私の最初の師匠は実践霊能者としては大変優秀な方で、伏見稲荷大社首座神の豊受様の御代をされておりました。
豊受様は当時の師匠に関して、日本でトップテンに入る霊能者の中で豊受様に仕えている霊能者としては、その師匠ともう一人、同じく伏見稲荷大社講務本庁の支部長をされていた某女性霊能者の方を告げておられました。私もその方を見ましたが、見ただけで凄いと解る女性でした。放っておられるオーラが普通の霊感者とは違っているです。
当時豊受様(白菊姫を含む)の御代をされている男性霊能者では、当時の日本のトップテンに入る方はいなかったのですが、それに準じる方が二人居られました。一人は神主をしておられる方。一人は支部長をされていました。
その男性支部長をされている方と5日間ほど一緒の講習会を受ける機会があり、同室で寝泊まりをしていたこともあって、いろいろとお話が出来て、ずいぶんと学ばさせて貰いました。そうした霊能者の方となりますと、通常の霊感者とは完全に一線を画しておられます。霊が見えたとか聞こえたの段階ではなくて、実際に実力を見せることが出来るです。
どの御神霊であれ、その神の御代と称しておられる方は霊感者とは違い、その御神霊の看板を背負ってしまいますので、自分が発した言葉に【責任】が発生して来ます。言うなればヤクザ世界の「代貸し」に近いことになります。生きるも死ぬもその神と共にです。その行為は使っている神の「責任」ともなるのです。その意味では無責任のスピリチュアルとは違って来るのです。特定の御神霊の看板があるからです。
巷には人格が非常に卑しい霊能者の方が居られます。だが、見える聞こえるはよく当たる。だが、その方の元に集まる信徒さんも金、金、金式で、唖然とする組織があります。当然、その霊能者の方の背後の御神霊はその名乗りとはまるで関係なく、邪神と呼ばれる御神霊が背後に居られたりします。
私がその師匠に連れられて初めて伏見稲荷山に上がった時、それはお塚信仰と呼ばれる世界ですが、そこで信徒さん達の様子を見ておりました。その師匠に初めて出会ってから4回目の時でした。
すると、その師匠が私に自分の信徒さんのことをどう思いましたかと聞かれたので、私は【どの信徒さんも神様と呼ばれる存在に対して信仰熱心であられる。だが、その信仰態度は神様から何かをして貰う為の現世御利益信仰です。そうではなくて、自分が神様に対して何かをして差し上げる信仰に切り替えないと行けません。そうすればその神すら乗り越えることが出来ます】と言ったのです。何十年も豊受様の御代をしている師匠に、平然と言い放ったのです。
すると、その師匠は私に問いかけたのです。【神様から何かをして貰う現世御利益信仰から、神様に何かをして差し上げる信仰に切り替えれば、その神を乗り越えることが出来るのですかと】と問われるので、私は【乗り越えられます。少なくとも蛇神や狐神の段階であれば簡単なことです】と言葉を出しました。
それを聞いたその師匠は、【さすが、神その方が言われる言葉は違っている】と言います。私はそれを聞いて、私が【神その方】?、どういう意味かと聞き返そうかと思いましたが止めました。
私が子供の頃に臨んで来た旧約聖書の神と名乗る声は、【人は自分の過去世を知らず、過去の自分が神として祭られている場合もある。人はそれを知らず、過去の自分を神として敬う時も起きる】と告げられていたからです。
その折り、後日、お不動様の御代をされた講員さんが私の元に来て、【○○さんは神様なのですか?】と聞かれます。どういうことですかと尋ねると、その師匠が私のことを講員さん達に、「○○さんは私達と同じ様な人の姿をしておられますが、あの方は神その方が人の姿を身にまとっておられるので、人間だと思って決して粗相をしないようにしてください】と注意されたと言います。
私はそれを聞いて、【心配しなくてもいいです。私も皆さんと同じ様に人間です。人の子です】と笑っていました。
お釈迦様であれ、イエスであれ、弘法さんであれ、日蓮さんであれ、この世ににオギャーと生まれたならば誰もが皆「人の子」なのです。人の子の間には何の差異もありません。どこが違うと言うのでしょうか?。
ただ、この世の修行や任務を終えて霊界に帰ればその時には立ち位置が違うだけです。全て結果論に過ぎないのです。
この世の修業しだいで、誰もが「神霊」と呼ばれる地位には行けるのです。
