第四十三話:若き智略、巨星の翳り
《前回までのあらすじ》
鎌倉の世より、謎の女性トモミクによって戦国時代へと誘(いざな)われた源頼朝。
当初は、源氏の血筋である同盟国・武田家を守ることが軍団の目的と聞かされ、織田・徳川両軍と激しく戦っていた。
しかし、軍団に秘められた多くの謎、そして自らの存在意義について少しずつ理解し始めた頼朝は、織田信長を死なせず、多くの武家を滅ぼすことなく安寧の世を目指すという、困難な道を選択。その実現のため、京に上り「惣無事令」を発することを決意した。
さらに、今の頼朝はこの時代における「二人目の頼朝」であり、「先代の頼朝」は秀長自身が誤って殺害してしまったこと、そして頼朝に寄り添っていた出雲阿国の正体が、古代の巫女・卑弥呼であった事、時を超える力を持つのは彼女自身であったことなど、衝撃的な事実を聞かされ、頼朝はその場で意識を失ってしまう。
目覚めた頼朝は、これ以上時の流れを別の時代から来たものが創り出すのではなく、"本来の時"に生きる者たちへ戻すべく、そして「惣無事令」という大義を成し遂げるため、徳川家康に軍団を引き継がせることを、一つの可能性として模索し始める。そして、そのために頼朝が選んだ道とは、意外にも、まず家康に攻めかかることであった。
《主な登場人物》
源頼朝: 鎌倉幕府を開く直前にタイムスリップ。価値観の変化に悩みつつ、頼朝軍団を率い「惣無事令」を目指す。二条城にて病床に伏す。
源義経: 平泉で最期を遂げる直前にタイムスリップ。兄・頼朝に献身的に仕える軍略の天才。徳川討伐軍の総大将。
武田梓: 武田勝頼の娘。義経の妻。武田流軍学に通じ、現在は狙撃部隊の部隊長。徳川討伐軍に参加。
源頼光: 平安時代の武将。摂津源氏中興の祖。騎馬隊を率いる。徳川討伐軍に参加。
トモミク: 頼朝を導いた謎の女性。立花宗茂のはるか先の未来の子孫によって生み出された存在。
出雲阿国: 正体は卑弥呼。時を旅する巫女。頼朝の側近として京に滞在。
北条早雲: 戦国初期の大名。晩年にタイムスリップ。軍団のご意見番、外交役。
羽柴秀長: 織田家臣・羽柴秀吉の弟。信長を見限り頼朝へ。軍団の筆頭家老、優れた参謀。
羽柴篠: 秀長の娘で頼朝の正室。父譲りの才覚を持つ。頼朝隊の副将。
赤井輝子: 狙撃隊を率いる猛将。譜代衆。長浜城代。
源桜: 頼朝の娘。北条早雲に師事。安土城代。
源里: 頼朝の娘。武芸に秀で、義経隊の副将。
太田牛一: 少し未来の徳川の世からタイムスリップ。二条城代であり、頼朝の側近・参謀。
お市: 織田信長の妹。頼朝軍に加わり、京に滞在中。
源宝: 一色義満の娘。頼朝の養女。砲術に長け、義経隊の副将として徳川討伐軍に参加。
太田道灌: 室町時代の名将。文武両道。突撃隊を率いる。徳川討伐軍に参加。
[第四十三話 若き智略、巨星の翳り]
天文十七年(1588年)五月。
源義経を総大将とした頼朝軍の徳川討伐軍は、岡崎城を見事開城させ、その勢いのまま、東三河の要衝・吉田城へと攻めかかった。吉田城には、もはや頼朝軍に抵抗できるだけの兵力は残されておらず、頼朝軍が城を包囲してから、開城するまでに、時間はかからなかった。
義経は、次なる目標である浜松城へ攻めかかる前に、一旦軍を止め、岡崎城内の仮の陣所にて評定を行うべく、各部隊長を招集した。
始めに陣所へと到着したのは、義経の妻であり、第六狙撃隊を率いる武田梓であった。彼女は、夫である義経の隣に、どこか落ち着きなく控えている、まだ若い女武者――源宝――の姿を目にした。
「あら、宝様! この度は、初陣とお聞きしましたわ!
もし、義経様から、何か無茶なことでも言われておりましたら、いつでも、このわたくし、梓に、遠慮なくお話くださいませね!」
梓は、悪戯っぽく微笑みながら、宝に声をかけた。
義経は、妻の言葉に、思わず苦笑いを浮かべていた。
(先の、北近江での清水山城攻防の際に、里の学びのため、と称して、あえて自軍を不利な状況へと追い込み、予想以上の危機的状況に陥ってしまった、あの時のことを……。梓の率いる部隊の、間一髪の救援によって、事なきを得たのではあったが……。梓からは、相当きつい「釘」を刺されてしまっておるようじゃな……)
当の源宝であったが、尊敬する総大将・義経と、その妻であり、自らも憧れる智将・武田梓との間で、いったいどのような顔をして良いものか分からず、これ以上ないほどに恐縮しきっていた。
「あ、梓様! と、とんでもございませぬ!
