人に内在する良心神(神言会)

神は言葉なりき。言葉は言霊で構成され、その言霊による神の仕組みを解説する神言会(kamikotokai.com)のプログです。
神言会では人に内在する良心神(この世の閻魔)とは何かを説明しています。

念力で人を殺したと言われても!?

私の元に自分は罪深き者ですとメールをくださった方があります。その方の罪深き理由とは、自分はこれまでに何人かを念力で殺して来たです。

その方が霊査を頼まれた霊能者の調べでは、その方の背後には大変な大身の御神霊の名前を並べておられます。そんな大身名の御神霊が背後に居る方が、念力で人を殺して来たそのものの話が実におかしいと解ります。
おそらく、その方を霊査した霊能者は本物級とは言えない三流か四流霊能者なのでしょう。その霊能者と称する方が大身の神の名を語る霊の正体を見抜けていないと思われます。
 
その方は、私に「あなた様にも念を送りつけて、申し訳ありませんでした」と幾度も書いて送られて来るのですが、私から言わせれば「?」になってしまいます。そんな攻撃の念力等どこからも来ていないからです。その方の背後に巣くう霊の中に、その方を自分は凄い者だと思わせている存在があるのでしょう。
私は霊能者をしてる者ではありませんので「念」を送りつけたと言われても、クエスチョンマークが先に立ってしまいます。
 
私は別に「念」による攻撃を知らないではないのです。私が2番目の師匠の元に居た時、その師匠に元の道場を預かっている女弟子さんから電話が来て、その師匠がその女弟子さんと会話中、私の心臓にグサリと突き刺さる物があり、私が思わず痛いと叫んだ途端、その師匠が私に即座に「鎮魂」の姿勢を取るように命じて、その電話口でその女弟子さんに向かって、「お前はなんということをするのだ!」と叱りつけていました。
すると、その電話口でその女弟子さんが言い訳をされています。その師匠の元の道場を任されてはいるが、師匠が居なくて寂しい。その電話口で私の笑い声がしたので、思わず嫉妬して念力で霊刀として私の心臓を突き刺したと弁明されています。その時の私の心臓の痛みは針で刺されたようなものでした。

私はそれより前の四年間を伏見稲荷大社講でお世話になっていましたが、そこでは一度もそうした念力や霊力で人を攻撃する。攻撃されるなどの体験をしたことがありませんでした。瀧行中、後で弁天さんの御代になられた女性講員さんから、その方に憑依した数体の水子霊を苦しさのあまり私に転送されたはありますが、それは私に対する攻撃ではありませんでした。私にそうした水子霊を転送すれば自分が苦しみから逃れられると思ってされたことです。ある意味穏やかな霊界を見聞していたです。

私は2番目の師匠の元で、「悪」的な生き方の行者の世界を学ばさせて貰ったしだいですが、「善」より「悪」の方が学びが大きいとは言えます。善だけでは何も解らないなのです。
 
しかし、それは私も修業に入って4年間程度の段階であり、さほど霊的防御力も持たない頃でした。その後、飛び抜けた実力を持たれる霊能者から霊的攻撃を受けたことはあります。
私のブログの光かと思ったら天狗さんに書いた千年も続く神主家の霊能者で、そんじょそこらの霊能者とは桁が違うと豪語されて、インターネット上でその方の意見に反論したところ、お前は生意気だから殺すと実際に生き霊で天狗や仲間の神官霊達と一緒に来られた方は、霊的鈍感者の私でもそれなりの波動が解りました。
その神主の生き霊は霊剣を持って私に襲い掛かって来られました。しかし、そのメール主からはそんな私を攻撃する波動がどこからも飛んで来ていないからです。そうした波動はメールだけでも解ります。本当に力を持った霊能者の方は、インターネットでも姿が現れて見られます。
仮にそのメール主が念を私に送りつけて来られていたとして、これまで龍神と呼ばれる存在の攻撃を受けて来た私としては、まったく届いていないとしか言いようがない段階のわけです。
 

で、念力で人を殺すことが出来るかと言うと、御神仏が神罰として人の命を取られるはあります。古来の行者は呪詛を持って人を殺して来ています。だがそれらは呪詛であって念力と言えるかどうかです。

念力とは、今、自分が「お前死ね!」と言ったら相手が即座に死んだであれば念力と言えます。
 
念力=今の心の力
 
「お前死ね!」と言葉を発することそのものは自己の「念」です。「念」である以上、そこには波動があります。目には見えたものではありませんが霊的には「刀や針」で相手を突き刺しには行っています。自分が出す言葉には気をつけなさいと言われているのは、言葉は単なる言葉ではなくて感情を注入すると武器ともなるからです。
しかしながら、相手に向かって「お前死ね!」と言ったら相手が即座に死んだのでなければ、それは「念力」まではいかないのです。

 
御神霊が神罰として命を持って行かれる時は心臓麻痺が多いと言えます。豊受様が神前でピストルを振り回したヤクザをその夜に持っていかれたがあります。当時は映画の仁義なき戦いが現実に日本全国のあちらこちらであって、その土地でもヤクザのピストルの発砲事件は幾度も起きていました。そのヤクザは神前で「神など恐く無い」と、私の最初の師匠をピストルで威嚇したのです。

