人に内在する良心神(神言会)

神は言葉なりき。言葉は言霊で構成され、その言霊による神の仕組みを解説する神言会(kamikotokai.com)のプログです。
神言会では人に内在する良心神(この世の閻魔)とは何かを説明しています。

先人訓その3 汝の敵を愛せよ!。憎しみは自分の心が増す。人を呪わば穴二つ

イエスの教えに「汝の敵を愛せよ!」があります。これはとても素晴らしい教えなのです。この意味は「自分に対して悪意を抱いている者や、迫害してくるような敵こそ慈愛の心を持って接しなさいという教え」なのですが、イエスの教えにはどれも舌足らずのところがありまして、魂の観念から言いますと、そこにはもっと深い意味が秘められて来ます。

それは「愛」の逆作用とは、「増悪とか憎しみ」だからです

ほとんどの方は肉体的な面からしか物事を見ておられません。為に、肉体から言えば「汝の敵を愛せよ!」は、そこが限度、限界がある教えとなります。
これは「魂」の世界から見て行きますと、非常に解りやすい教えなのです。
 
では、たとえで話しますと、今、貴方の周囲に「A」さんがいます。その「A」さんは常に自分勝手で、まるで「唯我独尊」です。その「A」さんの言動で周囲の者は迷惑を被り困り果てています。だが、その「A」さんは周囲の人の忠告は無視。自分がどれだけ周囲に迷惑を掛けていることをまったく理解しないのです。そんな存在の人を、誰しも経験したはずです。

そうした人が周囲に居ると、本当はその人と関わりたくはない。しかし、いろんなしがらみからどうしても関わらなければならない立場の時が出て来ます。
そんな人に対して、汝の敵を愛せよ!。???となります。
そんな人の為に会社を退職し、学生ならば転校があります。だが、転職や転校が出来ればまだいいのですが、そうでないと自分が【自殺】を図るになります。
だが、そうした「唯我独尊」タイプの方は、自分の行為でその人が「自殺」したとしても真の反省などほとんどしません。しても必ず一時で終わります。また始めます。どこまでも「唯我独尊」なのです。
 
汝の敵を愛せよ!で走っても、まずほとんどは裏切られます。相手にいくら改心を求めても難しいと言えます。

その「A」さんの自己勝手な行為行動で被害を受けている人達は、時にはぶち切れてしまうことがあるでしょう。その時、貴方の「感情」は自分で思っていたよりもぶち切れているのです。

「A」さんのことをよく思っていないのは、その周囲のBさん。Cさん。Dさん。Eさんと多数居るのです。その全員が表には出さないとしても「A」さんを陰では「憎んでいる」のです。為に「A」さんの周囲には憎しみの想念が溢れているのです。自分が周囲の人達から疎まれていると知らぬのは本人のみです。
貴方がその「A」さんを憎んでぶち切れそうになった時、貴方の感情に「Bさん、Cさん、Dさん、Eさん」の感情も乗っかって来て、自分が想定していたよりも大きな感情の渦として霊的に「A」さんにぶつかるのです。
 
憎しみとは、「心が増す」なのです

そして、その感情は「Bさんの感情、Cさんの感情、Dさんの感情、Eさんの感情」が合計された「総合勘定」として働くのです。ですから、予想外に大きな想念が渦巻いてしまうことになります。それによって、時には自分がその総合感情の行使者となってしまい「犯罪者」となるが起きるのです。一時の感情に巻き込まれるのです。

総合勘定(Aの感情+Bの感情+Cの感情+Dの感情)

為に、自分が想定していたよりも、相手に対して憎しみをもってしまい。殺人とか暴行にと発展し、自分の「理性」が効かなくなってしまうのです。
 
霊的に見えないので誰も気づかないのですが、その「A」さんの攻撃にはその「A」さんを憎んでいる人達の姿が一緒に出て来ます。霊的に見える方であれば、誰がその「A」さんを恨んでいる憎んでいるのかは見えるのです。
 
それらは一般的に「念」として括られていますが、人が「念」を出す時、それは独立してまるで魂と同様に働くのです。

それは私が2番目の師匠の元に居る時、その師匠の霊業に奉仕していた2人の霊媒者同士の喧嘩でしたが、夜中にある光景が見えて来ました。「甲」さんという霊媒の方が白装束で額に鉢巻きをして、その鉢巻きには2本の火が灯った蝋燭。俗に言う丑三つ参り格好をしていて、仲が悪い「乙」さんという霊媒の方の家に押しかけて行く光景です。それが手に取るように見えるのです。

私はそれを見ていて、これは「ヤバい」。明日が大変だとみていました。その翌日、2番目の師匠の元に行ったところ、「甲」さんと「乙」さんが出会ってしまいました。すると、「あなた何よ!。真夜中に私の家に押しかけて来て」と言います。二人で言い争いにとなりました。それを聞いていると、その二人は何時も互いに「念」を飛ばして攻撃しあっていたのです。霊媒者だから「念」が見えるのです。また強いと言えます。
 
人を憎むなと言うのは、そうした霊的世界のことがバックにあるからなのです。

私はイエスはそこまで理解して「汝の敵を愛せよ!」と説いたのではないと思いますが、自分が憎しみゆえに犯罪者にならない。その為には「汝の敵を愛せよ!」は、自己の魂の防衛になるのです。

日本ではこうしたことを

【人を呪わば、穴二つ】と言いまして

呪った方も呪われた方も霊的「穴(地獄)」に落とされるのです。ただ、自己の魂を磨いておくと、その「呪い」に自分が被害を受けることはありません。お釈迦様を呪って矢を射た者にその矢が突き刺さると言うように

磨かれた魂の者を呪うと、倍返しで自分に矢が刺さる(自業自得の罪に落ちる)
 
日本語はこうして言葉、「感情」でもその意味が理解出来るようになっています。
しかし、ヘブライ語やギリシャ語では言葉で神の教えを知ることは出来ないのです。
 
また、こうした日本語の言葉の仕組みの解読は、自分にミカエルがカブリエルが降りて来る式のスピリチュアル霊感者の段階では無理なのです。
 
この日本は神の教えの言葉(日本語)で満ちあふれた国

それが何一つ理解出来ないと言うのであれば、最後の大峠は乗り切れないでしょう。


 
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