わたくしのような、未熟者の、稚拙な考えに対しましても、義経様には、いつもご寛容にお耳を傾けていただき、むしろ、恐縮至極に存じておりまする!」
「あら、それは、本当に良かったですわ」
武田梓は、宝の、そのあまりにも健気な返答に、満面の笑みを浮かべていた。
義経は、どこかばつが悪そうに、咳払いを一つすると、口を開いた。
「…実はな、梓。この宝殿の戦略眼は、まこと、並々ならぬ、秀逸なものがあってな。であるからして、この後の、徳川領内への侵攻作戦の、その具体的な立案の一切を、この宝殿に、お願いしておるのじゃ」
「まあ! 義経様ったら! またそうやって、宝様の『教育のため』などと称して、初陣の姫君に、ご無理をさせていらっしゃるのではございませんか?」
武田梓は、楽しそうに、しかし、どこか意地悪そうに、義経に笑みを投げかけていた。
「いや、梓、そなたに、そう真正面から言われてしまうと、返す言葉が無い……。しかし、まあ、一度、この宝殿の話に、そなたも耳を傾けてみて欲しい。そうすれば、梓も、わしの考えておるところが、少しは分かってもらえると思うのだが……」
このような、軍団の最高指揮官たちが集う、重要な軍議の場に、まだ初陣も済ませていない、この自分自身が同席していること自体、源宝にとっては、あまりにも身分不相応なことであると、恐縮しきっていた。そこへ、さらに、義経と梓との、このようなやり取りを目にして、彼女はもはや身の置き所がなくなってしまっていた。
その、源宝の、あまりにも挙動不審な様子が、武田梓の目に入った。
「うふふ。宝様。そのようなに緊張なさらずとも、大丈夫ですよ」
梓は、宝に、優しく微笑みかけた。
「この後の、宝様のお話、わたくし、とっても楽しみにしておりますからね。それに、これからお見えになる、源頼光様も、太田道灌様も、それはそれは強く、それでいて、とってもお優しい方々。ですから、どうぞ、何もご心配なさらず、宝様のその忌憚(きたん)なきお考えを、我らに、お聞かせくださいませね」
「は、はいっ……! あ、ありがとうございます……!」
源宝は話に聞いていた、武田梓の、その吸い込まれるような美しさと、底知れぬ賢さ、さらに、これまでに幾多の戦を経験してきたであろう、その圧倒的な威厳に、ただただ、己が、さらに卑小な存在であるように感じ、ますます萎縮してしまっていた。
だが、それでも、憧れの存在である、武田梓からの、その優しい励ましの言葉には、心の底から救われる思いであった。
そこへ、源頼光と太田道灌も、陣所へと到着した。
太田道灌は、評定の間に集う部隊長たちが、揃っているところを確認すると、おもむろに口を開き、その場にいる一同に対し、深々と頭を下げた。
「皆々様! 先の岡崎城下での戦における、この太田道灌の、あまりの体たらく、まことに、面目次第もござりませぬ! あの程度の寡兵に対し、まんまと罠にはまり、あまつさえ、貴重な騎馬隊の戦力を、あれほどまでに損耗させてしまうとは! 全くもって、情けなきこと、この上なし!」
先の戦いで、狙撃隊による攻撃を弱め、騎馬隊を前面に押し出す、という作戦を提案したのは、他ならぬ、この自分自身であった。その責任を、強く感じていた源宝は、道灌の言葉を聞き、必死に頭を下げようとしていた。
しかし、その宝の様子に、いち早く気が付いた義経は、そっと、その肩に手を置き、宝を制止した。
「いや、道灌殿、何を仰せられるか」
義経は、静かに言った。
「この義経もまた、あの巧妙な空堀の存在を、全く見抜くことができなんだ。その責めは、むしろ、総大将である、このわしにある。それに、狙撃隊からの援護を一時的に弱める、という指示を出したのも、他ならぬ、このわしじゃ。
それが、結果として、道灌殿をさらに難しき状況へと、追い込んでしまったやもしれぬ。まことに、申し訳ござらなんだ」
義経は、道灌に向き直った。
「ただ、道灌殿。一つ、率直なところを、教えていただけぬだろうか。あの徳川家康という男と、実際に刃を交えてみて……。いかがであったかな?」
「…義経殿。此度の戦、この道灌、兵数の差に油断が無かった、と申せば、それは嘘になりましょう。じゃが、それ以上に、あの家康の、底知れぬ動きを、十分に注意して見ておらなかったことを、今、深く悔いておりまする」
道灌は、悔しそうに顔を歪めた。
「…ただし、これだけは確かじゃ。
あの家康という男、まことに強い。
もし頼光殿の、あの側面からのご突撃が、あと少しでも遅れておったなら……あるいは、この道灌、今頃は、ここにはおりますまい……
我らが、一度、勢いを止めてしまったその瞬間からの、家康の、あの素早く、的確な反撃……。全て、我らの動きは、彼には、手に取るように見えておりましたわ……」
