「暴かれた古代史」から読み解くもの(2)竹内宿禰 | akazukinのブログ

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「日本史のいわゆる「非常時」における「抵抗の精神」とは真理追求の精神、科学的精神に他ならない」野々村一雄(満鉄調査部員)

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竹内文書について


十四代仲哀天皇の御代のことです。


筑紫(九州)をどんなに平定してもまた乱れる……それは背後に新羅がいたからなのです。

新羅を叩かねば国内が乱れる。


これが、神功(じんぐう)皇后の新羅征伐へいった理由である。
(『暴かれた古代史』、266頁~)


神功皇后を助けて新羅征伐を成功させた重臣の竹内宿禰(タケウチスクネ)は八代孝元(コウゲン)天皇の曾孫です。竹内宿禰の子に蘇我石川宿禰がいます。蘇我はイソタケルのソであり新羅の出身なのです。ソの人の娘を妻に迎えて生れた子の名前にソが付けられているのです。


(仲哀)天皇が亡き後に神功皇后が海を渡り国を留守にするということは大変なことです。


竹内宿禰は、国内のイソタケルを奉じる出雲を中心とする人々が神功皇后の新羅征伐の留守に謀反をおこさぬように、三輪山のシラギ崇拝教の大田タネコ一族の娘を妻に迎えて懐柔されたのだと思われます。


その系図は次の如くです。


孝元天皇―(二代省略)―竹内宿禰(タケウチスクネ)―蘇我石川宿禰(ソガイシカワ)―満智宿禰(マチ)―韓子宿禰(カラコ)―高麗宿禰(コマ)―蘇我稲目(イナメ)―馬子(ウマコ)―蝦夷(エミシ)―入鹿(イルカ)とつながって、後に台頭してくる蘇我氏は竹内宿禰から出ています。(系図は小学館『ジャポニカ』参照)


竹内宿禰が三輪山の大田タネコ(シラギ出雲系)の血を引く娘と政略結婚して、新羅征伐が成功して一時はよかったのですが、その裏目がくるのです。後に蘇我氏は天皇の位を揺るがす、政治に大きな力を持ってくるのです。
(『暴かれた古代史』、271~272頁)


竹内宿禰がどのような人物かは知らないが時代背景にはこのようなものがある。


シラギ勢力が豪族としてかなり中枢まで侵入していた。


しかし名前に痕跡は残っている。


シラギとはどのような国であったか。


シルクロードの大陸の最東端。
ローマとの交易を通しいちはやく西洋の大陸文明をとりいれた東アジアの国といえる。


ミトラ教の信仰も入りイエス・キリストの伝承もあったに違いない。


この時代(上古二十五代の期間)には地球的規模の大異変が幾度となく起こり、人類の肌の色の違いが生じた。すなわち、そえまで黄人だけだったのに青人、赤人、黒人、白人の別が生じた(五色人の発生)。
(『[超新論]古史古伝』佐治芳彦著、徳間書店、2004年、竹内文書58頁~60頁)


どこかで聞いた。

リーさんが言っていた『檀君古記』の人造人間の話だ。


竹内宿禰が編纂を指示した「竹内文書」には、その様な記述がでてくる。


それを日本の出来事のように考える方がおかしい。


いうなれば、舶来のものを日本国内の出来事に見立てて尊んでいたということだ。


天皇の親戚ではあっても大陸との関係の濃さから反体制的になったゆえに自らを中心とする「竹内文書」を表わしたと考えてもおかしくない。


自分に縁の深いところから持ってくるものだ。


話は変わって、現在、位山の登山口に建立されているモノは、この「竹内文書」を信奉する一派によって作られたとされている。


卵のような丸い神殿と、顔面の付いた竜の狛犬ごときものがある。


その一派は、真光教に位山を乗っ取られそうになったので、位山を守るために建立したといっている。


飛騨の口碑を尊重するのならこのようなものは作らないはずである。


今でも宗教戦争が継続しているということか。


霊力で納めるのではなく、飛騨でいう神通力を養うべきなのだ。◆



▼追記(2010年10月9日);akazukin


古代、貴人のことを宿禰(スクネ)といったようだ。
だから竹内の親戚は、宿禰だらけである。


▼大変おもしろかった。


紙幣から消えていった古代史の主役たち No.1 神功皇后
http://manpokei1948.jugem.jp/?eid=120

紙幣から消えていった古代史の主役たち No.2 武内宿禰
http://manpokei1948.jugem.jp/?eid=121
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我が家にも居た武内宿禰
http://manpokei1948.jugem.jp/?eid=168

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