私達は新年の初頭、「あけましておめでとうございます」と挨拶します。果て、何があけましておめでとうなのでしょうか?。
私達が新年の初頭に言っている「あけまして」とは、単なる「暦」の繰り返し話しにしか過ぎません。で、「日月」のことなので、明けましてと言えます。しかし、おめでとうの「お目出度う」は何の「目」が出て来る度のことでしょうか?。新年のご来光?。日々の太陽に元旦だからと言って何の変わりもないでしょう。自分の心を新たにする意味です。
自分の心を新たにする「目」とは?
現在の日本では西洋の太陽暦に合わせて新暦の暦が使われています。しかし、中国などでは今も「春節(旧正月)」を正月として祝っています。何も「キリスト教西洋人」が決めた暦が正しい等はないのです。
日本でも明治以前は太陽暦ではなくて大陰暦で中国の春節と同じ日を「正月」としていました。これを一般的に「旧暦」と言っています。日本でも神道の場合は旧暦を重視します。旧暦だと今年は2月8日が旧正月となります。だいたい新暦の節分付近頃が旧来の正月だと大雑把に思っておけばいいのです。
私は大本教が世に広めた「ウシトラ金神」には、今は退いていますの「退の艮の道」。そして「魂」の字で解ります「鬼と云う牛頭虎パンツの牛虎」があると言っております。
その大本教から「節分の炒り豆に花が咲く」が説かれましたが、他に「地獄の釜の蓋開け」が出されました。
節分の時に「鬼は外。福は内」と炒り豆をぶつけられている鬼とは「牛頭の虎パンツ」の鬼のことで、地獄「閻魔庁の羅卒」達と言えます。
元々節分とは「立春・立夏・立秋・立冬」の前日のことで、四季を分ける変わり目の「節」のことです。
節分の夜に「鬼は外」などをする風習は、京都の鞍馬山(鞍馬寺は国常立尊と同一視される)の鬼に対する厄災から免れたの故事伝説が起源とされていますが、室町時代の京の都の「公家達」から流行りだした風習という説もあります
私達はこの世で悪行をしたからと言って、死ぬ前に地獄の鬼達が自分を地獄に火車で連れて行こうとする夢に苛まれるということは聞きませんが、
「平の清盛」が死ぬ前に地獄の閻魔庁の鬼達が火車で迎えに来る夢に苛まれて、多くの僧を動員して調伏をしたことだけは歴史的には知られています。
京都の公家達からすれば、自分の悪行を反省するではなくて「平の清盛」のような目には遭いたくないだったのかも知れません。
いずれにしても「国常立尊」様を節分の炒り豆で追ったなどは、どこにも歴史的事実としては存在しませんが、そこにあるのは「閻魔庁」の使いの鬼達を追ったなのです。
その「閻魔大王」は「国常立尊」様と同一でもあるので、国常立尊様を節分の炒り豆で追ったとなります。大本教が起きた時、その内容から「鞍馬寺」が解らなかった人は抜けていると言えば抜けているのです。
そもそも「豆」とは何ですかと言いますと、漢字の「豆」の成り立ちから言いますと「豆」の形ではなくて、下記の図が「豆」なのです。器の頂が横の「一」で丸い大きな部分が「□」で台座を含めた象形で「豆」の字なのです。
古来中国で神に捧げる祭祀の容器のことです。この容器に豆を入れたのです。こんな容器たる「豆」を炒るのですか?。あまり意味の無いことをしている風習となります。

「まめ」は「魔芽」につながるから「炒り豆」にする?。そんなことを言い出したの者は単なる言葉の「ゴロ」合わせでバカ丸出しなのです。それならば「真目も真芽」も出ないとなります。ですからそうした所業を広めた者達を邪神とも言うのです。
大本教から○に点(小丸)の記号が出されましたが、それは魂(鬼と云う)の中にある中心核を意味したものであり。すなわち「真ん中の目」の「真目」です。また「マコトの目」です。これをお釈迦様は「人には良心と呼ぶ神が内在する」と悟られていたのですが、そのお釈迦様の悟りはほとんど覆い隠されてしまった為に、そのことに気づくことも無く来たと言えます。