源頼光も、そこで口を開いた。
「実はな、義経殿。わしも、少し、そなたにお伝えしたきことがあってな。
道灌殿が、あれほどまでに苦しい戦いを強いられていたとはいえ、同時に、あの家康もまた、相当にすり減っておったのは、間違いない。であるからこそ、我が隊が、側面を突いた際に、彼らを圧倒できたのじゃ。じゃが……」
頼光は、言葉を切った。
「じゃが、あの家康は、我らが側面から突撃してくる可能性を、事前に、十分に備えてはおったぞ。我が軍の、得意とする基本的な戦術――すなわち、圧倒的な兵の多さを利した、騎馬と鉄砲との、単純な攻撃の組み合わせ――それらを、彼奴(きゃつ)は、全て見抜いておったようじゃ。
家康は、我らの動きを見抜いてはいたものの、あまりにも寡兵であったがゆえに、十分な対応ができず、さぞかし無念ではあったと思うがのう。
…いずれにせよ、先の刈谷城で、徳川軍が完全に集結しきる前に、各個に撃退できたことは、我らにとって、まことに幸運であったと言うべきやもしれぬな」
「あ、あの……義経様……」
それまで黙って聞いていた源宝が、おずおずと、周りに聞こえぬように、義経に耳打ちをしようとしていた。
「こ、このような、あまりにもご立派な皆様方の前で、わ、わたくしのような、浅知恵の者が、何かを申し上げるなど……。お、恐れ多くて……」
しかし、源宝の、その小さな思惑とは裏腹に、彼女が義経に投げかけていた言葉は、評定の間にいた、他の武将たちの耳にも、はっきりと筒抜けであった。
頼光が、不思議そうに、義経に聞いた。
「ん? 義経殿、そちらにおられる、うら若き女将(おんなしょう)は、いったいどなたかな?」
それに対し、機転を利かせた武田梓が、割って入るように、快活に答えた。
「あら、頼光様、お見知りおきではございませんでしたか? あちらにいらっしゃいますのは、丹後の一色義満様がご息女にして、頼朝様の養女となられた、源宝様にございますよ。
そして、此度は、この徳川討伐軍全体の作戦参謀、義経様の参軍(さんぐん)として、こうして参戦しておられるのでございます」
武田梓は、そう言うと、ますます萎縮してしまっている源宝に、励ますように、優しく微笑みかけた。
「ほう! 源宝殿、とな! いやはや、その才女としての噂は、この頼光の耳にも、かねてより届いておりましたぞ! これはこれは、源頼光にござる! 以後、お見知りおきを!」
「太田道灌と申す! 若輩ながら、見事な才覚と聞き及んでおる! よろしく頼む!」
頼光と道灌が、立て続けに、しかし、どこか面白がるように、宝に挨拶をしたが、その、歴戦の猛者たちが放つ、圧倒的な迫力に、源宝は、完全に威圧され、ますます小さく縮こまってしまっていた。
「いやいや、皆様、まことに失礼つかまつった」
義経は、苦笑しながら、場を収めた。
「この宝殿を、皆様にご紹介申し上げる前に、つい、拙者の個人的な興味から、家康殿について、あれこれと質問をしてしまいました。申し訳ござらぬ」
義経は、改めて、源宝を一同に紹介した。
「こちら、改めまして、此度の徳川討伐戦において、我が軍の作戦参謀をお願いしておる、源宝殿にござる。
この徳川討伐が決まって以来、この宝殿と、策を練り続けておったが、彼女の話を耳にすればするほどに、その噂以上の知略と、そして奥深い戦略眼に、ただただ驚かされるばかりであった。いつも、こうして、どこか自信なさげな表情(かお)をされてはおるが、その内に秘めたる智謀の高さは、あるいは、古(いにしえ)の、かの范蠡(はんれい)か、張良(ちょうりょう)の生まれ変わりなのではないか、と、そう思わせるほどに、群を抜いておる。おそらくは、ここにいる誰も、その才覚に、異を唱えることはできまい」
義経は、宝へと向き直った。
「さて、宝殿。
この後の、浜松城、そして駿府城攻略の、具体的な陣立てについて、そなたの考えを、皆に聞かせてもらいたい。よろしくお頼み申す」
だが、すでに源宝は、尊敬する義経からの、その、あまりにも過分な紹介の言葉と、そして、周囲の、歴戦の猛将たちからの、期待と好奇の入り混じった視線とに、完全に気圧(けお)され、昨晩、寝る間も惜しんで必死に考えていたはずの、その陣立ての全てを、もはや何一つ思い出せぬほどに、極度に緊張し、追い詰められていた。
「まあ、義経様ったら」
その様子を見かねて、武田梓が、助け舟を出した。
「そのような、あまりにも大袈裟なことを申されては、ますます宝様には、ご負担となってしまいますよ。何といっても、此度が初陣なのでございますからね」
梓の、その優しい援護射撃に、並み居る猛将たちからも、どっと、温かい笑い声があがっていた。
