朝日新聞
2019.3.28
天皇にはその地位を離脱して普通の人になる「脱出の権利」が保障されねばならない――。“天皇に人権はあるか”をめぐって14年前、著名な憲法学者が著書でこう提起した。退位が実現する今、改めて考えたい。
■「皇室は身分制の飛び地」
憲法学者の奥平康弘・東大名誉教授(2015年死去)が、05年の著書『「萬世一系」の研究』(岩波書店)で提起した。
万人に適用されるべき権利保障の体系が天皇にはまともに適用されていないと指摘。すべての人に保障されているはずの権利や自由が構造的に奪われている場合には、「窮極(きゅうきょく)の『人権』」として、その制度の枠組みから逃れて普通の人間になる「脱出の権利」が保障されるべきだと説いた。
「象徴の務め」を果たせなくなると案じ、退位の意向をにじませた「おことば」の表明は11年後の16年8月。岩波書店は翌17年3月、『「萬世一系」の研究』を岩波現代文庫として改めて世に送り出した。
憲法学者の長谷部恭男・早大教授は共編著『憲法の尊厳』(同5月)で、「脱出の権利」論の持つ「ラディカルさに着目」すべきだと記した。
天皇の人権をどう考えるのか。長谷部さんは取材に対し今回こう語った。
「私は『人権』ではなく『基本権』という言葉を使いますが、すべての人々に平等に保障された権利としての基本権が天皇や皇族にあるのかと問われれば、私の答えは『ない』です」
「中世の身分制秩序を解体して作られた、すべての個人が平等に権利を享有する近代国家。日本国憲法も基本的にはそうした近代国家像を反映していますが、一部に身分制秩序の『飛び地』を残してもいます。それが天皇制です。飛び地に住む人には身分特有の特権と義務があるだけで、基本権はないと私は考えます」
天皇に脱出する権利があるとする議論は、憲法学的に見てどうなのだろう。
「天皇制を制度として位置づける日本国憲法と、制度メンバーに『脱出の権利』があることは両立するのか。判断は分かれるでしょう。ポイントは、メンバーが離脱してしまうとの懸念を払拭(ふっしょく)できるかどうかです。払拭できない場合は天皇制が成り立たなくなるので、両立は不可能です」
「私自身は、払拭しうると考えます。日本国憲法が天皇制の存在を支えるこの仕組みはそもそも、皇室メンバーに『この制度を守っていこう』とする真摯(しんし)な心がけがあることを前提にしていると考えるからです。そうだとすれば、仮に脱出の権利があっても、メンバーが次々に出て行ってしまう事態は起きません」
象徴天皇制がいかに皇室メンバーの心がけに支えられているか。その構造をあぶり出したことが奥平さんの「脱出の権利」議論の意義だと長谷部さんは見る。
「心がけが失われてしまうリスクにどう対応するか。課題はそれだと思います。もし心がけがなくなれば、脱出の権利を認めなくても天皇制は枯死します」
■「共和制に移行し自由を」
天皇の人権という難題に大胆な解決案を提示した人がいる。社会学者の橋爪大三郎・東工大名誉教授だ。奥平さんも生前、その構想に関心を寄せていた。
本人の自由意思が認められない世襲制。職業選択も婚姻も不自由。そんな不合理に皇族を縛り付ける国は、人権と民主主義の国ではない。橋爪さんはそう批判したうえで、本当に皇室を敬うのなら象徴天皇制に幕を引き、共和制に移行すべきだと論じてきた。
「尊皇共和制です」。橋爪さんは今回そう語った。
「皇室は戦前より特権が減り義務は重くなった。我慢と犠牲の人生だ。私は、皇室には国家機関であることをやめ、無形文化財として自由にお過ごしいただけばよいと思う。国民の拠出する寄付金で財団を設立すれば経済的基盤になる」
「象徴としては民間出身の大統領を置けばいい。政治に関与せず選挙で選ばれることもない大統領だ」
天皇の退位は今回実現するが、不自由さを問う議論は少なかった。なぜ人権の議論は広がらないのか。
「国民が考えたくないからだ。だがその議論を避けている以上、日本には皇室制度への敬意も天皇個人への共感もないと私は思う」
(編集委員・塩倉裕)
2019.3.28