だが、大本教神諭予告「九つ花」が、日本語という言葉で使われる「言霊」の仕組みで「五六億七千万」の意味を秘めて、お釈迦様の悟りを見事に復活させる「みろく(369)」となっているわけです。ただ、大本教からは「ス」の神として、目眩ましがなされていたと言えます。それを知るには出口王仁三郎聖師の演技が重要(十曜)だったと言えます。
いくら大本教神旗「十曜」紋を見ていても、解けるはずも無しなのです。
この日本の日本語であっても言葉の仕組みの偉大さ!。そのスケールの大きさ。重大性!。人間の人智では組み立てられないことを何一つ理解しようとしない者達。それらの者は最後の審判は【火の審判】と予告されておりますが、その「火」の裁きを受けなければならないということになるのです。
いくら自分にはマリア霊が天使長ミカエルが天照大御神からメッセージが降りる等と言っていても、それらの霊はこうした言葉の仕組みを何一つ組み立てることも出来ない霊にしか過ぎません。もしも組み立てた神ならば、その神霊が解説出来たはずです。おかしなチャネリングをしていると自分自身が最後の審判で「火の中」に放り込まれる者になってしまう可能性が大となるのです。
言葉でここまで仕組むには、その民族の成り立ち以前から存在する神でないと不可能だからです。
大本教神諭に「三千年」の仕組みをいたしたとありますが、
日本語でここまで仕組むには日本神道で言う「皇紀」以前から、漢字の成立から先(未来)を見通していた神でないと不可能なのです。
それは【日本民族の創始神】でもあるのです
一部の自分には霊能力があると言う方達から、人類の最後は西暦20××年に起きる「核戦争」で人類が滅亡すると神から啓示を受けていると言われます。が、私は核戦争で人類が滅びる霊的光景を一度も見たことがありません。また、私が子供の頃に臨んだ声からも、修業のお世話をいただいた豊受神からも、そうした人類が起こす核戦争の類の話は一切伺っておりません。
私の2番目の師匠の御祭神は「国常立尊」と名乗る御神霊でしたが、言葉の仕組みを何も御存知ない御神霊でした。また世に自分が「国常立尊」と称する御神霊達も少なからずいられましたが、どなたも「言葉の仕組み」に言及されていません。「九つ花」を組み立てた神がそれを知らない紐解けないとなると、かなり怪しいと言えます。それで日本の「国に常に立つ御言(尊)」と言えるのかです。
私が知る光景は人類が起こす核戦争による滅亡ではなくて、魂と魂がぶつかり、負けた魂の「核」が爆発する核戦争で、「神界最終戦争」で西洋で言うハルマゲドンなのです。ハルマゲドン(殺戮の丘)の解釈が私は他の方とまったく異にしますが、人類滅亡の核戦争を言われる方がかなりおられますので、どちらが正しいのかは私にもよく解りません。ただ、核戦争を起こして人類を滅ぼすことを考えている神々が存在していても別に何の不思議もないでしょう。
私の仮説にはなりますが、創造神が人類を救う為に「新しい天地(みろくの世)」を準備して下さっていなければ、私達人類は核戦争で滅びてもいいと考える神々の元に居るのかも知れません。そうでないと、同じ西暦20××年に核戦争で人類は滅びると言う方が私に複数も連絡くださるはずもないからです。
霊界に霊的映像があっても、その映像は必ずしも創造神からのものではありません。どの御神霊にも自分の思惑があり、霊界には神々の思惑が入れ乱れているので、そうした神々の思惑の霊的映像を見たからと言ってそうなるではないのです。大本教の出口王仁三郎聖師はその予言をほぼ的中されています。それはその背後に本当の「国常立尊」が存在されたと思われます。
だが、名乗りは高い神霊のように思わせても、その発言は何一つも当たらない神霊ともなれば、疑って行くべきなのです。
地球に核戦争が起きたとなれば、この地球は映画【猿の惑星】と同じになるかも知れません。
同じ「核」ならば、魂の「核」と「核」のぶつかり合いと言っていただきたいところです。
