思い込みにとらわれたそのような生き方
グダグダと書いてます。
(様々な立場の人を許容することなく、物事を自分の考えのみで判断する)思い込みにとらわれたそのような生き方は、実はラクな生き方でもあります。
相手の意図を考える必要も、情報を精査することも、知識や教養を得ることも、自分を外から見つめ直すこともないからです。自身を見つめ直し、自己を批判することで痛みを感じることもありません。自分が思ったことが正しいし、情報は自分が思ったように解釈すればいいからです。
『今井むつみ 学び続けることを選んだ皆さんへ』
https://bookplus.nikkei.com/atcl/column/091800417/110700046/
ときどきエニアグラムの誤認について考えます。
誤認したまま成長できるのか? と考えると、たぶん無理だろう、という結論となります。
例えば『ボス』『統率者』のタイプ8が、自分を安心安全安定が大切なタイプ6だと思っていたとして(そう誤認していたとして)、「自分はときに勇気を出すことができるから成長したタイプ6だ」と思うかも知れません。
でもそれは違います。
以前にも取り上げた話ですけど、
『「ヘビ=怖い」はなぜ?名大教授が解明 ニホンザルで実験、霊長類の進化ひもとく:中日新聞Web』
の はてコメ
に以下のものがありました。
俺は蛇が怖くない。理性が強い人間なのだと思っていたが最近気づいた、生物的に鈍感なだけだと。怖いけど克服するのが本当に強い人間、元から怖くないのは単に欠けている人間。
「怖いけど克服するのが本当に強い人間」
エニアグラムを使う人にとってのタイプ6イメージは「怖がりな人」です。
そういったタイプ6が、成長してそれを克服した姿が、タイプ6の美質と言われる「勇気」なのです。
その美質に向かうさいの克服するべきハードルはタイプ6にとってはとてもとても高いものです。
それをタイプ6でも無い人が、自分を勝手にタイプ6だと思い込んで、自分は勇気があるから成長したタイプ6だと語っても、そこに価値はありません。
あなたが超えるべきハードルは別にある。あなたはちっとも成長していないし、向かうべき方向を間違えている。
*
なので誤認は無いほうが良いとは思っています。
ところがです。エニアグラムの誤認者を見ると、それを指摘するとエニアグラムを辞めてしまいそうな人が多いことに気が付きます。
これは私から言わせるともったいないことです。せっかく自分と違う性格の存在を受け入れられた人が、去っていくのは多様性を求める社会においても損失だと思っています。
ということで
「思い込みにとらわれたそのような生き方」
を許容しようかと思う私がいます。
「自身を見つめ直し、自己を批判することで痛みを感じることもありません。自分が思ったことが正しいし、情報は自分が思ったように解釈すればいい」
こういった人は意外に多いです。
そして、そういった人が裾野となりエニアグラムを支えている面もあるのです。
ここの判断で毎回結論を出せずにいる私がいます。
一応の結論は「相手を尊重する」になるのですけど、ときに指摘したくなるし、実際指摘してしまうこともあります。
『コンサルのキラキラ提案にコンペで負けた後、お客さんから「険しい山道を行くなら御社をパートナーに選んだ。でも我々は空を飛びたい」と言われた→のちの顛末まで既視感がすごい』
DX案件のコンペでコンサルのキラキラ提案に負けた後、お客さんから「険しい山道を行くなら御社をパートナーに選んだ。でも我々は空を飛びたい」と言われて、そっかー、空飛びたいなら仕方ないなあと思った。その後飛行機が爆発炎上墜落寸前のところで呼ばれたけど。
性格判別でもキラキラな結果に惹かれることはあります。
険しい山道より、空を飛びたいと思います。
それはとてもよく分かるのです。現実はつまらなく厳しいものですから。
難しいですよねーーー。
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