天皇にはその地位を離脱して普通の人になる「脱出の権利」が保障されねばならない――。“天皇に人権はあるか”をめぐって14年前、著名な憲法学者が著書でこう提起した。退位が実現する今、改めて考えたい。
■「皇室は身分制の飛び地」
憲法学者の奥平康弘・東大名誉教授(2015年死去)が、05年の著書『「萬世一系」の研究』(岩波書店)で提起した。
万人に適用されるべき権利保障の体系が天皇にはまともに適用されていないと指摘。すべての人に保障されているはずの権利や自由が構造的に奪われている場合には、「窮極(きゅうきょく)の『人権』」として、その制度の枠組みから逃れて普通の人間になる「脱出の権利」が保障されるべきだと説いた。
「象徴の務め」を果たせなくなると案じ、退位の意向をにじませた「おことば」の表明は11年後の16年8月。岩波書店は翌17年3月、『「萬世一系」の研究』を岩波現代文庫として改めて世に送り出した。
憲法学者の長谷部恭男・早大教授は共編著『憲法の尊厳』(同5月)で、「脱出の権利」論の持つ「ラディカルさに着目」すべきだと記した。
天皇の人権をどう考えるのか。長谷部さんは取材に対し今回こう語った。
「私は『人権』ではなく『基本権』という言葉を使いますが、すべての人々に平等に保障された権利としての基本権が天皇や皇族にあるのかと問われれば、私の答えは『ない』です」
「中世の身分制秩序を解体して作られた、すべての個人が平等に権利を享有する近代国家。日本国憲法も基本的にはそうした近代国家像を反映していますが、一部に身分制秩序の『飛び地』を残してもいます。それが天皇制です。飛び地に住む人には身分特有の特権と義務があるだけで、基本権はないと私は考えます」
天皇に脱出する権利があるとする議論は、憲法学的に見てどうなのだろう。
「天皇制を制度として位置づける日本国憲法と、制度メンバーに『脱出の権利』があることは両立するのか。判断は分かれるでしょう。ポイントは、メンバーが離脱してしまうとの懸念を払拭(ふっしょく)できるかどうかです。払拭できない場合は天皇制が成り立たなくなるので、両立は不可能です」
「私自身は、払拭しうると考えます。日本国憲法が天皇制の存在を支えるこの仕組みはそもそも、皇室メンバーに『この制度を守っていこう』とする真摯(しんし)な心がけがあることを前提にしていると考えるからです。そうだとすれば、仮に脱出の権利があっても、メンバーが次々に出て行ってしまう事態は起きません」
象徴天皇制がいかに皇室メンバーの心がけに支えられているか。その構造をあぶり出したことが奥平さんの「脱出の権利」議論の意義だと長谷部さんは見る。
「心がけが失われてしまうリスクにどう対応するか。課題はそれだと思います。もし心がけがなくなれば、脱出の権利を認めなくても天皇制は枯死します」
■「共和制に移行し自由を」
天皇の人権という難題に大胆な解決案を提示した人がいる。社会学者の橋爪大三郎・東工大名誉教授だ。奥平さんも生前、その構想に関心を寄せていた。
本人の自由意思が認められない世襲制。職業選択も婚姻も不自由。そんな不合理に皇族を縛り付ける国は、人権と民主主義の国ではない。橋爪さんはそう批判したうえで、本当に皇室を敬うのなら象徴天皇制に幕を引き、共和制に移行すべきだと論じてきた。
「尊皇共和制です」。橋爪さんは今回そう語った。
「皇室は戦前より特権が減り義務は重くなった。我慢と犠牲の人生だ。私は、皇室には国家機関であることをやめ、無形文化財として自由にお過ごしいただけばよいと思う。国民の拠出する寄付金で財団を設立すれば経済的基盤になる」
「象徴としては民間出身の大統領を置けばいい。政治に関与せず選挙で選ばれることもない大統領だ」
天皇の退位は今回実現するが、不自由さを問う議論は少なかった。なぜ人権の議論は広がらないのか。
「国民が考えたくないからだ。だがその議論を避けている以上、日本には皇室制度への敬意も天皇個人への共感もないと私は思う」
(編集委員・塩倉裕)
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