「おお! そうか、初陣でござったか!」
頼光も、武田梓に続き、快活に口を開いた。
「であるならば、宝殿! 何も、そう気に病まれることは、ござらぬぞ! なに、ここにおる者たちは皆、その初陣なぞ、おそろしく惨憺(さんたん)たるものであったわい!。
特に、あの、我らが主君、頼朝殿の初陣の話などは、あまりにも酷すぎて、とてもではないが、このような席では、話せぬほどじゃからのう! はっはっは!」
頼光の、その豪快な言葉に、一同の笑い声と、そして宝を気遣う温かい眼差しに、ようやく、源宝の心も、少しだけ救われた思いであった。
「あ、あの……。皆さま、まことに、お気遣い、恐れ入りまする……。わたくし、源宝にございます……」
宝は、大きく、深く息を吸い込み、高鳴る胸の鼓動を必死に抑えようと努めた。
「こ、此度は、まことに僭越ながら、わたくしの方より、この後の、徳川領内への進軍について、ご提案申し上げたく存じます……。ま、まことに、至らぬところばかりが多いとは存じますが……。もし、何か、お気づきの点がございましたら、ご指摘いただけましたら、直ちに、考え直しまするゆえ……!」
源宝は、そう言うと、再び大きく息を吸い、意を決して、自らが練り上げてきた作戦計画を、語り始めた。
「わたくしは、この後、徳川方の最後の拠点である駿府城(すんぷじょう)までは、おそらくは、大きな問題なく、進軍が可能なのではないか、と、そのように考えております。
ただし、その駿府、そして、その先の徳川の最後の拠点とであろう蒲原城(かんばらじょう)にて、徳川家康様は、必ずや、全兵力を結集し、我らが襲来に備えておられるものと、そう推察いたします。
つきましては、この後、我が軍を、大きく二つの部隊に分け、進軍させることを、ご提案申し上げます。
一つは、長篠城(ながしのじょう)、奥居城(おくいじょう)といった、山間部の城々を攻略しながら進む部隊。
そして、もう一つは、浜松城から、海岸沿いの街道を、東へと進軍する部隊、でございます。
従来、我が軍は、強力な騎馬隊と、圧倒的な火力を誇る狙撃隊との、密接な連携によって、敵を殲滅してまいりました。ですが、此度の進軍におきましては、あえて、その連携を一度解き、山間部を進む部隊には、狙撃隊のみを。そして、海岸部を進む部隊には、騎馬隊、槍隊のみを、それぞれ集中させて進軍させる、ということを考えております……。
…と申しますのも、この先の、奥三河から信濃へ抜ける山間部は、騎馬隊の、その最大の武器である突撃の威力が、十分に発揮されにくい、狭く、そして険しい道が、多くなっております。また、かの長篠城や、奥居城といった山城の守備兵も、それほど多くはないと予測されますゆえ、これらは、大軍をもって包囲し、降伏を促すのが、最も効率的かと存じます。その際、騎馬隊は、むしろ足手まといとなりかねませぬ。
逆に、浜松から先の、海岸沿いの城々には、まだ、それなりの数の兵力が残されておるものと、思われます。我が軍が、これらの城を攻めるとなれば、敵は、必ずや、その得意とする野戦を、我らに仕掛けてくるでしょう。このあたりは、比較的平地も多く、騎馬による突撃も、十分に効果を発揮できるかと……。そこは、是非とも、源頼光様、そして太田道灌様の、あの強力無比なる騎馬隊をもって、ご対応をお願いできれば、と、そのように愚考いたします……」
太田道灌が、そこで口を開いた。
「…宝殿。一つ、よろしいですかな」
「は、はいっ! も、もちろんでございます! わ、わたくしのような、稚拙な考えに、何か、至らぬところがございましたら、是非とも、ご指摘くださいませ!」
ようやく、己の考えていたことに集中し、淀みなく話をすることができるようになっていた源宝であったが、突然、あの歴戦の名将・太田道灌に声をかけられ、再び、我に返ったかのように、慌てふためいていた。
「いやいや、宝殿。まことに、理に適った、素晴らしいお話であると、感心しながら聞いておったのじゃが……。
その上で、宝殿の、そのお考えを、もう少しだけ、詳しく教えて欲しくて、お聞きしたいのじゃ」
道灌は、優しく、しかし、鋭い目で、宝を見つめた。
「もし、家康軍が、その海岸沿いの平地にて、我らに野戦を仕掛けてくるのであれば、それこそ、何も騎馬隊の力に頼らずとも、我らが誇る狙撃隊で、一気に斉射を浴びせれば、それだけで、すぐにでも、かたがつくのでは、ないかな?
また、確かに、山間部の進軍においては、騎馬による突撃の威力は、いくらか弱まるやもしれぬ。じゃが、ただ城を包囲するだけであれば、何も、わざわざ狙撃隊のみに限定せずとも、そちらは、むしろ騎馬、あるいは歩兵を中心とした部隊でも、十分に事足りる、ということにも、ならぬかな?