西洋では黒魔術になりますが、日本の呪詛は不動明王等の神仏の力を利用して、特定の人を殺して貰うことを願うもので自分の願力であって、誰でも願えば叶えられるではなくて行者の願力の腕次第なのです。

余談ですが、戦前の刑法にはそうした呪詛罪がありましたが、現代ではそうした罪は存在しません。「不能犯」と言って、科学では証明が出来ないからです。いくら科捜研を動員しても霊世界は証明論は成り立ちません。
私の2番目の師匠も何人もの霊能者を殺して来たと豪語していましたが、私も殺すということで私に送りつけられて来た存在は「死神」と呼ばれる式神でした。ですからそれも「念力」とは言えません。
 
通常言われている「念力」とは、霊力で物体を動かすことを指したものですが、一種の波動パワーと言った方がいいでしょう。
西洋スピリチュアルでは人を空中に浮かす。手品でよく見る光景を「念力」と言っているようですが、人を空中に浮かしたりホッピングさせる等は日本の御神霊達もされますので、スピリチュアルでなく行者であれば体験している人が多いでしょう。無論、私もそうした数々は自分の目で直接に見聞して来ました。ですから、それをもって念力とは言えません。別の要素もあるです。

 
私が最初の師匠の元に行く前、最初に行った霊能者から貴方には不動明王さんが付いておられますと言われるので、その数ヶ月後に10年に一度の近畿36不動尊の御開帳が初めて催されたので、その会場に行きました。どのお不動様が自分とご縁があるのかです。そこには名だたる不動明王の像が勢揃いです。秘仏とされる仏像も全てその御開帳には来ているです。
で、私が会場に行くと7~8体の青不動明王像から私に対してビシビシと変な物が飛んで来ます。私は思わず私と喧嘩する気か!とむっこうぱらを起こしていました。別に不動明王が恐いともなんとも思わないのです。

その話を最初の師匠に話したところ、その師匠が笑って言います。お不動様達は貴方を攻撃されたのではなくて、貴方のお力がどの程度なのかを調べられたのです。貴方にとってはそんなものはどうということもなかったはずですと言います。
 
その後、私の伯父が亡くなって伯父が祀っていた薬師如来像があまりにも力が強く、伯父が家人に恐ろしいからと一切お給仕させていませんでした。で、そんな恐い仏像をどうしたものかとなったので私が御経を上げて見ると、かって不動明王達が私に飛ばして来た同じ物をビシビシと私に飛ばして来ました。7~8体の不動明王から受けた身ですから、一体の薬師如来象ならばと御経で切り返すで30分ほど般若御経を上げ続けていると、それが徐々に弱まって一切飛んで来なくなりました。その薬師如来象に入っている霊ごと私が御経で縛り上げてしまったのです。その霊を霊縛したわけです。

後にこのビシビシ飛んで来る物が何であるかは解って来ました。霊的世界のもので肉体ではなくて「霊の自由」を奪ってしまう霊界の物質です。不動明王さん達が私に飛ばして来たのは、確かに私の力を探る為だったようです。それに耐えられなかったならば、命など持っていかれてしまったかも知れません。しかし、それは念力と呼ばれるものではありませんでした。

怨み霊が人の命を取るはあります。それと同様に豪腕の行者さんならば出来ない話ではありませんが、スピ系の方に自己の念力で人の命を取るなど、そんな霊能力があるなど私にはとても信じられません。スピ系のほとんどの方は思い込みの範疇です。

 
私がそのメールの方に近辺の多賀大社に参拝して来なさいとメールしたところ、これまで多賀大社に何度も参拝したいと思っても一度も参拝が出来ませんでした。近づけないと言われます。多賀大社からオミットを食らっておられるわけです。
それでも私が多賀大社に行きなさい。私が行きなさいと言った以上は必ず行けますからと言っておいたところ、多賀大社に無事に参拝出来たとのこと、するとその方は自分の体内から「黒蛇」霊が逃げて行くのが見えたと言われます。それでその方は自分の背後に居た存在は大身の神々達ではなくて、そうした名乗りをしていた「黒蛇」霊達であることを理解されたわけです。
 
その方はその「黒蛇霊」によって欺されておられたわけです。その方の自分は何人もの人を殺して来た罪深い者とは、仮にそれがあったとしてもその「黒蛇」霊達の仕業なのです。
こうしたことは、私のブログの「観音様として自分を祀れと言った大白蛇霊」に書いておりますが、相談者に憑依した蛇霊を取り除こうとして複数の霊能者が死に、その大白蛇霊を祀っていた方がそれを解決された。毒をもって毒を制するように、蛇霊をもって蛇霊を制する。霊界の中の切った張ったの話しに過ぎないのです。

霊能者特有の悪癖として、自分の霊能力は凄いのだと相手の力量を見分けずに力任せに相手に襲い掛かって自分が討たれるがあります。私はそれを2番目の師匠の元で見て来ましたが、それは自業自得の範疇の中に入るものです。神は正義だと思って霊界に臨むと、当てが外れてしまいます。今の霊界は力の強い者が勝つなのです。


