、大本教から「霊子(たまのこ)線」として説かれました。また日月神示でも同様に「霊子(たまのこ)線」と記しています。また、それが銀色とは記していません。
これは「シルバー・コード」と言ってしまいますと、霊学としては最低の意味しか出て来ないのです。「霊子(たまのこ)線」と言いづらかったら「霊子(れいし)線」でもいいのです。この線が切断されると、肉体がある魂はその肉体には戻れなくなるのです。
魂と呼ぶのは【玉型の思惟】だからです。この地球も【玉型の思惟】であり、そこには当然に地球の霊子線があっていいのです。ですから大本教では「たまのこ(霊子)」の言葉が用いられたのでしょう。
西洋で「シルバー・コード」になっているのは、たまたまその線を見た霊能者が銀色だけを見たので、「シルバー・コード」の言葉が一人歩きしたのでしょう。
霊的世界を見るならば、死ねば天国等では無いのです。そうした証拠として有名人であるショコタンこと「中川翔子」さんが無数のオーブ写真を撮られたことは、そうしたオーブ写真を写したから、自分にはミカエルだとかガブリエルだと言っているのは、底が浅い者の発言なのです。
岐阜の共同住宅におけるポルターガイスト現象を解決して世間に一躍にその名を轟かせたのは霊能者下ヨシ子さんでしたが、スピリチュアルでそれだけの実力を持っておられる方は見当たらないようです。