…いや、すまぬ。この道灌、ちと頭が固く、単純なことしか考えられぬゆえ、あるいは、何か、そなたの深い考えを、見落としておるのかもしれぬが……」
「あ、あの……! い、いえ、とんでもございません、道灌様! そ、その通りなのでございます!」
宝は、必死に言葉を継いだ。
「も、もし、ただ野戦で攻めて来るだけであれば、まさに、我らが鉄砲隊の、格好の餌食となりましょう。それに、ただ城を包囲するだけであれば、大軍をもって、ただ囲んでしまえば、それで良いのでございます……。
ですが……。ですが、此度の戦、わたくしには、どうしても、二つの点で、懸念がございまして……。ま、まことに僭越ながら、その、わたくしの考えを、申し上げても、よろしゅうございますでしょうか……」
義経は、源宝に話を進めるよう、優しく目配せをした。
宝はあらためて意を決して、太田道灌に言葉を投げ始めた。
「まず、一つ目ですが……。
義経様は、できることならば、徳川家康様を、我が軍へお迎えしたい、と、そう仰せられておりました。であるならば、いたずらに、徳川方の将や、兵たちの損耗を、これ以上増やすことなく、できうる限り、その戦意のみを挫き、そして、自ら降伏へと導くことを、目指すべきではないか、と、わたくしは愚考いたします。
もし、源頼光様、そして太田道灌様の、あの、圧倒的な騎馬隊による突撃を、まともに受けてしまえば、いかに精強な徳川軍といえども、戦意を完全に喪失し、我らの軍門に降るしか、道はありますまい。
…ですが、我が軍の狙撃隊は、ご存知の通り、あまりにも多くの命を、それも瞬時に、そして一方的に消し去ってしまうほどの、恐るべき力を有しております。それでは、敵の心を『挫く』のではなく、ただ『壊して』しまうことになりかねませぬ……。
逆に、山間部の城々に対しては、むしろ、耳を塞ぎたくなるほどの、圧倒的な鉄砲による連続射撃をもって、その戦意を挫いてしまうのが、効果的かと……。
そして、二つ目の懸念。それは、最終目標である、駿府城でございます。」
宝の声に、力がこもる。
「おそらくは、駿府を攻略する際には、徳川家康様もまた、最後の抵抗として、全力をもって、我らを迎え撃ってくるものと思われます。その際には、こちらも手を抜くことなく、我が軍が持つ騎馬と鉄砲の力を、最大限に発揮できるよう、万全の態勢で攻めたいと存じます。
具体的には、海岸沿いの幅広い街道からは、騎馬隊による、波状的な連続攻撃を仕掛け、そして、その波状攻撃を受け続ける徳川軍の側面を、山間部から進軍してきた狙撃隊が、一気に、間断なき斉射をもって叩く……。そのような陣立てが、最も効果的ではないかと、わたくしは考えております……」
話を聞いていた頼光が、思わず、ぽん、と手をたたいて、快活に口を開いた。
「なるほど! 宝殿の、その陣立て、まことに、いちいち合点が参るぞ! いやはや、素晴らしい!」
頼光は、改めて、宝の顔をじっと見つめた。
「しかし……。確か、宝殿は、此度が初陣であると、先ほど聞いておったが……。もしや、そなたもまた、我らと同じように、どこか異なる時代から、トモミク殿あたりに、声をかけられた、という、そういう女将であったかな?」
「い、いえっ! と、とんでもございません!」
宝は、慌てて首を振った。
「わ、わたくしは、ただ、父からの、ほんのわずかな教えと、そして、いくつかの書物で、独学にて学んだのみでございまして……。ま、まともな実戦の経験など、これまで、ただの一度もございませぬ……。
ほ、本当に、わたくしは、ただの、いたらぬ、未熟者なのでございます……。
も、もし、お耳汚しであったとすれば、本当に、本当に、申し訳ございませぬ……!」
宝は、顔を真っ赤にして、再び縮こまってしまった。
「はっはっは! いやはや、大した謙遜ぶりじゃな!」
頼光は、豪快に笑った。
「ただの耳学問と、書物からの独学のみで、これほどの陣立てを考えられるとは! まさに、義経殿が申される通り、この宝殿の行く末は、あるいは、古(いにしえ)の、かの張良、范蠡どころではない、とてつもない大軍師となるやもしれぬぞ!」
義経は、満足そうに、深く頷くと、改めて、一同に口を開いた。
「…さて。皆の者、今の宝殿の策に、何か異存はござるかな」
一同は、異口同音に、その策への賛意を示し、力強く頷いた。
最後に、それまで黙って話を聞いていた武田梓が、優しく、そして誇らしげな表情で、宝に声をかけた。
「…宝様。ただ、戦いに勝つための作戦を立案するだけでも、大変なことでございます。その中で、さらに、敵味方、両軍の兵たちのことまでをも深く気遣いながらの、その陣立て……。まことに、お見事でございましたよ」
相変わらず、武田梓は、宝に対し、慈愛に満ちた、優しき微笑みを浮かべていた。