私に臨まれた神の声は【旧約聖書】の神と名乗られて、ヨハネの黙示録にあります「新しい天地」に人類を導けと言われただけのことです。最終地は【火難(カナン)】の災いから逃れることが出来る土地なのです。ですから仮に人類滅亡の「核戦争」が起きるしても、その前にこの地球からは逃げますので、核戦争で滅亡する光景は見ないでもいいことになります。
私が子供の頃に聞かされたのは、新しい地球は今の地球とまったく瓜二つの同型。何の違和感も無い。だが次元を異にするなのです。しかし、その地球を人間の科学で解明することは不可能と言えるでしょう。もしかすると、私もスピリチュアルと同様に妄想の中にいる一人かも知れません。
しかし、日本には「言葉の仕組み」が存在しているのは確かなのです。
いよいよ「開けまして」の時節に近づいて来たように思われます。何が開くのか?。
開=門の中に「鳥居」型があるのが「開」です
日本で使っている「漢字」は中国で創られたものがほとんどなのですが、私達はまさか漢字の成り立ちまで「国常立尊」様が関わっておられるなど知るよしもないことでした。
私は鍾馗神の御案内で中国で創造神とされる「盤古大神」に拝謁した時、私はいったい何を見ているのだと思っておりました。だが、大本教霊界物語の中に「中国の盤古大神から日本の国祖神国常立尊様に「神界の大政奉還」とあり、何故か私の家の浴室の前に大きな「漢字」と書かれた浴衣を着用された出口王仁三郎聖師さんの霊が立たれ、びっくりして私がその後を追うと、当時は2階に設けていた神棚にあったお菓子を取ると、神棚の中にスッーと消えてしまわれたのです。私に対して「貸し」があると言われたのかとは気づきましたが、どうして「漢字」と書かれた浴衣なのかを理解出来ずにいました。
しかし、その件があったので「神界の大政奉還」で気づいたのです。単に神界の統一神が盤古大神から国常立尊様に対して奉還されるだけでなく、元々漢字も国常立尊様が為された仕組みであり、
日本語は「漢字」がないと「感じ」が掴めないのです。
漢字(感じ)の変換(返還)です
国常立尊様が日本の国祖という意味には、
日本とは日本語を使う民族であり、その民族の産みの神は国常立尊様であったなのです。その日本の言葉の神。日本の国に常に立つ御言(尊)。これらの解読は大本教があってのものなのです。
が、地図の記号には「鳥居」の型はありますが、そもそも漢字には鳥居」を語る象形漢字がありません。
鳥居とは、鳥が横柱に止まるから鳥居?。そんな解釈で鳥居ではないはずです。
鳥居とは、十里(トリ)が居る場所
漢字の「刑」の中の鳥居型は、元は「井」の漢字なのです。私に早い段階で「井」の字が示されましたが、何の意味か解らずにいました。漢字学者の方でも意味が解けない漢字に「囲」があります。かこい(囲い)がそうなのですが、井戸の井を取り囲む程度の解釈で終わっています。井は成り立ちが解らない漢字の一つなのです。
私はこの井桁から「九つ花」とは「花」のような丸形ではなくて、井桁を連続させる「枡目」のような形だと理解したのです。
この「鳥居」型の形を、
天帝からの刑罰を受ける鳥居形にするのか。羅王のラ(羅)で地獄の鬼が出る。
新しい世に行く姿の形の鳥居にするのか。ラ(良)で五六七の世に渡るのか。
それは各自しだいなのです。この「鳥居型」の形は、元は【井】の漢字で、その「井」を縦に建てた物が鳥居型だからです。
私は日本各地の「真名井」と呼ばれる霊場の湧水を見ては、首を捻っていました。意味が解らないからです。この真名井は真井でもいいのですが、真ん中の「井」です。それを湧水の場所と言葉を解釈したことに首を捻っていたのです。
罰の字に「言」があることを考える人は少なし
今年は大本教神諭。【地獄の釜の蓋開け】と「猿」年とをどう読むかです。
日吉の猿は、天下統一に向けて動きだすのか?。それともこの地球が「猿の惑星」にと向かうのか?。
今年のNHK大河ドラマは真田幸村。真田家は冥土の旅立ちの「六文銭」が旗印。
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