もしも神が正義だと言うのであれば、イスラム過激派ISとかタリバン。北朝鮮のような組織や国すら存在していないはずなのです。

本当の正義とは、人の「良心」神の中にあるのです。


 
自分の念力で人を殺したと言われるのは、その方にそうした黒蛇霊が憑依していてその霊の霊力であって、霊界の切った張ったの賭場での出来事なのです。だが、その方は憑依されているのであって罪は無いのかとなりますと罪はあります。
霊の憑依は自分が正しく心清らかであれば、悪しき霊が憑依しようとしても出来ないからです。自分が人を嫉んだり恨んだりすることで、悪しき霊達に憑依されて来るからです。自分の行い想念が悪いのです。そうした霊に同調しているのです。
で、その解決は多賀大社に参拝出来たからと言って、簡単に根本の解決はできません。その方の心の持ち方たる根本が悪いからそうなったのであって、自己の魂を根本的に洗うには、長い丁場になりますが言霊を鍛錬して御経や祝詞を上げてて日々自分を反省してくださいと伝えておきました。
 

こうした方は別に珍しくはありません。霊感の強い方の中には、特定の神社から来させないようにオミットをされている方はあります。ある女性は伏見稲荷大社に参拝したいと思っても、必ずその途中でトラブルが起きて参拝出来ないがありました。その方の背後に居る神霊がその結界を突破出来ないがあるのです。
伏見稲荷大社からオミットされていた女性は、私が見た中では特別の存在でした。本人は霊能者ではありませんが千里眼を保有しておられて、それも特筆するほどの千里眼でした。その方に対して近辺の霊能者が皆さん逃げると言うことなので、私の最初の師匠に会わせて解決を図ろうとしたのですが、その師匠すら逃げてしまわれたほどでした。これは稲荷神界でも手に負えないと見ましたが、私も実に恐ろしい存在に出会ってしまいました。

その時は私も神様お願いです。どうかあの女性だけには関わらせないでくださいと泣きが入ったほどです。やがてそれは私と黒龍神群団とのチャンバラまでに発展したのです。伏見稲荷大社が強烈にオミットしていた理由もそこにあったのです。

 
よく霊感女子の中では自分が怒ったら、その相手が死んだ等と言われる方があります。そうしたことが連続して起きたならば可能性もあるでしょうが、その多くは偶然とか、たまたま一致した程度ではないかと思われます。そうした霊感女子の話を聞いていると、自分が怒ったから台風で多くの被害が出たとか、思い込みの所作が随所にみられるからです。
 
私は一度だけ、京都に直撃予報が出ていた台風に関して、止む得ず豊受様に台風を京都に来させないでくださいとお願いしたことがあります。それは私個人の為ではなく、豊受様の御分霊を持たれた女性を瀧行指導することになり、日程などの関係でその日以外に適当な日がなかったからです。
で、私はその女性を瀧行に導く必要がなければそのままで結構です。必要があるならば台風の進路を変えてくださいとお願いしたのです。台風が来れば、その中で素人の方に瀧行などさせられません。すると、紀伊半島の前で台風は右に急旋回したのです。それは天気予報を完全に外させたのです。

私はその瀧行でど素人の方にいきなり脳天受けをさせたところ本人の意識は吹っ飛んでしまったのですが、そこでその方は能面を被った女神を見ておられました。私もその能面の女神を見ていて誰だろうと考えていましたが、本人の口から「豊雲野尊」様という予想外の名が出て来ました。豊受様の御分霊の持ち主でしたから可能性はあります。
その方に瀧行をさせる必要があったから、豊受様は台風の進路を変えられたのだろうと推察しました。私は地震や台風等の災害は必然性のものであり、それは人間のエゴなどで、可哀想だからと言って台風の進路を変えること神霊に願うは一切しません。可哀想だ可哀想だでその場凌ぎをしてしまいますと、後に大地のカルマを持ち越すだけだからです。
 
よく霊能力を持たれる方で、自分が行けば雨が止むと言われる方達があります。拝見していると龍神の一体ぐらいは居られるようです。それで限定された場所の雨が止むと言われても、私はその程度で豪語しても霊界の切った張ったの賭場は乗り切れないと言います。
それは私が何百体のもの黒龍神の群団に攻撃を受けたことがあるからです。無論、私にそれに対応する力などは存在しません。結果的に私の背後霊団との戦闘になってしまったのです。

その黒龍神の群団を操っていたのは当時高校生ぐらいの女子でした。今は中年ぐらいの歳だと思いますが、仮に霊能者になっていればとんでもない存在になっておられるでしょう。

ある自称創造神さんの信徒さんから、私にその方の元にはせ参じるようにメールが来ましたが、自称三千億次元の創造神とのことでしたが、それに従っている龍は10体あるかないか。その程度の数で自分は三千億次元の創造神だと名乗れるものだと驚いてしまいましたが、私は自分が人に見せる霊能力を持たないので「霊界見聞者」で押し通せますが、少しの霊能力を持っただけで自分は偉いと錯覚させて来るのが霊的世界であると認識する必要はあります。


 
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