「み、皆さま……。まことに、その……。本当に、申し訳ございません……」
宝は、もはや、恐縮のあまり、消え入りそうな声であった。
「あ、あの……。最後に、もう一つだけ、お願いしたいことが、ございまする……。
義経様と、梓様とが率いておられる、それぞれの鉄砲隊の中から、一部隊だけでも、源頼光様と、太田道灌様の騎馬部隊へと、配属を、お願いできればと……。
万が一の事を考えますれば、頼光様と道灌様のお手元にも、ある程度の数の鉄砲隊を、増やしておきたいと、思うのですが……」
義経は、即答した。
「うむ! それは良い考えじゃ! 確かに、山間部での戦いにおいては、それほど大軍の狙撃隊は、必要あるまい!」
「あ、ありがとうございます!」
宝は、ほっとしたように、息をついた。
「はい……。最終決戦の地となるであろう、駿府城においては、やはり、両方向から、十分な数の鉄砲による援護があったほうが、何かと心強いかと、愚考いたしました……」
「よし! では、皆の者! ただちに、それぞれの部隊へと戻り、これより、浜松城、そして長篠城へ向け、出撃の準備を、お願いいたす!」
義経の号令が、陣地内に響き渡った。
* * *
その夜、義経は、妻である梓と、自らの寝所を共にしていた。
義経は、今日の軍議での出来事を思い出し、どこか誇らしげに、梓に語った。
「梓。いかがであったかな、あの宝殿の、類まれなる智謀は」
「はい。まことに、義経様が申される通り、感服いたしました」
梓は、微笑んで頷いた。
「ただ……。あれほどまでの才覚をお持ちでありながら、もう少し、ご自身に、自信を持たれても良いのでは、と、そうは思いましたが……。
まあ、でも、此度が初陣でもありますし、無理もないことかもしれませんね。どこか、健気(けなげ)で、そして、とても愛(いと)おしく感じましたわ」
「であろう! うむ、梓にも、そう賛同してもらえて、わしも嬉しいぞ!」
「まあ、義経様ったら。随分と、お喜びのご様子で」
梓は、くすくすと笑った。
「あるいは、わたくしが、こうして義経様の参軍をさせていただくよりも、あの、可愛らしい宝様の方が、義経様にとっては、お嬉しいのでございますね!」
「いやいや、何を申すか、梓……。そうではないのだ……」
義経は、慌てて首を振った。
「今の、有能な家臣が、これほどまでに多くいる、兄上の軍団ではあるが……。それでもなお、これだけの規模の狙撃隊を、的確に率いることができる者は、残念ながら、そう多くはない。そして、そのような、有能な女将(おんなしょう)を、妻に持つ、このわしの身の悲哀というものは、並大抵ではないのだぞ、梓。
それに……。あの、阿国殿も、これからは、京にて直接兄上をお支えせねばならぬゆえ、我が隊からは去ってしまわれた。わしのかつての優秀な参軍たちは、もはや、このわしのためだけに働くには、あまりにも、有能過ぎるのじゃよ。
それに比べて、里はのう……。今や、我が部隊の兵たちからも、随分と慕われてはおる。現場の、一指揮官としては、もはや申し分はない。じゃが……。残念ながら、軍団全体の戦略を練るような、参軍や、あるいは参謀とするには……まだまだ、力不足は否めまい……」
義経は、ため息をついた。
「…正直なところを申せば、わしも、このところ、少しばかり心細かったのじゃ。兄上に、お願いをしておったのだ。『いっそのこと、このわしを、梓の隊の、参軍にでもしてはくれまいか』とな」
「まあ! わたくしが大将で、義経様が、その参軍でございますか!」
梓は、楽しそうに声を上げて笑った。
「それは、まことに、良うございますね! うふふふ……」
まさに、その時であった。寝所の外に、ふと、人の気配を感じた。
「…何者!」
義経は、鋭く声を上げると、反射的に、傍らの梓を、己の背後へと庇(かば)い、そして、抜き身の刀へと、手をかけた。
「……夜分に、まことに恐縮でござる」
静かで、しかし、どこか緊迫した声が、戸の向こうから聞こえてきた。
「北条早雲にござる! 急ぎ、義経殿にお話がしたき儀があり、参上つかまつった。失礼の段は、平にお許し願いたい」
「…早雲殿か!」
義経は、武田梓と、そっと視線を合わせ、早雲を寝所へ入れることへの、暗黙の確認を取った。梓もまた、静かに頷き返す。
「…入られよ、早雲殿!」
「かたじけない!」
戸が開き、北条早雲が、神妙な面持ちで、義経の寝所へと入ってきた。
「これは、申し訳ござらぬ。梓殿も、ご一緒でおられたか。…急ぎ、お耳に入れておきたき、重大な儀があり、このような夜分に、無理をお願いいたした次第」
「いいえ、早雲様がいらっしゃるからには、おそらくは、よほど、ただ事ではないのでしょう。どうぞ、お気になさらず、お話くださいませ」
武田梓が、早雲を気遣い、寝所からそっと場所を移そうとする。だが、北条早雲は、それを、静かに手で制した。
