さよなら #文学フリマ東京
文学フリマの資本主義と権威主義の煽動に抗する同人誌、なるものを読んだ。から、というわけではなく、読む前から今回を最後にしよう、そう決めていた。それゆえに少し文学フリマへの思いを述べようと思う。
初めて客として参加したのは東京流通センターで開催されていた2017年の秋の回だったろうか、短歌を始めて間もない頃であったが様々な本が手売りされていた様はよく覚えている。そう、コピー用紙にタイトルを書き殴っただけの100円の歌集が売られていたことも。
2020年末に第一歌集を上梓してから初めて出店側に回った。2200円という相場より遥かに高い歌集を10数冊売ることに成功した。歌集の安売りへ一石を投じるためにつけた価格だったので、ここでは成功という言葉を使わせてもらいたい。自著を手売りする感覚は小恥ずかしいものもあるが、やはりうれしいものであった。
私の本は最初から万人に向けて書かれていない。私の本が届くべき人に向けて書かれている。分かりにくい言い方になってしまったが端的に言えば刺さる人に刺されば良いと思っている。
だが、届くべき人というのは決して一人二人ではない、とも思っている。現時点で(文学フリマ以外の購入も含むが)370冊程度『人の死なない話をしよう』は売れている。そして4年経った今でも、出れば売れないことはない。まだ需要はあるのだ。つまり、届くべき人全員に届かせるためには「文学フリマ東京」という大市場から撤退するのはもってのほかである。文学イベントを探していない人間の目にも止まる文学イベントは稀有なのだから。
しかし、しかしだ。商業出版できる人がブースを出したり、大手出版社がブースを出していることについては、プロアマ問わず参加できるイベント、だとか、集客につながる(所謂客寄せパンダ)だとか、という認識では私はない。「食い荒らされている」と感じる。
入場料の1000円で、商業誌を買ったお金と時間で、見られなくなったブースがどれだけあるだろう。なにより今挙げたブースは「出店者すら客と見なしている」ことが最も気に食わない。
そして私が文学フリマ東京を見限った理由の最たるものは次の点である。文学フリマ東京39で初めてビッグサイトでの開催となったとき、第一回を始めるときにビッグサイトに断られ、東京流通センターで規模を拡大化させビッグサイトに返り咲いた、そんな話をアナウンスでしていた。なるほどそこまでは規模の拡大化を目指して頑張っていたのかと納得した。40回(今回)、前回より広いホールでの開催となる過去最大規模の文学フリマ東京だ。そこではなんとハヤカワ文庫が新作のお試し版のようなものを先着100名に頒布したらしい。端的に言う、紀伊國屋書店でも借りてやってくれ。そして文学フリマ東京よ、あなたたちは目標だったビッグサイトでの開催を達成したあとどこへ向かうのか。
運営に芯、軸、核がない。アマプロ問わずの場にしたいのか、商業主義化を進めるのか、それとも個人が個人に直接売れる場を大切にしたいのか、全く見えてくるものがない。
柱のない建物は崩れ行くように、文学フリマ東京はここらが打ち止めなのかなと感じた。
ゆえに私はもう出ない、そのつもりでいる。
以上は私の文学フリマ東京への推測と感想であり、出店者を貶めるものではない。また、「本を作って売れることの特権」についても、自分にはそれがある側の人間として発言していることは念頭に置いているつもりだ。
だけど、まだ800冊くらいあるんだよな、どうしよっかな。
よかったら、ぜひ。



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