いくら霊界に居た時には自分は神霊として崇められていても、この世に降りて来て肉体を貰えば、道を間違えたり失敗すれば地獄界です。常に両刃の剣なのです。神とも成れるチャンスがあれば地獄に落ちるかも知れない。何も自分は霊界で神霊だったと威張っても、偉ぶっても何の意味も無いのです。
人は誰もが【神の子・神の宮】なのです
だが、その神の段階は全て一列同順ではないのです。創造神を頂点とする神界の一員という意味合いの神なのです。
スピリチュアルの様に、一人一人が創造神です等と言っていれば、創造神と創造神がぶつかって混乱の中に入ってしまいます。仮に私が霊界では神と呼ばれる存在であったとしても、私は創造神の一介の「下僕」にしか過ぎないのです。
雁が「北帰行」する時、それは「<」型に編隊飛行します。その順列は決まっていて崩すことはないのです。
私の最初の師匠がお亡くなりになる少し前に出会った時、その師匠は私に言いました。
【私はこれまで自分の信徒さんの育て方を間違っていました。神様から現世御利益を貰う方向だけに導いていました。それは大きな誤りでした。もっともっと、信徒さん達に人の道。人としてどうあるべきかを教えなければいけなかったのです】と。私はそれを聞いて、やっと解ってくださったのかと聞いていました。
私自身はその師匠の側に居て、豊受様が相談者に対して述べられることを聞いておりまして、その師匠はその内容を神示として告げるだけで、その内容を自分が噛み砕いて相談者に解りやすく諭していない。これでは信徒は神様頼りとなり、本人の自立心が阻害されると横で聞いておりました。
大切な事は神に従ってくる「子羊」を神の元に従属させることではないのです。言われなければ自らが動こうとしない者達をいくら集めても意味がないのです。大切なことは、神の意を受けてそれを実践する者達の育成なのです。そうでなければ、やがて神とも成れる「神の子」ではないのです。
現世御利益とは、神の存在を知らない者に神の存在を知らせむ為の手段の一つであって、現世御利益を与えることが神の本来の道ではないからです。
私が蛇霊や狐霊や狸霊や猫霊に化した者達に厳しく言うのは、目的の為の手段を間違えるなと言うことなのです。病気治し結構。現世御利益おおいに結構。それらは神の存在を知り、自らが神の道に進む目的の手段に過ぎないのに、それを「売り」にしていることが貴方達の身を蛇霊や狐霊や狸霊や猫霊に「身変える」させているのですよなのです。
私が子供の頃、私に臨んだ旧約聖書の神と名乗る声は、【そなたを社会の底辺に置く。そなたはその社会の底辺をウジ虫のごとく這ってでも生きよ。そして、その社会の底辺で「人の心の在り方」に関して学びなさい】でした。
私は【社会の底辺】に自分の身を置くことによって、人々の悲しみ。苦しみを見て来れたのです。私を育てたのは【社会の底辺に住む人達の本来の心の美しさ】なのです。
大きな羊は「美」です。大きな羊の身には「躾」が利いているのです。
何をしても自由だ!。では何の「躾」も利いていない。羊の言葉は善(譱)とは成らないのです。
私が説く【良心神】とは、言葉の仕組みもありますが【社会の底辺】から導き出した教えなのです
私は神々を見ていて、【神霊とは良心を失った者達か】とさえ思ったのです。何故に神々には良心が無いのかと思った疑問が、私に大本教神諭予告「九つ花」を紐解かせ、五十六億七千万の仕組みの上に立つ「みろく」によって、お釈迦様の悟りが【悪魔は実体を持たない現れで有り、人には良心と呼ぶ神が内在する】を理解させたのです。
何故に、神々は人に【良心神】の存在を説かないのか?
良心神は【人に内在する神】であって、神々に内在する神ではないのです。
この世に生きている間に悔い改めないと、死んでからは良心神(天帝の直霊)は発動しません。
人の身の内でないと、良心神の教えは説けないのです
人の身ではない霊が、人に「良心神」を説くことは無いのです
自分を神や天使と思っていると、人に「良心神」を説けないのです
スピリチュアルで出る「霊」で、【良】心神を言うなどは無いのです
いくらスピリチュアルで自分は「凄い、偉い」式で走っても、「閻魔庁」は霊が見えたとか霊声が聞こえたでは魂の判定はしないのです。
その人の魂がどれほど「宝石の如く」輝いているかどうかなのです。
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