「いや、梓殿。むしろ、そなたが、ここにおられるのは、好都合じゃ。是非とも、一緒に話を聞いていただけぬか」
いつもの、あの豪放磊落(ごうほうらいらく)な北条早雲とは、明らかに態度が異なっていた。その、あまりにも厳しい表情に、義経もまた、ただならぬものを感じ、心配そうに口を開いた。
「早雲殿……。まことに、ただ事では、なさそうじゃのう……」
北条早雲は、覚悟を決めたように、その厳しい表情のまま、義経と武田梓の二人に対し、重々しく、言葉を投げかけ始めた。
「……これから申し上げることは、おそらくは、お二人にとって、そして、この軍団全体にとっても、到底、受け入れることが出来ぬほどの過酷なことやもしれぬ。あえて、言葉を選ばず、単刀直入に、申し上げる」
早雲は、一呼吸置いた。
「……我が主君、源頼朝様は……。もはや、そう長くは、ご存命では、あるまい……」
義経は、一瞬、早雲が何を言ったのか、理解が追いつかなかった。
やがて、苦笑いを浮かべながら、答えた。
「……早雲殿。何を、そのような、縁起でもないことを、仰せられておる……」
「義経殿。…わしも、先日、頼朝殿と、直接お会いするまでは、夢にも、そのようなことは、思ってもみなかった。しかし……」
早雲の声は、かすかに震えていた。
「しかし、頼朝殿の、あのお身体は……。もはや、病(やまい)に、深く、深く蝕(むしば)まれておる。力の限り、政務に励んでおられる、と、周囲には見せておられるそうだが、実際には、家臣たちの前に、お顔を出されることすら、極端に少なくなっておる、と聞く。
「先日、わしが拝見した、頼朝殿の、あのお腕……。そこには、もはや、熱き血潮など、流れてはおらぬかのようであった。おそらくは、今、あの御方は、ただ、そのお心持ち一つだけで、かろうじて、踏みとどまっておられるのじゃ!」
「ははは! 早雲殿、何を馬鹿なことを!」
義経は、笑い飛ばそうとした。
「兄上が、京へ立たれる、まさにその前夜も、わしは、兄上と、夜が更けるまで、酒を酌み交わしたのだぞ! あの時は、まことに、お元気で、そして、我ら兄弟、この先も、必ずや力を合わせて戦い抜こうと、そう固く、約束いたしたのだ!」
義経が、いくらそう言おうが、北条早雲の、その厳しい表情は、全く変わることはなかった。
武田梓は、義経よりも早く、早雲の言葉の、恐るべき真実を受け入れたのであろうか。彼女は、両手で、自らの口を強く抑え、その大きく見開かれた目からは、大粒の涙が、はらはらと流れ落ちていた。
「……早雲殿の……。それは、お戯(たわむ)れなどでは、無いのじゃな……」
義経の声が、震える。
「……いったい……。兄上のお身体に、何が……。いったい、どうなされたというのじゃ、早雲殿……」
「義経殿。…わしも、その詳しいことは、ようは分からぬ」
早雲は、力なく首を振った。
「頼朝殿ご自身は、そのご体調のことを、周囲に隠そうとされておられたが……。だが、あまりにも、そのご様子がおかしい。わしは、先日二条城にて、まことに僭越(せんえつ)ながら、半ば力づくで、頼朝殿のお腕を、直接拝見させていただいた。…そして、その結果は、先ほどそなたたちに申しあげた通りよ……。
頼朝殿は……。おそらくは、すでにご自身の運命を悟られ、その覚悟を、決めておられた。そして、義経殿が、この後、徳川討伐の軍を動かす前に、頼朝殿よりわしがお聞きした、いくつかのことを、急ぎお伝えしたく、こうして、夜分にも関わらず、罷(まか)り越した次第じゃ」
「しかし……。たしか、最初の兄上は、今の兄上よりも、遥かに年を重ねておられたはず……。拙者は、今の兄上には、どうか長生きをしていただき、そして、これからもずっと力を合わせて、共に生きていくつもりでおったのに……」
義経の言葉には、もはや、何の力も残されていなかった。
「頼朝殿は、ご自身のことを、『業(ごう)を背負った鬼』である、と、そう申しておられた。そして、『神が、己の過去の罪を、決して許しはしないのだ』と……。そのようなお言葉を、何度も、何度も繰り返しておられた。…わしは、それは、決して認めぬ。断じて、認めぬが……」
早雲は、言葉を詰まらせた。
「だが……。覚悟を決められた頼朝殿は、この後、その『罪』、そして『業』を背負うべき者として……。それを、義経殿にお願いしたい、と、そう申されておった。つまり……この、あまりにも罪深き、この軍団の全てを、義経殿に、引き継いで欲しい、と……。そういうことじゃ。
そして……。
『鎌倉の時のわしも、そして、今の時のわしも、結局は、義経に対し、酷いことばかりをする兄であった。すまぬ、義経、不憫な弟よ』……と、そうも、申されておった……」
「……何を……。何を、言っておるのだ……兄上は……」
義経は、もはや、立っていることすら、できそうになかった。
「しかし、義経殿。
もともと、我ら将たる者は、皆、その身に大なり小なり、罪を背負うて生きておるものじゃ。そして、その国が、強き国となればなるほど、その罪は、さらに大きく、そして重くなろう。それは、逃れようのない、宿命(さだめ)なのじゃ」
「早雲殿の、申される通りじゃのう……。そもそも、我ら武家の仕事とは、結局のところ、人殺しに他ならぬのだからな……」
義経は、力なく、自嘲した。
「そういえば……」
早雲は、ふと、何かを思い出したように言った。
「義経殿。あの、先代の頼朝殿は、我ら、異なる時代から来た者たちに、最初に声をかける際、決まって、こう聞いておった。『この世に、何か未練はあるか』と……。
あれは、もしや……。
今の、この時代に生きる者たちの、その罪を、少しでも軽くし、そして、我らのような、いわば『古(いにしえ)のもの』たちが、代わりに、その罪を全て背負い、この、乱れた時代の天下静謐を、共に成し遂げる、そのような『同士』を、求めていたのやもしれぬのう……。
その上で、今を、必死に生き抜いておる、あの徳川家康殿に、この軍団の全てを、最終的に引き渡す。それこそが、我らに与えられた、本当の『定め』やもしれぬな……」
「…早雲殿。その話は、このわしにも、よく分かる。合点が参る」
義経は、静かに頷いた。
「であるならば、せいぜい、今の世の、名もなき民のため、我らが、その罪を、全て引き受けるとしようではないか……」
そこで、それまで黙って、ただ涙を流し続けていた武田梓が、か細い声で、しかし、はっきりとした意志を込めて、口を開いた。
「……ですが……。ですが、それでは、頼朝様が、あまりにも……あまりにも、不憫ではございませんか……!」
最後まで、言葉を発することが、あまりにも難しかったのであろう。武田梓は、ついに、その場に泣き崩れてしまった。
「……そうじゃよ、梓殿。このわしも、それだけは、どうしても許せぬのじゃ」
早雲の声は、怒りに震えていた。
「あれほどまでに、覚悟を決められた、あの先代の頼朝殿、そして、今の頼朝殿に対し、この、あまりにも惨(むご)すぎる仕打ち……。もし、本当に、死神などというものが、この世におるのであれば、このわしが、命に代えてでも、頼朝殿を、お守りしたい!
…頼朝殿は、本当は、今はまだ死にたくはない、と、そうも、申されておったのだぞ……!」
豪傑・北条早雲もまた、強く握り締めたその拳を、わなわなと震わせながら、奥歯を、ギリリと、強く噛み締めていた。
しばらくの間、全ての力を失っていたかのように、その場にうなだれていた義経であったが、やがて、意を決したように、ゆっくりと顔を上げ、口を開いた。
「…早雲殿。その、あまりにもお辛い報せを、わざわざ、この我らに、お知らせくださり、まことに感謝申し上げる。…委細、承知つかまつった……。
この上は、一刻も早く徳川を平定し、家康殿に兄上真意をお伝えするしかあるまい。
何とか、兄上が、まだご存命の間に、少しでも、ご安心いただきたいものじゃ……。
…ただし、早雲殿。もし、かの家康殿が、どうしても、我らが願いを、お聞き届けくだされぬ、という際には……その時は、いかがいたす?」
「義経殿。このわしには、天下の静謐がどうとか、そのような、高尚な心など、もとより持ち合わせてはおらぬのでな」
早雲は、きっぱりと言った。
「わしは、ただ、頼朝殿のお力になりたいと願い、この軍団に参った、ただの老人に過ぎぬ。頼朝殿が心から目指されたもの、そして、懸命に作られようとしておるものを、もし、無惨にも壊そうとするような危険な者が現れれば、わしは、ただ、それを排除するまでよ」
「……兄上の、ご本意では、無かろうが……。この拙者もまた、早雲殿と、全く同じことを考えておりました」
義経も、静かに頷いた。
「では、義経殿、梓殿。もはや、一刻の猶予もござらぬ。急がれよ」
早雲は、言った。
「わしは、少しばかり、気になることがあってのう。今、那古野に布陣しておる、あのトモミクのところへ、ちと顔を出して参る。
…万が一にも、頼朝殿が、奇跡的にご回復なされれば、それは、何よりも嬉しきこと。
じゃが……。お二人とも、もう、覚悟は、決められるが良い。
では、これにて」
早雲は、それだけを言うと、深々と一礼をし、義経たちの寝所から、静かに出ていった。
伝説の軍神・源義経も、そして、武田の軍略を引き継ぎ、精強な鉄砲部隊を率いる女将・武田梓も、今宵ばかりは、なすすべもなく、ただ、互いの、そのかすかな温もりだけを支えとする以外に、崩れ落ちそうになる心を、かろうじて保つ術(すべ)は、もはや、どこにも無かった。
源頼朝 戦国時代編 @Tempotampo
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